周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

肩こって学問進む

曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。 跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。 立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。 こ…

机上の空論に陥らぬために

先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。 孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。 しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢い…

儒学的文章についての覚書

筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字…

革命の是非

中国の歴史には度々「革命」ということがある。 孔子は革命についてどうお考えであったか。 論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は伐ってよい」といったことは仰っていない…

性善説に関する追記 / 独学について思うこと

以前、性善説と性悪説について書いた。 今回はその追記と、最近考えたことについて。 性善説のこと 益軒先生曰く 明道先生曰く 独学について 孔子を師とする 陰陽相和すること 独学の弊 柔に学び剛に考える 孔子を師として 性善説のこと 見方によって性善説…

酔中独言:義弟のこと

独りでお酒を飲みながら、過去の写真を見ていた。 あまり写真は撮らない。ちょっと上にスクロールすると、すぐ1年以上前になる。 サーッと上に行くと、6年前、弟と遊んだ時の写真が出てきた。クリスマスの日、男二人で昼から飲んだときのもの。 弟は私と違っ…

日々どれくらい勉強すべきか

質問をいただいた。 質問箱に書ける文字数は2500文字が最大らしい。 超過してしまったので、ブログでお答えします。 質問の内容は以下の通り。 例えばきっかけをつかむために、まずは5分や10分から始めるというなら、大いに結構だと思います。いきなり何時間…

なぜ儒教では婚礼を重んじるか

近思録に関する質問をいただいた。 これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。 実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。 極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。…

礼とはなにか

礼について質問を受けた。 質問は以下の通り。 質問者は「礼=作法・法律」と解釈している。これも間違いではないが、この見方に偏るならば現代的な解釈であって、礼の本質がわからなくなる。 本人が仰る通り、極く初学者向けにお話しする必要があるように思…

無窮を考える

今回も、質問への回答。 質問者は、現在近思録を学習中とのことで、以下の質問をいただいた。 近思録を元にした質問ではあるが、これは論語子罕篇に関する問答である。 論語の本文を見ながら考えていきたい。 伊川先生曰く 論語の本文 伊川先生の解釈 無窮の…

論語の建て前

先日、以下の質問に対して、①だけお答えして②③は後日、とした。 shu-koushi.hatenadiary.com この質問は、ロシアのウクライナ侵攻を受けたものであったという。 あまり触れたくない内容ではあるけれども、再度考えてみたところ、やはりお答えすべきであった…

報われない努力について

以下のような質問を受けた。 努力が報われぬ不幸について、である。 質問を受けてから。随分と日が経ってしまった。 ①はすぐにでもお答えできたが、②③に向かい合うのに時間を要したためである。 このような話題は、書きたくありません。 私の場合であれば、…

目を保つ良法

視力の低下に関するツイートを見た。 学者はたくさんの活字を読む。毎日毎日、長時間読む。すると眼が疲れる。 最近はパソコンやスマホなどの機器で文字を読むことも多い。単に紙の本を読むより目が疲れるだろう。 そのような生活を続けて年を取ると、目が見…

性善説と性悪説

儒学では、性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)がしばしば問題になる。 孟子や荀子を読み、どちらが本当であるか迷い、孔子はどうであろうかと論語をひもとく。 しかし論語の教えは、性善説とも性悪説とも断じかねる、どちらとも取れる言葉が多…

下学して上達す

論語を読む際に気を付けたいのは、孔子がどんなときに仰ったものであるか、あるいは教える相手が誰であるかなど、色々な要素で教え方が変わることである。 結局は同じことを教えていても、弟子の性格や学問の程度によって教え方が異なり、矛盾していると思わ…

仁と礼楽

仁と礼の関係について質問を受けた。 今回は、八佾(はちいつ)篇の章句を取り上げる。 八佾第三より 論語の読み方 一般的な解釈 仁と礼楽の関係 季孫と八佾の舞 下にして上を侵すは不仁 「如何せん」 私の解釈 質問への回答 八佾第三より 今回取り上げるの…

知らざるを知らずと為せ

論語には、一般にもよく知られる言葉が少なくない。 以下の為政篇の章句もその一つである。 子曰く、由(ゆう)、女(なんぢ)に之を知るを誨(おし)へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。 この章句について質問も受け…

論語と孟子の関係について

ツイッターで論語に関する質問を募集したところ、さっそく以下の質問が寄せられた。 伊藤仁斎先生の論語古義では、 「孟子七篇の書物は論語の註釈である。だから孟子の意味が分かって初めて論語の意義を明らかに出来る。」 とあります。 この仁斎先生の意見…

筆写の方法を詳細に

ツイッターで交流のある数人の方が、筆写に取り組んでいるという。 筆写は私にとって唯一にして最高の方法なので、その方たちの取り組みも「大変良いこと」と思う。 以前、筆写について聞かれた際には、あまり詳しくお話ししなかった。 質問した人が筆写に取…

孔子の理想とする「よろこび」とは

「よろこぶ」という漢字を色々調べていると、大変面白い気づきがあった。 この漢字を知ると、論語がもっとよく分かる。 君子のよろこびがどんなものであるか分かる。 色々気づいたことが消えないうちに書いている。 書きながら気づくこともあろう。 ごちゃご…

詩を学ぶは、心の動きを知るにあり

今年は詩経を学んでいる。 たいていは論語について記事を書くが、今回は思うところもあって、詩経のお話。 毛詩とは 本文 序 第一章 第二章 第三章 解釈 第一章 出自北門 北門より出づ 憂心殷殷 憂ふる心殷殷たり 終寠且貧 終に寠にして且つ貧なり 莫知我艱 …

組織は人材をいかに遇するべきか~孔子が斉を去った理由~

何日か前、こんなニュース記事を見た。 www.itmedia.co.jp これに対し、「やりがい搾取」などとして、ツイッターで酷く叩かれていたようだ。 孔子なら、この問題をどうお考えになるだろうか。 孔子の逸話や言葉から、私なりにこの問題を考えてみたい。 景公…

「朋有りて遠方より来る」の戒め

以前「学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや」について記事を書いた。 shu-koushi.hatenadiary.com ずいぶん間が開いたが、今回はこれに続いて 朋(とも)有りて遠方より来る、亦た楽しからずや。 について書く。 大まかな解釈 前回の内容 朋友とは 学ぶ…

好学考

先日ツイッターで、論語に関する質問が寄せられた。 「好学」に関する質問である。 私自身、新たに気づくこともあり、ありがたいことだった。 質問は、以下の通りである。 『論語』学而編の「子曰く、君子は食飽かんことを求る無く、居は安からんことを求る…

宰我昼寝考

孔門十哲の一人で、言語に優れているとして子貢と並んで挙げられた人物に宰我(さいが)(宰予(さいよ))がいる。 今回は、宰予の昼寝について考察する。 宰我について 孔門の問題児 心酔する宰我 子路との違い 宰我の悪いところ 宰我の剛情さ 孔子は怠惰…

私の先生

私の先生は・・・ 小杉放庵の書簡 地蔵さまが好き 地蔵さまに倣った公田先生 在野を貫かれた公田先生 学者ではなく学生 地位・肩書は関係ない 学究ではなく求道を 私の先生は・・・ 私の先生は、公田連太郎先生である。 もちろん、たくさんの人から学んでき…

鮮血淋漓の学問がしたい~古写本論語の重要性~

論語には、色々な本がある。 もちろん、元はお弟子たちが作った唯一のものがあったが、長い歴史の中で様々なものが生まれた。 中には意味が通じないものや、解釈の疑わしいものがあるから、儒学を学ぶうえで障害になりやすい。 ではどうするか。 一冊にこだ…

「士」に関する問答

ツイッターをやっているが、さほど意味を見出していない。 勉強などしていて、深く感じるところがあると書く。 ほとんど独り言のようなもので、誰かに意見を求めるでもなく、自分で感じたままに書いている。 理解を促そう、人にもわかってもらおうといった意…

時習と喜び

論語には有名な言葉がたくさんある。 通読したことがない人でも、しばしば論語の名句を知っている。 そのひとつが、論語の冒頭の章句、「学びて時に之を習う」である。 子曰く、 ①学びて時に之を習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。 ②朋(とも)有り…

やりたいこと

私には、明確な人生計画がない。 そういったものを立てたところで、天命と異なれば実現には至らない。 まだ天命の自覚がない。ならば計画はなくて当然であって、極く自然なことと思っている。 漠然とした理想はある。 住むならば田舎の平屋で、山の麓が良い…