周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

論語

論語記事まとめ

無計画に、思うままに記事を書いているが、論語をよく引き合いに出している。 今後も、論語を様々に引用しながら記事を書いていくことと思う。 しかし、論語に記載されている順番に沿ったものではなく、いずれ整理がつかなくなるだろう。 私にとっても、読む…

克己復礼の実践について

般若心経を日に百回読誦。この習慣を続けるうち、集中力が極度に高まる感覚が増えた。 回数を重ねるごとに徐々に入り込んでゆく。集中力が高まってくる。 例えば、目を開いているのに目を閉じたようになる。 部屋は薄っすら明るい。目が開いていればモノが見…

礼を愛しむ心

礼記を筆写していて、ひとつ気づいたことがある。 論語八佾篇、告朔の餼羊のはなし。 八佾第三 愛と惜 告朔とは 餼羊を捧げる意味 羊を去るはなぜ悪い 告朔の礼が含むもの 暦を奉ずるは天を奉ずること 告朔の本質 五牲の尊卑 五牲は相為に用ゐず 相応の礼 礼…

なぜ孔子は御を執ったのか

論語について新たに思うことあり、考えながら書き、書きながら考え、まとめてみたい。 子罕第九に曰く 私的な解釈 なぜ礼を執らぬ 六芸ではなく技を執る なぜひとつだけ選ぶか なぜ御を選ぶのか 射の意義 古の射 射て諸侯と為る 射の廃れ 君子仁人の射ではな…

国家の盛衰と政事に関する覚書

論語について気付いたことの覚書。 富まさん、教えん 先王の道 伍子胥の嘆き 貧にして怨む無きは難し 食・兵・信 三章句の解釈は 富まさん、教えん 論語憲問篇。孔子が衛に行き、冉有がお供をした。衛に入り、孔子が仰る。 孔子「衛は人が多いな」冉有「人が…

勝つと打つとはどちらが先か

昨日、古い映画や音楽に対して「残ったものは凄い」という内容のツイートをした。 一夜明けて、酔いの醒めた頭で改めて考えると、色々思うところがあった。 これについて(と思われる)フォロワーのツイートを読んでも、考えさせられるところがあった。 考え…

無違考

論語為政篇、孔子と孟懿子の問答。 孟懿子が問う。 「孝とは何でしょうか」 孔子がお答えになる。 「無違(違ふこと無し)」 この「違うことなし」とは、何に違うことがないというのか。 その帰路、御者の樊遅と孔子の会話。 「孟懿子が私に孝を尋ねた。だか…

簡易と安易と覚悟のはなし

ツイッターにつらつらと書いたら長文になった。 一応は書き上げたが、ツイッターで長文は読みづらい。文字数の調整のために、言葉足らずになることも多い。 あらためて、ブログにまとめて記載します。 (一連のツイートは削除しました。リツイート、いいねを…

食・兵・信の軽重に就いて

顔淵篇の章句について質問があった。 論語の章句の中でも疑問を抱きやすい所であると思う。私自身、考えを整理するのに良い機会でもある。 そこで、DMで個別にお答えするのではなく、記事にします。 1.書き下し文と大意 1-1.大意 1-2.質問の内容 1-3.好生は…

公田先生はなぜ占わなかったのか

公田連太郎先生の座右の書は、呻吟語であった。 今回は呻吟語のお話しです。 教えの四等級 仮の例え 論語の活用は様々 第一等としての論語 第二等としての論語 第三等としての論語 第四等としての論語 公田先生はなぜ占わなかったのか 公田先生と占い 南隠老…

過ちを見て内に自ら訟むる者は顔回なり

過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。間違いは是非とも改めるべきである。 当たり前のことで、極く簡単な道理だ。 しかし難しいといえばこれくらい難しいこともない。 改めるというのは、単に姿勢の上だけではない。同じ過ちを繰り返さないようになって、初め…

続・微生高は正直者か諂う者か

論語公冶長篇に登場する人物に、微生高(びせいこう)という人がいる。 これは色々と議論の多い章句で、大体のことは以前記事にした。 shu-koushi.hatenadiary.com この記事でははっきりと結論を出せなかったが、最近論語徴を読んで、非常に納得がいった。 …

「狂」ということ

「狂」という言葉がある。 狂は狂う。狂人といえば頭のおかしい人にも使うから、あまり良い意味とはいえない。 儒学では、狂を良い意味で用いることもあれば、悪い意味で用いることもある。これを混同すると大変な間違いになる。 悪い意味での「狂」 聖と狂…

信を失った者の末路

儒学では信を重んじる。 信が重要、これは当たり前と言えば当たり前である。しかし当たり前すぎて、なぜ大切かと言われるとよく分からないものでもある。 なぜ信は重要なのか。信を失えばどうなるのか。 信とはなにか 論語の教え 益軒先生曰く 信を失った者…

孔子の教えは男尊女尊である

最近、何かと男女の問題がさわがしい。ツイッターなどでも、そういった発言やニュースをよく見る。 私は、現代の男女の問題について学んだことがない。しかし、儒学を通して男女の関係について考えることも多い。 孔子は男尊女卑ではない。男尊女尊であった…

子路に関する覚書

先日、久々に弟とお酒を飲んだ。といっても一ヶ月半ぶりくらいに。 大変よいお酒だった。 色々話したが、途中、子路について話すことがあった。 何も準備して話したわけではなかったが、話すうちに子路のことが一層よく分かった気がする。 お酒を飲みながら…

孔子廟のこと

先日、ハノイの孔子廟を訪ねた。現地の言葉では「文廟」という。 廟というものに初めて足を踏み入れ、色々と勉強になることもあったので、ここにまとめておく。 廟は祖先や個人の霊を祀る場所。文廟では孔子を学問の神様として祀る。 特に「宗廟」という場合…

天とは何か

論語里仁篇にこうある。 仁者は能く人を好(よ)みし、能く人を悪(にく)む。 (仁者は好むべき人を好み、悪むべき人を悪む) この章句については以前もブログに書いたが、あれは考えが足らなかった。 天というものをよく分からずに書いたから、つまらない…

「立つ」とは何か ―孔夫子三十の境地―

儒学をやっていると、志について考えることが多い。 孔夫子の志はどこにあったか、またその志によってどのように人格を形成していったか。これを深く考えていくと、論語の読み方が正しくなるように感じる。 いくつか気づくことがあったので、簡単にまとめて…

微生高は正直者か諂う者か

面白いツイートがあった。論語公冶長篇、微生高(びせいこう)に関するもの。 たしかに、この章句の解釈は難しい。孔子の真意がどこにあるか見えにくい。 ひとつ、私なりに考えてみたいと思う。 微生高は正直か 主な解釈 前章と絡めて解く 伯夷と叔斉の人物 …

なぜ君子は争わぬか

論語八佾篇に「君子無所争」とある。 君子は争わないという。 分かりそうで分からない、分かる気がするが腑に落ちない。そんな気分が常にあった。 しかし今日、ようやく腑に落ちた。 私自身の考えをまとめるためにも、記事にする。 1.君子無所争 1-1.君子は…

骨を折ること

「骨を折る」という言葉がある。苦労を厭わないことである。 骨折り損のくたびれ儲けなどという言葉もあるから、骨を折るといえば嫌なことのように思われる。 私は、骨を折るという言葉がなんとなく好きであった。 最近、晋の文公重耳のことを調べていて思う…

小人への対し方

以前、DMで質問を受けた。 小人に腹が立つことが多いが、どうすればよいかという質問であった。 私なりに例など用いてお答えしたが、十分ではなかったと思う。 その後も1ヶ月ほど色々考えて、ある程度満足できる結論に至った。 質問と答え 質問 回答 なぜ気…

子路が恐れたもの

人から評価されること、良い評判がたつこと、名声を得ること。 このようなことについて、儒学ではどう考えるか。 高く評価され、名声を得ると、それなりにお金なども入ってくる。 それ自体は悪くない。受け取って良いし、受け取るべきである。 義があって利…

徳とは何か

儒学では、よく「徳」ということを云う。 徳について、誰でもなんとなくイメージを持っているものだが、改めて「徳とは何か」ということを考えると、いまひとつピンと来ない。 当たり前すぎて、あれこれと考えることがないから、分るようで分からない。 しか…

愛について

ツイッターのDMにて、質問を受けた。 問答の流れで、特に「愛」ということを考えた。 これまで、仁についてはしばしば触れてきたが、愛にはあまり触れてこなかった。 これは、愛は仁に内包されるもので、仁がわかれば愛も分かるからである。 しかし、仁と愛…

肩こって学問進む

曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。 跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。 立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。 こ…

机上の空論に陥らぬために

先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。 孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。 しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢い…

儒学的文章についての覚書

筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字…

革命の是非

中国の歴史には度々「革命」ということがある。 孔子は革命についてどうお考えであったか。 論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は伐ってよい」といったことは仰っていない…