周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

礼を愛しむ心

礼記を筆写していて、ひとつ気づいたことがある。

論語八佾篇、告朔の餼羊のはなし。

 

 

八佾第三

論語八佾第三にこうある。

子貢、告朔こくさく餼羊きようを去らんと欲す。子曰く、賜や、爾は其の羊をしむ、我は其の礼を愛しむ。

告朔の儀礼には羊(餼羊=生きた羊)を捧げたが、子貢はそれを辞めにしたいと思った。

孔子が仰る。

「子貢よ、お前は羊が惜しむが、私は礼が惜しい」

 

愛と惜

原文の「愛」は「しむ」と読み下す本が多いように思う。根本先生は「あいす」としている。

どちらでもよいと思う。愛惜というように、愛しむ・惜しむはどちらも大切にすること。

大切なものだから、失えば残念だ。惜しい。

大切に思うから尊重する。愛する。

 

告朔とは

毎年、諸侯は天子から暦を賜わり宗廟に納める。

告朔の儀礼は毎月朔日に行う。宗廟に羊を供えて先祖を祀り、大史がその月の暦を告げる。

暦にはその月に為すべき諸々のことが書いてある。何日までに麦の種をまくとか、害獣を駆除するとか、役人が田畑を見回るとか、そういった諸々のことを告げるのが告朔。

宗廟に告げた後、大史は君公に暦を告げる。宗廟で先祖に告げ、朝廷で君公に告げ、朝廷ではそれに基づいて政事を行う。いついつまでにあれをせよ、これをせよ、今月はこれこれしちゃならぬと命令を下す。

 

餼羊を捧げる意味

告朔の礼では、単に羊の肉を捧げるのではない。餼羊を捧げる。これも重い。

祭にも高低があり、礼は一様ではない。祭としての格が下がるほど、礼の在り方は人間の生活に近くなる。曰く、

郊には血、大饗にはせい、三献にはせん、一献にはじゅく

郊祭(天を祭る)では血を供える。祫祭(宗廟で先祖を祭る)では生肉を供える。三献(社稷五祀を祭る)では少しく色の変わる程度に煮た肉を供える。一献(群小祀の祭)では十分に煮た肉を供える。

告朔には諸説あるが、餼羊、生きた羊を捧げたとある。宗廟の祭であるから、君主みずから羊を牽いて宗廟に行き、割き、生肉を供えたのだろう。

毎月のこととはいえ、告朔は大饗に属する祭であって、極く重い祭であったはずだ。

 

羊を去るはなぜ悪い

当時、告朔の礼は廃れていた。君公も宗廟に出るべきだが、魯では文公のころから怠っている。

こんなものは形ばかりで何の益もない、羊を供えるだけ無駄だ。子貢はそう考えた。

おそらく孔子に「あんなものは辞めたが良いでしょう」と言ったのだろう。すると孔子は「それは違う、お前は羊が惜しいというが、私には礼が惜しい」と仰った。

羊と礼になんの関係があるのか。

 

告朔の礼が含むもの

告朔は単なる報告ではない。非常に大きな意味を持っている。

宗廟に報告するだけでよいなら、朝廷に告げたり、人々に告げたりすることはない。ただ先祖に祈ればよい。宗廟だけで完結する礼は色々ある。

しかし宗廟から朝廷へ、朝廷から民間へと流れ、実行されていく。毎月のはじめに告朔の儀礼があり、その月の仕事が明らかになり、農業も暦に沿って行われる。

告朔を起点として月々の政事が行われることは、農耕社会にとって極めて重要なことだ。

 

これによってどうなるかといえば、まず農業がうまくいく。暦を守れば農業の段取りを誤ることはない。公共工事や戦争に人手を奪われることもない。

農業以外もうまくいく。漁業や林業なども暦に従うから、乱獲や乱伐が起こらず、必要なときに必要なだけ得られる。

 

暦を奉ずるは天を奉ずること

つまり告朔の祭を行い暦に従うことは、天徳に順うことと同じい。
天地の徳は生成化育、万物を生み育てるのが天徳である。人も鳥も獣も魚も植物も天徳によって育まれる。

天の徳を具体的にいえば、科学的なことになっていくだろう。昔はそういうことが分からないから、自然をもとに考えた。例えば日月星辰で考えた。日月の運行、暦でいえば特に月の盈虚、そういったものから時の移ろいを把握し、政事に応用していく。

 

儒教では天地の徳と政事を一体と考える。孝経で「天の道を用い、地の利を分かち」というが、これは「天の時に従い、地勢に応じて」といった意味合いである。

「暦に順う」、「天地の徳に順う」、色々な言い方ができるが、根本的に意味するところは同じ。

 

告朔の本質

また、儒教では順逆を重んじる。順は徳を益し、逆は徳を損なう。

暦に順うことは天地に順うことと同じい。天地の徳発揚昭著して万物に遍くいきわたり、生成化育の実が大いに現れる。農業ならば五穀豊穣。

 

つまり告朔の本質は「宗廟に告げて暦を奉じ、天の時を以てする」というところにある。
当然、根底には天地の生成化育の徳、豊かさへの希求と賛美がある。豊かさを賛美するならば、供物は相応に豊かであるべきだ。供物を惜しみ減らすのは礼に適わない。

口で豊かさを賛美しながら、手元は貧しい。これは儒学が忌み嫌う「誣」である。天地宗廟をあざむくのであって、非礼の大なるものである。

 

五牲の尊卑

五牲といって牲には五種ある。尊いものから順に牛・羊・豚・犬・鶏。

諸侯の社稷は少牢、羊と豚を供える。羊と豚では羊の方が尊い。少牢を羊のみとする説もあるが、いずれにせよ羊が尊いことには変わりない。

大夫は故無ければ羊を殺さず。故とは祭祀冠婚賓客等。

臣下の階級は上大夫(卿)、下大夫、上士、中士、下士の五等。上位にある大夫でさえ、特別なことがなければ羊を牲にしない。これでも羊の重さが分かる。

しかし故あれば殺す。故あって殺さぬは非礼である。晏平仲は大夫でありながら、先祖を祀るに羊を用いず豚を以てした。これは非礼である。

 

五牲は相為に用ゐず

左伝昭公十一年、楚が蔡を滅ぼした。楚の霊王は暴虐であったから、捕らえた蔡の太子を牲にして山を祀った。

それを聞いて、楚の賢臣が言う。

「不祥なり、五牲も相為に用ゐず。況や諸侯を用ゐるをや。王必ず之を悔いん」

五牲の間でさえ取り換えて用いることはしない。牲として養った動物でさえ代用しないのだから、人間は猶更である。ましてや諸侯を牲にするなど、不吉極まりない。王はきっと悔やむことになるだろう。

この二年後、霊王は殺される。それを孔子は「己に克ち礼に復る、霊王にそれができたら殺されることはなかっただろう」と評した。霊王は非礼のために殺されたと。

 

相応の礼

“相応”ということは、礼の根本である。その時、その場合にふさわしいようにするのが礼であって、手厚すぎるのも非礼、簡素にすぎるのも非礼だ。

五牲は相為に用いず。「大夫は故あれば羊を殺す」が礼である以上、牛に代えても非礼、豚に代えても非礼、何に代えても非礼。羊を豚に代えた晏平仲が非礼というのは、こういうわけである。

子貢の「羊を去る」という考え方も、礼の根本を蔑するものであり、晏平仲と同じ類の非礼にあたる。

 

これは常礼をいうのであって、非常時は除く。相応であれというのは、固定的でなく流動的であれということだ。時と場合にふさわしくせよということだ。

孔子曰く、

礼はあきらかにせざるべからず。礼は同じからず、豊ならず、殺ならず。

省は審なり、明なり。

礼は明確に心得るべきである。礼を一律に考えてはならない。時と場合によってふさわしい礼があり、豊かにしすぎても、簡素にすぎてもいけない。

 

礼を愛しむ心

告朔の場合においては羊が相応である。相応であれば礼に適う。礼に適うのだから、羊は最適最高の贄といえる。羊以外で代用する理由がない。

代用するには古礼を曲げる必要がある。時代の変化に応じて、相応・最適な形で礼を継承するならばよい。しかし「無駄である」が出発点であれば、大抵は無駄さえ省けば何でもよい、どんなこじつけもやる。全く、無駄を省くために礼を曲げるのである。

 

非礼を重ねる

告朔の餼羊を去り、古礼を曲げた。ふさわしい礼を曲げるのだから当然非礼だ。

非礼はこれで終わりではない。非礼に非礼が積み重なる。必ずそうなる。

 

五牲は相為に用いず。羊を豚や犬や鶏に代えるは非礼。告朔の餼羊を去れば、その後毎月、延々と非礼を積むことになる。

非礼を改めるには古礼に則って羊に戻すほかない。しかし「無駄だ」で羊を去った以上、無駄は無駄でも軽微な無駄にとどめたい。羊に戻すことは難しい。

「羊は去っても、せめてこれ(代用)だけは」とはならない。「これだけは」というなら「餼羊」がそれだ。先王の定めた礼であり、守るべき理由もある。古き良き道を継承していくこと自体、すでに善であり礼に適う。

それを安易に捨てたのだ。無駄を受け入れて羊に戻すより安易な方、現状維持もしくはさらなる低コストへ流れるほうがはるかに容易い。供物のレベルはじわじわ下がってゆく。

この考え方でいけば、向かう先は「一切無駄なし」「コストゼロ」だ。今の時代がそうだろう。「〇%オフ」とか「今だけ無料」とか、コスパとかタイパとか、そんなものであふれかえっている。

礼もなにもあったものではない。そもそも礼というのは、損すべき場合には損をする、無駄もする。礼のためにはそれを厭わない。

 

非礼が非礼を呼び、正しい礼から遠ざかってゆく。告朔の礼からどんどん遠ざかり、もう戻れなくなる。古礼は完全に失われる。

つまり、「告朔の餼羊を去る」ということは「告朔の礼を失う」ことと同じい。告朔は宗廟の祭であるから、祭を廃するといってもよい。

祭は廃すれば敢て挙ぐることなし。羊を去れば、いずれ祭を廃することになる。一旦廃すれば再び興すことはない。人間の都合で祭を廃したり興したりするのは非礼である。

礼は祭とともに滅びる。だから孔子は「礼が惜しい」と仰った。

 

礼は古の縁なり

礼記に曰く、礼とは本に反り古を修め、其の初を忘れざる者なり。先王の礼を制するや、必ず主有り。故に述べて多く学ぶ可し。

 

礼というものは、人が本性に反り、古い風習を修め用い、物事の初めを忘れないためのものである。

先王が礼を制定した際には、必ず主意(本に反り古を修むるを主とする意)があった。それに循い、明らかにすれば多くのことを学ぶであろう。

 

述べるは「口で言う」のほかに「先人の後にしたがう」「明らかにする」といった意味がある。

子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。

孔子は、ただ先王の道を述べた。先王の道に循い、明らかにせんと心を砕いた。独自に教えを立てることをしなかった。

古の道を信じ、好むところが深かったからこそ、そうなさった。

 

ならば、本に反り、古を修め、初を忘れないためのよすがとして礼を重んじ、礼を惜しんだのも当然であろう。

 

先づ其の礼を去つ

非礼を重ねた後、克己復礼で非礼を改める者もいる。しかしほとんどは、非礼を改めることができず、非礼で一貫することになる。

それを孔子は「国をやぶり家をほろぼし人をほろぼすは、必ず先づ其の礼をつればなり」と仰る。

子貢の「羊を去る」は「先づ其の礼を去つ」ということであって、非礼を重ねる端緒になりかねない。

 

こう考えると、「非礼を犯す」と「礼を失う」は違うようで同じだ。非礼を犯すのは積極的、礼を失うのは消極的な感じがするが、そうとは限らない。消極的に非礼を犯すこともあれば、積極的に礼を失うこともある。子貢の「羊を去る」は、積極的に礼を失うのである。

孔子は「礼を失ふ者は死し、礼を得る者は生く」と仰る。これは別に脅しでもなんでもない。

礼を失った者は非礼を重ねていく。非礼が重なれば死を招く。非礼を重ねて死んだ人など、いくらでもいる。

 

礼記をお読みなさい」

色々考え、書き連ねた。論語を読んだだけでは、このように考えることはなかった。

解説を読めば、論語だけでも「羊を去れば形式さえなくなる、形式がなくなれば礼はいよいよ廃る。羊よりも礼が惜しい」という意味は分かる。

しかし、それ以上のことは分からない。私は分からなかった。

 

礼記を読んで、分かることが増えた。論語が深くなった。

安岡先生が「五経はみな読みたいが、ことに礼記をお読みなさい」と仰った意味も、ようやく分かった。

左伝をやる前は礼記がつまらなかった。左伝を経た今は礼記がよく分かるし面白い。

公田先生が「春秋左氏伝を読むと、いろいろな経書がよく解るようになります」と仰った意味も、ようやく分かった。