周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

下学して上達す

論語を読む際に気を付けたいのは、孔子がどんなときに仰ったものであるか、あるいは教える相手が誰であるかなど、色々な要素で教え方が変わることである。

結局は同じことを教えていても、弟子の性格や学問の程度によって教え方が異なり、矛盾していると思われるものもある。

 

一方で、距離的にかなり遠いと思える、互いに全く無関係に思える教えもある。

これはこれで疑問になる。

孔子の道は一以て貫く、ならばこの開きはどう解するべきか、という疑問が起こってくる。

 

今回は、そのことについてお話しします。

 

 

弟子の戸惑い

教えに矛盾が起きることについて、弟子もしばしば戸惑っている。

先進篇から例を挙げてみる。これは有名な話である。

 

子路孔子に問うた。

「先生から教えを受けましたら、それをすぐにそのまま実行してよいでしょうか」

孔子答えて曰く、

「それはいけない。お前には親も兄もある。父兄が存命のうちは、父兄に伺いをたてずに実行してはならない」

 

別の時、冉有が同じことを問うた。

すると孔子は、

「すぐに行ってよい」

とお答えになった。

 

子路冉有で真逆であるから、これを公西華こうせいかが不思議に思った。

「先生は子路どのが質問した時には『父兄が存命の内はだめだ』と仰いましたが、冉有どのが同じことを質問すると『すぐに行え』と仰いました。本当はどちらが良いのか、私は戸惑っています。どうかお教えください」

孔子はこうお答えになった。

「学問して、中庸に近づかなければならない。性格が弱い者は中に至らず、強い者は中を行き過ぎる。同じように教えることはできないのだ。

冉有は控えめだから、すぐに行うように教えた。子路は行き過ぎる性格だから、控えめにするように教えたのだ」

 

このような例はいくらもある。

この章句は、一つの章句で「子路にはこう」「冉有にはこう」「なぜ違うか」がセットになっているから混乱することはない。

しかし、別々の章句で教えが異なることも多い。

例えば、

・己に如かざる者を友とする無かれ(自分より劣るものを友とするな)

・汎く衆を愛して仁を親しむ(多くの人を受け入れ、仁者と親しめ)

などがそうである。

実際、子夏は前者を重んじ、子張は後者を重んじたように、直弟子の間でさえ「君子はこうすべき」で考え方が割れていた。

 

子夏は「己に如かざる者を友とする無かれ」の教えだけを聞いて、それを奉じたのかもしれない。

子張は「汎く衆を愛して仁を親しむ」と聞いて、生涯の方針としたのかもしれない。

 

幸い、私たちには論語という本があり、孔子の教えを色々に学べる。

矛盾に見える部分で混乱することもあるが、孔子の道は「一を以て貫く」であるから、よく分かれば矛盾でなくなる。

そういう学問をしたい。

 

質問への回答

次に、大きな隔たりがあるように思われるものについて。

以下の質問をいただいた。

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  1. 「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」の章句の全文の解釈
  2. 「我を知る者は其れ天か」の章句の全文の解釈
  3. 内容に開きがある中で、一以て貫くところ

の流れでお答えします。

 

未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん

まず先進篇、該当箇所の全文は以下の通りである。

季路きろ鬼神きしんつかふるを問ふ。子曰く、未だ人に事ふることあたはず。いづくんぞく鬼に事へん。曰く、敢へて死を問ふ。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。

 

鬼神を、日本では「おにがみ」という。

ある歌に「心猛くも鬼神おにがみならず 人と生まれて情けはあれど」とある。

心はいたって勇猛だが、鬼神ではない。人であるから、情もある。

鬼神は、いわば荒神あらがみのイメージであり、至って荒々しいイメージだ。

 

儒学でいう鬼神はこれと違う。

天を神といい、人を鬼という。鬼という場合、亡くなった人を指す。

つまり鬼神とは、天の神様や祖先の霊のことである。

 

季路は子路子路が鬼神に事える道を尋ねた。

「天の神々や祖霊をまつるにはどうすればよいでしょうか」

孔子答えて曰く、

「お前は、人に事える道がまだ十分ではない。どうして鬼(亡くなった人の霊)に事えることができようか」

 

生きている人に事える場合、事える相手は目に見えるし、物も言う。

礼を尽くす対象も明らかである。しかしお前にはまだその礼が十分でない。

鬼神を祀るには、何といっても真心からの礼を尽くすことが重要だ。

生きている人に礼を以て事える道ができていないのに、どうして亡くなった祖霊(鬼)に十分な礼を尽くしてお祀りできようか。できるはずはない。

 

子路の方でも、「鬼神に事える」という大きな道ではなく、もう少し現実的なことに目を向けた。

「ならば、死に事えるにはどうすればよいでしょうか」

原文は単に「死を問ふ」だが、これは「死に事ふるを問ふ」である。一連の文章の中で、同じこと(ここでは「事える」)を繰り返さずに話を進める。古文の論法である。

したがって、漠然と「死とはどんなものでしょうか」と聞いたのではない。

「能く死に事ふるを問ふ」たのである。

 

「どのように死ねば道に適うでしょうか」

すると孔子は仰る。

「まだお前は、生に事えることをさえ不十分ではないか。それでは死に事えることもわかるまい」

 

生に事える、しっかり学問し、天より与えられた徳を悟り、為すべきことを為して生きていく。

それが分からないうちから、理想の死に方など考えるものではないし、考えても分かることではない。

それよりも、目の前の切実なことを学びなさい。そうすれば死に事える道もおのずとわかってくる。

 

我を知る者は其れ天か

次に憲問篇。先進篇の章句に比べて、こちらは随分難しい。

特に質問者のいう「我を知る者は其れ天か」、ここに至るまでの流れが中々容易でない。

こちらは特に丁寧にみていく。該当箇所の全文は以下の通り。

子曰く、我を知ること莫きかな。子貢曰く、何為なんすれぞ其れ子を知ること莫からんや。子曰く、天を怨みず、人をとがめず。下学かがくして上達じょうたつす。我を知る者は其れ天か。

 

質問には「我々を知る者は其れ天か」とあるが、原文では「我」である。

ここは、「大道を奉じる我ら一門を知る者は其れ天か」ではなく、あくまでも孔子ご自身、お一人のことであるから「我」である。そうでなければ、この章句は理解不能となる。

単なる打ち間違いとは思うが、単なる打ち間違い・読み間違いが記憶に定着することがある。私自身、しばしば経験があるのでお気を付けください。

 

根本先生は、これを哀公あいこう十四年春、孔子御年71歳の言葉と解する。

左伝に「十有四年、春、西に狩してりんを獲たり」とある。

叔孫氏の御者が獣を獲た。それは「麟」であった。麒麟きりんである。

麒麟を傷つけたり、死んだ麒麟を見たりすることは不吉とされる。そこで叔孫氏は、博学な孔子に獲物を見せた。

このとき、孔子は大変深くお嘆きになった。

 

麒麟は伝説上の動物であり、泰平の世にのみ現れるという。つまり瑞獣ずいじゅうである。

麒麟が出てくるのは瑞兆ずいちょうであり、本来めでたいことである。

泰平で、道のある世に出てきたならば、瑞兆として尊ばれたであろう。

しかし当時は乱世である。無道な世の中、出るべきでないときに出たばかりに、尊ばれることもなく、却って殺されてまった。

 

一生涯に渡り、苦労を重ね、道を説いてきた。しかし世の中は乱れる一方である。

いつしか70を超えて余命いくばくもない。そんなとき、泰平の象徴である麒麟まで殺されてしまった。

 

往々にして、吉兆には人々の希望が、凶兆には人々の恐れや不安が込められる。

麒麟は吉兆であり希望である。

孔子の教えも、この道を以て乱世を救い得るという希望に満ちている。孔子ご自身が、最も強く希望を抱いていたはずだ。

しかし麒麟は殺され、希望は無残に破られた。

孔子は、この麒麟と、ご自身の歩んだ道を重ね合わせたであろう。

だから深く嘆いた。

 

この章句には、このような背景がある。

 

以下、本文の解釈。

子曰く、我を知ること莫きかな。

 

孔子が仰った。

「私を知る者は今の世にはいないであろうな」

仁義の道を説き、乱世を救おうと志して努めてきた。

しかし麒麟も死んでしまった。泰平への望みは絶たれてしまった。

私の志や説いてきた道、それは私そのものである。それが破られた今、天下に私を知る者はいない。

嘆いてこのように仰った。

 

子貢曰く、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。

 

それを聞いて、子貢が慰めた。

「そんなことはありますまい。先生のお名前は天下に知られております」

先生ご自身が用いられず、世の中が乱れているのは確かですが、ご心配には及びません。

先生の道は正しいのですから、必ず先生を知る者が大勢出てきます。

 

流石に子貢は達見である。その後、孔子(の道)を知る者、奉じるものが徐々に増え、漢のころには国教となり、その後も受け継がれ、現代の我々も孔子を知っている。

 

子曰く、天を怨みず、人を尤めず。下学して上達す。

 

孔子は仰った。

「しかし、たとえ私を知る者がいないからといって、天を怨んだり、人を咎めたりすることはない。低い所から学び、一生かけて磨き、天理に達したからである。

 

下学して上達す、これが重い。私は、これがこの章句の眼目と思っている。

 

天地人を三才という。人は天と地の間に生まれる。

王という字は、上の一が天、下の一が地、真ん中の一が人。三才を貫き束ねる、聖徳ある天子を「王」という。

だから天子は天地を祀り、人を治め、天下を保つことができる。

 

人として天地間に生まれる。

地は低く、天は高い。

地に足を付けて、低い所から学び続け、徐々に高くなった。五十にして天命を知った。

これは徳命であり、天から命じられた道徳を悉く悟ったのである。道徳とは、平たく言えば正しい生き方・在り方である。それを悉く知り、それ以降、ご自身が為すべきことを為そうと、一層に勉められた。

 

やがてその学問道徳が天に達するほどになった。天道天理に達した。

天のことも人のことも十分に知ったからには、どうして天を怨んだり、人を咎めたりすることがあろうか。

私を知る者、用いる者がなくとも、遺憾に思うことはない。

 

我を知る者は其れ天か。

 

「私を知っているのは、天だけだよ」

天道天理に達した、天の徳と一体になった。我は天を知っている、天も我を知っている。

人は知らずとも、天だけは私のことを知っている。

何の不足があろう。それだけで十分である。天を怨むことも、人を咎めることもない。

 

孔子が「我を知る者は其れ天か」と仰った裏には、これだけのことがある。

 

再び質問へ

以上を踏まえて、再び質問に返る。

 

質問者は、

「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」

「我を知る者は其れ天か」

の内容に開きを感じるという。

これらの言葉は、全く異なる場合に発せられたものであるから、開きを感じるのが普通の感覚であろうと思う。

 

しかし、孔子の教えは一以て貫く。異なるように見えても、根本には一貫不惑の教えがある。

 

孔子子路に仰った「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」、これを「下学に勉めよ」の意味で解すると、ふたつが綺麗につながる。

 

生を知らねば、死を知ることもできるはずがない。

天地間に生まれた人として、一心に下学せよ。

徐々に高くなり、やがて上達すれば天理を知る。我々が日々目指す中庸の徳も天の理であり徳である。

得たところの中庸の徳そのままの心、中なる心、それを忠という。一以て貫くところの忠恕の道である。

下学して上達すれば、苦難に満ちた人生であっても、天を怨まず人を尤めず。天が我を知っている。どのような死に方をしても遺憾に思うところはない。

 

下学して上達し、能く生に事える道を知った。

するとどうだ、能く死に事える道もおのずとわかるではないか。

 

孔子子路に教えたのは、おそらくこのような意味であったと私は思う。

もちろん、ふたつの言葉は別々の時期のものであったろう。子路に教えた時の孔子は、「我を知る者は其れ天か」の心境になかったかもしれない。

しかし、孔子の道は一を以て貫く。状況や心境が異なったとしても、根底にあるものは同じであったのだから、それぞれの言葉を忠なり仁なり、つまり天徳を軸に解することは、別段無理のない解釈であろうと思う。

 

私は、この質問のふたつの章句を合わせて考えたことがなかった。

今回、質問を受けて初めて考えた。

自分なりに、これとこれはこう読むべきだろう、と結論を得ることができた。

この質問は、これまでで一番勉強になり、ありがたいことでした。

 

易のことは別の機会に

最後に、論語易経の関係に関して具体例を、とのことですが、これはやめておきましょう。

 

具体的に(易のどの部分を読んで、どのように解釈して、論語ではどの章句をどのように解釈して、どのように紐づけて…)と言ったことになると、説明が難しい。

説明できないわけではないが、どこからどのように説明すればよいかわからない。

質問者が易をどのくらい知っているか分からないからである。

全く知らない、あまり知らないという場合、おそらく大変な説明になる。

 

例えばAという卦がある。これは八卦のどれとどれを組み合わせたものである。

上下それぞれの卦にはこれこれの意味がある。それは易ではこの場合にこのように考えるからである。

ちなみに易ではこの爻とこの爻の関係がこれこれで、このように解する。

したがって、A卦の〇爻目は、全体の象からみてもこんな意味と思われる。

そこで本文を見るとこうある。これはこのようにも、あるいはこのようにも解釈できる。

そこで論語のここを見てみるとこう書いてある。ここで孔子はこれだけのことしか仰っていないが、A卦にはこうあるから、おそらくこのようにお考えであったろう・・・

 

と、このようなことをお話しすることになる。

少なくとも、この記事の中でお話しすべき内容ではなくなる。

 

ひとまず、このブログが具体例と考えてください。

今回、易をやったから書けたことも多いですから、「易を知れば論語をより理解できる」ことの一例になると思います。