2022-01-01から1年間の記事一覧
論語里仁篇にこうある。 仁者は能く人を好(よ)みし、能く人を悪(にく)む。 (仁者は好むべき人を好み、悪むべき人を悪む) この章句については以前もブログに書いたが、あれは考えが足らなかった。 天というものをよく分からずに書いたから、つまらない…
儒学をやっていると、志について考えることが多い。 孔夫子の志はどこにあったか、またその志によってどのように人格を形成していったか。これを深く考えていくと、論語の読み方が正しくなるように感じる。 いくつか気づくことがあったので、簡単にまとめて…
面白いツイートがあった。論語公冶長篇、微生高(びせいこう)に関するもの。 たしかに、この章句の解釈は難しい。孔子の真意がどこにあるか見えにくい。 ひとつ、私なりに考えてみたいと思う。 微生高は正直か 主な解釈 前章と絡めて解く 伯夷と叔斉の人物 …
論語八佾篇に「君子無所争」とある。 君子は争わないという。 分かりそうで分からない、分かる気がするが腑に落ちない。そんな気分が常にあった。 しかし今日、ようやく腑に落ちた。 私自身の考えをまとめるためにも、記事にする。 1.君子無所争 1-1.君子は…
「骨を折る」という言葉がある。苦労を厭わないことである。 骨折り損のくたびれ儲けなどという言葉もあるから、骨を折るといえば嫌なことのように思われる。 私は、骨を折るという言葉がなんとなく好きであった。 最近、晋の文公重耳のことを調べていて思う…
以前、DMで質問を受けた。 小人に腹が立つことが多いが、どうすればよいかという質問であった。 私なりに例など用いてお答えしたが、十分ではなかったと思う。 その後も1ヶ月ほど色々考えて、ある程度満足できる結論に至った。 質問と答え 質問 回答 なぜ気…
人から評価されること、良い評判がたつこと、名声を得ること。 このようなことについて、儒学ではどう考えるか。 高く評価され、名声を得ると、それなりにお金なども入ってくる。 それ自体は悪くない。受け取って良いし、受け取るべきである。 義があって利…
儒学では、よく「徳」ということを云う。 徳について、誰でもなんとなくイメージを持っているものだが、改めて「徳とは何か」ということを考えると、いまひとつピンと来ない。 当たり前すぎて、あれこれと考えることがないから、分るようで分からない。 しか…
ツイッターのDMにて、質問を受けた。 問答の流れで、特に「愛」ということを考えた。 これまで、仁についてはしばしば触れてきたが、愛にはあまり触れてこなかった。 これは、愛は仁に内包されるもので、仁がわかれば愛も分かるからである。 しかし、仁と愛…
曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。 跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。 立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。 こ…
先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。 孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。 しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢い…
筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字…
中国の歴史には度々「革命」ということがある。 孔子は革命についてどうお考えであったか。 論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は伐ってよい」といったことは仰っていない…
以前、性善説と性悪説について書いた。 今回はその追記と、最近考えたことについて。 性善説のこと 益軒先生曰く 明道先生曰く 独学について 孔子を師とする 陰陽相和すること 独学の弊 柔に学び剛に考える 孔子を師として 性善説のこと 見方によって性善説…
独りでお酒を飲みながら、過去の写真を見ていた。 あまり写真は撮らない。ちょっと上にスクロールすると、すぐ1年以上前になる。 サーッと上に行くと、6年前、弟と遊んだ時の写真が出てきた。クリスマスの日、男二人で昼から飲んだときのもの。 弟は私と違っ…
質問をいただいた。 質問箱に書ける文字数は2500文字が最大らしい。 超過してしまったので、ブログでお答えします。 質問の内容は以下の通り。 例えばきっかけをつかむために、まずは5分や10分から始めるというなら、大いに結構だと思います。いきなり何時間…
近思録に関する質問をいただいた。 これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。 実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。 極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。…
礼について質問を受けた。 質問は以下の通り。 質問者は「礼=作法・法律」と解釈している。これも間違いではないが、この見方に偏るならば現代的な解釈であって、礼の本質がわからなくなる。 本人が仰る通り、極く初学者向けにお話しする必要があるように思…
今回も、質問への回答。 質問者は、現在近思録を学習中とのことで、以下の質問をいただいた。 近思録を元にした質問ではあるが、これは論語子罕篇に関する問答である。 論語の本文を見ながら考えていきたい。 伊川先生曰く 論語の本文 伊川先生の解釈 無窮の…
先日、以下の質問に対して、①だけお答えして②③は後日、とした。 shu-koushi.hatenadiary.com この質問は、ロシアのウクライナ侵攻を受けたものであったという。 あまり触れたくない内容ではあるけれども、再度考えてみたところ、やはりお答えすべきであった…
以下のような質問を受けた。 努力が報われぬ不幸について、である。 質問を受けてから。随分と日が経ってしまった。 ①はすぐにでもお答えできたが、②③に向かい合うのに時間を要したためである。 このような話題は、書きたくありません。 私の場合であれば、…
視力の低下に関するツイートを見た。 学者はたくさんの活字を読む。毎日毎日、長時間読む。すると眼が疲れる。 最近はパソコンやスマホなどの機器で文字を読むことも多い。単に紙の本を読むより目が疲れるだろう。 そのような生活を続けて年を取ると、目が見…
儒学では、性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)がしばしば問題になる。 孟子や荀子を読み、どちらが本当であるか迷い、孔子はどうであろうかと論語をひもとく。 しかし論語の教えは、性善説とも性悪説とも断じかねる、どちらとも取れる言葉が多…
論語を読む際に気を付けたいのは、孔子がどんなときに仰ったものであるか、あるいは教える相手が誰であるかなど、色々な要素で教え方が変わることである。 結局は同じことを教えていても、弟子の性格や学問の程度によって教え方が異なり、矛盾していると思わ…
仁と礼の関係について質問を受けた。 今回は、八佾(はちいつ)篇の章句を取り上げる。 八佾第三より 論語の読み方 一般的な解釈 仁と礼楽の関係 季孫と八佾の舞 下にして上を侵すは不仁 「如何せん」 私の解釈 質問への回答 八佾第三より 今回取り上げるの…
論語には、一般にもよく知られる言葉が少なくない。 以下の為政篇の章句もその一つである。 子曰く、由(ゆう)、女(なんぢ)に之を知るを誨(おし)へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。 この章句について質問も受け…
ツイッターで論語に関する質問を募集したところ、さっそく以下の質問が寄せられた。 伊藤仁斎先生の論語古義では、 「孟子七篇の書物は論語の註釈である。だから孟子の意味が分かって初めて論語の意義を明らかに出来る。」 とあります。 この仁斎先生の意見…
ツイッターで交流のある数人の方が、筆写に取り組んでいるという。 筆写は私にとって唯一にして最高の方法なので、その方たちの取り組みも「大変良いこと」と思う。 以前、筆写について聞かれた際には、あまり詳しくお話ししなかった。 質問した人が筆写に取…
「よろこぶ」という漢字を色々調べていると、大変面白い気づきがあった。 この漢字を知ると、論語がもっとよく分かる。 君子のよろこびがどんなものであるか分かる。 色々気づいたことが消えないうちに書いている。 書きながら気づくこともあろう。 ごちゃご…
今年は詩経を学んでいる。 たいていは論語について記事を書くが、今回は思うところもあって、詩経のお話。 毛詩とは 本文 序 第一章 第二章 第三章 解釈 第一章 出自北門 北門より出づ 憂心殷殷 憂ふる心殷殷たり 終寠且貧 終に寠にして且つ貧なり 莫知我艱 …