周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

「朋有りて遠方より来る」の戒め

以前「学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや」について記事を書いた。

shu-koushi.hatenadiary.com

ずいぶん間が開いたが、今回はこれに続いて

とも有りて遠方より来る、亦た楽しからずや。

について書く。

 

大まかな解釈

この章句は、以下の三段から構成されている。

①学びて時に之を習う、よろこばしからずや。

②朋有りて遠方より来る、亦た楽しからずや。

③人知らざるを慍らず、亦た君子ならずや。

 

前回の内容

前回解説した①の解釈を簡単に書くと、以下の通り。

師に就いて学問し、学んだことを何度も繰り返し復習する。

すると、学んだことがどんどん深まり、面白くなり、今までわからなかった道理が分かり、心に喜ぶところが出てくる。

 

朋友とは

「このように学問を続けていると、やがてたくさんの朋友ができる。遠方の朋友も訪ねてくる」

が今回の部分。

 

朋友とは、同類の朋である。

同じ学問をする仲間は同類であるから、朋は「同門」の意味。

現代の言葉でいえば「同窓」。

同じ師に就いて学ぶ者は皆朋友といえる。

孔子に就いて学ぶ人、いわゆる孔門の人々は互いに朋友。

現代でも、孔子を師と仰ぎ学ぶ人同士は互いに朋友である。

 

学ぶと朋友ができるわけ

なぜ学びて時に之を習うと、やがて朋友ができるのか。

それは、学問が深まって人間ができてくると、そのことが遠くに自然と聞こえるようになるからである。

そもそも孔子の仰る学問とは、一言でいえば「仁」の学問である。

学んで時に之を習う、これに努力するうちに仁に近くなる。君子的になってくる。

同じく孔子の教えを学ぶ遠方の朋友からすれば、そのように学問のある君子がいると聞けば、訪ねてみたいと思う。

それで、遠くからわざわざ訪ねてくる。

 

「遠方より来る」で深める

このような解釈は極く一般的であるし、浅い解釈でもある。

くどくど述べても仕方ないだろう。

理解を深めるには、孔子があえて「遠方」と仰った意味を考える必要があるように思う。

 

近所はもとより

朋友が遠方から来るというが、ならば近所の朋友はどうか。

孔子の意図は、「近所の朋友はもとより、遠方からも朋友がやってくる」である。

強いて「近くの朋友」と考えず、「近しい人」と考えてもよい。

 

ここをよく考えないと、

(近い人々は自分の学問をわかってくれないが)、遠くのだれかが分かってくれる。

そして訪ねてきてくれる。

これは楽しいことだ。

などと恣意的に解釈し、本来の意味を大きく枉げることになる。

 

狂簡は理想ではない

近い人から理解されず、場合によってはうとまれている人の中にも、士人がいないわけではない。

孔子が望みを抱いた「狂簡きょうかんなる我が党の小子」には、この雰囲気がある。

狂簡の狂は志が大きく、卑劣なところがないこと。簡も志が剛にして高く、細事にこだわらないこと。

「狂簡なる我が党の小子」とは、狂簡なる素質を持った、孔子の地元の若者のこと。

 

孔子は、狂簡な若者は見込みがあると考えた。

狂簡なる若者は、志があって学問もやるが、潔癖すぎたり、粗すぎたり、まとまりがなく中庸を得ない。

それでも、志がない若者、学問をやらない若者などに比べれば、ずっと見込みがあると考えた。

「そういう若者を育てたい」と希望を述べられた言葉もある。

 

近きが先、遠きは後

しかし孔子は、狂簡を是としたわけではない。

孔子が仰る「朋友が遠方からわざわざ訪ねてくるような君子」は、狂簡なる小子とは違う。

あくまでも、学問があり、近くの人から慕われ、遠方からも人が慕ってやってくる君子の意味である。

 

そもそも孔子は、近い人を顧みずに遠い人から慕われようとする、そういう態度を非常にお嫌いになった。

 

論語子路篇に、こんな話がある。

葉公しょうこうまつりごとを問ふ。子曰く、近き者説び、遠き者来ると。

(楚の葉公が、正しい政治のあり方を問うた。

孔子は、

「近くの人々は喜んで暮らし、遠くの人々が慕って集まって来る。
そうなるように務めるのが、正しい政治(仁政)です。」

と仰った。)

また、説苑・敬慎篇にはこんな言葉がある。

子曰く、夫のさくに比せずして疎に比するは、亦た遠からずや。

孔子が仰った。「近くの人と親しみ助け合わず、遠くの人と親しみ助け合うのは、道理に外れている」)

 

近くから遠くへの理想

このように、孔子は「近くから遠くへ」を理想とされた。

そもそも、仁とはそういうものだ。

父母に孝、兄弟にゆう、近いところを道のはじめとし、やがて一家、一郷、一国、天下へと広げてゆく。

孔子の学問、仁の学問をやる以上、遠くの人よりも近くの人と仲良くしよう、その中で徳を磨こうと考えるのがまともだ。

 

よく、こんな人がいる。

近くの者は、俺のことを理解してくれない。

無学なのだから、理解できなくて当然である。

それよりも、遠方の学問ある人々と仲良くしよう。

そんな人が遠方から訪ねてくれれば楽しい。

学問して疎まれる人には、このタイプが多いように思う。

例えば、志をもって大いに学問したのはいいが、その学問で人を圧倒し、マウントを取って得意になり、疎まれている。

これを「狂簡」などといえば聞こえはいいが、実のところ近しい人に疎まれているだけだ。

そのような人間を、孔子が「善し」とするはずがない。

 

確かに孔子は、狂簡の素質ある若者を育て、世の中を変えたいと考えた。

素質ある人に学問を施し、いわば「礼を以て約する」の状態に仕立てて、初めて「善し」とされた。

 

私の解釈

学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや(学問を深めることで、喜びが増える)

⇒朋有りて遠方より来る、亦た楽しからずや(近所の人はもとより、遠方の人からも慕われ、どんどん楽しくなる)

 

の流れについて、私は「狂簡」ということも含めて、以下のように解釈している。

志があって学問もあるが、狂簡であるために粗削りで、他を凌ぐようなところもある。

それでは、近くの人から疎まれる。

そんな若者も、正しい師を得て「学びて時に之を習う」で変わってくる。

繰り返し学んで習うと道理が分かって、心に喜びを覚えることも増える。

なぜ喜ばしいのか。

正しい道理が分かれば、過ちを改め、正しい人間に近づくことができるからだ。

 

そうやって学問するうちに、粗削りだったものが整ってくる。

小人的なところが少しずつ減って、君子的なところが多くなる。

以前、疎ましく思ってきた近所の人々が、少しずつ見る目を変えるようになる。

やがて近所で「昔はろくでなしだったが、あいつは学問して変わった」などと評判になり、近しい人々(同学の朋友も、ご近所さんも)と良い付き合いができるようになった。

 

近しい人々の紹介や噂話など、色々なきっかけで、自分のことが徐々に遠くの人にも知られてくる。

遠方の朋友から訪問を受けることも増えてきた。

近きも遠きも、多く朋友と付き合い、一緒に学ぶ。

朋友から教えられることもある。朋友を教えることもある。

朋友から教えられて学問が深まれば、さらに喜びが増える。

自分が教えて朋友の学問が深まれば、それもまた喜びだ。

一人で「学びて時に之を習う」であったときより、心に喜ぶことが増える。

我より彼へ、彼より我へ、喜びが往来する。

このような喜びが増え、長く喜んでいられることが、「朋有りて遠方より来る」の楽しみである。

 

まとめ

「朋有りて遠方より来る」の言葉は、学ぶ者の理想を教えるものである。

ただ、「遠くから人が来るから楽しい」と解釈するだけでは不十分と思う。

そこに含まれる「近い人はもとより」の意味が一層重要ではないか。

「近い人から疎まれるようではいけない」の戒めと解しても良いだろう。

 

ここを見落とすと、独善に陥って近い人から疎まれ、「(遠くの)誰かが分かってくれる」と思い込み、どんどん道から外れていくのではないか。

独学する場合、この間違いを犯しやすい。

このような人はどこにでもいる。むしろ、この傾向のある人のほうが多いのではないか。

君子になりたいと思って学問して、小人になってしまうのだ。

恐ろしいことと思う。

 

私自身のことをいえば、近くの朋友から遠くの朋友へと付き合いを広げていくことに難しさを感じている。

そもそも、孔子を師と仰ぐ同門の人が極めて少ない。

 

もっとも、求めて得られるものではないと思っているから、不満や焦りは全くない。

朋友がいるからやれる、一人では難しい、といったものではない。

どこまでも一人でやる、そのうち朋友ができたらなお良い、くらいに考えている。

 

今はただ、数に比せずして疎に比するの過ちを犯さず、粛々とやれたら良いと思っている。

いくら学問しても、近くの人から疎まれるようでは、孔子の理想から程遠い。

学問する者として、最低限、この過ちがないようにしたい。