視力の低下に関するツイートを見た。
学者はたくさんの活字を読む。毎日毎日、長時間読む。すると眼が疲れる。
最近はパソコンやスマホなどの機器で文字を読むことも多い。単に紙の本を読むより目が疲れるだろう。
そのような生活を続けて年を取ると、目が見えなくなる。失明に近い状態になる人もいる。
すぐに思いつくのは、大漢和辞典を編纂した諸橋轍次先生である。
無理を重ねた結果、右目を失明、左目も光を感じるだけ、といったほどに悪くされた。
学問する者は、視力の低下をある程度まで受け入れる必要があるだろう。
しかし、視力が低下すれば生活が不便だ。私も極端に悪く、眼鏡なしでは生活できない。
また、失明は恐ろしい。本が読めなくなる。学問に差し支える。
ではどうするか。先儒が教えてくれる。
貝原益軒先生曰く
まず貝原益軒先生。
益軒先生は江戸時代の儒学者。経学だけではなく、教育や医学でも大きな功績を残された。
先生の著書『養生訓』には、平生から健康を保つ心掛けが色々述べられている。
医学が進んだ現代においても、役に立つものが少なくない。
養生訓には、目の健康についても述べてある。曰く、
朝ごとに、まづ熱湯にて目を洗ひあたため、塩湯を以て目を洗ふ事、左右各十五度。その後別に入れ置きたる椀の湯にて目を洗ふべし。
目あきらかにして、老にいたりても目の病なく、今八十三歳にいたりて、なお夜、細字を書き読む。これ目をたもつ良法なり。
ここのくだりは、歯の健康と併せて述べてある。朝、歯を洗い、目を洗うのが先生の習慣であったようだ。目に関する情報だけを抜粋した。
根本通明先生曰く
次に、根本通明先生。
根本先生は幕末・明治期の儒学者。公田連太郎先生の師。
特に易の大家として知られ、「周易は根本なり。根本通明は周易なり」と称された。
先生は若いころ、学問で随分無理をなさったらしい。競って学問した結果、同窓が数人亡くなっている。
沢山の書を読んだであろう。眼も悪くなるのが当然と思われるが、先生の目はいたって健康であった。
先生の写真をいくつか見たが、眼鏡さえかけていない。その秘訣は、益軒先生と同じく目を洗うことにあった。
先生83歳の談話に曰く、
私はこの通り目も悪いことはない。細かい物を見るに一向差支はない。
毎朝円い桶に水を一杯汲んで、その水の中へ首までズッと入れて眼を開け、眼の中へ水を入れて洗ふのだ。そのためか、私は眼を病んだことがない。
益軒先生はお湯で目を丹念に洗った。
根本先生は冷水である。桶の中でざぶざぶと洗う。先生は豪傑であったから、その姿が浮かんでくる。
安岡正篤先生曰く
昭和の思想家・安岡正篤先生。
先生は陽明学の大家として知られたが、「〇〇学者」とカテゴライズされることを嫌ったので、あえて「儒学者」とも「陽明学者」ともいわず「思想家」とした。
安岡先生も、生涯を通じて多くの書を読んだ。普通の儒者と違うのが、読む範囲の広さである。西洋哲学や政治経済なども含め、広く通じている。講義録など読んでも、話の内容が実に多彩である。
やはり目を悪くしておかしくないが、安岡先生の目も至って健康であった。
眼鏡をかけていたから、近眼であったと思われる。しかし老眼鏡は使わなかった。
安岡先生の養生法は、根本先生とよく似ている。ある本に曰く、
私は朝起きると、顔を洗う時に必ず冷水に顔をつっこむことにしております。
これが一つ楽しみで、私は一生涯髪を伸ばさない。
つぎに水の中で目を洗うのです。開け閉てしたり、左右に動かしたり、あるいは上下に動かしたりして眼球の運動をする。
これが一通り済むと、今度は上から手で揉む。
眼科の医者にいわせると、これくらいよい目の養生法はないそうです。
また別の本に曰く、
本を読む者は眼を洗わねばなりません。眼を丈夫にするには洗うに限ります。
清水の中に目を開閉し、あるいは水道の口にゴム管をつけて、水圧を利用して目を洗う。瞼の上からでもよろしい、二、三分ずつ両眼を水圧で打たせる。
ツイッターでお付き合いしている方の多くは勉強家であり、本をよく読んでいる。
目の健康を気にする人も多いかと思う。
この記事の多くはツイッターに載せたが、ツイッターではすぐに情報が流れてしまうので、ブログにまとめた次第。
参考になれば幸いです。