周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

孔子の理想とする「よろこび」とは

「よろこぶ」という漢字を色々調べていると、大変面白い気づきがあった。

この漢字を知ると、論語がもっとよく分かる。

君子のよろこびがどんなものであるか分かる。

 

色々気づいたことが消えないうちに書いている。

書きながら気づくこともあろう。

ごちゃごちゃとした文章になるかもしれない。

 

 

喜・悦・説

よろこぶと読む漢字には色々ある。

例えば、喜ぶ、悦ぶ。

 

喜ぶについて、「喜、悦也」の注釈がある。

また悦の注釈にも「悦、喜也」とある。

このようにみると、喜・悦は大体似たよろこびといえる。

 

悦は説なり

なお悦は説に通じる。

大載礼の注に「説、古通以為悦字」とある。

論語の「学びて時に之を習う、よろこばしからずや」の説は悦である。

学問を一生懸命やると、分らなかったことが分かるようになってくる、愈々面白くなってくる、心に説ぶところが出てくる。

したがって、「よろこび」を喜や悦と書く場合、学問が進んで嬉しい、面白い、楽しいといった感情をイメージすると良い。

 

楽は説びより大きい

ただし、大きさで言うと楽は説より大きい。

説(喜・悦)のよろこびは、楽のよろこびに含まれる。

学問が進んで説ぶ、その次には「朋有りて遠方より来る」の楽しみに発展する。

説から楽であり、大きさで言えばやはり「説<楽」である。

 

同じ「よろこび」でも、喜や悦はさほど大きくない。

なぜ喜・悦は小さいのか。これを考えると非常に面白い。

 

自分一個の小さなよろこび

学びて時に習うよろこびは説、喜、悦。

師から学んで、自分なりに一生懸命考えて、そこでよろこびが出てくる。

つまりこのよろこびは、自分一個のよろこびである。

よろこばしいには違いないが、他人も含めてよろこばしいのではない。

よろこびが往来するものではない。

説、喜、悦は自分だけがよろこんでいる状態である。

 

説びの往来とは

朋が遠方から来ると、説、喜、悦ではなくなる。

同じ学問をする人が訪ねてくると、当然、学問について色々話す。

さらに学問が深まる。

自分が教えて朋友が分かる、朋友から教えられて自分が分かる、どちらもある。

これは、

  • 自分が時習によって得た説びが、朋友のところへ往く
  • 朋友が時習によって得た説びが、自分のところへ来る

というように、説びが往来しているのである。

もはや自分一個の説びではなくなっている。説でも喜でも悦でもなく、楽になる。

 

ひとつの気づき

このように考えて、ひとつ気が付いた。

「朋有りて遠方より来る、亦た楽しからずや」

の章句について、一般的には、

「遠方から朋友が訪ねてきてくれる。楽しいことではないか」

と解釈する。

これを極く浅く捉えると、「遠方から朋友がやってくる」という事象そのものが嬉しい、楽しいといった解釈になりがちだが、そうではない。

自分の説びと朋友の説びが往来することが楽しいのである。

 

往来を楽しむ

したがって、

「朋有りて遠方より来る、亦た楽しからずや」

ばかりではなく、

「朋有りて遠方へ往く、亦た楽しからずや」

で、自分から訪ねてゆくこともあるべきだ。

自分と朋友、どちらがどちらを訪ねるにせよ、結果的に説びが往来することが楽しいのである。

説びの往来がなければ、楽は生まれない。

地球の裏側から変な奴が訪ねてきたって、説びは往来しないから何も楽しくない。

 

説びの往来にも尊卑あり

類は友を呼ぶ、という。

趣味嗜好が似ている者同士であれば会話が弾む。

最新情報などを共有すると説びが往来する。

類は友を呼ぶといえば、なんとなくネガティブなイメージがあるが、「朋有りて遠方より来る」もある意味「類は友を呼ぶ」である。

 

しかし、似た者同士で説びが通うのは、当たり前と言えば当たり前のことである。

同類でない者も含め、説びを通わせることができれば、こちらのほうが一層尊い

これは難しい。なかなか通わない。押し付けになりがちだ。押し付けは反発を招く。

 

徳があれば説びは往来する

ならばどうするかというに、徳を磨くに尽きる。

孔子はそうであったと思う。

最近の人物なら、西郷さんがそうだろう。

(諸説あるがひとまず)最後は大将に担がれて戦争を始めたくらいである。

 

無口な西郷さん

私の知り合いに西郷さんの縁者がいる。

奄美大島で西郷さんが娶った愛加那さんの家系である。

色々話を聞いたが、西郷さんはイメージ通り寡黙な人であったという。

語るときは訥々と、大抵は応の意味で「む」と言うくらいのもの。

 

西郷さんの偉さ

知らない人が見れば、どこが偉いのかわからない。

官を辞して薩摩に帰った西郷さんは、農業をやった。

 

こんな話がある。

あるとき、西郷さんが長く狭い道(山道だったか)を歩いていると、ずいぶん歩いたところで農夫と行き当たった。

農夫は牛を連れている。西郷さんは巨体。

すれ違うことはできないためどちらかが引き返さなければならない。

農夫は西郷さんを知らず、偉い人物とも思わず、ただの「体のでかい農夫」くらいに思ったのだろう。

道を譲らず、西郷さんに強いて引き返させたという。

それくらい、偉さのわからない人だった。

 

偉くないのが偉い

偉い人は、当たり前だが偉い。

しかし英雄といって良いくらい偉い人間でありながら、偉さが分からない人が一層偉い。

 

言うことが偉そうな人間は偉くない。何も言わずに、目力から顔貌から偉さがわかる人物にはかなわない。

しかし顔貌が魅力的な人も、いわゆる「後光が指す」というような、背中が偉い人間にはかなわない。

さらに言えば、背中が偉い人間より、足の裏が偉いような人間の方が一層偉い。

 

西郷さんは紛れもなく英雄であった。

西南の役を歌った軍歌に抜刀隊があるが、その歌の中で官軍側が

「敵の大将たる者は古今無双の英雄で...」

と称えているほどだ。

しかし、偉くみえない。何が偉かったか、後世の我々には真にわからない。


私は西郷さんを尊敬しているが、偉いのに偉くないところを尊敬している。

 

西郷さんの説び

話をもどすと、西郷さんは多くの人から慕わた。最後は大将に担がれた。

西郷さんは、多くの人と説びを往来させたに違いない。

 

西郷さんは、どのように説びを往来させたのか。

無口な西郷さんのことだから、持論を滔々と語り聞かせることはなかっただろう。

 

そもそも、西南の役で西郷さんに従った人々も、正直、西郷さんが何を考えているのか、何を目指しているのかわからなかった人がほとんどではなかったか。

西南の役から100年以上も経って、色々な研究もされて、それでも西郷さんの真意はよくわからないのだ。

 

由らしむべし、知らしむべからず

これは、論語でいうところの「民は由らしむべし、知らしむべからず」である。

西南の役の場合、民は西郷さんと一緒に戦った人々。

 

多くの人は、戦争の目的や意味が分かっていなかった。

自分の理想のために参戦した人、時代に不満を抱えて参戦した人など、色々いただろうが、西郷さんの真意が本当に分かっていた人は極く少数だったろう。

西郷さんを最も良く知る人物の一人に、山岡鉄舟先生がいる。

鉄舟先生には西郷さんの真意が分かっていただろう。

鉄舟先生もあれこれ語らないし、語らずに死んだ者の真意を代弁するようなお人ではない。

しかし、それを思わせる逸話も残っている(色々探したが、どの本に書いてあったか見つからなかった)。

 

沢山の人が、真意も分からないのに命をかけて戦ったのだ。

西郷さんが「由るべき人物」であったからだ。

よくわからないけれども、西郷さんがやることなら間違いないと思って戦ったのだ。

西郷さんは、真意を語る必要さえなかったのではないか。

「こんな目的があるが、お前らどうか。一緒にやるか」などと説明するまでもなかった。

 

徳があれば説びは往来する

無口な西郷さんが、これだけ慕われた。

これは、西郷さんに徳があったからだ。魅力的だったのだ。

西郷さんの説びが皆の説びになったのだ。

西郷さんが何も語らず、説びを往来させようと考えなくても、自然と往来して楽が生まれたのだ。

 

理想は慶び

徳を磨けば、同類の人、同学の人など似た者同士だけではなく、そうでない人とも説びが通う。

自分に徳があれば、むこうから説びが通ってくる。

 

慶びとは

これまで、西郷さんのよろこびを説びと書いてきたが、実際のところ、西郷さんのよろこびは説びどころではない。

西郷さんのよろこびは慶びである。

 

近くの人や遠くの朋友と説びを通わせると楽が生まれる。

しかし、まだまだ小さい。同類の限られた範囲でのみ、説びを通わせている。

範囲を限定せず、どこまでも広く説びを通わせていくと「慶び」になる。

孔子は3000人の弟子から慕われ、死後も2000年以上に渡って仰がれ慕われている。今後も人間が存在する限り、説びは通い続ける。孔子のよろこびは慶びである。

西郷さんも同じだ。西郷さんの説びは楽をはるかに超えて、慶びといえる。

 

易経の教え

易経の坤為地の彖伝に、こんな言葉がある。

西南に朋を得るは、乃ち与に類を行ふ。東北に朋を喪ふは、乃ち終に慶び有り

ごく簡単に解釈すると、以下の通り。

 

西南に朋を得る

西南とは、出仕前や結婚前など、若い時期や未熟な時期、報われない時期などに居るべき場所のこと。

そこでは、同類の人々(同郷の人や同学の朋友、親しい友人など)と一緒に勉強したり遊んだり、様々に行って力を養う。

 

東北に朋を喪う

東北は、若い時代を終え、徳も立派になり、世に出てから居るべき場所のこと。

孔子の時代なら主君に仕えた後のこと。それからは、同類の人々を失わねばならない。

西南では仕えず野にあるから私だが、東北になった以上は公である。

公の立場でありながら、「親しいから」「好きだから」「寂しいから」などの理由で西南の朋を近づけるのは、公私混同である。

 

東北にいながら朋を喪わず、公私混同すれば問題が生じる。

学閥、藩閥門閥など、あらゆる派閥は東北で朋を喪わないから生まれる。

こういう派閥が世の中を乱すのは、現代の政治をみれば明らかだ。

 

終に慶び有り

それではいけない。西南から東北に出た以上は朋を喪うべきである。

朋を喪うといえば、寂しく思われるがそうではない。

公を奉じて朋を喪い、臣下としての道を正しく歩む人は偉い、偉いから次第に尊敬を集めるようになる。

時代が悪ければ、正しさゆえに退けられることもある。生きているうちは不遇なこともある。

しかし、道理から言えば尊敬を集めるようになる。

 

尊敬される、とはどういうことか。

尊ばれ、敬われ、慕われることである。

そんな人に良いことがあったり、何かに成功したりすると、多くの人がよろこぶ。

大勢の人がよろこびを述べに来る。多くの慶賀を集める。

東北で一旦は朋を喪うが、その道を貫けばやがて慶びが得られる。

 

慶に含まれる意味

慶の字は卿と通じる。卿には「向かう」の意味がある。

大勢から慕われ、慶びを向けられる存在を卿という。

そういう人間が上に立つのが本当である。

だから大臣を「卿大夫」といった。

 

慶には「鹿」が含まれている。

昔、めでたいことがあれば慶祝として鹿の皮を贈った。

目出度さに鹿の皮が飛び交うような、自分一個はもとより、国中のだれもかれも嬉しく楽しくよろこばしいのが「慶び」だ。

 

また、鹿は禄に通じる。人の慶びを集める人間は、何でもうまくいく。禄が厚くなって富むべくして富むというわけ。

禄の最も大なるものは何かといえば、天下である。

天下を治めるのは天子である。

だから、天子の位を「鹿」と表現した。

唐詩選を見ると良い。かの有名な魏徴の「述懐」は

中原還逐鹿 中原還た鹿を逐ひ

(天下が乱れ、群雄が天子の位(鹿)を得ようとしている)

で始まる。

鹿が含まれていることも、慶の慶たるゆえんである。

 

私的解釈

色々書いたが、ともかく「慶び」は非常に大きい。

自分の中だけでよろこぶ説・喜・悦よりも、それを通い合わせるよろこびよりも、大勢からおのずと向けられる慶びが一層大きい。

 

孔子は、弟子にまず学問によって説びを得ることを教えた。

しかし、目指すべきは慶びである、そのために徳を磨き修めよ、それが孔子の理想ではなかったか。

私にはそう思える。

 

1.学びて時に之を習うで説ぶ。

2.その説びを朋友と往来させて楽しむ。

 

ここまでは誰でも知っている。孔子は、初学者にこう教えたのではないか。

まだ先がある。学問を積んでやがて仕官する。仕官すると、

 

3.東北に行って朋を喪う。

 

そのために、1と2で得た説びと楽しみが失われることもある。

さらに先がある。徳を磨くことに徹するうちに、

 

4.慶びを得る。

 

孔子は、第一歩として説びを教えたが、そこからずっと進んでいくと慶びになる。

徳を磨けば必ずそうなる。

私は論語学而篇・第一章をこのように考えたい。