雑記
般若心経を日に百回読誦。この習慣を続けるうち、集中力が極度に高まる感覚が増えた。 回数を重ねるごとに徐々に入り込んでゆく。集中力が高まってくる。 例えば、目を開いているのに目を閉じたようになる。 部屋は薄っすら明るい。目が開いていればモノが見…
最近、睡眠を陰陽の理で考えると、色々と得るところがあったのでまとめてみたい。 ツイッターでお付き合いのある人の中には、睡眠に悩みを抱える人もいるようだ。参考になればよいと思う。 睡眠の意義 睡眠と陰陽 1.静 2.柔 3.暗 4.再び静 5.再び柔 陰陽の理…
論語について気付いたことの覚書。 富まさん、教えん 先王の道 伍子胥の嘆き 貧にして怨む無きは難し 食・兵・信 三章句の解釈は 富まさん、教えん 論語憲問篇。孔子が衛に行き、冉有がお供をした。衛に入り、孔子が仰る。 孔子「衛は人が多いな」冉有「人が…
昨日、古い映画や音楽に対して「残ったものは凄い」という内容のツイートをした。 一夜明けて、酔いの醒めた頭で改めて考えると、色々思うところがあった。 これについて(と思われる)フォロワーのツイートを読んでも、考えさせられるところがあった。 考え…
ツイッターにつらつらと書いたら長文になった。 一応は書き上げたが、ツイッターで長文は読みづらい。文字数の調整のために、言葉足らずになることも多い。 あらためて、ブログにまとめて記載します。 (一連のツイートは削除しました。リツイート、いいねを…
老子、根本先生、剣術、刀剣、森鴎外、島田虎之助。そういうものを思うままに、ごちゃごちゃと話してみたい。 老子第六十九章のこと 根本先生曰く 先生の鍛錬 根本先生の刀剣趣味 書生に刀を贈る 鴎外に刀を贈る 根本先生と剣術 蛇を斬る 島田虎之助のこと …
公田連太郎先生の座右の書は、呻吟語であった。 今回は呻吟語のお話しです。 教えの四等級 仮の例え 論語の活用は様々 第一等としての論語 第二等としての論語 第三等としての論語 第四等としての論語 公田先生はなぜ占わなかったのか 公田先生と占い 南隠老…
先日、久々に弟とお酒を飲んだ。といっても一ヶ月半ぶりくらいに。 大変よいお酒だった。 色々話したが、途中、子路について話すことがあった。 何も準備して話したわけではなかったが、話すうちに子路のことが一層よく分かった気がする。 お酒を飲みながら…
先日、ハノイの孔子廟を訪ねた。現地の言葉では「文廟」という。 廟というものに初めて足を踏み入れ、色々と勉強になることもあったので、ここにまとめておく。 廟は祖先や個人の霊を祀る場所。文廟では孔子を学問の神様として祀る。 特に「宗廟」という場合…
あけましておめでとうございます。 今年も昨年同様、気の向いた時にブログを書きます。 よろしくお願いします。 さて先日の話。 野見山曉治という画家の展覧会に行った。この人は私と同郷の人で、炭鉱経営者の子であったという。だから初期の作品には炭鉱を…
「骨を折る」という言葉がある。苦労を厭わないことである。 骨折り損のくたびれ儲けなどという言葉もあるから、骨を折るといえば嫌なことのように思われる。 私は、骨を折るという言葉がなんとなく好きであった。 最近、晋の文公重耳のことを調べていて思う…
以前、DMで質問を受けた。 小人に腹が立つことが多いが、どうすればよいかという質問であった。 私なりに例など用いてお答えしたが、十分ではなかったと思う。 その後も1ヶ月ほど色々考えて、ある程度満足できる結論に至った。 質問と答え 質問 回答 なぜ気…
人から評価されること、良い評判がたつこと、名声を得ること。 このようなことについて、儒学ではどう考えるか。 高く評価され、名声を得ると、それなりにお金なども入ってくる。 それ自体は悪くない。受け取って良いし、受け取るべきである。 義があって利…
曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。 跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。 立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。 こ…
先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。 孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。 しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢い…
筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字…
以前、性善説と性悪説について書いた。 今回はその追記と、最近考えたことについて。 性善説のこと 益軒先生曰く 明道先生曰く 独学について 孔子を師とする 陰陽相和すること 独学の弊 柔に学び剛に考える 孔子を師として 性善説のこと 見方によって性善説…
質問をいただいた。 質問箱に書ける文字数は2500文字が最大らしい。 超過してしまったので、ブログでお答えします。 質問の内容は以下の通り。 例えばきっかけをつかむために、まずは5分や10分から始めるというなら、大いに結構だと思います。いきなり何時間…
近思録に関する質問をいただいた。 これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。 実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。 極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。…
視力の低下に関するツイートを見た。 学者はたくさんの活字を読む。毎日毎日、長時間読む。すると眼が疲れる。 最近はパソコンやスマホなどの機器で文字を読むことも多い。単に紙の本を読むより目が疲れるだろう。 そのような生活を続けて年を取ると、目が見…
ツイッターで交流のある数人の方が、筆写に取り組んでいるという。 筆写は私にとって唯一にして最高の方法なので、その方たちの取り組みも「大変良いこと」と思う。 以前、筆写について聞かれた際には、あまり詳しくお話ししなかった。 質問した人が筆写に取…
「よろこぶ」という漢字を色々調べていると、大変面白い気づきがあった。 この漢字を知ると、論語がもっとよく分かる。 君子のよろこびがどんなものであるか分かる。 色々気づいたことが消えないうちに書いている。 書きながら気づくこともあろう。 ごちゃご…
私の先生は・・・ 小杉放庵の書簡 地蔵さまが好き 地蔵さまに倣った公田先生 在野を貫かれた公田先生 学者ではなく学生 地位・肩書は関係ない 学究ではなく求道を 私の先生は・・・ 私の先生は、公田連太郎先生である。 もちろん、たくさんの人から学んでき…
論語には、色々な本がある。 もちろん、元はお弟子たちが作った唯一のものがあったが、長い歴史の中で様々なものが生まれた。 中には意味が通じないものや、解釈の疑わしいものがあるから、儒学を学ぶうえで障害になりやすい。 ではどうするか。 一冊にこだ…
私には、明確な人生計画がない。 そういったものを立てたところで、天命と異なれば実現には至らない。 まだ天命の自覚がない。ならば計画はなくて当然であって、極く自然なことと思っている。 漠然とした理想はある。 住むならば田舎の平屋で、山の麓が良い…
儒学をやっていると、なにぶん古い時代のことであるから、色々なことについて「果たしてそれは事実であったか」という問題が出てくる。 例えば、舜(しゅん)が実在したかどうかを問題にする人がいる。 このようなものは儒学の本質にはあまり関係のないこと…
ブログに対する姿勢を改めることにした。論語を読んでいて、今の書き方は正しくないと思ったのだ。 これまで、ともかく書くことが大切と思って、そこそこ良いペースで書いてきた。 しかし、学んださきから書きまくるのは、軽率な気がしている。深く考えず、…
「可もなく不可もない」 良くも悪くもない、無難、平凡といった意味で用いる。 なんとなく、見下した気分のある言葉だ。 可>可もなく不可もなし>不可 良い>普通>悪い 可もなく不可もなし、これは悪くないが、まだ足りないといった感じに用いられる。 少…
時事を論ずることはあまり好きではないし、個人に対して色々意見を言いたくはない。 しかし、メンタリストDaiGoの騒動には、儒学的にも色々と思うところがあり、ひとつ文章を書いてみたいと思う。 「知」について思うこと 知識より見識、理想は胆識 見識がな…
私は毎日、日記をつけている。 日記帳には『噬嗑記』と名付けている。 噬嗑(ぜいこう)とは、易の火雷噬嗑(からいぜいこう)から採ったものである。 噬は噛むこと。 嗑は合うこと。 噬嗑とは噛んで合うことである。 口の中にあるものを噛み砕き、上の歯と…