周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

易経

克己復礼の実践について

般若心経を日に百回読誦。この習慣を続けるうち、集中力が極度に高まる感覚が増えた。 回数を重ねるごとに徐々に入り込んでゆく。集中力が高まってくる。 例えば、目を開いているのに目を閉じたようになる。 部屋は薄っすら明るい。目が開いていればモノが見…

簡易と安易と覚悟のはなし

ツイッターにつらつらと書いたら長文になった。 一応は書き上げたが、ツイッターで長文は読みづらい。文字数の調整のために、言葉足らずになることも多い。 あらためて、ブログにまとめて記載します。 (一連のツイートは削除しました。リツイート、いいねを…

公田先生はなぜ占わなかったのか

公田連太郎先生の座右の書は、呻吟語であった。 今回は呻吟語のお話しです。 教えの四等級 仮の例え 論語の活用は様々 第一等としての論語 第二等としての論語 第三等としての論語 第四等としての論語 公田先生はなぜ占わなかったのか 公田先生と占い 南隠老…

「狂」ということ

「狂」という言葉がある。 狂は狂う。狂人といえば頭のおかしい人にも使うから、あまり良い意味とはいえない。 儒学では、狂を良い意味で用いることもあれば、悪い意味で用いることもある。これを混同すると大変な間違いになる。 悪い意味での「狂」 聖と狂…

信を失った者の末路

儒学では信を重んじる。 信が重要、これは当たり前と言えば当たり前である。しかし当たり前すぎて、なぜ大切かと言われるとよく分からないものでもある。 なぜ信は重要なのか。信を失えばどうなるのか。 信とはなにか 論語の教え 益軒先生曰く 信を失った者…

孔子の教えは男尊女尊である

最近、何かと男女の問題がさわがしい。ツイッターなどでも、そういった発言やニュースをよく見る。 私は、現代の男女の問題について学んだことがない。しかし、儒学を通して男女の関係について考えることも多い。 孔子は男尊女卑ではない。男尊女尊であった…

天とは何か

論語里仁篇にこうある。 仁者は能く人を好(よ)みし、能く人を悪(にく)む。 (仁者は好むべき人を好み、悪むべき人を悪む) この章句については以前もブログに書いたが、あれは考えが足らなかった。 天というものをよく分からずに書いたから、つまらない…

「立つ」とは何か ―孔夫子三十の境地―

儒学をやっていると、志について考えることが多い。 孔夫子の志はどこにあったか、またその志によってどのように人格を形成していったか。これを深く考えていくと、論語の読み方が正しくなるように感じる。 いくつか気づくことがあったので、簡単にまとめて…

骨を折ること

「骨を折る」という言葉がある。苦労を厭わないことである。 骨折り損のくたびれ儲けなどという言葉もあるから、骨を折るといえば嫌なことのように思われる。 私は、骨を折るという言葉がなんとなく好きであった。 最近、晋の文公重耳のことを調べていて思う…

徳とは何か

儒学では、よく「徳」ということを云う。 徳について、誰でもなんとなくイメージを持っているものだが、改めて「徳とは何か」ということを考えると、いまひとつピンと来ない。 当たり前すぎて、あれこれと考えることがないから、分るようで分からない。 しか…

儒学的文章についての覚書

筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字…

革命の是非

中国の歴史には度々「革命」ということがある。 孔子は革命についてどうお考えであったか。 論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は伐ってよい」といったことは仰っていない…

なぜ儒教では婚礼を重んじるか

近思録に関する質問をいただいた。 これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。 実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。 極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。…

孔子の理想とする「よろこび」とは

「よろこぶ」という漢字を色々調べていると、大変面白い気づきがあった。 この漢字を知ると、論語がもっとよく分かる。 君子のよろこびがどんなものであるか分かる。 色々気づいたことが消えないうちに書いている。 書きながら気づくこともあろう。 ごちゃご…

噬嗑録

私は毎日、日記をつけている。 日記帳には『噬嗑記』と名付けている。 噬嗑(ぜいこう)とは、易の火雷噬嗑(からいぜいこう)から採ったものである。 噬は噛むこと。 嗑は合うこと。 噬嗑とは噛んで合うことである。 口の中にあるものを噛み砕き、上の歯と…

元亨利貞で学問す

昨日、弟と長時間にわたって話し込む中で、筆写についても色々と話し、自分自身、考えるところもあった。 弟には、私がなぜ筆写するかということについて、もう少し詳しく話したかったが、それは避けた。 易などと絡める必要があるが、それを弟に口頭で説明…

一陰一陽の応用

一陰一陽は易の真髄 陰と陽の関係 一陰一陽の視点 天地の関係 男女の関係 一陰一陽の学 一陰一陽は易の真髄 易経の繋辞伝で、孔子は、 一陰一陽之謂道(一陰一陽、これを道と謂う) と仰った。 私は公田先生の『易経講話』で易を学んだが、公田先生はこの句を…

俚諺を儒学で解すると(2)二度あることは三度あるか

ことわざにおける矛盾 繋辞伝に曰く 火天大有の卦 天祐とは 人の助け 天とは 道理に基づけば ことわざにおける矛盾 よく矛盾を指摘されることわざに、 ・二度あることは三度ある ・三度目の正直 がある。 二度あることは三度ある、これは一度目・二度目と連…

俚諺を儒学で解すると(1)果報は寝て待て

ことわざは、良いものだと思う。 先人の知恵だ。 しかし、ちょっと見るとわけのわからないものも多い。 嘘を言っていると評されることわざも少なくない。 私は、否定的に解されることわざも、どこか真実を含んでいると思う。 儒学で解すると、そう思えること…