周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

机上の空論に陥らぬために

先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。

孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。

しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢いる。

実践を重んじる学問をやって、机上の空論で終わってしまう。これはなぜであろう。色々考えてみた。

 

 

1.なぜ机上の空論になるか

論語子張篇。子夏が仰る。

ひろく学びて篤く志す。

切に問ひて近く思ふ。

仁其の中に在り。

この章句は、広い方(博く学ぶ)と狭い方(近く思う)を同時に述べている。

ただし、これはどちらか一方を重く見たものではない。どちらも同様に重く見たものであり、もっといえば学問の順序を述べたものである。

この章句を考えていくと、なぜ机上の空論に陥るのか、またどうすれば机上の空論に陥らずに済むか、それがよくわかる。

 

まず、学問は博くするが良い。このとき、志が篤くなければならない。

志が篤ければ、学問への取り組み方も熱心になる。博く学ぶに熱心であれば、学んだことに色々な疑問が起こってくる。

疑問が起こるから、切実に問うことにもなる。切実に問うて、疑いを解いて学問が深まってゆく。博く浅い学問に陥らず、深くすることができる。

深くなるということは、そのことを本当に良く理解しているということであって、だからこそ自分の身に充てて考えることもできる。自分の身に充ててこそ、初めて実践も可能になってくる。

良いことを学んでも十分に実践できない。それは、理解が足らないからである。頭では理解できるが実際はどうすべきか分からない。深くないから実践できない。

深くないのは、切に問うところがないからだ。それは大して疑問を持たないからだ。これは志が正しくないからだ。それでは博く学んだところで机上の空論に終わる。

 

2.小を積んで大を成す

博く学ぶ。これは、殊更に博さを求めて学ぶのではない。小さい所から地道に積み重ねて、結果的に博くなるのを目指す。小を積んで大を成す。

なんでも、小さい範囲を丁寧に修めて、それを繰り返して段々に博くなるのが良い。

 

全体を掴むことが目的であれば、小さな所にこだわる必要はない。

しかし儒学は、全体を掴むことが目的ではない。体系化された理論を表面的に学ぶことが目的ではない。小さなところから丁寧に十分に学び、実践を通して修めるものである。

 

2-1.土地を知るには

ある土地を知るために、地図を見て把握するか、あるいは現地を歩き回って知るか。そんな違いに似ている。

地図に表示される川は、髪の毛ほどの細い線に過ぎない。地図で見れば何でもないが、実際に現地へ行くととても渡れない激流。そんなことがいくらでもある。

あるいは、地図で見れば米粒ほどの沢がある。これも実際に行ってみると迚も横切ることができず、大きく迂回しなければならない。そんなことがいくらもある。

地図に表れない情報もある。その地域の気候や風土などは、現地を体験しなければわからない。

 

2-2.地図だけで考えると間違う

その土地の表面的な情報を収集するなら、地図を見ればよい。そちらのほうが効率が良く、「木を見て森を見ず」の間違いも少ない。

しかし、そこに深く関わっていくならば、現地の詳細な情報が必要となる。

戦争なんか、まさにそうだ。地図を見ただけで実際の地形を知らず、それで攻め込めばどうなるか。大変な苦労を強いられる。

太平洋戦争の末期、日本軍は悲惨な状況に陥った。私の伯祖父もインパールで亡くなった。これは上層部に、地図だけを見て作戦を立てるような人間が多かったからである。

 

2-3.地道に歩き回る

学問においても、地図だけを見るような学問をして、それで「博く学んだ」というなら大きな間違いである。

現地を歩き回るような、そういう地道な学問をしなければならない。

歩き回るには労力がいる。さほど博く学べないかもしれない。それでも、歩き回っただけの地域については熟知している。地図を見て世界を知ったような気分になるより、はるかに実践的だ。

 

2-4.土地を知る順序

現地を歩き回るのは根気がいる。志が篤くなければいけない。

志があり、十分に歩き回るから疑問も出てくるのだ。

山道を歩いてみたら、土砂崩れで道がなくなっていた。先へ進むにはどうすればいい。迂回路はあるか。

どの程度の雨で道がなくなるのか。先日の雨ではA地点の道がふさがれた。その倍の降水量ならどの道が危ないか。色々疑問が出てくる。

そこで問う。現地の猟師や樵に切に問うて疑問を解消する。北条早雲が伊豆討ち入りも、現地をよく知る杣人に切に問うて作戦を練ったという。

そして近く思う。その地域に攻め込むとして、どのように攻め込むのが最も良いか。自軍の規模や装備や練度などに照らして考える。兵隊が多ければ輜重も多いから、安全で距離も短い道を選ぼう。この時期、この地域では土砂崩れが起きやすいから工兵を増やそう。我が軍という身近なところで考えていく。

 

学問も同じように取り組む。

子夏が云ったのは、こういうことであろうと思う。

 

3.机上の空論を避けるには

机上の空論を避けるには、博く学ぶこと、志が篤いこと、切に問うこと、近く思うこと、この順序で進める。

どれも欠かせないが、特に難しいのは「切に問う」ではないかと私は思う。

 

3-1.「切に問う」とは

「切に」は、「切実に」ということ。

「問う」というからには、その前提に疑問がなければならない。疑問がある、それを知りたいと思う、ゆえに問う。

このとき、いかに切なる思いで問うか。これが非常に重いのではないか。

「問う」にも色々で、興味次第手当たり次第に何でも軽々しく問うものもあれば、ひたすらに深く切込んで問うものもある。

切実であればあるほど、深く切込んで問うことになる。それによって得た理解は極く深い。これまでに博く学んだものと関連付けて考えやすいし、これまでの間違いにも気づきやすい。記憶にも残りやすく、日常の心掛けにもなりやすい。

 

問うは問うでも、あまり切実でない場合には、大して理解が深まることもない。

同じようなことを別の言葉で何度も問う。ある教えと別の教えを紐づけて考えることができない。そんなことになりやすい。

これでは、博く学んだものを「約する」ということにはならない。切に問うて深く理解するから、博く学んだものにまとまりを付けることができる。

 

3-2.司馬遷曰く

司馬遷の言葉。

夫れ学は載籍極めて博けれども、猶ほ信を六芸に考ふ。

学問するには、たくさんの書物を読む。例えば諸子百家の様々な本を読む。学ぶところは極く博い。

博く学べば、中には邪説もあろうし、考えの浅い説もあろう。迷いも出てくる。

そこで、博く学んだものを六経に照らして考え、取捨選択し、まとまりを付けるのが良い。

 

博く学んで疑いが起こる。そこで問う。六経に切に問う。これで約する。

約するから実践できる。机上の空論にならない。だから「切に問う」ということがまことに重い。

 

3-3.切に問うた孔夫子

「切に問う」の例は色々あるが、孔子は切に問うた人であったと思う。

子曰く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。

この章句の解釈はいくつかあるが、「道を聞く(得る)ことができたら、もう死んで良い」と解することが多い。

これは極めて切実な姿勢といえる。十五で道に志し、何十年と血を吐く思いで切に問うてきた。一筋の道を求め求めて、朝に道を聞いたならばもうそれで死んでよい。

 

そもそも儒学の目的とは何であるか、極く根本的なところを考えると、「天にまつらふ」に尽きる。

人間は天徳を稟けて生まれる。我が身に天徳を存する。天の徳は生成の徳、人間においては仁。仁を得て、仁を施し、この世に何らかの益もある。これは天が万物を生み成すところと同じい。人間の生き方として、これほど良いものはない。儒学ではそう考える。

天の徳を我が徳として生きる。天を戴いて生きる、天に服うて生きる、言い方は色々だがどれも同じことだ。

 

親に孝行する、不幸な人をかわいそうに思う、動物や植物の命を愛おしむ。ほかにも色々だが、儒学ではこういったことを重んじる。なぜこれらが重いかといえば、天がそうだからである。天の生成の理から言えば、それが普通だからである。

天徳を受けた人間われとしても、親には孝行する、命を大切にする。それで天道に服ふ。天道を我が道として生きるのだから、人間われの道、われの人道は天道と一致する。

道を求めるとは、こういうことである。人間われの道を、天の道と一致させることを求めるのである。

 

もちろんこれは難しい。難しいから切実に求める。切に問い、苦労を重ね、ようやくにして道を得た。朝に道を聞いた。人間われの道と天の道と一致した。これはもう、死んでも構わぬ。

 

教えを聞く、真理の言葉が耳に入ってくるという意味で「朝に道を聞けば」とするなら、それだけでは迚も死ねない。弟子が孔子から教えを聞いた、道を聞いた、それだけで夕べに死ねるかと言えば、迚も死ねない。孔子が仰るのは、そんな軽いことではない。

ただ聞いただけでは道を得ることはできない。「朝に道を聞く」というのは、長い間切に問うて已まず、ある朝突如として廓然大悟、それでもう悔いはないというような、そういう重い言葉である。

 

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。これを「一旦道を得たならば」の意味に解するならば、人間われの道と天の道が一致したる所を以て「道を得た」とするのが正しかろうと、私は思う。

 

3-4.切に問うて近く思ふ

「切に問ふ」という言葉は、非常に重い。

孔子の態度は、切に問うの至極であろう。我々は、なかなかここまで切に問うことができない。それでも、「切に」ということの重さを考えたい。

学問は小さい所から地道に積み重ねていく。それでだんだんと学問が博くなってくる。

志を篤く、熱心に取り組むのだから、疑問の起こらないはずがない。疑問が起これば切に問う。

 

誰に問うか。

これは人によって様々で、師がいれば師に問う。自分より学問の進んだ朋友がいればそれに問う。師や朋友がいなければ書に問う。司馬遷の云うように経書に問う。

深く切込んで問うてみれば、疑いが解けてくる。疑いが解けるまで切に問うなら、必ずそうなる。

 

切に問うて疑問が解けた。理解がぐんと深まった。考えが随分良くなった。

そこで近く思う。「近く」とは、自分にとって近い所である。身近なところで考えてみる。

例えば、切に問うて理解したものを、自分と親兄弟との関係において考える。

 

3-5.漆雕開の話

近く思うにも色々だ。自分と身近な人の関係に照らして考えることもあれば、自分一個に照らして考えることもある。自分の立場や実力に照らして考える。

 

論語にもこんな話がある。公冶長篇の章句。

子、漆雕開しっちょうかいをして仕へしむ。対へて曰く、吾れ斯れを之れ未だ信ずる能はず。子、よろこぶ。

孔門には貧乏な人が多かった。子貢は史記の貨殖列伝にも出てくるような大金持ちだったが、多くの人は貧しかった。漆雕開もその一人である。

孔門では貧乏を問題にしないが、実際には貧乏すると苦労が多い。自分自身は学問しておればよいが、親や妻子は別問題。貧しくて親を養えなかったり、家庭がうまく行かなかったりするのは辛い。

 

詩経にもそういう歌がある。

君子は、国に道があれば仕えて大臣にもなるが、国に道がなければ隠れてしまう。あるいはつまらぬ仕事について糊口をしのぐ。

道なき国でつまらぬ仕事に就いた君子が、貧乏のため妻に責められ、子は泣き、親にも不自由させて辛い。邶風はいふうの北門は、そういう歌である。

 

道を得た者は困窮しても志を枉げない、却って苦難を楽しむような所がある。

孔子はそのように弟子を励ますことはあったが、貧乏を肯定したわけではない。「貧乏すれば人は怨みを抱く」とも仰る。困窮する弟子には、出仕を勧めることもあった。

あるとき孔子は、漆雕開にも出仕を勧めた。漆雕開はそれを断った。曰く、

吾れ斯れを之れ未だ信ずる能はず。

「斯れ」は道徳のこと。ただし、孔子が教える道徳に対して不信感があるのではない。

ここの「信」は「信猶印」で、印鑑を以て判をつくように、学んだことをそのまま行いにすることである。つまり漆雕開が云うには、

「先生のもとで随分苦学してきましたが、まだ私は学んだ道徳をそのまま行うことができませぬ」

まだまだ未熟であって、官途に出られる状態ではない。せっかくのお勧めではあるが、もうしばらく苦学したい。

 

それを聞いた孔子は喜んだ。

若いうちは思い上がりで「もう学問は十分」となりやすい。貧乏が嫌で早く出仕したいものだから、そのように自分を正当化することもある。そういう人が孔門にも少なくなかったと思う。

しかし漆雕開には、この思い上がりがなかった。「近く思う」の姿勢が篤かったのだろう。

近く思うてみれば(自分自身の実力をよく考えてみれば)、「まだ信ずる能わず」であった。

「浅学われ」の立場で、出仕するのが相応しいかどうか、それが道に適っているかどうか、再び近く思うた。

すると、自分にはまだ何もできない、世に徳を施せるほどではない、出仕すべきでないと考えた。ならばどうすべきであろう。「在野われ」の立場でさらに近く思うた。

そして、せっかくのお勧めではあるけれども、もうしばらく苦学しよう、自分はそうあるべきだと思い至った。

 

近く思うことが深かったから、漆雕開はこのような結論を得た。安易に「先生のお勧めでもあるし(禄もほしいし)、ひとつ出仕しよう」とはならなかった。

もちろん、博く学び、志篤く、切に問い、苦学を重ねてきた結果である。

だから孔子は、漆雕開は立派である、と喜んだ。

 

孔子の教えが机上の空論で、漆雕開が口舌の徒であったならば、このような堅固な生き方はできない。

近く思うことが篤ければ、自然と地道にやることになる。身の丈に合わないことは考えない、やらない。できることを考える、実行する。机上の空論にはならない。

 

学問の足らない者が、早々に出仕を考えたり、天下国家を論じたり、人をむやみに批判したりするなら、それは「近く思う」の姿勢に欠ける。これは机上の空論である。

切に問う姿勢があれば机上の空論は避けられる。博く学び、切に問うて近く思うなら、身の丈にあっただけの考え・行いになる。机上の空論は避けられる。

 

3-5.秀吉も同じ

こういう例は歴史上いくらもあるのできりがない。しかし、古い中国の話ばかりでなく、比較的近い日本の話も一応お話しする。

まず思い浮かぶのは秀吉。近く思うということに関して、秀吉は徹底した人物であったと思う。

 

秀吉は卑賤の身に生まれた。それがために、他の武将から軽く見られて、出世するにも随分苦労した。

才覚もあり大志もあった。しかし、卑賤の身に生まれた自分の立場をよく考え、近く思い、自分にできることを真面目にやった。

「卑賤われ」を近く思えば、草履取りでもなんでもやるべきだと思ったから、何でも一生懸命に努めた。

 

もし秀吉が近く思うことせず、卑賤なる身の丈に合わないことばかり求めていたら、果たしてどうなったか。

自分の志はこんなところにはない、もっと大きいことができる才覚もある、草履取りなどやってられるか。そんな風に考えていたら、信長に見いだされることもなく、他の武将に潰され、後に大きな仕事もできなかっただろう。

 

これは秀吉の偉いところである。

 

4.仁其の中に在り

子夏の言葉は、「仁其の中に在り」を以て結ぶ。

これは、

「志を篤くして博く学び、切に問うて近く思う。そうすれば机上の空論にはならない。ゆえに仁其の中に在り」

ということだ。

机上の空論でなければ仁である。これも順を追って考えると良く分かる。

 

4-1.博学と活殺

まず博学といっても、君子の博学と、小才子の博学がある。

 

君子は、博く学んだ学問を十分に活かす。切に問うて近く思い、実践していく。小さな行いはもとより、大きな行いにもなる。

博学を用いて事業を大きくしたり、人を善く導いたり、まあ色々なことに活かしていく。博学を以て生み成すものがある。仁は生成の徳であるから、博学をこのように活かすなら、即、仁である。

君子は仁でなければならない。君子の学問も当然仁であるべきだ。博く学んで、活かし、生み成すところがあるべきだ。

 

小才子の博学は、これを活かす方ではなく殺す方へ用いる。

博く学んだものを駆使して、我が利益を図る。人を陥れたり、君の明を晦ましたり、色々な悪事を働く。このように博学を使えば、即、不仁である。

 

同じ博学でも、使う人によって活にも殺にもなる。

刀でいっても、活人剣と殺人剣がある。刀を使う者の心によって、活と殺とが分かれてくる。同じ剣でも、仁者の剣は活人剣、不仁者の剣は殺人剣。

学問も似た所がある。同じように博く学んでも、仁者が使えば人を活かし、不仁者が使えば人を殺す。

 

4-2.仁も不仁も志に由る

君子の博学と小才子の博学の決定的な違いは、志にある。博く学ぶだけではなく、志を正しく篤くすることが重要となる。

志は心差しで、心が差し向うところである。心が正しい方へ向いているのを、志が正しいという。

同時に志が深くなければいけない。浅ければ、最初は正しい方を向いていても、困難に直面した場合に別の方を向いてしまう。志を枉げてしまう。

小人窮すれば斯に濫る。博学の小才子は、目の前の困難から逃れるために策を弄する。

「濫」とは道に外れること。学問が博いだけに策謀も上手いが、それで道を枉げる。

子夏の曰う「博く学んで」までは良かったが、志が悪いために道を枉げる結果となる。

博く学び、普段は云うことが立派だが、窮すれば濫る。これでは、「口舌の徒」の謗りを免れない。

 

4-3.子路の志、切なる問い

その点、子路という人はまことに志が篤かった。口舌の徒ではなかった。

孔子の高弟である以上、多くのことを博く学んだに違いない。その上、志が正しく篤かった。だから、博く学んで志を篤く、切に問うた。

 

陳蔡間で孔子たちが窮し、ほとんど餓死せんとしたとき、子路孔子に切に問うた。

君子亦た窮すること有るか。

正しい道を求め、博く学び、志も篤い。なぜこんな苦労をしなければならないのか。君子も窮することがありますか。

朋友も、自分も、敬愛する孔子までも死んでしまうかもしれない。そこで問うた。極めて切実な問いであった。

子路の切実な問いに、孔子がお答えになる。

お前は、仁者や智者は必ず人に信用され、窮することもないと思っているらしいが、そうではない。仁者が必ず信用されるなら、なぜ伯夷と叔斉は餓死したのだ。智者が必ず信用されるなら、なぜ比干は胸を割かれたのだ。

正しい道を歩んだからといって、いつもうまくいくものではない。人の幸不幸は時世によって左右されるからだ。

君子が学問を積み、道徳を磨き、よく考えて世に処したとしても、時世によっては報われないことがある。そんな人は古来いくらもいた。どうして私たちだけが困窮しないといえよう。

蘭という花は、森の奥深くで花を咲かせ、香気を放っている。蘭は、人に知られないからといって、香気を漂わせないことはない。君子も同じである。一生懸命が報われるかどうかに関係なく、学問し、道徳し、困窮しても節を曲げない。

(幸不幸に関係なく)学問道徳に努めるのは人間である。しかし、その人間の生死は天命である(報われるかどうかは問題ではないのだ)。

 

問いが切実であったから、子路は深く悟った。自分は小人であったと恥じた。子路は勇をもって任じていたが、窮して一切濫れぬ孔子の大勇を目の当たりにして、自分の勇はまことに小さかったと恥じた。

後に子路は衛で内乱に巻き込まれて命を落とした。事の推移から考えて、多勢に無勢であったろう。窮地に陥ったが、濫ることはなかった。死ぬ間際、冠の紐を斬られた子路は、冠を正し礼を正した。「冠を正す」という、極く近きを思い、正々堂々と殺された。

陳蔡に窮し、切に問うて、君子と小人の違い、誠の勇気を深く悟った。切に問うて近く思い、最期の瞬間まで学問道徳に励んだ。実践して已まなかった。

子路は口舌の徒ではなかった。子路を鍛えた孔夫子の教えは、机上の空論ではなかった。

 

子路の人生には迫力がある。体温や息遣いをリアルに感じる。鮮血淋漓、斬れば血が滴るような、そんな思いがするのは子路だけである。だから子路は、私にとって特別な人である。

子路を思えば、儒学が机上の空論ではないことが分かる。机上の空論、口舌の徒にならないためにはどうすべきか、それも分かる。

切に問うて近く思うとはどういうことか、これも分かる。

 

子路の切なる問いは、孔子から切なる教えを引き出した。子路が、後世儒学を学ぶ者にどれだけの恩恵をもたらしたか。私自身、子路によって啓発されることが非常に多い。

子路がいたから、孔子の教えが無味乾燥な空論ではないと分かる。孔子の教えが今も瑞々しく感じられる。ここに子路の生成の徳、仁をみる。

 

博く学びて篤く志し、切に問いて近く思い、一生涯を学問に捧げた子路。仁其の中に在り。