論語には、一般にもよく知られる言葉が少なくない。
以下の為政篇の章句もその一つである。
子曰く、
由 、女 に之を知るを誨 へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。
この章句について質問も受けたので、今回はこれを取り上げる。
子路の性格
この章句を理解する前提として、
子路といえば、孔門三千人の弟子の中で、最も忠勇に優れた人であった。
『孔子家語』の七十二弟子解には、こう書かれている。
仲由 は弁 人、字 は子路。一の字は季路 。孔子より少 きこと九歳。勇力才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、鄙 にして変通 に達せず。(仲由は魯の弁の人、字は子路といった。また季路という字もあった。勇気があって力に優れ、才能もあって武芸に長けた。政事で名を成した。人と為りは果敢・猛烈、真っ正直であった。しかし剛に過ぎて洗練されておらず、物事の裏と表の変化に疎かった。)
孔子の誨え
子曰く、由、女に之を知るを誨へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。
「誨える」とは
「由よ、お前にひとつ『知る』ということを誨えてやろう」
ここは「教える」ではなく「誨える」である。
「
「ああせよ」「こうせよ」「それはこうである」という直接的な指導ではなく、相手が悟るように引き立てるのが「誨」である。
孔子は超一流の教育者であった。弟子の性格、長所と短所、学問の程度などに応じて色々に教えるのが上手であった。
子路に教えるときにも、子路の性格に沿って教えている。子路は武芸を好んだから、武芸に例えた教えもある。
知っていることは知っている
孔子はまず仰る。
「之を知るを之を知ると為せ」
お前が知っていることは、知っているとするがよい。
子路は性格の強い人だから、自分の知っていることであれば強く主張したことだろう。
それはよい、知っていることなのだから知っているとして良い。
知ったかぶりを叱られる
しかし、子路は早合点することも多かった。
また、負けん気が強い人であったから、本当に知らないことまで知っているとして人に押し付けることもあっただろう。
「もし衛の君が先生に国政を任せたら、まず何からなさいますか」
「第一に名を正そう」
詳細は別の機会に書くとして、子路にはこれが
「先生は迂遠です。今日、もっと優先すべきことがあるでしょう。名を正す必要がありますか」
子路の意見は、「名分」というものがいかに重要であるか、なぜそれを第一に正すべきかを知らないための言である。
子路は、それよりもすぐにやるべきことがあると思っていた。先生はそれをご存じない、迂遠でござる。
孔子は厳しく叱った。
野 なるかな由や。君子は其の知らざる所に於いて蓋闕如 たり。
野は田舎者、転じて道理が分からない、道に達しない者のこと。
由よ、お前はなんと野卑なのだ。そんなことでは、名分を正す重要性など到底分かるまいな。
君子たる者は、自分の知らないことは口にしないものだ。いい加減なことは言わぬものだ。
ここを朱子は「
蓋闕如で「分からないことにはフタをしたように、強くとどめておくこと」となる。
孔子は子路を、「いい加減なことを言うな。知らないことは蓋闕如で通せ」と戒めた。
特に、このやり取りは衛の継承問題に関することであった。ひとつ間違えば命を落とす問題である。
そこで知ったかぶりをするなど、軽率この上ない。蓋闕如でなければ危ない。
実際、子路はこの政争に巻き込まれて命を落とすことになる。
通常、「知らざるを知らずと為せ」の章句は「知ったかぶりをするな」といった程度のものだが、子路の死を合わせて考えると、「お前はその知ったかぶりで死ぬかもしれぬ」という、非常に重い戒めであったのかもしれない。
知らざるを知らずと為せ
知らないこと、分らないことについていい加減なことを言う。これは、「知らざるを知ると為す」ということである。子路にはこの弊があった。
そこで、「知らざるを知らずと為せ」
ここがこの章句の眼目である。
子路は剛に過ぎ、負けず嫌いで、せっかちなところがあった。
早合点して決めつけ、押し付け、よく知らないことでも堂々と主張することがあったのだろうと思う。
負けず嫌いは結構だが、過ぎれば短所となる。
子路の場合、それで命を落としかねない危うさがあった。
何事でも、負けまいとしすぎるのはいけない。負けるべき場合には、さっさと負けてしまうことだ。
知らないことを知っているとして力押しにする、そんな負けを知らない態度では甚だ良くない。そこは素直に「知らない」として教えを乞うのが正しい。
子路にはそういうバランスが欠けていたから、孔子は誨えたのだと思う。
仲尼閑居して子路侍せり
蓋闕如の教えは深刻だが、「知らざるを知らずと為せ」については、なにかのんびりしている時にでも語ったように思われる。
孝経の冒頭、「
孔子が自宅で特に用事もなくのんびりしておられた。曾子がそばにいた。
曾子は孝行の人であり、孔子も高く評価された。そんな曾子の人柄を見込んで、この弟子こそ孝の真髄を伝えるべきと思い、孝について語られた。
孔子と弟子のやり取りは、このような形で行われることも多かったのではないか。
仲尼閑居して子路侍せり。子曰く、由、女に之を知るを誨へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。
孔子がゆっくりしておられた。子路がそばにいた。孔子は良い機会だと思い、子路に「知る」ということについて誨えた。
これは私の勝手な妄想で、関係のないことだが、ついでに申しておく。
健全な学問のために
知らないことを知っているとする、いわゆる「知ったかぶり」をすることの弊害は何か。それは、健全な学問ができなくなることだ。
知らないことを認めない。これは反省がないということだ。反省がなければ学問は進まない。
ほとんどの人は、子路ほど性格の剛くない。今の時代、知ったかぶりで命を落とすこともない。
しかし、知っていることは知っている、知らないことは知らない、そう振舞うことが大切である。
知らないことは、なんとなく恥ずかしく思われる。
だから、知らないことも知っているように振舞う。
知らないことは知らないという。これは単純なことに思えて、徹底するのはなかなか難しいことと思う。
蓋闕如、これはもっと難しい。
知らないことを知らないとせず、知った気になると安易な発言が多くなる。蓋闕如でいられない。
知らざるを知らずと為さず、日常的に知ったかぶりをしていると、やがて知っていることと知らないことの境界が分からなくなる。
そういう錯乱状態に陥る恐れがあるのだから、知らざるを知らずと為すは大変重要なことである。
質問への回答
さて、この章句について以下の質問をいただいた。
論語古義は読んでいないので、仁斎先生の言葉の全体が分からない。どんな文脈で仰ったのかも知らない。
「知らざるを知らずと為せ」の章句とのつながりも、いまひとつわからない。
回答後、該当箇所の解説を見せていただいたところ、仁斎先生の仰っているのは、
・「知る」とは必要なものを「知る」ことである
・世の中のことを知り尽くすことはできないのに、必要のないことまで知ろうとするのは「物好き」「度外れ」である
との意味であった。
質問者は、四書五経を知ろうとする自分を「物好き」「度外れ」としているが、この認識がそもそも間違いと思う。
四書五経を知ることは、知り尽くせないことを知ろうとすることではなく、必要なことを知ろうとするのである。したがって「物好き」「度外れ」の類ではない。
もし、四書五経を知る自分を「物好き」「度外れ」と思うならば、それは「四書五経は知りつくせないもの」「それを知ろうとするのは必要以上の知的欲求であり、物好き・度外れ」ということになりってしまう。
「物好き」「度外れ」では、儒学が趣味的学問に堕する。趣味的学問が自分を磨く役に立つか、甚だ疑問である。むしろ非常にまずい考え方ではないかと思う。
四書五経を知ることは「物好き」「度外れ」ではなく、「物好き」「度外れ」では四書五経を知ることは不可能と思う。
質問者は、儒学を良き教えであると思い、それを知ることを好んでいるに違いない。
しかし同時に、現代を生きていくうえでの重要性を掴みかねており、多かれ少なかれ「現代にミスマッチなもの」といった感じを抱いているのではないか。
一冊ずつ時間をかけて、着実に取り組むのが良いと思います。