周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

論語記事まとめ

無計画に、思うままに記事を書いているが、論語をよく引き合いに出している。

今後も、論語を様々に引用しながら記事を書いていくことと思う。

しかし、論語に記載されている順番に沿ったものではなく、いずれ整理がつかなくなるだろう。

 

私にとっても、読む人にとっても見やすくなると思うので、随時ここにまとめていきたい。

 

 

 

学而第一

1.学びて時に之を習う

孔子の理想とする「よろこび」とは - 噬嗑録


1-1 学びて時に之を習う

時習と喜び - 噬嗑録


1-2 朋有りて遠方より来る

「朋有りて遠方より来る」の戒め - 噬嗑録


4.曾子三省

理想的学徒 - 噬嗑録

日々どれくらい勉強すべきか - 噬嗑録


11.父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る

剣の呼吸で孝行す - 噬嗑録


14.君子は食飽くを求むること無く

好学考 - 噬嗑録


16.人の己を知らざるを患えず

腹中の書 壺中の天 - 噬嗑録


為政第二

6.孟武伯孝を問う

親の年齢を知る孝行 - 噬嗑録


12.君子は器ならず

弁才縦横、商才抜群、子貢は瑚璉なり - 噬嗑録


15.学んで思わざれば罔し、思いて学ばざれば殆うし

一陰一陽の応用 - 噬嗑録


16.異端は害なるのみ

異端を攻めよ - 噬嗑録


17.知らざるを知らずと為せ

知らざるを知らずと為せ - 噬嗑録


八佾第三

3.不仁ならば礼楽を如何せん

仁と礼楽 - 噬嗑録


5.夷狄の君有るは

夷狄の君有るは・・・ - 噬嗑録


14.周は二代に監みて、郁郁乎として文なるかな

弁才縦横、商才抜群、子貢は瑚璉なり - 噬嗑録


16.射は皮を主とせず

なぜ儒教では婚礼を重んじるか - 噬嗑録

 

17.告朔の餼羊

暦のはなし - 噬嗑録

 

25.韶は美を尽くせり

革命の是非 - 噬嗑録


里仁第四

3.唯仁者のみ能く人を好み悪む

性善説と性悪説 - 噬嗑録

性善説に関する追記 / 独学について思うこと - 噬嗑録


5.富と貴きとは人の欲するところ

富貴・貧賤・君子・小人 - 噬嗑録


7.民の過ちや、各々其の党に於いてす

DaiGoの騒動に思うこと - 噬嗑録


8.朝に道を聞かば

孔子の悲哀 - 噬嗑録

机上の空論に陥らぬために - 噬嗑録


9.悪衣悪食を恥ずる者は

悪衣悪食を恥ずる恥 - 噬嗑録


15.夫子の道は忠恕のみ

一以て之を貫く - 噬嗑録


21.父母の年を知るべし

親の年齢を知る孝行 - 噬嗑録


公冶長第五

1.子、公冶長を謂う

鳥の声を解した公冶長 - 噬嗑録


4.汝は器なり、瑚璉なり

弁才縦横、商才抜群、子貢は瑚璉なり - 噬嗑録


5.雍や仁にして佞ならず

仲弓の「南面の才」を作る三要素 - 噬嗑録


7.桴に乗りて海に浮ばん

夷狄の君有るは・・・ - 噬嗑録


9.宰予昼寝す

宰我昼寝考 - 噬嗑録


14.子路聞くこと有りて


雍也第六

1.雍や南面せしむべし

仲弓の「南面の才」を作る三要素 - 噬嗑録


2.顔回なる者有り。学を好み、怒りを遷さず、過ちを弐せず

怒りを遷さず、過ちを犯さず。亜聖・顔回の真骨頂 - 噬嗑録


9.賢なるかな回や

俚諺を儒学で解すると(1)果報は寝て待て - 噬嗑録


16.文質彬彬

儒学的文章についての覚書 - 噬嗑録

 

述而第七

12.斎・戦・疾を慎む

論語の建て前 - 噬嗑録


20.怪力乱神を語らず

論語の建て前 - 噬嗑録


泰伯第八

2.天下を三分して其の二を有ち

革命の是非 - 噬嗑録

 

7.死して後に已む

身内の死に思うこと - 噬嗑録

真面目考 - 噬嗑録


13.三年学んで穀に至らざるは

日々どれくらい勉強すべきか - 噬嗑録

 

21.舜に臣五人有り

革命の是非 - 噬嗑録

 

子罕第九

16.君子の道は川のごとし

無窮を考える - 噬嗑録


郷党第十

先進第十一

・季路鬼神に事ふることを問ふ

下学して上達す - 噬嗑録


・聞くがままに斯に諸を行はんか

下学して上達す - 噬嗑録


17.参や魯なり


25.子路・曾晳・冉有・公西華侍坐す

25-4.曾晳の志

腹中の書 壺中の天 - 噬嗑録


顔淵第十二

1.克己復礼

克己復礼にみる孔門の気骨 - 噬嗑録

礼とはなにか - 噬嗑録

性善説と性悪説 - 噬嗑録

性善説に関する追記 / 独学について思うこと - 噬嗑録


子路第十三

憲問第十四

10.或る人子産、子西、管仲を問う

鮮血淋漓の学問がしたい~古写本論語の重要性~ - 噬嗑録


21.何如なるを斯れ士と謂ふ可きか

「士」に関する問答 - 噬嗑録


・我を知ること莫きかな

下学して上達す - 噬嗑録


衛霊公第十五

1.君子固より窮す

報われない努力について - 噬嗑録

机上の空論に陥らぬために - 噬嗑録


季氏第十六

陽貨第十七

22.飽食終日

真面目考 - 噬嗑録


微子第十八

3.斉の景公、孔子を待ちて曰く

組織は人材をいかに遇するべきか~孔子が斉を去った理由~ - 噬嗑録


8.可もなく不可もなし

理想は「可もなく不可もなし」 - 噬嗑録


子張第十九

 

6.博く学びて篤く志す

机上の空論に陥らぬために - 噬嗑録

 

堯曰第二十

肩こって学問進む

曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。

跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。

立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。

こういう教えがあるから、儒教は小さなことをあれこれやかましい、窮屈であると思う人も多い。

しかし今日、立毋跛が含む教えが極めて大きいことを悟った。

 

1.潜在的な関心

ある文章を探して、礼記をパラパラとめくっていたら、立毋跛の三文字が目に入った。

なんとなしに読んでいても、ある文章、ある漢字、ある〇〇が殊更に目立って見えることがある。これは、自分が潜在的に意識していること、潜在的に必要と感じ欲していることが目立って見えるのである。

 

本屋で背表紙を眺めて、なんとなく惹かれるものがある。そういう本は、中身を見ずに買っても間違いが少ない。今の自分に必要な本は目立って見える。

目立って見えるものがなければ、自分に必要な本が並んでいないか、あるいは普段からの意識が低く、潜在的に欲するだけのものがないか、そのどちらかである。

 

不思議と目立って見える、惹かれる、そういうものを軽く考えるといけない。大切にして、しっかり注目するのが良い。

 

2.礼を考える

立毋跛、これは曲礼の最初の方に書かれていることで、私はすでに習慣化しているし、当たり前のことである。長い間注意して見ることがなかった。

しかし目に入った。何か得るものがあろうと思い、じっと考えてみた。

 

2-1.立毋跛はなぜ悪い

立毋跛、礼記ではこれを非礼として戒める。

なぜ非礼になるかといえば、立ち方が偏っているからだ。偏っている、中正でない、だから悪い。

しかしこれだけでは、跛が非礼であるとしても、なぜ悪いかよく分からない。偏って中正ではない、それがなぜ悪いか。これは簡単に理解できるものではない。

 

子供に教えるなら、分からせようとするほうが無理であるから、「ともかく非礼だからやるな」でよい。

しかし大人は、分からなければできない人が多い。「非礼だから」だけでは納得できない。窮屈、うるさいと感じる。

 

2-2.礼は敬なり

そもそも礼とは何か。色々な表現ができるが、普通に考えるなら「礼は敬なり」である。孝経には「礼は敬するのみ」とある。

また曲礼には「夫れ礼は自ら卑しくして人を尊ぶ」とある。

 

体用の別でいうと、礼は体、敬は用。礼が根本で、その表れとして敬がある。

礼と敬は別々のものではなく、礼があれば敬がある。

礼とは「心に慎みがあること」であり、心に慎みがあれば人を敬することにもなる。

 

また礼は理なり。理は筋目である。

人の考えることや行うことは色々だが、何事にも良き程度、筋目というものがある。中庸なるところがある。礼があり、理に順うならば、考えることや行うこと、万事正しくなる。

仁義を行うにも、間違いがなくなる。仁とは愛すること。しかし親へと他人を同じように愛するのは仁ではない。墨子の兼愛は不仁である。

礼を以て節するならば、このような不仁を防ぐことができる。

 

礼があれば節を越えない。

節は節度。何事にもルールがある。これ以上は越えてはならぬという規律がある。それを守ることが節である。

親を10愛し、他人も10愛するならば、他人に対して仁が過ぎる。節を越えている。他人にも色々だが、品に応じて、例えば5愛すべきものは5愛する。

礼を以て節する。品に応じて程よく行う。これで、仁義が却って不仁や不義になることを防げる。

 

2-3.礼と法の違い

この「防ぐ」ということが重要だ。

礼は防也。礼を以て、理に順い、節するならば過不及なく程よきところを得る。過不及あって間違いが生じるところを、礼を以て防ぐ。

 

「防ぐ」というと「法」のイメージがある。法による抑止力を思わせる。しかし礼と法は似て非なるものである。

 

礼は事前に防ぐ。慎んで理に順い、過不及なく、間違いが起こらないように努める。

目に見える間違いが起こらない。目に見えないから、礼の効果は小さく思われるが、実際の益は極く大きい。

間違いを起こさず、徳を損なうことなく、日々善に進んで、粛々と徳を積むことができる。

 

法は事後に防ぐ。慎みなく、理に順わず、過ぎたる過ちや及ばざる過ちが起きる。既に過ちが起きた後、その罪の程度に応じて罰する。刑罰で戒め、再犯を防ごうとする。

実際に間違いを起こし、刑罰を受けている。目に見えるから、効果も大きいように見える。

しかし、間違いを起こせば徳を損なう。善に進んで徳を積むことが難しくなる。礼に比べると法の益は極く小さい。

 

2-4.為政篇に曰く

だから孔子も仰る。

之を斉ふるに刑を以てすれば、民免れて恥づることなし。

之を斉ふるに礼を以てすれば、恥づる有りて且つ格る。

刑法で正そうとすれば、人民に恥がなくなる。法の抜け道を探して刑罰を免れようとしたり、悪いことをして捕まっても「まあ棒叩き何回で大丈夫」などと考えたりする。罪を犯すことそのものに対し、何ら恥じることがなくなる。

いくら法を整えても、却って犯罪が増えたり、悪質になったりする。老子の言葉にも「法令益々明らかにして盗賊多し」とある。

 

礼を以て正すならば、人民は罪を犯すことそのものを恥じるようになる。

 

2-5.日常の心掛け

礼を重んじる。心に慎みがあり、理に順い、邪を防ぐ。

しかし、ただ頭で「慎しもう」「理に順うべし」「邪を防ぐべし」と言っても何にもならない。

常日頃から心掛けて慎むことが大切で、だから礼儀三百威儀三千というような細かな教えを守って、慎みを習慣化するのである。

 

まず教えるのが飲食の礼。礼の始めは飲食にありとする。曲礼には飲食の礼が細かく書かれている。飲食のほかにも、立ち方、座り方、その他色々な日常の行動を通して礼を学ぶ。小さな礼を積み重ね、我が身に体し、常に慎むところに至る。

 

2-6.君子は独りを慎む

常に慎むとはどういうことか。

礼記の少儀に曰く、

虚を執れども盈を執るが如く、虚に入れども人あるが如くす。

空っぽの器を持っても、いっぱいに入っているように慎んでに扱う。

人のいない部屋に入っても、人がいるように慎んで振舞う。

大学にも「君子は独りを慎む」とある。常に慎む、いつでも慎む、独りでも慎む。

常に慎みを失わないとは、こういうことをいう。

 

2-7.立毋跛が含むもの

最近、マナー講座のようなものが流行っているという。それも悪いとは言わないが、マナーのためにマナーを身につけるのは、儒学の礼とは違う。儒学の礼は、そんなつまらないものではない。

常に心に慎みがあり、いつでも過不及なく中庸で、邪を防ぎ、克己復礼で仁を得る。儒学の礼ではこれを目指す。立毋跛、正しく立つのも道のためである。

 

立毋跛は単に「正しい立ち方」を教えるものではない。この三文字で「礼の宇宙」とでもいうような、非常に大きいものを含んでいる。表面的に見ると、小さく、うるさく、窮屈な教えと感じるが、なかなかどうしてそんなものではない。

立毋跛に限らず、礼に関する一つ一つの教えが、全て大きな礼を含んでいる。

 

3.肩こりを考える

前置きが長くなった。ここからが本題。

 

立毋跛について改めて色々考えて、上記のようなこともつらつらと思い、やはり立毋跛は悪い、心の偏りも悪いが、身体の偏りも同じく悪い…

そんな風に考えていくと、普段、筆写する時の姿勢に思い至った。

 

3-1.肩こりの原因

長い間、右肩の痛みに悩まされてきた。常時痛むのではないから「肩こり」といえるかどうかわからないが、筆写すると痛む。

筆写自体、負担の大きい方法であるから、それを続ける以上は仕方のないこととして受け入れてきた。

 

私は、人からも姿勢が良いと言われる。立つにも座るにもシャンとする。しかし筆写の時に限っては長年の習慣で右に大きく傾く。

なぜこんな姿勢になったかといえば、筆写する時に眼鏡を外したことによる。

私は極度の近眼で、眼鏡をはずすと10㎝くらいの距離でないと文字が読めない。

だから眼鏡をはずして勉強した。眼鏡をはずすと、目の前の文字のほか、周りのものは何も見えなくなる。何も見えないから、集中力を保ちやすい。

周りが見えると、例えばスマホが光れば気づく。誰か連絡してきた。気づかなければそれまでだが、気づいて無視するのは不義に思えて性に合わない。そこでスマホを手に取る。必要であれば連絡を返して、ついでに他も確認する。

これで集中力が切れるわけだが、眼鏡をはずしておけば、そんなことはない。

 

筆写するとき、本は体の正面、ノートは右手。

本を読むときは、机にうつぶせるような恰好で顔を近づけて読む。

書く時は、身体を大きく右に傾け、ノートに顔を近づけて書く。

そんなことを続けていたら、眼鏡をかけて勉強するときにも同じような姿勢になった。数時間もやると肩がひどく痛んで、集中力を欠くのが悩みになった。

 

3-2.陰陽理而後和

肩こりの原因は明らかだが、今更矯正したところで治るものか。そう思って悪い姿勢で続けてきた。

しかし立毋跛、立つときに偏ると悪い。座るときに偏るのも悪い。ものを書くにも偏るは悪い。

 

姿勢を改めることで肩こりも治るのではないか。

礼があれば、万事正しくして治まる。儒学ではそう教える。その通りであれば肩こりも治らねばおかしい。

 

周茂叔、これは明道先生のそのまた先生であるが、この先生曰く、

陰陽理而後和(陰陽は理ありて後に和らぐ)

陰陽の二気に理があれば(陰も陽も過不及なく、理に順って正しく流行するならば)、結果として和らぐ。

「和」は和順で、程よくなること。天地のめぐりで言えば、陰陽に理あり、流行正しく、四季が間違いなく春夏秋冬でめぐるというようなもの。

人間として礼を正す。心に慎みがあって、乱れることなく、理を得て和順。これで人の道が天の道に適う。人として為すべき行いを、四時のめぐるように間違いなく行うことができる。

 

立毋跛。偏ることなく正しく立つ。陰陽理而後和。

筆写するにも、偏ることなく正しい姿勢で取り組んで、陰陽理而後和。

偏ったおかしな姿勢は礼ではない。理に中らない。陰陽理に中らねば和することもない。陰陽二気正しくめぐることなく、学ぶ上で色々な不都合が出てくる。

その小さな表れとして、肩が痛くなる。姿勢が悪いから、非礼で理に中らぬから、陰陽二気正しくめぐらず、不和が生じて痛みも出てくる。他にも自覚していないだけで、別のところで悪いことが起こっているだろう。姿勢が悪いと内臓を悪くするという。

東洋医学では、気のめぐりというものを非常に重く見る。気のめぐりが悪いと疲れや痛みや病が出てくる。姿勢が悪く、陰陽二気の流行正しからざれば、肩や腰や首に痛みが出るのが道理である。

根本通明先生も、陰陽をよく考えて生活するなら、健康を損なうことはないと仰った。そして実際、晩年まで視力は衰えず、足腰もしっかりと、健康そのものであった。

 

3-3.正しい姿勢とは

ゆえに、姿勢を正すことで肩の痛みもなくなるに違いないと、そう考えた。

ものを書く時の正しい姿勢とはどんなものか。

調べてみると、トンボの公式サイトが分かりやすかった。

tombow-ippo.jp

小学生のころ、こんなことを学校で教わった気がする。

しかし強制ではないし、文字が書ければ何でもいいだろうと思って、別に意識したことはなかった。

 

過ちは改めるべし。姿勢が悪ければ正すべし。これに沿って、真面目に改めた。

長年の習慣で、油断すると体が傾く。それを防ぐために、手を置く場所、座った時にヘソが来る位置、椅子の高さなどなど、机に修正液で印をつけたり、下敷きをセロテープで固定したり、色々工夫をした。

2時間ほど微調整を続け、ひとつの形を作った。

 

3-4.肩は痛まず集中力増す

実際に筆写してみると、慣れない姿勢でやるから疲れる。

しかしこれは身体的な疲れではなく、精神的な疲れである。しばらく書くうちに慣れた。

5時間ほど筆写を続けたが、肩がいつものように痛くならず、これには驚いた。

集中力も格段に増した。

もともと集中力はある方だが、肩が痛くなるとそれを発揮できない。痛みに気を取られるし、立ち上がってストレッチすることも増える。そのたびに中断するのだから、集中の続くはずがない。

しかし姿勢を正して5時間、これが一度もなかった。本来の集中力を保って、大いに学ぶことが出来た。

 

陰陽二気正しく流行して和順行はる。これで集中力が続くのは当然のことだ。

陰と陽が和すると、争いが起こらず、歪みが生じることなく、うまくめぐる。

君子と小人が和すると、天下はうまく治まる。小人を儘くやっつけるようなのは、却って乱れのもとである。

 

一人の人間においても、陰陽が正しく流れて和するなら、何事もうまくいく。

心がぴちぴちとして隙が無い。為すべきことを正しく為せる。我が為すべき学問を、長い時間でも集中力を損なうことなく、しっかりやれる。

陰陽和せざれば、心は脆く、容易に隙が生じる。休みたい、怠けたい、肩が痛いからちょっと休憩。そういう気分が入り込んで集中力を損なう。

陰陽理而後和、姿勢が正しければ、肩も痛くならないし集中もできるのが道理だ。

 

5.肩こって学問進む

五常としての礼は大きい。立ち方や座り方などの日常の礼は小さい。しかし、どちらも礼の話である。

礼を大きく捉えると、それを実践するのは難しいし、礼の功を実感することも難しい。

しかし小さな礼を大切にして、日常で色々工夫してみると、礼の功を様々な形で実感できる。肩が良くなることも、そのひとつである。

 

一見つまらないことだが、そこに陰陽の理が確かにあり、我が身をもって体験できるのだから、その益はまことに大きい。陰陽という、なんだかよく分からない空気のようなものが、我が身で分かるのである。

儒教の理想は高尚なだけに、日常のつまらないことをなんとなく軽視しがちだ。それでは慎みがない。礼もない。

礼あって理に中れば万事調うが、礼なくして理に中らざれば万事乱れる。当然、肩も痛くなるし、勉強にも不都合が出るというわけ。

 

なんでもないようなことが、実は極めて大切。東洋の学問にはそれが多い。

白露の己が姿をそのままに紅葉に置けば紅の玉

一休さんの歌である。一滴の水に「空」を見るような学問をしたい。

 

学んで考えるのが学問だ。学んで、考えて、それで耳目聡明。物事を正しく見ることができ、正しく聞くことができ、正しく捉えることができる。そうなるために、学ぶのはあくまでも前提にすぎない。考えることのほうが一層重要だ。

 

今日、肩こりに陰陽を見ることができた。

考えるとはどういうことか、どれだけ重いか。少しだけわかった。

机上の空論に陥らぬために

先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。

孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。

しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢いる。

実践を重んじる学問をやって、机上の空論で終わってしまう。これはなぜであろう。色々考えてみた。

 

 

1.なぜ机上の空論になるか

論語子張篇。子夏が仰る。

ひろく学びて篤く志す。

切に問ひて近く思ふ。

仁其の中に在り。

この章句は、広い方(博く学ぶ)と狭い方(近く思う)を同時に述べている。

ただし、これはどちらか一方を重く見たものではない。どちらも同様に重く見たものであり、もっといえば学問の順序を述べたものである。

この章句を考えていくと、なぜ机上の空論に陥るのか、またどうすれば机上の空論に陥らずに済むか、それがよくわかる。

 

まず、学問は博くするが良い。このとき、志が篤くなければならない。

志が篤ければ、学問への取り組み方も熱心になる。博く学ぶに熱心であれば、学んだことに色々な疑問が起こってくる。

疑問が起こるから、切実に問うことにもなる。切実に問うて、疑いを解いて学問が深まってゆく。博く浅い学問に陥らず、深くすることができる。

深くなるということは、そのことを本当に良く理解しているということであって、だからこそ自分の身に充てて考えることもできる。自分の身に充ててこそ、初めて実践も可能になってくる。

良いことを学んでも十分に実践できない。それは、理解が足らないからである。頭では理解できるが実際はどうすべきか分からない。深くないから実践できない。

深くないのは、切に問うところがないからだ。それは大して疑問を持たないからだ。これは志が正しくないからだ。それでは博く学んだところで机上の空論に終わる。

 

2.小を積んで大を成す

博く学ぶ。これは、殊更に博さを求めて学ぶのではない。小さい所から地道に積み重ねて、結果的に博くなるのを目指す。小を積んで大を成す。

なんでも、小さい範囲を丁寧に修めて、それを繰り返して段々に博くなるのが良い。

 

全体を掴むことが目的であれば、小さな所にこだわる必要はない。

しかし儒学は、全体を掴むことが目的ではない。体系化された理論を表面的に学ぶことが目的ではない。小さなところから丁寧に十分に学び、実践を通して修めるものである。

 

2-1.土地を知るには

ある土地を知るために、地図を見て把握するか、あるいは現地を歩き回って知るか。そんな違いに似ている。

地図に表示される川は、髪の毛ほどの細い線に過ぎない。地図で見れば何でもないが、実際に現地へ行くととても渡れない激流。そんなことがいくらでもある。

あるいは、地図で見れば米粒ほどの沢がある。これも実際に行ってみると迚も横切ることができず、大きく迂回しなければならない。そんなことがいくらもある。

地図に表れない情報もある。その地域の気候や風土などは、現地を体験しなければわからない。

 

2-2.地図だけで考えると間違う

その土地の表面的な情報を収集するなら、地図を見ればよい。そちらのほうが効率が良く、「木を見て森を見ず」の間違いも少ない。

しかし、そこに深く関わっていくならば、現地の詳細な情報が必要となる。

戦争なんか、まさにそうだ。地図を見ただけで実際の地形を知らず、それで攻め込めばどうなるか。大変な苦労を強いられる。

太平洋戦争の末期、日本軍は悲惨な状況に陥った。私の伯祖父もインパールで亡くなった。これは上層部に、地図だけを見て作戦を立てるような人間が多かったからである。

 

2-3.地道に歩き回る

学問においても、地図だけを見るような学問をして、それで「博く学んだ」というなら大きな間違いである。

現地を歩き回るような、そういう地道な学問をしなければならない。

歩き回るには労力がいる。さほど博く学べないかもしれない。それでも、歩き回っただけの地域については熟知している。地図を見て世界を知ったような気分になるより、はるかに実践的だ。

 

2-4.土地を知る順序

現地を歩き回るのは根気がいる。志が篤くなければいけない。

志があり、十分に歩き回るから疑問も出てくるのだ。

山道を歩いてみたら、土砂崩れで道がなくなっていた。先へ進むにはどうすればいい。迂回路はあるか。

どの程度の雨で道がなくなるのか。先日の雨ではA地点の道がふさがれた。その倍の降水量ならどの道が危ないか。色々疑問が出てくる。

そこで問う。現地の猟師や樵に切に問うて疑問を解消する。北条早雲が伊豆討ち入りも、現地をよく知る杣人に切に問うて作戦を練ったという。

そして近く思う。その地域に攻め込むとして、どのように攻め込むのが最も良いか。自軍の規模や装備や練度などに照らして考える。兵隊が多ければ輜重も多いから、安全で距離も短い道を選ぼう。この時期、この地域では土砂崩れが起きやすいから工兵を増やそう。我が軍という身近なところで考えていく。

 

学問も同じように取り組む。

子夏が云ったのは、こういうことであろうと思う。

 

3.机上の空論を避けるには

机上の空論を避けるには、博く学ぶこと、志が篤いこと、切に問うこと、近く思うこと、この順序で進める。

どれも欠かせないが、特に難しいのは「切に問う」ではないかと私は思う。

 

3-1.「切に問う」とは

「切に」は、「切実に」ということ。

「問う」というからには、その前提に疑問がなければならない。疑問がある、それを知りたいと思う、ゆえに問う。

このとき、いかに切なる思いで問うか。これが非常に重いのではないか。

「問う」にも色々で、興味次第手当たり次第に何でも軽々しく問うものもあれば、ひたすらに深く切込んで問うものもある。

切実であればあるほど、深く切込んで問うことになる。それによって得た理解は極く深い。これまでに博く学んだものと関連付けて考えやすいし、これまでの間違いにも気づきやすい。記憶にも残りやすく、日常の心掛けにもなりやすい。

 

問うは問うでも、あまり切実でない場合には、大して理解が深まることもない。

同じようなことを別の言葉で何度も問う。ある教えと別の教えを紐づけて考えることができない。そんなことになりやすい。

これでは、博く学んだものを「約する」ということにはならない。切に問うて深く理解するから、博く学んだものにまとまりを付けることができる。

 

3-2.司馬遷曰く

司馬遷の言葉。

夫れ学は載籍極めて博けれども、猶ほ信を六芸に考ふ。

学問するには、たくさんの書物を読む。例えば諸子百家の様々な本を読む。学ぶところは極く博い。

博く学べば、中には邪説もあろうし、考えの浅い説もあろう。迷いも出てくる。

そこで、博く学んだものを六経に照らして考え、取捨選択し、まとまりを付けるのが良い。

 

博く学んで疑いが起こる。そこで問う。六経に切に問う。これで約する。

約するから実践できる。机上の空論にならない。だから「切に問う」ということがまことに重い。

 

3-3.切に問うた孔夫子

「切に問う」の例は色々あるが、孔子は切に問うた人であったと思う。

子曰く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。

この章句の解釈はいくつかあるが、「道を聞く(得る)ことができたら、もう死んで良い」と解することが多い。

これは極めて切実な姿勢といえる。十五で道に志し、何十年と血を吐く思いで切に問うてきた。一筋の道を求め求めて、朝に道を聞いたならばもうそれで死んでよい。

 

そもそも儒学の目的とは何であるか、極く根本的なところを考えると、「天にまつらふ」に尽きる。

人間は天徳を稟けて生まれる。我が身に天徳を存する。天の徳は生成の徳、人間においては仁。仁を得て、仁を施し、この世に何らかの益もある。これは天が万物を生み成すところと同じい。人間の生き方として、これほど良いものはない。儒学ではそう考える。

天の徳を我が徳として生きる。天を戴いて生きる、天に服うて生きる、言い方は色々だがどれも同じことだ。

 

親に孝行する、不幸な人をかわいそうに思う、動物や植物の命を愛おしむ。ほかにも色々だが、儒学ではこういったことを重んじる。なぜこれらが重いかといえば、天がそうだからである。天の生成の理から言えば、それが普通だからである。

天徳を受けた人間われとしても、親には孝行する、命を大切にする。それで天道に服ふ。天道を我が道として生きるのだから、人間われの道、われの人道は天道と一致する。

道を求めるとは、こういうことである。人間われの道を、天の道と一致させることを求めるのである。

 

もちろんこれは難しい。難しいから切実に求める。切に問い、苦労を重ね、ようやくにして道を得た。朝に道を聞いた。人間われの道と天の道と一致した。これはもう、死んでも構わぬ。

 

教えを聞く、真理の言葉が耳に入ってくるという意味で「朝に道を聞けば」とするなら、それだけでは迚も死ねない。弟子が孔子から教えを聞いた、道を聞いた、それだけで夕べに死ねるかと言えば、迚も死ねない。孔子が仰るのは、そんな軽いことではない。

ただ聞いただけでは道を得ることはできない。「朝に道を聞く」というのは、長い間切に問うて已まず、ある朝突如として廓然大悟、それでもう悔いはないというような、そういう重い言葉である。

 

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。これを「一旦道を得たならば」の意味に解するならば、人間われの道と天の道が一致したる所を以て「道を得た」とするのが正しかろうと、私は思う。

 

3-4.切に問うて近く思ふ

「切に問ふ」という言葉は、非常に重い。

孔子の態度は、切に問うの至極であろう。我々は、なかなかここまで切に問うことができない。それでも、「切に」ということの重さを考えたい。

学問は小さい所から地道に積み重ねていく。それでだんだんと学問が博くなってくる。

志を篤く、熱心に取り組むのだから、疑問の起こらないはずがない。疑問が起これば切に問う。

 

誰に問うか。

これは人によって様々で、師がいれば師に問う。自分より学問の進んだ朋友がいればそれに問う。師や朋友がいなければ書に問う。司馬遷の云うように経書に問う。

深く切込んで問うてみれば、疑いが解けてくる。疑いが解けるまで切に問うなら、必ずそうなる。

 

切に問うて疑問が解けた。理解がぐんと深まった。考えが随分良くなった。

そこで近く思う。「近く」とは、自分にとって近い所である。身近なところで考えてみる。

例えば、切に問うて理解したものを、自分と親兄弟との関係において考える。

 

3-5.漆雕開の話

近く思うにも色々だ。自分と身近な人の関係に照らして考えることもあれば、自分一個に照らして考えることもある。自分の立場や実力に照らして考える。

 

論語にもこんな話がある。公冶長篇の章句。

子、漆雕開しっちょうかいをして仕へしむ。対へて曰く、吾れ斯れを之れ未だ信ずる能はず。子、よろこぶ。

孔門には貧乏な人が多かった。子貢は史記の貨殖列伝にも出てくるような大金持ちだったが、多くの人は貧しかった。漆雕開もその一人である。

孔門では貧乏を問題にしないが、実際には貧乏すると苦労が多い。自分自身は学問しておればよいが、親や妻子は別問題。貧しくて親を養えなかったり、家庭がうまく行かなかったりするのは辛い。

 

詩経にもそういう歌がある。

君子は、国に道があれば仕えて大臣にもなるが、国に道がなければ隠れてしまう。あるいはつまらぬ仕事について糊口をしのぐ。

道なき国でつまらぬ仕事に就いた君子が、貧乏のため妻に責められ、子は泣き、親にも不自由させて辛い。邶風はいふうの北門は、そういう歌である。

 

道を得た者は困窮しても志を枉げない、却って苦難を楽しむような所がある。

孔子はそのように弟子を励ますことはあったが、貧乏を肯定したわけではない。「貧乏すれば人は怨みを抱く」とも仰る。困窮する弟子には、出仕を勧めることもあった。

あるとき孔子は、漆雕開にも出仕を勧めた。漆雕開はそれを断った。曰く、

吾れ斯れを之れ未だ信ずる能はず。

「斯れ」は道徳のこと。ただし、孔子が教える道徳に対して不信感があるのではない。

ここの「信」は「信猶印」で、印鑑を以て判をつくように、学んだことをそのまま行いにすることである。つまり漆雕開が云うには、

「先生のもとで随分苦学してきましたが、まだ私は学んだ道徳をそのまま行うことができませぬ」

まだまだ未熟であって、官途に出られる状態ではない。せっかくのお勧めではあるが、もうしばらく苦学したい。

 

それを聞いた孔子は喜んだ。

若いうちは思い上がりで「もう学問は十分」となりやすい。貧乏が嫌で早く出仕したいものだから、そのように自分を正当化することもある。そういう人が孔門にも少なくなかったと思う。

しかし漆雕開には、この思い上がりがなかった。「近く思う」の姿勢が篤かったのだろう。

近く思うてみれば(自分自身の実力をよく考えてみれば)、「まだ信ずる能わず」であった。

「浅学われ」の立場で、出仕するのが相応しいかどうか、それが道に適っているかどうか、再び近く思うた。

すると、自分にはまだ何もできない、世に徳を施せるほどではない、出仕すべきでないと考えた。ならばどうすべきであろう。「在野われ」の立場でさらに近く思うた。

そして、せっかくのお勧めではあるけれども、もうしばらく苦学しよう、自分はそうあるべきだと思い至った。

 

近く思うことが深かったから、漆雕開はこのような結論を得た。安易に「先生のお勧めでもあるし(禄もほしいし)、ひとつ出仕しよう」とはならなかった。

もちろん、博く学び、志篤く、切に問い、苦学を重ねてきた結果である。

だから孔子は、漆雕開は立派である、と喜んだ。

 

孔子の教えが机上の空論で、漆雕開が口舌の徒であったならば、このような堅固な生き方はできない。

近く思うことが篤ければ、自然と地道にやることになる。身の丈に合わないことは考えない、やらない。できることを考える、実行する。机上の空論にはならない。

 

学問の足らない者が、早々に出仕を考えたり、天下国家を論じたり、人をむやみに批判したりするなら、それは「近く思う」の姿勢に欠ける。これは机上の空論である。

切に問う姿勢があれば机上の空論は避けられる。博く学び、切に問うて近く思うなら、身の丈にあっただけの考え・行いになる。机上の空論は避けられる。

 

3-5.秀吉も同じ

こういう例は歴史上いくらもあるのできりがない。しかし、古い中国の話ばかりでなく、比較的近い日本の話も一応お話しする。

まず思い浮かぶのは秀吉。近く思うということに関して、秀吉は徹底した人物であったと思う。

 

秀吉は卑賤の身に生まれた。それがために、他の武将から軽く見られて、出世するにも随分苦労した。

才覚もあり大志もあった。しかし、卑賤の身に生まれた自分の立場をよく考え、近く思い、自分にできることを真面目にやった。

「卑賤われ」を近く思えば、草履取りでもなんでもやるべきだと思ったから、何でも一生懸命に努めた。

 

もし秀吉が近く思うことせず、卑賤なる身の丈に合わないことばかり求めていたら、果たしてどうなったか。

自分の志はこんなところにはない、もっと大きいことができる才覚もある、草履取りなどやってられるか。そんな風に考えていたら、信長に見いだされることもなく、他の武将に潰され、後に大きな仕事もできなかっただろう。

 

これは秀吉の偉いところである。

 

4.仁其の中に在り

子夏の言葉は、「仁其の中に在り」を以て結ぶ。

これは、

「志を篤くして博く学び、切に問うて近く思う。そうすれば机上の空論にはならない。ゆえに仁其の中に在り」

ということだ。

机上の空論でなければ仁である。これも順を追って考えると良く分かる。

 

4-1.博学と活殺

まず博学といっても、君子の博学と、小才子の博学がある。

 

君子は、博く学んだ学問を十分に活かす。切に問うて近く思い、実践していく。小さな行いはもとより、大きな行いにもなる。

博学を用いて事業を大きくしたり、人を善く導いたり、まあ色々なことに活かしていく。博学を以て生み成すものがある。仁は生成の徳であるから、博学をこのように活かすなら、即、仁である。

君子は仁でなければならない。君子の学問も当然仁であるべきだ。博く学んで、活かし、生み成すところがあるべきだ。

 

小才子の博学は、これを活かす方ではなく殺す方へ用いる。

博く学んだものを駆使して、我が利益を図る。人を陥れたり、君の明を晦ましたり、色々な悪事を働く。このように博学を使えば、即、不仁である。

 

同じ博学でも、使う人によって活にも殺にもなる。

刀でいっても、活人剣と殺人剣がある。刀を使う者の心によって、活と殺とが分かれてくる。同じ剣でも、仁者の剣は活人剣、不仁者の剣は殺人剣。

学問も似た所がある。同じように博く学んでも、仁者が使えば人を活かし、不仁者が使えば人を殺す。

 

4-2.仁も不仁も志に由る

君子の博学と小才子の博学の決定的な違いは、志にある。博く学ぶだけではなく、志を正しく篤くすることが重要となる。

志は心差しで、心が差し向うところである。心が正しい方へ向いているのを、志が正しいという。

同時に志が深くなければいけない。浅ければ、最初は正しい方を向いていても、困難に直面した場合に別の方を向いてしまう。志を枉げてしまう。

小人窮すれば斯に濫る。博学の小才子は、目の前の困難から逃れるために策を弄する。

「濫」とは道に外れること。学問が博いだけに策謀も上手いが、それで道を枉げる。

子夏の曰う「博く学んで」までは良かったが、志が悪いために道を枉げる結果となる。

博く学び、普段は云うことが立派だが、窮すれば濫る。これでは、「口舌の徒」の謗りを免れない。

 

4-3.子路の志、切なる問い

その点、子路という人はまことに志が篤かった。口舌の徒ではなかった。

孔子の高弟である以上、多くのことを博く学んだに違いない。その上、志が正しく篤かった。だから、博く学んで志を篤く、切に問うた。

 

陳蔡間で孔子たちが窮し、ほとんど餓死せんとしたとき、子路孔子に切に問うた。

君子亦た窮すること有るか。

正しい道を求め、博く学び、志も篤い。なぜこんな苦労をしなければならないのか。君子も窮することがありますか。

朋友も、自分も、敬愛する孔子までも死んでしまうかもしれない。そこで問うた。極めて切実な問いであった。

子路の切実な問いに、孔子がお答えになる。

お前は、仁者や智者は必ず人に信用され、窮することもないと思っているらしいが、そうではない。仁者が必ず信用されるなら、なぜ伯夷と叔斉は餓死したのだ。智者が必ず信用されるなら、なぜ比干は胸を割かれたのだ。

正しい道を歩んだからといって、いつもうまくいくものではない。人の幸不幸は時世によって左右されるからだ。

君子が学問を積み、道徳を磨き、よく考えて世に処したとしても、時世によっては報われないことがある。そんな人は古来いくらもいた。どうして私たちだけが困窮しないといえよう。

蘭という花は、森の奥深くで花を咲かせ、香気を放っている。蘭は、人に知られないからといって、香気を漂わせないことはない。君子も同じである。一生懸命が報われるかどうかに関係なく、学問し、道徳し、困窮しても節を曲げない。

(幸不幸に関係なく)学問道徳に努めるのは人間である。しかし、その人間の生死は天命である(報われるかどうかは問題ではないのだ)。

 

問いが切実であったから、子路は深く悟った。自分は小人であったと恥じた。子路は勇をもって任じていたが、窮して一切濫れぬ孔子の大勇を目の当たりにして、自分の勇はまことに小さかったと恥じた。

後に子路は衛で内乱に巻き込まれて命を落とした。事の推移から考えて、多勢に無勢であったろう。窮地に陥ったが、濫ることはなかった。死ぬ間際、冠の紐を斬られた子路は、冠を正し礼を正した。「冠を正す」という、極く近きを思い、正々堂々と殺された。

陳蔡に窮し、切に問うて、君子と小人の違い、誠の勇気を深く悟った。切に問うて近く思い、最期の瞬間まで学問道徳に励んだ。実践して已まなかった。

子路は口舌の徒ではなかった。子路を鍛えた孔夫子の教えは、机上の空論ではなかった。

 

子路の人生には迫力がある。体温や息遣いをリアルに感じる。鮮血淋漓、斬れば血が滴るような、そんな思いがするのは子路だけである。だから子路は、私にとって特別な人である。

子路を思えば、儒学が机上の空論ではないことが分かる。机上の空論、口舌の徒にならないためにはどうすべきか、それも分かる。

切に問うて近く思うとはどういうことか、これも分かる。

 

子路の切なる問いは、孔子から切なる教えを引き出した。子路が、後世儒学を学ぶ者にどれだけの恩恵をもたらしたか。私自身、子路によって啓発されることが非常に多い。

子路がいたから、孔子の教えが無味乾燥な空論ではないと分かる。孔子の教えが今も瑞々しく感じられる。ここに子路の生成の徳、仁をみる。

 

博く学びて篤く志し、切に問いて近く思い、一生涯を学問に捧げた子路。仁其の中に在り。

儒学的文章についての覚書

筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。

なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。

 

漢字と平仮名で陰陽があるではないか。もちろん、こんなのは当たり前のことだが、別に意識したことはなかった。毎日毎日筆写しながら勉強して、その筆写ということに、陰陽の別を何ひとつ見出してこなかったわけだ。

 

初めて気づいて、色々考えてみた。日本語を書くにあたっては、陰陽を意識すべきではないか。単に日本語を筆記するという意味でも、日本語を以て執筆するという意味でも。

考えたことを整理しつつ、この記事を書いてゆこうと思う。

 

陰陽とは

儒学において、陰陽は最も根本的な思想である。

天地陰陽相交わって万物を生成する。人間もこれで生まれる。

この時、天が主となり、地が従となる。

天は陽であり、剛強・積極的である。地は陰であり、柔弱・消極的である。

天が造化作用の主となり地に働きかける。地はどこまでも柔弱にして、従に徹して天の作用を受け入れる。これが天地の生理である。

 

世の中のことは、何においても陰陽の別がある。陽ばかり、あるいは陰ばかりということはない。

人間には男女がある。動物にはオスとメス。

一日は一日でも、陰陽に分けると日中と夜がある。もっと分けると朝・昼・夕・夜。朝昼が陽で夕夜が陰である。

一年は一年でも、そのうちには春夏秋冬の四時がある。春夏は生物が積極的に成長する時期であり、陽にあたる。秋冬は陰。積極性はなく、実を結び、種をつくり、枯れて、翌年の新たな生成に向けて消極作用に徹す。

 

日本語の筆記

日本語を筆記する場合はどうか。

これは漢字と平仮名に陰陽がある。これを意識して書き分けるべきである。漢字が陽、平仮名が陰である。

 

文字に陰陽あり

漢字は陽で剛。直線や角が多く、堅い。また積極的である。一文字で様々な意味を持つ。
平仮名は陰で柔。やわらかな曲線を多く用いる。また消極的である。一文字が持つ意味は極く少ない。

日本語を筆記するにあたり、漢字の持つ陽性と、平仮名の持つ陰性をよく考えながら書くことで、よりきれいなものが書けるのではないか。

 

明道先生の文字

確かにそうであろう。

しかし、さらに色々考えてみると、これは非常に浅い。

 

私は程明道先生が好きである。

明道先生が文字を書く時、いつも丁寧であった。曰く、

それがし字を写す時甚だつつしむ。是れ字のきを要むるに非ず。即ち此れ是れ学なればなり。

(私が字を書く時、丁寧に書く。これは綺麗な文字を書きたいのではない。文字は丁寧に書く、学問とはそういうものである。)

これを読んで、偉い人だと思った。尊敬の念を抱いた。

 

明道先生を真似るつもりで丁寧に書いた。文字が随分マシになった。

それが嬉しくて、明道先生が「きれいに書くためではない」と言ったのをすっかり忘れ、丁寧に美しく書くことに気を取られてきた。

それがかえって、「漢字と平仮名のバランスが悪い、これは陰陽に問題がある」という気づきにもなったわけだが、しかしまあ、最初から間違っていたわけだし、気づくのも遅い。

 

体用の別

体と用の別を意識すると、自身の間違いがよく分かった。

礼を体とすると、その表れ、つまり「用」は敬いである。礼があるから敬うことにもなる。無礼であれば敬いもない。礼があっても敬わなければ意味はない。

 

礼が体、敬が用。学問に対して礼があるからこそ、一文字を書くにも丁寧(敬)で綺麗に書くことになる。

ただ美しさのために丁寧に書くなら、それは体を無視して用を為そうとするのであって、順番が逆である。儒学では順を重んじる。逆ではいけない。

明道先生は、文字の書き方を通じて、こういうことを教えたのであろう。今、ようやく分かった。

 

儒学的文章とは

更に推すと、「文を書くこと」においても当然陰陽がある。

 

漢字平仮名陰陽相交はること

漢字と平仮名の陰陽で言っても、漢字だけ、陽ばかりでは文は書けない。平仮名だけ、陰ばかりでもいけない。

漢字だけ、あるいは平仮名だけでも、文が全く成立しないわけではない。しかし読み難い。文としてふさわしくない。

「文章」というが、文も章も「あや(彩)」を意味する漢字である。アヤがなければ文章としてふさわしくない。

このアヤは、仁義礼智でいえば礼であり、仁を彩るものである。陽であり主である漢字を、陰であり従である平仮名をもって彩る。これで礼が備わる。

 

漢字が主、そこへ平仮名が従となり、送り仮名をつけ、あるいはテニヲハで文と文をつなぎ、漢字でも書けるところをあえて平仮名にする。

天地陰陽相交わって万物を生成する。一文という小さな単位でも、漢字平仮名陰陽相交わると良いものになる。

 

そのような文を連ねて、ひとまとまりの文章になる。

この理を推して、文と文の、段落と段落の、章と章の関係。そういったところでも陰陽をよく考えて、ひとつの記事なり本なりを書いてゆく。

 

文章の仁と不仁

天地の生理、これを人間においては仁という。仁は生成の徳である。

文章にも仁と不仁とがある。

Aについて文章で説明する。読んだ人が、それまで未知であったAを知る。読者の中にAという知識を生ずる。これは生み成す働きであり仁である。

もちろん、文章によって伝える情報にも色々ある。

人を貶したり、嘘を書くならば、その文章は読者に不快感や誤解を与える。マイナス方向のものを読者の中に生ずるのであって、これは不仁な文章といえる。

 

理想は文質彬彬

人は須らく仁なるべし。人が書く文章も仁であるべきだ。

しかし人においても、文章においても、ただ仁があるばかりでは不十分で、それを彩る礼が欠かせない。

理想は文質彬彬ぶんしつひんぴんであると孔子は仰る。

文は陰。彩り、飾り、外面的なもの。質は陽。内面的なもの。

陰陽の関係は常に陽が主、陰が従である。内面の質が充実している、誠がある。それが外見にも相応に現れる。両者のバランスが良く、中庸を得ていることを文質彬彬という。

 

質ばかりで文がなければ野卑になる。考え方が正しく、内面的に良いからといって、ぶっきらぼうな態度であれば人から誤解を受ける。これは宜しくない。

逆に、文ばかりで質がないのは巧言令色の類である。こちらは一層悪い。

 

文章を書くことも同じであろう。

正しいことを書こう、真実を書こう。これは質において良い。

だからといって、質ばかりではいけない。世の中には、内容はともかく、とても読んでいられないような文章がある。テーマや情報、思想など、中身・質がよくてもこれではいけない。

人に読まれない、あるいは読まれても理解されない文章であれば、それは生理に乏しい、仁に乏しい文章であるといえる。

 

丁寧に説明すること、修辞をよく用いること。こういったことは、文において良い。

しかし文ばかりで中身がなければ、それはそれで生理に乏しく仁に欠ける。中身・質が悪く、人に害をなす文章であれば却って不仁となる。

 

「バランスが良い=5:5」ではない

陰陽の塩梅を考えながら文章を書くこと、それで初めて文質彬彬になり、本当に良いものが書ける。

この「塩梅を考える」ということが重要である。塩梅の良いこと、中庸であること、バランスが良いということ、これは5:5を言うのではない。

中は「真ん中」、10㎝の長さであれば5㎝のところを真ん中という。だから中庸ということについても、あくまでも5:5の真ん中を中庸と考える人がいるが、それは誤り。

中庸は5:5の意味ではない。陰陽相和するということは、10あるうちの陰が5、陽が5をいうのではない。その時々において変わる。陰が9、陽が1、それでバランスがよければ、そこが中庸である。

 

左に10gの重りが10個、右に100gの重りが1個。これで天秤が吊り合う。

左には10個ある、右の方が9個少ないじゃないか。これは平等でないから右に4.5個やれ。それで左5.5個、右も5.5個。これで吊り合いが取れたであろう。

実際には、吊り合いを失って右に大きく傾く。こんなバカな話はない。しかし、世の中にはこんなことが随分ある。バランスバランスと言いながら、アンバランスになっていることが随分ある。

 

SDGsにも、そういうところがある。「誰一人取り残さない社会を」などといえば耳障りは良いが、根本的な違いを無視して、何でもかんでも一緒にしようとする。

東洋と西洋の違い、男と女の違い、大人と子供の違い、他にも色々だが、この間にはどうしても埋めようのないギャップがある。それは埋まらなくて良い、無理に埋めると却っておかしくなる。

埋めるべきものを埋めるのは良い。大いに賛成である。しかしSDGsには、「重量」ではなく「重りの個数」で考えるような傾向が随分あるように思う。

これは大変危険な事である。本当の平等とか公平とか、「バランスがよい」とかいうのは、そんなものではない。そんな見方・考え方で、良い社会になるものではない。極くバランスの悪い、へんてこな社会ができるだけである。

 

質あって文あり

文質彬彬も同じこと。質があって文もある。これは文と質が同じだけあるのではなく、質に応じて文が備わり、調和がとれていることをいう。

時には、質が多く文が少なく、それで結構なる場合もあるであろう。外面の修飾に欠けても、内面の誠が充実しておればそれでよい。そんな場合も確かにある。

侘び寂びなどは、その最たるものといえる。

 

易経すいの卦の六二に曰く、

まことあり、乃ちやくを用ゐるに利し。

禴は、周の頃の夏のお祭り。よく、お祭りでは肉を奉げるが禴祭では肉を用いない。夏は暑く、肉が腐敗しやすいからである。主に野菜を供える。

今も昔も、肉はごちそうである。野菜はどちらかというと貧しい方。肉を以て祀るべきだが、それをせずに野菜だけで質素に祀る。

形ばかり、文飾ばかりでやるならば、供えた肉が悪くなっても構わない。生贄となる動物を普段からよく養い、お金をかけて肉をふんだんに用意し、盛大に祀る。文に偏り質に乏しいと、このように外ばかり盛んになる。

しかし祭りは内面の誠を尽くすものである。そもそも、神を喜ばせるためにお供えをするのだから、腐りやすいものを夏に供えるのは誠がない。だから肉は避ける。それで外面が乏しくなっても、誠があるからよい。

そういう孚があって、初めて禴祭を用いてよい、斎行してよい。萃の六二にこう書いてある。

 

時と場合によって、文と質の塩梅は変わるのである。

禴祭は夏である、ゆえに肉は用いない。内に誠があるから、禴祭ではおのずとお供えが質素になる。外が乏しくなる。それで文質彬彬といえる。

盛大に祀るべき時期であれば、当然そうする。誠があるからお供えものが少なくて良い、とはならない。そういう場合には、誠を以て盛大に祀る。

まず質があって、ゆえに自ら文もある。これが文質彬彬である。「仁があって礼がある」ということと同じい。

 

文章を書くにしても、文質彬彬であるためには、質あって文ありの順序を弁えるべきだろう。

内の充実が肝要である。正しいことを書く。よいものを書く。内に誠があるから禴を用いるに利し、時と場合によって文が乏しくなるべき場合にも、文質彬彬たるところを失わぬ。

 

考えが足らない

筆写するにも、体を忘れて用に捉われた。一年間もそれで良しとしてきた。

易も一生懸命やってきたつもりだが、実際の役には立たなかった。本業である文章に活かすことを考えてこなかった。

考えが足らず、漫然と、特に意識せずに書いたのでは、文質彬彬たる文章など書けるはずがない。少しも近づかない。

 

儒学は実践を重んじる。それには、よく学び、考えることが前提である。いくら学んでも、考えが足らなければ、正しく実践できない。

「実践すべし」ということだけでも、色々考えるべきことがある。「考える」という姿勢が、どうも甘いように思う。

気付いた以上は、改めていきたい。文質彬彬たる文章というものを、もっと考えて工夫していきたい。

革命の是非

中国の歴史には度々「革命」ということがある。

孔子は革命についてどうお考えであったか。

論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は伐ってよい」といったことは仰っていない。

 

ブログで何度か書いたことだが、孔子は革命を肯定しなかった。否定的であったともいえないが、肯定的ではなかったと私は思う。

これまで、そう思う理由を詳しく述べたことがなかったので、ここで簡単にまとめておきたい。

 

 

1.論語八佾篇に曰く

論語八佾第三に、こうある。

子、韶を謂ふ、美を尽くせり、又善を尽くせり。武を謂ふ、美を尽くせり、未だ善を尽くさず。

 

1-1.韶とは

韶は、舜の楽のこと。古来、中国では音楽が非常に重んじられ、孔子も度々音楽について言及している。

孔子は韶が大変お好きであった。斉に滞在なされた折、韶の楽を聞かれた。それにいたく感動した。

 

元々孔子は韶についてご存知であった。

孔子の生国は魯、魯の祖は周公旦。周公旦は非常に功績が大きかったため、天子より礼楽を賜った。この中に韶の楽もあったから、孔子はすでにご存知であった。

しかし、斉で聞いた韶は、それまで知っていたものよりずっと素晴らしかった。だから三ヶ月間も聞き入って、時に肉の味さえ忘れる日もあった。

 

韶は舜の楽、周が天下を取った後、舜の子孫が封じられて陳という国ができた。陳は韶の本家本元である。

孔子が生まれるより150年ほど前、斉でいえば桓公の頃、陳の公子である陳完が斉に亡命した。陳完は、先祖代々伝わってきた韶の楽をそのまま伝えた。

孔子が斉で聞いたのもこれである。陳より直接伝えられた韶は、魯で聞くものよりずっと素晴らしかった。

 

1-2.舜は善美を尽くす

孔子が仰るには、韶の楽は美しく、また善を尽くしている。

美しいというのは、楽器の音や曲調、声などに邪悪なところが少しもなく、ただただ美しいのである。

また、楽には今でいう歌詞がある。韶ならば、舜のご一代の治世や道徳について歌う。それがいかにも善を尽くしている。

 

1-3.武王は善を尽くさず

では、武王の楽はどうか。武王の楽については、礼記の楽記篇に書いてある。

武王の音楽も美しさの点では舜に劣らず、邪なところもなかった。しかし、善を尽くしたものではない。善において足らないところがある。

なぜ孔子は、武王が善を尽くさぬと仰ったか。武王の楽では、殷を討伐するくだりについても歌う。臣の立場で以て君を伐つことは乱であって、善とは言えない。ゆえに善を尽くさずと仰った。

 

2.湯王、桀を伐つの乱

書経の湯誓篇に、「敢へて行(邪)に乱を称(挙)ぐるに非ず」とある。湯王が桀を伐つ際の言葉である。

 

2-1.天道天理とは

儒教では、「順」ということを非常に重んじる。順とは、道徳から外れないこと。もっといえば、天道天理に適うところを「順」という。道徳から外れ、天道天理に背くのを「逆」という。

天地の徳とは何か。万物を慈しみ育む、生々の徳である。人間もこの徳を稟けて生まれる。他を慈しみ育む徳を持って生まれる。これを仁という。

人においては仁が徳の本体。これが外に表れるのを愛という。仁は体、愛は用。

仁が「筆」ならば、愛は「文字を書くこと」である。仁がなければ愛もない。また、仁があっても愛がなければ意味がない。

仁があって愛もある、それを仁者という。

 

2-2.仁と五倫

仁があれば五倫は整う。

五倫とは、父子・君臣・夫婦・兄弟・朋友の五つ。

親と子が互いに愛情を以て接する。君臣互いに礼を尽くす。夫婦・兄弟・朋友の間も大体同じい。睦まじくするが重要である。

 

親子が互いに愛情を以て接する。子から親へは孝行をする。孝に基づき愛情があって、それが行い(孝行)になる。孝と仁を一理とする所以である。

君臣が互いに礼儀を以て接する。礼は仁より発するものである。義は礼より遷る。臣が君に礼を尽くすことは、そのまま忠義を尽くすことになる。

 

2-3.湯王の自覚

湯王は、臣の立場を以て君を伐った。これは順と逆とでいえばやはり逆である。ならば湯王は礼儀を知らず、仁でもなかったか。

 

全体でみると、仁であり礼もあったに違いない。

桀という暴君に誰もが困窮し、三千の諸侯が湯王を担いだものだから、已むに已まれず伐った。全体でみれば、大きな仁によってそれを為したのである。仁があれば礼もある。礼があれば義もある。

湯王は好んで桀を伐ったのではないが、それはそれとして、やはり臣が君を伐つは逆であって乱である。

その自覚があったから、湯王も「敢へて行に乱を称ぐるに非ず」と言った。

つまり、「臣が君を伐つのだから乱であるが、邪なる心からそうするのではない」と。

 

また、桀を滅ぼした後、湯王は「徳に慚ずるあり」とも言っている。

少々後ろめたいどころではない。臣でありながら君を伐ったこと、理由はどうあれ乱をなしたこと、これは不徳であり慚愧に堪えぬ。

 

3.武王、紂を伐つの乱

武王はどうか。

紂のために天下が大難に見舞われ、もうどうしようもないところまで来た。諸侯は武王に「何とか君(紂)を伐っていただきたい」と迫った。それで已むに已まれず伐った。

大体湯王の場合と同じわけで、武王は好んで紂を伐ち、天下を取ったのではない。

 

3-1.忠臣・文王

武王の御父上である文王は、極く忠義に篤い人であった。

天下の三分の二を有し、周の力は非常に強かったが、反発する諸侯を抑えて殷に忠を尽くした。その間、文王は紂の疑いを受けて殺されそうになったこともあるが、忠義を以て貫いた。滅びゆく殷を支えて已まなかった。

 

中庸に曰く、夫れ孝は志を継ぐ者なり。

武王は、文王の志を継ぐことを考えたであろう。殷に取って代わる、これは大きな変化であって、悪くすれば大乱を招く。殷を補佐して天下泰平になるなら、それに越したことはない。

しかし、已むに已まれず君を伐たねばならぬことになった。これでは文王の志と違うことになり、一見すると不孝である。

 

3-2.武王はなぜ起ったか

文王は殷を補佐することで天下泰平を目指した。文王の真の志は天下泰平である。

武王もしばらくは諸侯を抑えた。しかし抑えが利かなくなってきた。武王が起たぬとなれば、別の者が起って乱を為すであろう。その者に徳がなければ、諸侯の連合も有名無実、烏合の衆となる。

命が衰えたとはいえ殷にも軍隊がある。史記の周本紀には「帝紂、武王の来れるを聞き、亦、兵七十万人を発して武王を距ぐ」とある。それが諸侯と激しく争うことになる。

どちらが勝っても人民はひどく苦しむ。殷が勝てば粛清の嵐が吹き荒れる。諸侯が勝った場合にも、まとめる人間がいないのだから権力闘争などを引き起こして大変なことになる。

 

易経・沢火革の卦、これは革命(を含む大きな改革)を行う道を説く。その九四に曰く、

命を改むるの吉なるは、志を信ずればなり。

革命を行って、命を改める。従来の王朝での命令、政治というものを皆作り改める。それで間違いが起きない、吉である。

なぜ間違いが起きないか。それは決起を促した人々が、武王の志を信じているからである。志は徳に応ずる。武王の徳を信じているから、「私利私欲で都合よく命を改めているのではないか」などと疑う者がない。政治や命令が悉く改められても誰も不安にならない。皆安心して従うから上手くいく。吉である。

 

徳のある武王でなければ、革命はどうしてもうまくいかない。我が立たねば、どう転んでも天下に害をなす。

紂を伐つのは、君臣の義から言えば不義である。しかし起たねば天下大乱に陥る。それでは父に対して大なる不孝になる。そこで、どちらを取るか。武王は伐つ方を取った。

 

3-3.武王の大孝

周本紀にはこうある。

紂の師、衆しと雖も皆戦ふ心無く、心、武王の亟かに入来らんことを欲す。紂の師、皆、兵を倒まにして以て戦ひ、以て武王を開く。紂の兵、皆崩れて紂に畔く。

紂の軍隊は七十万の大軍だったが、武王が起ったことで皆戦意を喪失した。徳のない紂にはもう懲り懲りで、徳のある武王に早く来てほしいと願った。

紂の兵は武器を逆さまにした。武器を武王に向けるのではなく紂に向けた。

進軍を阻んでいた兵が武器を逆さまにしたから、武王が進軍する道が簡単に開けた。武王の軍と、紂を裏切った軍とが一緒になって勢いを増した。まだ紂に叛いていなかった兵も、雪崩を打って紂に叛いた。

 

徳のある武王が起ったから、紂の軍勢も武王に加担した。武王の徳に靡いたのである。

武王以外の諸侯が起っていたら、このようにうまく進まず、天下は大乱に陥ったかもしれない。

徳を以て天下を泰平に導いたのだから、君に背いたことが却って文王の志を継ぐことになり、大孝となった。

故に孔子曰く、「武王は達孝なるかな」。

 

3-4.武王の自覚

とはいえ、臣が君を伐つは乱である。この一点だけは、どう見たってやはり乱であり、不善であることを免れない。

論語の泰伯篇に武王の言葉が出ている。曰く、

予に乱臣十人あり。

武王が十人の臣を率いて紂を伐った。それを「乱臣」といった。やはり武王自身、乱であることを自覚していたのだ。

 

臣の立場で君を伐った武王は、君臣の義で考えると逆臣・乱臣である。

武王の家臣は、紂王からみれば陪臣(臣の臣)である。乱臣である武王に与して乱を起こすのだから、これもまた乱臣である。

武王も、この十人の家臣も才徳優れた人であるけれども、実際の行いは乱であることを免れない。それを知っていたから、武王は自分自身を乱臣とし、家臣もまた乱臣であるとした。

 

4.孟子の論

孟子は湯武放伐論を立てた人であり、革命を肯定したといって良い。

その論ずるところは非常に激しく、私はあまり好きでないが、同時に慎重さも感じる。

湯王武王の革命を「乱である」と非難することはないにしても、臣の立場で兵を挙げた事実に対していささかの危うさを感じていたように思われる。

 

4-1.「討つ」と「伐つ」

孟子・梁恵王章句に曰く、

湯、桀を放ち、武王、紂を伐つ。

「討伐」というが、これには「討つ」と「伐つ」とある。

「討つ」は、天子の立場からいう。天子に叛く者を討伐することで、主に膺懲、上が下を誅する意味である。

「伐つ」は、諸侯の立場からいう。主に天子の命を受けて、諸侯が敵国や夷狄を討伐することをいう。

 

ゆえに告子章句に曰く、

天子は討じて伐せず、諸侯は伐して討せず。

天子が叛く者を討伐する、これは「討」であって「伐」ではない。

諸侯が天子の命によって討伐する、これは「伐」であって「討」ではない。

天子の命がなければ、諸侯が討伐を行うことはない。

然るに、春秋の覇者は諸侯の立場でありながら、天子の命の有無に関係なく、他の諸侯を率いて盛んに討伐を行った。孟子はこれを「五覇は罪人なり」と批判している。

 

孟子は「武王、紂を伐つ」と書いた。

紂を攻めた時、まだ武王は一諸侯である。「諸侯は伐して討せず」で、武王が兵を用いるとすれば「(天子の命で)伐つ」場合に限られる。諸侯の立場で「討つ」ということはありえない。

諸侯である武王に、天子である紂の方から「天子を伐て」という命が下るはずはない。

となると、武王は勝手に兵を起こしたのであって、本来「伐つ」とはいわれない。

 

4-2.紂を罰(伐)する

書経の牧誓に曰く、

今予発は、惟れ天の罰を恭行す。

発は武王の諱。武王が諸侯を前にして誓いを立てて云うには、「自分は天の罰を奉じて、紂を伐つのである」と。

伐は罰に通じる。聲罪致討曰伐、罪を明らかにして討つことを伐つという。

紂の不徳に対し、天が罰を下される。自分はそれを奉じて紂を伐つのであると、こういうわけである。

 

古代中国では、徳のある者が天の命によって天子の位に就いた。徳を失った者はすでに天子ではなく、単なる賊となる。天の命が中心である。

その天を、武王は奉じたのである。天の命を奉ずることと、天子の命を奉ずることは畢竟同じい。あくまでも一諸侯である武王が「討つ」ということはできないが、天の命によって「伐つ」ならば宜しい。

これが孟子の考え方である。「諸侯」が、天の命によって「賊」を「伐つ」。

 

4-3.革命は悔いを免れぬ

易の革の卦に曰く、

革は、己の日乃ち孚あり。元に亨る、貞しきに利し。悔亡ぶ。

己の日は、五行における土である。土は仁義礼智信でいえば信、まこと、孚にあたる。

大いなる改革、革命というものは、己の日すなわち時期が熟し、誠実な心も十分に備わって、今こそ革めるべしという段になってはじめて取り組むべきである。

そうすれば元に亨る、大いに通る。革命の道、疲弊した世の中を大きく変えようという志が、すこぶるよく通じる。

このとき貞しきに利、改革が行き過ぎないように程よき所を図り、あくまでも孚を失わず、貞なる正しきところを守らなければならない。

 

そうすれば悔い亡ぶ。

大なる改革をする上では、やりすぎ・行き過ぎに陥りやすい。改革の邪魔になるものを伐つこともある。

その結果、湯王の「徳に慚ずるあり」、武王の「善を尽くさず」のように、恥ずべきこと、悔いるところが出てくる。

革命というものの性質からして、どうしても悔いは免れないけれども、孚を失わず、どこまでも正しく革命を遂行する。その結果、色々なことがうまく運び、天下泰平になり、万民に幸福が訪れる。そうなれば、悔いも徐々に亡んでゆく。

 

孚を失えば、革命がうまく運んで行かない。

孚は中正、中庸に通じる。孚がなければ程よき所を得ず、行き届かずに失敗する、あるいは行き過ぎて失敗する。革命であれば、大抵は行き過ぎる。前の時代の良いものをぶち壊したり、新たに悪い法律を立てたり、良い政策でも性急にやれば禍根を残すし、まあ色々に行き過ぎる。

これは「暴戻」である。暴虐なる天子を「もはや賊」として、正しい動機で伐ったとしても、孚を失えば「暴戻」に行きつく。

これでは悔いが亡ぶこともない。次から次へと悔いが生じ、重なってゆく。

 

4-4.孟子の偉さ

孟子といえども、武王が紂を倒すことを「討つ」とは書けなかった。

孟子が「徳を失った天子は賊に過ぎない」と断言したところはまことに激しいが、「伐」の一字に慎重さを感じる。

 

あくまでも「伐」であって「討」ではない。なぜか。臣の立場で兵を起こすからである。相手は賊とみなすが、決して上から下を討つのではない。

「討つ」と書けば、臣でありながら天子の立場を以て攻めることになり、僭称になる。それこそ逆であり乱であって、革命の出発点で「孚がない」ということになってしまう。

どうしても「伐つ」と書かなければ成り立たない。湯武放伐論を立てるにあたり、あくまでも「伐つ」と書いた。ここに孟子の節がある。偉い人である。

 

現代においても、孟子を学ぶ人の中には革命を単純に肯定する人が多い。剛に過ぎて、孔子の教えから遠ざかってしまう人が多いように思う。

私は孟子の論に節義を見た。それが孟子の真意を得たものかどうか、今は分からない。しかし大きく誤った見方とは思わない。

孟子を学ぶにあたり、このような点を特に見落とすことなく、丁寧に汲んでいきたいと思う。

 

5.孔子は革命を肯定せず

湯王も武王も、自身の行いが「乱」であることを確かに自覚していた。武王に至っては、自身と家臣を「乱臣」と称した。

 

何事にせよ、功の中には罪があるものだし、罪の中にも功があるものだ。

功績が大きいほど、その過程で不善を為すことも多くなってくる。湯王や武王ほどの人物でもそうであるから、一般の人なら猶更である。

功が大きい場合、相対的に小さな不善を取るに足らないとすることもできるが、不善の事実が消えてなくなるわけではない。

管仲にしても、孔子はその功績を絶賛しているが、同時に奢侈や非礼を指摘している。

 

5-1.湯武を批判した黄生

易は湯武革命を否定していないし、孟子も革命を肯定している。それ以降、多くの儒者が革命に肯定的であったが、革命に批判的な学者もいた。

漢の頃に黄生という人がいる。この人は儒者ではなく老荘系の人。気骨のある学者で、湯王・武王の行いを痛烈に批判している。

以下、黄生の論。

 

古くなって破れたからといって、冠はあくまでも冠である。頭にかぶるべきものである。新しく良い靴だからといって、靴はあくまでも靴である。足に履くものである。

古く悪い冠でも、冠は頭にかぶる。新しく良い靴でも、靴は足に履く。古くなったからといって、冠を履いて歩けるものではないし、新しく良い靴だからと言って、靴を頭にかぶるわけにはいかない。全ての物には相応しい役割というものがある。

 

これは、桀紂を古く悪い冠に、湯武を新しく良い靴に例えたのである。桀紂は無道の君だが、やはり君であるには違いない。湯武は聖人だが、やはり臣に違いない。

上(頭・君)と下(足・臣)の守るべき分がある。冠はどこまでも冠、君はどこまでも君であるべきであり、靴はどこまでも靴、臣はどこまでも臣であるべきだ。

 

君に悪いところがあれば、それを諫め、過ちを正すのが臣の在り方である。

しかし君が無道で、諫めても過ちを正すことができない。ならばもう叛いてしまえ、君の過ちに依って誅してしまえという。これは臣の在り方として正しくない。

なおかつ、君を弑してその位に就いたのだから、これは簒奪である。湯武は逆賊乱臣である。

 

これが黄生の論である。ちょっと厳しすぎるとも思うが、湯王武王も自覚していた罪を徹底的に追求するならば、このようなことが確かに言える。間違いではない。

 

5-2.湯王の危惧

後世、湯武放伐は革命の理想的なものとして肯定された。しかし臣が君を伐つは乱、順と逆とでいえばやはり逆である。湯王武王についても、乱を為した事実は事実としてみるべきである。

ここを見落として、湯武放伐を全面的に肯定してしまうと、忠というものが曖昧になる。忠と孝に差が出てしまって、孝経には嘘が書いてあることになってしまう。

 

孔子が「武王の楽は善を尽くさず」と仰ったのも、武王が臣の立場で以て君を伐ったこと、乱であったことの一点による。

湯王・武王の乱が結果的に天下を救ったことは間違いない。しかしこれが後々、多くの問題を残したことも否めない。

故に湯王曰く、

来世われを以て口実を為さんことを恐る。

(将来、自分の行いを手本として、乱を為す者が現れるのではないか。それを恐れている)

その後、湯王の危惧した通りになった。湯王武王の事跡を受けて、「徳無き主君は伐ってよし」ということが野心家の理屈のようになってしまった。

また、湯武革命のように穏健に運ぶことは少なく、後世の革命は大抵悲惨なものになった。

 

中国で革命と言えば、多くの血が流れる。族誅といって、罪を犯した本人(湯武革命でいえば桀や紂)だけではなく、その一族郎党を執拗に殺す。

族誅の範囲は色々だが、少なくとも三族、多くは九族、ひどい場合には十族皆殺しに遭う。

革命を許せば皆殺しにされるのだから、旧政権の方も必死である。革命勢力を激しく弾圧し、抵抗し、上下の争いが激烈になって多くの血が流れる。

とても、湯武革命のようなことにはならない。

 

5-3.理想的革命は悲惨ではない

湯武革命は悲惨ではなかった。

湯王は「桀を南巣に放つ」とある。これは、湯王が桀の勢力を徹底的に叩いて、桀を南巣に放逐したというのではない。戦に敗れた桀が南巣に逃げ込んだのである。湯王はそれを追わずに軍を引き上げた。その後、桀は死んで夏が亡んだ。

無道であったから、桀のほうで勝手に破れて、勝手に逃げて、勝手に死んだのである。湯王が執拗に攻めたとか、桀を捕らえて首を刎ねたとか、ましてや夏に縁故あるものを皆殺しにしたとか、そんな悲惨なことはなかった。

 

武王も同じ。紂の勢力が武王に寝返った。武王は紂の大軍を難なく打ち破った。敗れた紂は逃げて、最期は焼身自殺した。

武王は、寝返った兵や無抵抗な兵を攻めるようなことをしなかった。紂の党類党派を皆殺しにするようなこともなかった。無道のために、紂の方で勝手に敗れ、勝手に逃げ、勝手に死んだのである。

 

史記の周本紀には、武王は紂の焼死体に矢を三発射込み、首を刎ね、その首を旗に掲げたとある。これを見ると、武王の革命は陰惨である。

明の大儒である方孝孺は、これを嘘と断言している。私も嘘であろうと思う。武王の革命に、このような陰惨さはなかったと思う。

 

方孝孺曰く、

吾意ふに、武王、紂の死せるを見るや、踊りて之を哭せずんば、則ち商の群臣に命じて、礼を以て之を葬らしめしならん。豈に復た余怒の其既に死せる身に及ぶあらん。

此れ戦国薄夫の妄言、斉東野人の語にして武王の事に非じ。

武王は好んで乱を為したのではない。紂を支えてどうにかなるなら、文王の志を継いでそうしたであろう。武王もまた忠臣であったが、已むに已まれず天下のために乱を為した。

そんな武王が紂の焼死体を見たらどう思うか。悲しみのあまり、身を踊らせて慟哭するであろう。そうでなくとも、紂の旧臣に命じて、礼を以て手厚く葬らせたであろう。

かつて忠を尽くした君の死体を、怒りに任せて射たり斬ったりするようなことがあろうはずがない。

これは戦国薄夫、義戦なしと言われた戦国時代に染まった、道理の解らぬ歴史家(=司馬遷)の妄言である。武王はそんな人ではない。

 

5-4.湯武は偉大なる逆臣

方孝孺は、司馬遷を「戦国薄夫」と痛罵した。司馬遷が武王の革命を陰惨に描き、武王の徳を曇らせ、それが「革命とは陰惨なもの」、延いては「多くの血を流しても無道な君は伐つべし」となったとすれば、司馬遷の書き方はまずかったといえる。

 

その点、孔子は極めて慎み深かった。ご自身の発言が人に与える影響を考え、非常に慎重に発言なされた。誤解を与えないことはもちろん、聞く人に偏った思想を植え付けることのないように、注意深く教えを立てた。

武王を「善を尽くさず」と評したところにも、その慎みが現れている。湯王・武王が天下を救った功績を認めつつも、それが一面において乱であったことを見落とさず、革命を善しとするようなことは仰らなかった。

 

やはり、革命などというものは、無ければそれが一番良いのである。革命が大乱を招くことは多い。

革命はあくまでも権道である。司馬法にもある通り、中人以下に権道はやれぬ。聖人君子であって、初めて権道を用いることができる。中人以下が権道に手を出せば必ず乱を招く。

湯王や武王が起たず、諸侯の不満が爆発すれば天下に大乱を招く。そういう場合には、徳のある者があえて乱を為し、革命に踏み切ることもある。

 

そもそも権道とは、我が身を悪い所に陥れて、天下のために働くことをいう。

司馬法が戦争を権道とするのも、戦は本来為すべきものではないからだ。仁は生成の徳である。戦は破壊を伴うから仁とは反対向き、つまり不仁であることを免れない。

戦を起こす者は、どうしても我が身を「不仁者」に落とすこととなる。しかし義においては極く正しい。我が身を不仁に陥れて、天下のためにあえて戦う。

 

革命も同じ。我が身を逆臣の立場に陥れて乱を為し、天下を救う。一旦は道に外れて結果として道に適うが権道。

我が君に徳なし、もはや賊と変わらぬ。天下を救うために、我が身を逆臣に落して君を伐つ。我が身を逆臣に陥れずに革命は為せない。逆臣でなければ乱を起こすこともないからだ。乱を起こし革命を為すには逆臣になるを免れない。

これを「我が君に徳なし。ゆえに我が起って君を討つ。あくまでも正義であって逆や乱ではない」と考えると悪い。我が身を落とさずに権道を図るは邪である。

我が身を棄てず落とさず、正当化している。これは覇道の類であって、王道ではない。聖人君子の所業ではない。

 

湯王武王は、天下のために我が身を棄て、天下のために逆臣に落ちたから偉いのである。湯王武王が乱を為したことを正当化して「逆臣ではない」と評するなら、それは正しい評価ではない。

湯王武王を聖王として評さず、覇者として評することになる。せいぜい斉の桓公や晋の文公と同レベルにみなすことになる。これではどう考えてもおかしい。私はそう思う。

 

5-5.文王は善美を尽くした

とはいえ革命は非常手段であり、已むに已まれず踏み切ることであって、避けるに越したことはない。君が暗愚でも乱暴でも、臣が支えて平和を保てるならば、それが一番良いに違いない。

それを目指したのが文王であった。

文王は、徳のない紂に忠義を尽くした。孟子に云わせれば、文王の時も紂は賊であったが、文王は「賊だから伐ってよい」とは考えなかった。

文王は美を尽くし善を尽くしたといえる。武王よりも文王を重んじたことが、孔子の言葉の端々に感じられる。

 

5-6.易は革命をよろこばず

革命は権道であってよろこぶべきものではない。

易の思想はそうである。

 

易には、革命の道を説く卦がある。天に順い人に応じ、革命を為すことを否定していない。

しかし、これは已むを得ない場合に限ってのことで、本来はやはりよくないとする。

六十四卦の配列は、沢火革の次に火風鼎、その次に震為雷。

火風鼎は、革命を行った後に天下万民を養う道を説く。

そして震為雷、これは激しい変化に処する道を説く。

 

革命という大きな変化が起こる。その後、鼎の道を以て天下を治める。しかし、そもそも革命というもの自体が動乱をはらんでいる。

旧政権の者が乱を起こすかもしれないし、他にも不満を抱いている人がいるかもしれない。革命の理想を解することなく、「臣が君を討ってよし」と恣意的に解する人間が出てくると、革命がたびたび起こるかもしれない。そうなれば天下は不幸になる。

 

そこで、火風鼎から震為雷に移るにあたり、序卦伝に曰く、

器をつかさどる者は長子に若くは莫し。故に之を受くるに震を以てす。

器は鼎、鼎は天子の宝物。日本で言えば三種の神器にあたる。それを扱うものは、天子の御長男である皇太子に限る。

天子から皇太子へ、さらにその皇太子へと、連綿と受け継ぐべきものである。

 

しかし革命によって王朝が代わった。天子が代わって、鼎を主る者も代わった。

この後、鼎を主る者が再び変わってはならない。革命がしばしば起こるようではいけない。

今回革命が起こり、鼎を主る者が代わったのは已むを得ざることであって、この後、鼎を主る者が代わることなく、天下泰平の世がいつまでも続くようでなければならない。

 

そこで、長子が鼎を主る。天子の御長男である皇太子が主る。天子の位は皇太子が嗣ぐ。

つまり「器を主る者は長子に若くは莫し」とは、「皇統一系に若くは莫し」の意味である。

あくまでも皇統一系、これで天下を治める。革命が起こり、制度も組織も大いに変革したけれども、「皇統一系」という点だけは変えてはならない。

そうすることで、革命という異常事態が常態化せず、天下が安定する。

 

震為雷の卦をみると、革命をよろこばない思想がよくわかる。

革命を大いに肯定し、称賛するならば、しばしば革命が起こって天下が乱れるのを喜ぶようなもので、儒教の理想からは程遠い。

論語だけではなく、易を読んでも、孔子は革命に肯定的ではなかった、と私は思う。

性善説に関する追記 / 独学について思うこと

以前、性善説性悪説について書いた。

今回はその追記と、最近考えたことについて。

 

性善説のこと

見方によって性善説にもなるし性悪説にもなるが、しいて言えば孔夫子は性善説であったろうと思う。

そう思う理由について、私なりにひとつのたとえ話をした。

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植物の種には生育発展すべき本性がある。

適切な土地に播種し、水や肥料をやり、気候にも問題がなければ必ず芽が出て実を結ぶ。これが種の持つ本性であって、仁もこれと同じい。

 

易など読み、推して、私なりに考えたことであって、孔子がそのように仰ったわけではない。ただ、孔子はそう仰るであろう、という思いで書いた。

 

益軒先生曰く

今朝、同じ意味の記述を『五常訓』に見つけた。

五常訓は貝原益軒先生の著。先生は江戸時代の儒者であり、私にとっては郷土の先輩でもある。

 

益軒先生は、総論で性善説を丁寧に解説した上で、仁というものを解き明かすにあたり、種の話をしている。

私が先のブログで書いたよりもずっと明快であるので、ここに紹介しておきたい。

桃の実、杏の実を、桃仁杏仁と云ふことも、亦、よく名づけしなり。仁は、人の心の生理なり。桃杏の実、植うれば必生ず。是、其の内に、生理あればなり。もし、生理なくんば、死物なり。うゑても、生ずべからず。桃杏の実、生理内にありて、いまだ発生せずといへど、発生の理を内にふくめり。是を以て、桃仁杏仁と云ふ。仁の内にありて、いまだ発せざるも、亦、かくのごとし。発せずといへども、愛の理は内にふくめり。

 

明道先生曰く

なお、この例えは益軒先生が最初ではない。すでに明道先生が同じように説いている。ゆえに益軒先生云う、

程子曰、心は、たとへば、五穀のたねの如し。たねの生意あるは、仁なり。其のたねをまきて、陽気発して、苗生出づるは、愛の情なりと。苗はじめてきざすは、惻隠の心なり。是の説を以て、仁の理をしるべし。

 

独学について

性善説にしてもそうだが、自分なりに考えて、色々に解し、工夫していくなかで、例えを用いることもある。

しかし、自分では良いと思ったことの多くは解釈が浅かったり、例えが不適切であったりする。

これが独学の弊であるといえば確かにそうだ。

一般的に、生身の人間から指導を受けるのではなく、本などを頼りにあくまでも独力で学ぶことを独学という。私もそのように考えてきた。

しかし最近、私は独学ではないと思うようになった。

 

私の儒学は、生身の人間から指導を受けたものではない。

古の聖賢に学び、あるいは根本先生や公田先生といった大儒に学んできた。

それで独学だ、自分ひとりでやっていると思いこむ。それは寂しいことであるし、小さな学問であろうと思う。

 

孔子を師とする

天の徳、生理、人においては仁といい愛といい惻隠ともいうが、そういったことをよくよく考えていけば、人と我との間はもとより、我と万物との間にも隔てがなくなる。

過去の人と今の我との間にも、何ら隔てがない。孔子の時代から現代まで約2500年、この隔たりは非常に大きいもののように思われるけれども、実のところ大した隔たりではない。

孔子の時代も、現代も、天の生理と人の仁は同じ理であるし、これは何も変わっていない。儒学ではそう考える。

孔子の時代の仁、現代の仁、孔子の仁、我の仁、何も変わるものではない。何千年という時間ごときが、隔てられるものではない。

 

「現代の生きた人を師とすべし。古の聖賢は過去の人であるから師にできない」

こんなおかしな話はない。このように考えるならば、道統上の連なりが失われる。おそらく生身の人間でさえ、本当に師とすることはできないのではないか。

 

過去の人か、現代の人か、生身の人間であるかどうか、これは大した問題ではない。

ここを大きな問題にすると萎縮してしまう。根本的には何も問題ではないのに、この根本を無視するとおかしな考え方になる。甚だしくなると、生身の人間に就かず、書によって学ぶ人間を異端とみなし、謗るようなことにもなる。

学究ということであれば、生身の先生から細かい指導を受ける必要があろう。私はよく知らないけれども、論文の書き方とか、文献の読み方とか、直接指導されなければ分からないことが色々あるらしい。

しかし、本来儒学は道を修めることが目的である。師は生身の人間に限らない。生身の人間を師とせねば独学、これは小さい。

 

陰陽相和すること

もちろん、生身の人間を師とするのが悪いのではない。そういう人がいれば、直接尋ねることもでき、それによって学問が進むこともある。大体、孔門の先輩方は、孔子という生身の人間を師としたのであるから、それが悪いはずがない。

ただし、結局は学ぶ者の姿勢次第であって、師を持ったことで自分で考えなくなる人も少なからずいる。

生身の人間を師としなければ、直接尋ねることもできない。これが却って良いこともある。

 

根本通明先生曰く、

総て学問は、考へて思ふ事が第一である。唯々後世のやうに、講義を一と通り聞いて居るといふやうな訳ではいけない。

孔子を師とする。書を読んで、教えを受ける。そして考える。

考えると、自分なりに分かることがある。実際、考えただけ分かる。考えないよりは確かに分かる。

 

独学の弊

ただし、この「自分なり」は「自ら画る」になりやすい。

特に、「生身の師を持たないから独学している」という意識であれば、往々にして自ら画ることになる。

独学にしては、先生がいないにしては、直接質問できないにしては、まあ良く考えた方だ、というような。

 

10考えるべきところを8でよしとする。自分の中で、8が良き所になる。考え方が足らないのに、そこを良き所とする。

その後、この8を10と見立てて独学する。また8で満足する。これは、最初の10考えるべきところから見れば6.4である。

繰り返すたびに考えが足らなくなってくる。学問を続けるにつれて、学んだことの割には低く小さくなる。空気の抜けたボールのようになる。

学問してきたには違いないし、全く空っぽでもない。そこから大いに考えるなら、躍進することも間違いなかろうと思う。

しかし、なかなかそうならない。自分では十分考えていると思い込んでいるからだ。だから間違った仁義、独善で人を害するところが出てくる。これが独学の弊である。

 

生身の師を持った場合にも、指導が足らないとか、あるいは本人の怠りで考え思うことが足らなければ、同じことになろうと思う。師がいる間はあまり心配ないが、やがて師から離れて独自に学んでいく段になると、同様の弊が出てくる。

 

柔に学び剛に考える

独学と思わず、孔子を師とすることによって、この弊はかなり減らせるように思う。

書で学び、直接質問することもできないが、それだけにどこまでも考えていこうと思う。

 

学ぶ姿勢は柔であり消極的である。剛ではなく積極的ではない。

古の師が書で教えることを、我を立てずに、柔にして、そのままに受け取ってゆく。

そのままに受け取って、考える。考えると疑問が起こる。それを自ら画ることなく、どこまでも剛に積極的に考えていく。

考え、深めていく中で、先儒が一隅を挙げて教えてくれることも多い。

まず柔に消極的に教えを受け、それから剛に積極的に考える姿勢がなければ、先儒の指導にもピンとこない。

 

また、考えて考えて精神凝ってくると、夢で教えてもらうことも出てくる。

孔子はそうであった。しばしば夢で周公に逢った。

これは別に摩訶不思議な話ではない。こういう例はいくらもある。

管子にも「之を想うて得ざれば鬼神之を教える」とあって、考えて已まず、苦労を重ねていると、そのうちに夢で教えてもらうとか、そういうことが出てくる。

 

学問を積み重ねるとき、漠然と広く学ぶは悪い。礼を以て約せよと孔子は仰る。

陰陽でいえば礼は陽の方である。仁・礼は陽、義・智は陰。

したがって、柔に学んで剛に考えるという、この「考える」には「礼を以て約する」も当然含まれる。

考えなければ約するということにはならない。陰に柔に学ぶだけでは、ただ知識が多いだけになってしまう。これは、大変な恥である。

菜根譚に曰く、書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧の傭たり。

経書を読んだはいいが、聖賢の心を知ろうとせずに単なる物知りになる。そんなものは、印刷屋の雇われ人と何も変わらない。

 

天地陰陽相和して万物生成する。学問もそれが肝心である。

剛柔相和するように学び、考え、工夫していくならば、いわゆる独学の弊というものはなくなる。四季のめぐりのように、我が学問も健全にめぐり、発展し、どこまで進んでも常に生気があり瑞々しい。そんな学問ができるに違いない。

 

孔子を師として

ここ数日、色々考えることが多かった。師とか、独学とか、そういったことも色々考えた。根本的なところから推して、自分は独学ではないと思い至った。

長年、独学と思ってやってきたが、いかにも小さかったと思う。

 

私の師は孔子である。

根本先生も公田先生も、益軒先生も、古の聖賢を師とし、その教えを尊び、その書を読み、学問し、人の道を知ることに努め、道を修めた。であれば、これらの先生方も孔子を師と仰いだのであって、私の兄弟子といえる。

 

これは非常に大きな気付きであった。学問に対する姿勢、考え方が明らかに変わった。

今後、色々なことが良い方向へと変わっていくだろう。

酔中独言:義弟のこと

独りでお酒を飲みながら、過去の写真を見ていた。

あまり写真は撮らない。ちょっと上にスクロールすると、すぐ1年以上前になる。

サーッと上に行くと、6年前、弟と遊んだ時の写真が出てきた。クリスマスの日、男二人で昼から飲んだときのもの。


弟は私と違って器用な奴だから、私を招くに当たって用意周到。その夜に飲むお店もきちんと予約していた。

私は気が急く方だ。夕方から予定があるなら、その日の午前中からソワソワするし、だいぶ早く到着して時間を持て余す。

その日も昼頃には到着。お店の予約は当然夕方からであったから、駅で落ち合い、ラーメン屋で飲んだ。餃子にビール。


時間を潰して居酒屋へ。何を食べたか、ひとつも覚えていない。話したことも覚えていない。焼酎を飲んだことを、かろうじて覚えている。

その年の夏、数年ぶりに再会して大いに飲んでいたから、あまり積もる話がなかったのかも。

その後カラオケに行った。クリスマスのカラオケの値段に驚いた。これはよく覚えている。

 

その帰り、デパートでレミーマルタンを買って帰った。
弟は今でも「俺がウイスキー、ブランデーを飲むようになったのは兄貴の影響ですよ」という。思えば学生の時分、たまに2人でバーに行った。その時は一緒にバーボンを飲んだ。

当時、弟はウイスキーを好まなかったが、私に合わせてうまそうに飲んだ。

 

色んなことを思い出す。その日の夜、私は旅の疲れもあって早々に眠くなった。弟はワンルームの一人暮らし。ベッドはひとつ。
学生の頃、弟の家で飲んだ時もそうだったが、飲んで寝る時、弟は黙って私にベッドを譲り、自分は床で寝る。私は「一緒に寝ようや」とベッドに誘うが、一緒に寝たことはない。

 

お風呂にしたって、私に先を譲る。
昔、私の家で風呂を沸かした時のこと。私の引っ越しの日であったから、他にも数人の男がいた。
風呂に入る順番を決めよう、じゃんけんしようか。そんなことを言って、なんとなく私が1番になった。弟に「お前も一緒に入るか」と言うた。その時は一緒に入ったのかな。よく覚えていないがそんな気もする。


学問をした者でないが、弟は道を知っている。弟のことを考えていると、よくそんな風に思う。

学問した人間でも、なかなか道理が分からない人がいる。頭で順序を理解していても、なかなか実践に至らない。我が出る。人の本性は立派なもので道に適うが、慾でそれが曇る。我が出ておかしなことになる。孔子はそう仰る。

その点、弟は道理を弁えている。ここには感心する。本性そのままの、弟の良い所だと思う。

 

弟は私に教わったというが、私は何も教えていない。そういう男なのだと私は思う。だから、色々な事件もありつつ、その上で兄弟付き合いができるのだろう。

その反面、思いて学ばざれば罔しで、ふとしたときにびっくりするような間違いもする。かつて先輩後輩だったころには厳しく責めたこともあるが、今は兄弟なので「睦」ということを重視している。

 

或る人が孔子に問うた。先生はなぜ政事をなされませぬか。

孔子はお答えになる。別に朝廷で政事を執る必要はない。孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に有政に施す。親に孝行したり、兄弟で仲良くしたり。それで立派に政事である。

 

身を修め、家が斉い、治国平天下。朋友同士、あるいは先輩後輩の関係ならば厳しく責めることもあるべきだが、兄弟はそういう関係ではない。

 

翌朝目を覚ますと、弟は朝食の準備をしていた。ご飯に味噌汁があった。その他にもいろいろあったが、覚えていない。

味噌汁にセロリが入っていたのは覚えている。朝食を食べつつ、昨晩残したブランデーを飲んだことも。

それと、朝の番組でASKAの薬物事件の特集をしていたこと。

 

 

学生時代、同級生はあまり飲まない方だった。飲み方もあまり楽しくなかった。

大勢で飲んでいるのにテレビやゲームに奔る。「男がこれだけおって、何でそんなことになるか」いつも不満であった。一緒に飲んで楽しかった、痛快であった、そんな思い出は少ない。

一人で飲めば昔を思い出す。昔、お酒を飲んだことも思い出す。不満の残ることはあっても、別に悪い記憶というほどではない。良いお酒を飲んできたと思う。

しかし頻度でいえば、弟と飲んだことを思い出すことが多い。当時から今に至るまで、一貫して、「近いうちまた飲もう」「いつ飲んでも良い」という男は、まあ弟が筆頭である。

 

 

 

数週間前に弟と飲みながら、ここに書いたような話をした。私たちが初めて、バーで会った時のことも。

初めて会った日、私は弟にとんでもないことを言っていた。お金を貸せと言った。

 

その日、友達の彼女が妊娠してしまったかもしれぬということで、私は相談を受けた。

まず検査したら良い。それで出来ていたら生むか。友人は生むと言った。

彼氏の方も、彼女の方も、私にとって親しい仲である。二人が付き合うにあたって、元カレ問題を私が処理したこともあって、他人事ではなった。

 

しかし学生であるし、お金に不安がある。親もなかなか頼れない。「分った、協力するから納得のいくようにしろ」と言った。お金のことは話さなかったが、それも含めて「協力する、何とかしよう」であった。

学内でカンパをしたらよかろう、足りぬ分はバイトしても良い、足りなければ借たらよい。そんな風に考えていた。

この相談を受けたその日に弟と会ったのだ。お酒を飲んでいたこともあって、その日初めて会った弟に、事情を極く簡単に話して「お金貸せるか」と言うた。

 

そのことを、私は全く覚えていなかった。弟から言われても思い出せない。

しかし先日、初めて会った日の話になって、私がなんとなく、

「あの日は友達が妊娠で云々で大変でなあ…」

と言った。その時の事情を細かく話したら、弟は、

「ああ、今、初めてつながりました」

と。なぜ私がお金を借りたがっていたか、10年以上経て、それが初めて分かったと。

 

当時、私はちょっと普通でなかったし、初対面でお金の話をした。弟は、付き合うべき人でないと思ったという。

しかし弟にとって、私は初めて見るタイプの人間であり、それでなんとなく興味があった。また家も近く、私が「今度うちに飲みにこいよ」と誘ったこともあって、もう一度飲んで見極めようと肚を決めた。

 

後日、バイト終わりに弟が我が家へ来た。

それを私は羽織袴で迎えた。最初に会ったとき、私はバーで飲むというので浮ついた気分があったし、その日、改めて交友を結ぼうと思うところがあったから、礼服で迎えた。

 

冬だった。

初めて会った日、弟はビールばかり飲んでいた。それを見て、ビールしか飲めぬ人らしいと分かっていたから、瓶ビールをたくさん買っておいた。冷蔵庫が壊れていたから、ベランダで冷やしておいた。

 

弟は羽織袴で迎えられ、部屋に入ると壁一面に本があった。

友達は、その後すぐに検査をして妊娠していないことが分かったし、私の方でも弟に「お金を貸せ」といったことはすっかり忘れていたから、再びその話は出なかった。

私が話すことや考え方は、弟からすれば特殊であった。良く分からないながらも、なんとなく信用できると思ったという。

何を話したか、私は全然覚えていない。しかし、私には大勢の友人がいて、似たような話はしたことがあるはずだが、感応したのは弟だけであって、やはり弟は私と通うところがあったのだろうと思う。

何でもない話をしていて、弟はしばしば「やっぱり俺は兄貴に似てますね」という。数ある薬味の中でもシソが一番好き、といった何でもないところで、「似ている」と言ってくる。

寄せてきているんじゃないかと思うこともあるし、そういうのはあまり好きでないが、弟が言ってくる分には別に不快でないし、「おぉそうか、お前もか、俺もそうだ」となる。

 

二回目に飲んだその日。一通り飲み終わってお開きになると、弟はそのまま帰るでなく、二人分の食器を全部洗って帰った。

私は、この男は道を知っていると思った。弟の方でも、私と付き合っていこうと、気持ちが固まっていたという。

 

それから間もなく、弟は私を兄として扱い出した。

私が、彼を弟として扱うには時間がかかった。申し訳なかったと思う。

私には血のつながった兄がいるが、弟はいない。弟を持つということがよく分からなかった。それで、受け入れるのに少々時間がかかった。

また人間、色々なことがある。悲しいことも含めて色々ある。兄弟付き合いをしたが、外からのこと、組織のこと、色々あってもう二度と会えなくなった男もいる。

 

そんなこともあって、義理の兄弟というものに難しさを感じてきた。

しかし色々なことを経て今がある。

弟は私の全てを知っているのではないが、まあ、親よりは知っている。それで未だに付き合いがある。

数年間、音信不通の期間もあったが、関係が切れない。

まあ色々な事情も知りつつ、数年間音信不通で、なお付き合いがある。親族ならそうだろうが、親族でなければどうか。

義理がなければまず無理だ。義理があるから関係が続く。

私は、この男を義弟として、ようやく本当に受け入れた。

 

そんなわけで、独りで飲めばしきりに思い出すし、独りで飲むことが少し寂しく思われる。そんな男を得たことをありがたく思っている。

まあ何にせよ、私の義弟は良い男です。

 

日々どれくらい勉強すべきか

質問をいただいた。

質問箱に書ける文字数は2500文字が最大らしい。

超過してしまったので、ブログでお答えします。

質問の内容は以下の通り。

 

例えばきっかけをつかむために、まずは5分や10分から始めるというなら、大いに結構だと思います。いきなり何時間もやるのは難しいでしょうが、続けるうちに1日1時間でも2時間でもできるようになります。

あるいは、時間があれば5分でも10分でもやる、というのも良いでしょう。実際の学習量は、5~10分よりずっと多くなるはずです。

これらの場合、積極的な姿勢で5分10分を学ぶのですから、大変良いと思います。

 

しかし、同じ5分10分でも、消極的な姿勢を以てするならば悪いと思います。文字通り毎日5分だけ、10分だけというやり方であれば、あまり意味があるとは思えません。

質問の文章から考えると、おそらく5分10分だけでどれくらい勉強になるか、の意味かと思う。

 

あくまで私のやり方ですが、私は筆写しますから多くの時間をかけます。先ほど、中庸を筆写しながら時間を計ってみましたが、1時間で原文を約200文字筆写できただけです。

孝経と四書は全部で約5万5000文字ですから、毎日10分では1650日かかります。もちろん、初学の段階では読むことにも時間を要するため、倍くらいかかるかもしれません。

 

孝経・四書は別々の5冊ではなく、ひとつのものとして学ぶべきです。理想は孝経と四書五経でひとつになることです。

孔子も、学問においては広く学ぶだけではなく約するのが良いと仰いました。約するとは集約すること。集約しなければ実践は困難です。集約するというからには、それぞれの経書を関連づけて、長く細く伸びたものにまとまりをつける必要があります。

一度通読するのに1650日もかけていては、それぞれの内容がのびのびになってしまいます。長く細くなるだけではなく、おそらく切れ切れになるでしょうから、約することができなくなります。

 

論語にもある通り、学問では「敏」ということが重要です。敏はやるべきことをすみやかにやること、学ぶべきことを速やかに、敏速に学んで行くこと。

1日10分と限って1650日もかけるなら、大いに不敏です。それを1日1時間で275日、2時間なら138日、3時間なら92日というように、できるだけ敏を心掛けてやっていくことが大切です。ただし雑に学んでは意味がありませんから、丁寧にやる中で精一杯、敏に勉めることです。

極く個人的な感覚で言えば、理想は3~4ヶ月、年に3度もやればかなりまとまった理解が得られます。1日10分ではどうにもなりませんが、1日2時間くらい継続すれば、あなたの云う「それなりの効果」も得られます。最低でも1日1時間くらいはやりたいところです。

 

もちろん、筆写は私がやっているだけで、人それぞれやり方があります。読むだけでもいいと思います。読むことに徹するならば、1日5分10分でも、1年もあれば通読できるでしょう。

しかし敏か不敏かで言えば、やはり不敏です。

最近よく思うのは、結局のところ「どれだけ熱心に勉めたか」という単純なことが、かなり重要だということです。

1日10分を10年やれば3万6500分の勉強ですが、1日1時間やれば約1.6年で同じだけ勉強できます。1日1時間やれば1.6年でできることを、1日10分で10年もかけているのでは、やはり不敏です。

前者は不敏にして約ならず、後者は敏にして約。その間の人生経験を考慮しても、1日1時間やるほうがはるかに良い結果が得られると思います。

 

 たとえ1日10分でも、10年もやれば立派だという人もいるでしょう。たしかに10年は長い。長いだけに悪い。

それだけの長い間、1日10分に限る不敏に気づいていない。それで何を学んだといえるのか。こういうのをダラダラとか、不精とかいうのであって、ひとつも立派なことはない。

 

孔子も以下のように仰る。

三年学んで穀に至らざるは、得易からざるなり。

ここの「穀」を「禄」、つまり就職して俸禄をいただくことと解する本が多いが、古注では「穀、善也」である。

三年学問して、善なるところに至らない。そういう人は、なかなか道を得るのが容易でない。

三年やって善に至らない、その理由は学問に対する姿勢が不真面目で、誠でないからだ。不誠実にやっておきながら敏ということはない、必ず不敏である。

ダラダラやれば、何年やったころで何もならん。三年間もダラダラやるような人間は、そもそも学問というものに向いていない。故に道を得るのが容易でない。

これは「学問するものは聡明であるべし」という意味ではない。

人によって頭の良さやセンスには差がある。学問する上で、頭の良さやセンスが全く不要ということはあり得ない。

しかし聡明すぎて道を得られない人は多い。逆に、愚鈍で道を得る人もまた多い。利口や馬鹿に学問は難しい。

 

1日5分10分やって何かを得ようとする。これは大抵、利口な者の考え方である。器用にこなす才があるものだから、効率などを考えながら小賢しくやる。

しかしこれが悪い。小賢しい人間であれば、三年学んで善に至らず、得易からざるなり。

三年もやって何にもならない。志の立て方や心の持ち方を最初に誤ったからだ。それを三年後に気づけば救いもあるが、多くは三年たって気付かない。三年やった自分は道を得たと勘違いする。これではとても利口とは言えない。

 

そもそも「1日〇分だけ」のように制限を設けるやり方は、儒学的におかしいでしょう。

曾子の三省も、1日に3回反省すると解することがあるが、これは日に3回ではない。3つの事柄について、日に何度でも反省する。しきりに反省する。


程明道先生と弟子の問答。

弟子が「私は曾子に倣って、1日3回反省しています」と言ったのに対し、明道先生は「他の時間は何をしている?」と仰った。

これはつまり、

「お前は表面(的な数字)にこだわっている。絶えず心を働かせて、反省すべき時にはいつでも、何度でも反省するのが正しい」

と指摘したわけです。


これと同じで「1日〇〇だけ」というやり方は基本的に間違いです。この意味においては、1日1時間でも2時間でも、10時間やっても、それ“だけ”と考えるなら間違いです。

君子終日乾乾夕惕若、日中勉めて已まず、日が暮れてからも慎んで怠らないのが君子の修養というものです。

もちろん、これは顔回のような人であって初めて徹底できることで、我々にはなかなか難しい。しかし、これを理想として力の限り勉めるべきで、初めから「5分だけ」「10分だけ」「〇分だけ(ならやる)」というなら間違っています。

 

 

徐々に敏を心掛けるのでなく、あくまでも1日5分や10分に限定して効果をあげたいと思っているならば、乱暴な言い方ですが、いっそのことやらない方が良い。

人によっては、あるいは学ぶ対象によっては、「1日5分でも10分でもやらないよりはマシ」と考える向きもありますが、これは儒学では通用しないと思っています。

1日5分10分で、何年間もダラダラやったところで「約」ということにはならず、切れ切れの知識と、ただ長くやった満足感だけ残ってしまうと厄介です。そうなると、半端な知識と、そこからくる間違った仁義で、却って人を傷つけるようなことになりかねません。

下手な正義感というのは厄介なもので、本人は正義だと信じているだけに、間違った方向へ徹底することもあり、周りを害します。そんなことになるくらいなら、いっそのことやらない方がマシです。

 

もし、あなたの云う「効果」が、「効率」の意味を含むのであれば、なおさらやめた方がよい。

5分10分でも十分な効果を得たい、そのために効率の良い方法はないか。そう考えると、どうしても安易な超訳の類に頼ることになるでしょうし、土台姿勢が間違っているのだからロクなことにはなりません。

一生涯、孜々として勉めるべき学問を、短時間で効率よく学ぼうとするなど、そもそもの姿勢からして間違いです。そのような精神性でやれば効果など期待できませんし、弊害の方が大きい。

何事にも正しい順序や姿勢があるのに、効果や効率を求めてそれを無視するなら、まともな発達はあり得ない。変なふうに発達する。何年もやって変態が出来上がる。儒学は正しい人間を作るための学問なのに、これではどうしようもない。

しかし後戻りは難しい。本人には変態の自覚がなく、どうかすると賢人くらいに思っているからだ。これは非常に怖いことです。

 

 

もっと根本的なことを言えば、効果があればやる、効果がなければやらない、そのように損得を考えてやるものではない。

それが学ぶべきことであるから学ぶ。良い人間になりたい、孔子に強く憧れているから、孔子に似たいと思っているから学ぶ。それで学ばないなら嘘だ。学んだことは、至らないながらも、なんとか実践してゆく。

正しい順序で、正しく勉めて、結果的に自分の心も正しくなった、効果が確かにあった。これがまともであって、最初から効果を問題にするようではおかしなことになる。

学ぶほどに良い人間になる。経書には確かにこの効果があるが、学んだ人間が皆聖人賢人になるとは限らない。この効果を得たいと思って学んだものの、変態で終わる人も少なからずいるでしょう。

また、時勢や命というものがある。学問して身を修め、延いては治国平天下ということを目指すのが儒学ですが、それを目指して努力を重ねて、却って迫害されることもある。効果が顕れないことはよくある。

孔門には、ここに苦しんだ人も多かったでしょう。しかし学ぶことを止めなかった。もちろん効果が顕れるに越したことはないが、効果は問題にならなかった。効果のために道を枉げようとした子貢を、孔子は「志が低い」と叱った。

正しいことだから学んだ。時に困窮し、迷うこともあったけれども、先生が正しいと仰るから苦労してもその道で良かった、その道が良かった。

孔子の弟子はそう考えて学問しました。儒学はそういう純粋な心でやるものです。

 

 

孝経をやり、四書をやり五経をやるのも、効果や効率を求めているのではなく、本当に徹底して学ぶべき重要な経典だからです。色々な本がある中で、効果や効率はどうでも、儒学ならばそれを学ぶのが正しいからそうするのです。それが結果的に効果的で効率も良いというだけです。

私が筆写するのも、私が思う謙虚で丁寧なやり方であり、私にとっての正しい学び方であるからです。効果・効率を求めたものではない。

筆写が効果的・効率的だと確信したのはここ1年くらいのことで、高校生の頃から15年以上、ただ丁寧にやりたくてやってきた。それ以前は非効率だと思うことのほうがずっと多かったけれども、それならそれで非効率を徹底するつもりでやってきました。

 

1時間や2時間は習慣的にやりたいところ。そんな風にもお答えしましたが、根本的なところをもっと考えてみてください。

謙虚な気持ちで、丁寧に、熱心に、敏に学ぶことです。根本通明先生は「やるべきことはすぐにやる、一分でもあればやる。時間がないなどといってやらないのは不敏である」と仰る。姿勢さえ正しければ、1日5分10分だけということにはなりません。何分、何時間と限りをつける必要もないでしょう。

あなたは「それなりの効果」を期待しているが、精一杯やれば「それなり」どころではない。道は無窮であって、それなりで終われるところなどありません。

 

この道理さえわかれば何も心配いりません。大いにやりましょう。私もやります。

なぜ儒教では婚礼を重んじるか

近思録に関する質問をいただいた。

 

 

これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。

実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。

極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。

 

 

節について

寡婦とは、普通「夫を失い(先立たれ)、再婚していない女性」を指す。

広義では、死別だけではなく、離縁した後に再婚していない女性のこと。

古代にも離縁ということはあったから、ここでは広義の寡婦とみて解説する。

 

伊川先生の「餓死は極めて小さく節操を失うは重大である」という言葉について、これは寡婦の観点で言ったものと思う。寡婦として餓死するか、再婚して餓死を免れて節操を失うか、ということだから、寡婦の観点だ。

しかし結婚、離縁、再婚といったことは、男女があって成り立つことであるから、寡婦だけの問題ではない。当然、男性側からもよく考えるべきことである。

ただし、現代の感覚では非常に分かりづらい問題だ。私自身、自分なりにこの問題に整理をつけているが、抵抗が全くないわけではない。

 

節操は本

どのようにお話しすべきか悩んだが、質問者の認識に大きなズレがあるように思う。

質問に「節操という末に拘泥して仁という本を見落としている」とある。ここが混乱の本ではないかと思う。

節操は末ではない。むしろ本である。

 

節とは

そもそも節とはなにか。

「節とは限りありて止まるなり」で、色々な規律や制限がある中で、それを超えずに止まることを節という。これは、法律やルールだけではなく、道徳的なことも含む。

節は元々、竹のフシを意味する。竹には節があって、中が空洞。節がなければ割けてしまうが、あるべき位置に節があるから高く高く成長できる。

竹が節で区切りながら成長するように、物事には区切るべきところ、越えてはならないところがある。社会における法律や制度、規律制限、また道徳的にいえば節度。

全ての物事には踰えてはならない一定の規律・節がある。明確な一線を設け、それをしっかり守るところに、順調・円満な発展がある。規律がなければ、社会というものは成り立たなくなる。

 

一個人の中でも、順調円満に発展するには守るべき節がある。誰でも、生きていく上で大切にしていること、大切にしたいこと、どうでもよいと思うこと、色々な規律・節を設けている。それが良い節であれば、固く守ることで順調・円満な発展がある。例えば、忙しくても毎日1時間は勉強しようという節。この節を固く守れば、その人は成長していく。

 

婚礼の重さ

集団にせよ、個人にせよ、順調・円満のために守るべき節を固く守ることを「節操」という。

節の中でも、礼節といえば礼における節度であり、その節を守ることが礼における節操。

礼義三百威儀三千、礼は多岐にわたる。その中でも、最も重いのが婚礼。婚礼は礼儀の始めであり、また人倫の始めでもある。

 

婚礼は礼の始まり

易経の序卦伝に曰く、

天地有りて、然る後に万物有り。万物有りて、然る後に男女有り。男女有りて、然る後に夫婦有り。夫婦有りて、然る後に父子有り。父子有りて、然る後に君臣有り。君臣有りて、然る後に上下有り。上下有りて、然る後に礼儀く所有り。

 

太極が天地に分かれ、万物が生まれ、人間でいえば男女に分かれ、男女があって夫婦というものができる。
昔は人間も、動物と同じようなものだった。男女の間も、オスとメスで子孫を遺すために交尾をするだけで、夫婦の形がなかったという。

子供を作れば男女が別々になったから、子は父が誰であるか知らなかった。それではいけないというので、伝説によれば伏羲ふっき氏が婚礼を定めた。

今で言うと、婚礼とは単に結婚周辺の儀礼を指す。婚約、結納、両家顔合わせ、結婚式、披露宴など。

しかしここは、天地あって男女あり、夫婦あり、この流れを踏まえると、結婚後も生涯続く夫婦の礼と捉えたほうが分かりやすい。

 

婚礼で男女が夫婦になり、生まれた子は父を知り、父子の関係ができた。

 孝経に詳しいが、子は父に孝を為す。愛敬親に事ふるに尽くす。

父に対する孝と母に対する孝は同じ。どちらも愛を以てする。父に対する孝と君に対する忠も同じ。どちらも敬を以てする。愛敬を以て親に事ふるならば、君主にも立派に事えることが出来る。
そこで、父子有りて然る後に君臣あり。愛敬あって忠孝両全となる。君臣の義、臣が君に事える道、君が臣を遇する道が立つ。


君臣の道が立てば、上下の道も立つ。君は上、臣は下。この別がはっきりとする。上と下、身分の高低が適切になれば、君臣だけではなく卿と大夫、大夫と士といった上下も成り立つ。
上下がはっきりと分かれてこそ、初めて礼儀が成り立つ。上の者には上の者の礼があり、下の者には下の者の礼がある。その礼儀を錯くことができる。
錯くは定める、設ける。礼は往来する。一方通行では礼儀は成り立たない。臣が君に礼を以てするのは当然だが、同じく君が臣に対する礼もある。こちらからの礼と、向こうからの礼がある。礼はわすもの、まじわるもの。

交錯という言葉もあるように、交わることを錯という。礼儀を定めることを「礼儀を錯く」といったことは、大変面白いところであり、礼の意義をよく表している。

 

婚礼は本

このように、夫婦があることは人倫の始めである。夫婦の礼、つまり婚礼が本になって、細かな礼も色々になって、やがて礼義三百威儀三千となっていく。婚礼は断じて末ではなく、むしろ本である。

これを軽視すれば、儒教の道徳は根底から崩れてしまう。だから、儒学では婚礼を非常に重く考える。

詩経を読むと、婚礼の乱れを嘆く歌がたくさんあるし、婚礼の乱れを世の乱れ、国の乱れの端緒とみなす思想が良く表れている。

 

夫婦の象は「恒」

易経の恒の卦、これは男女の道を説くものとして立てられている。そこにはこうある。

こうとおる。咎无とがなし。貞によろし。往くところ有るに利し。

恒は「つね」だが、常とは違う。常は日を象ったもの。恒は月に象る。
日、すなわち太陽はずっと変わらない。しかし月には満ち欠けがある。月が満ちて欠ける周期は一定であり「つね」であるけれども、月の形は始終変わっている。
常とは、どこまでも、なにひとつ変わらない「つね」。恒は、根本にひとつ変わらないところがあるが、表面的には変化してやまないことを恒と言う。

 

これを夫婦の道に象る。

男女が結ばれて家庭を持つ。恒なるところ、根本的に変わらない、変わってはならないひとつのもの、それは「離別することなく添い遂げること」「夫婦としての関係を終生継続してやまないこと」である。

 

夫婦として暮らすうちには、色々な変化がある。夫が昇進したり、会社をクビになったり、それで家計が豊かになったり、貧乏になったり。夫婦どちらかが病気をして苦しむこともあるだろう。子供が生まれることも変化だ。
色々な変化があるけれども、一生涯夫婦であり続けることだけは変わらない、それを夫婦の恒なる道とする。

 

夫婦の節を守ること

夫婦の節もここにある。離別は、変わるべきでないところまで変わってしまうのであって、恒ではなくなる。節を失うことになる。生涯夫婦であり続けるならば、恒であるし節を守ったことになる。

この一点を守る、夫婦の節を守って恒である。

そこで亨る。亨るは通る。夫婦として暮らすうちに色々な変化もあり、苦しいこともあるが、塞がってしまうことはない。咎められるようなことはない。

禍いを被って行き詰ることはなく、夫婦としての道が通る。家庭も円満になる。一家が盛んになってくる。盛んになれば、色々な方へ「往く」ということになる。益々盛んになる方へ往くところがある。

夫婦が乱れ、家庭ががたがたではどこへ往ってもダメだが、夫婦が恒であり節操を失わなければ利有攸往、どこへ往くにもよろしい。

 

夫婦節を守って天下平らかなり

これは、大学で云うところの「家ととのふ」。家が斉えば国も治まる。延いては天下平らかなり。

易の風火家人、これは家庭内の道を説くものだが、そこにもこう書いてある。

父父子子、兄兄弟弟、夫夫婦婦、而家道正。正家而天下定矣。

父は父たり子は子たり、兄は兄たり弟は弟たり、夫は夫たり婦は婦たり、而して家道正し。家を正しくして天下定まる。

夫婦としての節を守り、家が正しくなり、延いては治国平天下につながるのだから、婚礼というものはまことに重い。

 

寡婦の出ぬ仁政

しかし、男女で夫婦の道、節、恒を守ろうとしていても、どうしても守れないこともある。
たとえば夫が兵士にとられて、戦争で死ねば妻は寡婦になる。夫が病死することもある。やむを得ず寡婦になった女性がいる。その女性が餓死するほど困窮した時、再婚するのはどうか。


伊川先生は、それでも再婚は悪いと仰る。再婚すれば節操を失うと。

一度夫婦になったからには、夫婦として生涯一緒に居るのが節である。しかし色々な事情で、望まずして寡婦になった。そこで再婚しなければ節を失うことはない。もし再婚すれば節を失うことになる。

それよりは餓死したほうが良いというのが、伊川先生の考え。


これは、伝統的な儒学の立場から、婚礼を非常に重く見たものだろう。たしかに、伝統的なことから言えばそうなる。

とはいえ質問にある通り、伝統的な道徳を守るために寡婦が困窮し、時に餓死するようであれば、それは仁とは言い難い。

そこで聖人は、夫婦の節も守られ、寡婦も困窮しないのを理想とする。

 

寡婦が困窮しない政治

孝経にこうある。

昔、明王の孝を以て天下を治めるや、敢えて鰥寡かんかを侮らず。

古の立派な王は、孝を以て天下を治めた。鰥寡(年老いて妻のない男、年老いて夫のない女)を手厚く保護した。
鰥寡は年老いて妻や夫がおらず、頼れる人も少なく、困窮するし心細く暮らしている。徳のある君主は、そういう人も大切にする。


何でもそうだが、小さなことを大切にすれば大きなことも大切にできる。小さなことを雑に扱っておいて、しかし大きなことは綿密に、ぬかりなくやるということは中々ない。普段はデタラメだが、「いざとなったら」などと言う人間は信用ならない。

鰥寡を手厚く保護するような王であれば、一般の人民のことも当然気にかけて政事を行う。若くして夫に死なれた寡婦も当然侮らず。寡婦だからといって困窮して餓死するようなことにはならない。

 

王者の感化で寡婦が減る

そういう徳の高い君主が上におれば、その徳に感じて人々の心掛けも良くなる。

このような王は礼を大切にするものだし、もちろん婚礼を重んじる。人々もそれに倣い、婚礼を大切にするようになる。夫婦の道、節、恒も当たり前になってくる。

離縁する夫婦が減って、寡婦が出なくなる。

 

明君の「好生」

また、そもそも政事とは、民を生かすことを好んで殺すことを嫌う、これが根本にある。荀子哀公篇、孔子が哀公を諫めて仰る。

舜の君為るや、其の政は生を好んで殺を悪み、其の任は賢に授けて不肖をつ。

舜が君主であったとき、その政治は、民を生かすことを好んで殺すことを嫌う、これが根本であった。民を生かすために重要な任務は賢者に任せて、愚者には任せなかった。

 

民を生かすことを好み、殺すことを嫌う。このような君主であれば、無道な戦を起こして、人を殺すようなことをしない。戦争で夫を失った寡婦が出なくなる。


もちろん、生かさず殺さずということではなく、民が苦しむことなく、楽しく、幸せに、いわゆる鼓腹撃壌、そんな世の中を目指す。

食べ物に困らず、安楽に生きていくのだから、そうでないよりはずっと長生きできる。
医学が未発達であった当時、若くして病気で夫を失った寡婦もいたに違いない。しかし、徳のある王の治世では、そういう寡婦も出にくい。

 

苛政ではない(追記)

古の明君の治世は、苛酷なるところがない。至って仁政である。

論語八佾篇にこうある。

子曰く、射は皮を主とせず。力を為すに科を同じうせず。古の道なり。

皮は弓を射るときの的。この的は獣皮で作った。それを射抜くことを「皮」という。

射にも武としての射と、文としての射がある。ここで孔夫子が仰るのは文の方で、皮すなわち的を射抜くことを主とせず、礼儀を以て弓を執るを主とする。

力を為す、力とは力役のこと。公共工事などの労働に人々を用いること。

その際には科、力役を科するにも法があった。家の貧富によって上等・中等・下等の三つに分け、それに応じて負担を決めた。その負担が科である。

これらは古の道である。

 

弓を執るに礼儀を主とした時代には、力役を科するにも法があった。寡婦の家は貧しく、男手も少ないものだから、力役が免除された。

寡婦を保護する仕組みがあり、政治が苛酷でない。ゆえに法を犯す者も少なく、刑死する人も少ない。夫が刑死して妻が寡婦になる、といったことも少ない。

しかるに今はそうでない。古の道が良い。今日の道は宜しくない。孔子はそう仰った。

 

寡婦が困窮しない(追記)

婚礼が守られる、無道の戦がない、平和で生きやすい世の中である。これであれば、やむを得ない事情を除いて寡婦は生まれない。
また王は寡婦を保護するから、やむを得ず寡婦になった女性も「餓死か再婚か」の二択を迫られることはない。節操を守ることができる。

これが、儒家の理想とする政治である。

 

詩経の小雅、天保にもこうある。

天保定爾 天、なんじ保定ほてい

亦孔之固 はなはだ之れ固し

俾爾単厚 爾をしてまことに厚からし

何福不除 何のさいわいひらかざらん

俾爾多益 爾をして多く益せしむ

以莫不庶 以てもろもろならざるなし

徳のある天子が天下をよく治めている。徳のある天子を、天が保護している。

天の保護を受け、天子の徳治は固く定まり、虐政へと動くようなことがない。

単は誠。誠は純一無雑。単と複でいえば誠は単。ゆえに単と書いてマコトと訓む。

天は、天子の誠が厚くなるように導く。

除は開く。天の導きによって福が開く。天がそうさせるのだから、必ずそうなる。

 

また天は、天子が多くの益を得られるように導く。

徳ある天子は天下の利益と自己の利益を区別しない。天下が富めば自身も富むと考える。

易の家人の卦にも「王、有家をおおいにす」とある。天子の家は、天子ご自身の一家のみではなく、もっと大いなるものと考える。則ち天下が家であり、天下の人々は皆一家の者、身内である。

天子の家が富むことは、天下が富むことと同じ。ゆえに天の導きで天子が多くの福を得るならば、これは天下にとっても福である。

 

そこで、庶ならざるなし。人々が豊かになり、人口も年々増えていく。

仁政が敷かれており、よく治まっているから、人々みな将来への憂いがない。

男女の婚姻も正しく行われ、離別することもない。

誰もが健康で、戦もなく、病が流行することもなく、人が死ぬということが少ない。

夫婦円満で、子の養育に憂いがない。ゆえに子も多い。人がますます増える。

これが、儒家の理想とする政治である。

 

まとめ

伊川先生の「節操を守って餓死せよ」という考え方は、非常に厳しい。しかし、婚礼というのは、それほど重要なものである。
また伊川先生にも、礼を重んじる儒者としての節があります。弟子から問われて、「餓死するくらいなら、(人倫の始めである婚礼を棄てて)節操を失ってもよい」とは言えない。この辺の事情も汲むべきと思う。

 

「餓死か再婚か」ということだけを考えると「節操をとるべし」となる。

しかし、そもそもそのような選択を迫られる世の中・政治がおかしい、そうならないように孔子の教えがある。こういった思想が根本にある。

この根本を忘れると、確かに苛烈になり、不仁になる。礼は仁の発露であるはず、しかし礼にこだわって不仁になる。そういう弊は、古来、確かにあったろうと思います。

 

「餓死は極めて小さいこと」というのも、「餓死する寡婦が出るのは、社会的に些細なこと」というのではなく、「夫婦の礼節を守ることに比べると、些細な問題」ということと思います。

寡婦の節操に限らず、そういうことはいくらもある。困窮して餓死しそうだからと言って、盗み食いすれば節操を失う。それなら餓死したほうがよい。餓死くらいは取るに足らない。

そのような気骨があればこそ、道を全うに歩むこともできる。理想を追い求めることができる。

 

ですから私は、伊川先生の言を「節操にこだわって仁を見落としたもの」とは思いません。

伊川先生は、言葉などみると随分厳しい人に思われるが、不仁ではない。質問の章句の少し後に、乳母を雇う際の心掛けがある。これを読んでみてください。

 

苦節は悪い

夫婦の節でも、何の節でも、節は守るべきものです。
しかし節は節でも、節を定めるところが間違っていれば、おかしなことになります。節を守ることで順調・円満な発展があるべきはずなのに、それを守れば守るほど世の中がおかしくなる。
間違った節を頑なに守ろうとすれば、必ず混乱が生じます。例えば、法律や労役、課税といった制度があまりにも苛烈であれば、必ず混乱が生じます。


節は長く守っていくべきもの、また誰でも守れるように設けるべきです。ゆえに易の節の卦に曰く、

苦節は貞にす可からず。

制限規律があまりにも厳しく、自然の摂理や人間の本性に合わないものであれば苦節(苦しみを伴う節)です。苦節は長続きせず、固く守ることができない(貞ではありえない)。
秦が短期間で滅んだのは、法律があまりにも厳しかったからです。苦節によって滅んだといえます。

なんにせよ、節は大切でありますが、苦節は悪い。婚礼についても、苦節ではいけません。

 

現代でも婚礼は大事

聖人が定めた婚礼は、現代でも通用します。

単純に考えて、やむを得ない事情がなければ、離婚などせずにずっと夫婦でいたほうが良い。夫婦の道、節、恒を守って家庭円満。それに越したことはない。

 

婚礼などどうでもよい、気分で結婚し、嫌になったら離婚するがいい。人生色々、夫婦も色々。そんな馬鹿な考え方が当たり前になれば、世の中まるでめちゃめちゃになってしまう。

 

しかし苦節であれば宜しくない。節を守ることで悦びが生まれるようでなければいけません。

 

まず、学問道徳に勤しんで身を修めなければならない。家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。男も女も良い人間になれば、夫婦の節を守るにも無理がない。

そして節を守って、往く攸有るに利し。大きな悦びがある。夫も妻も子も幸せで、一家が栄えていく。そんな家庭ばかりであれば一国が円満になる。

夫婦の悦びが一家の悦びになり、一国の悦びになる。節を守って、悦びがどんどん大きくなっていく。節とはそうあるべきです。

 

夫婦の礼・節操は重んじるべきである。男女間の乱れに寛容な風潮は悪むべきである。

もちろん、それでもシングルマザー・シングルファーザーという人は実際にいるし、困ることもありましょう。そんな立場の人が困窮しない世の中を作っていく。
そういうことが大切であろうと思います。

礼とはなにか

礼について質問を受けた。

質問は以下の通り。


質問者は「礼=作法・法律」と解釈している。これも間違いではないが、この見方に偏るならば現代的な解釈であって、礼の本質がわからなくなる。

本人が仰る通り、極く初学者向けにお話しする必要があるように思う。

できるだけ難しい話は避け、なるべく簡単に、丁寧にお話ししてみたい。

根本的な部分はくどいくらいにお話しすることになるかと思う。

 

 

そもそも礼とは

まず、もっとも基本的な部分をお話ししたい。

礼とはなにか。極く簡単にいうと、「人が人として為すべき行い」である。

 

現代では礼儀作法、マナーのように考える。

作法やマナーも確かに礼である。しかし、これは飽くまでも人の為すべき行い、それも極く小さなものが外部に表れたものにすぎない。

礼とは本来、もっと内面的・精神的なものであり、大きなものである。

この精神的で大きな礼を、儒学では大変に重くみる。

 

質問者は、礼=法律のイメージを抱いている。

法律は礼であるかどうか。

法律は、法で人を律する。人が不正に陥らないように律する。為すべきことを正しく為せるように律する。為すべきことを為すのが礼であり、それを促すのが法律であるとすれば、法律も礼の一部といえる。

書経などを読むと、そのように書いてある。

 

ただし、これはかなり原初的な考え方であって、論語になると法律と礼は別物になっている。事前・事後で区別する。

法律は事後的である。悪事をなしたものをどうするか、例えば初犯であれば軽い罰を与えて改心を促し、再び同じ罪を犯さないように導く。正しい道に復るようにする。これが法律である。

 

礼は「人が為すべき行い」である。礼を正しく履むならば、人として正しく振舞うことができる。罰せられるような間違いも出てこない。つまり礼とは、人の悪事をあらかじめ防ぐものであり、事前的なものである。

 

礼の形は大小色々

儒学では、礼を非常に重んじる。人が人として為すべきことを為すが礼、ならば重んじるのは当然である。

礼を重んじる国は必ず栄える。国中の人々が、自分が為すべきことを正しく為すのだから、国が良く治まって栄える。

 

とはいえ、単に「為すべきことを為す」では、具体的になにをどうするかがわからない。

これは大きな礼であって、礼にも大小色々ある。

礼儀三百威儀三千というが、小さな礼もたくさんある。身分に応じた服装。祭祀における作法。靴のそろえ方。目上の人の部屋に入ろうとしたら靴が複数ある、来客中らしい、さてどうする。

守るべきことや心得が細々とある。細かいほど礼は小さくなる。

あまりに小さくなると、形式に流れる。「礼=礼儀作法、マナー、法律」といったイメージにもなる。

 

しかし礼は「為すべきことを為す」が根本である。「人が人として為すべき行い」を根本として、対象や目的によって形を変える。

色々な制度があるが、これも結局は礼の一形態である。国家において君主はどうあるべきか、臣下はどうあるべきか、臣下は臣下でも職分に応じてどうあるべきか、どう務めるべきか。これを定める制度がある。

極く小さなところでは、大夫が参朝するにはこの服を着なさいとか、君臣集まって食事をするには、席順はどうであるとか、だれそれは御膳がいくつであるとか、そういった細かな制度がある。

これも礼である。

君主の礼とは「君が君として為すべき行い」であり、臣下の礼とは「臣が臣として為すべき行い」である。

 

論語顔淵篇で、景公が孔子に政事の要道を問うた。

孔子が答えて仰るには、

「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」

これは、其々が其々の為すべき行いを為すことであり、礼を重んじることに他ならない。

 

日常のマナーも同じである。

ごはんを食べるときの作法が礼記に色々と載っている。現代でも、やかましいマナーが色々あるという。

これも、人が人として為すべき行い、礼が基本である。人に招かれて食事するには、客である我が為すべき行いを考え、非礼にならぬようにこうせよ、ああせよといったマナーが出てくるのである。

 

礼に立ち返るとは

孔子の仰る克己復礼、これは「我が身(己)を慎んで欲に克ち、礼に復る」ということである。

我が身の欲に溺れると、我が人として為すべき行いもできなくなる。礼に悖る。

我が身の欲に克って、我が人として為すべき行いができるようになる。礼に復る。

 

礼とは、為すべき行いを履むことであり、外部に表れるものではあるが、本当は内面的なものだ。自分の中に在る。制度や礼儀作法、マナーなど、外部的な趣も多分にあるけれども、結局のところ「各々よろしきように履み行え」ということであるし、礼を履むのは自分である。

私欲に溺れて礼に悖るのも自分である。一旦は私欲に溺れたとしても、私欲に克って礼に復るのも自分である。

 

失った礼に再び戻る、だからここでは「復」の字である。

復習、一度学習したことに戻ってまた習う。

復礼、元々我が身にあった礼に立ち戻って礼に適う。

 

仁は天の徳である。天に在っては「元気」などといい、人に在っては「仁」という。同じものだが、そう呼び分ける。

仁は誰でも持っているが、私欲に溺れると曇ってしまう。我が身の欲に克てば、我が心の本性が発達し、旺盛になり、仁の徳が現れてくる。

このように考えると、礼に立ち戻ること、それで仁を得ることが分かる。

 

礼は人を尊ぶ(加筆・修正)

曲礼に曰く、夫れ礼は自ら卑しくして人を尊ぶ。

 

この「卑しい」とは、「欲が深い」「下品」「みすぼらしい」といったことではない。

古い本では、単に高い・低いの意味で用いる。低いことを卑しいという。「卑(ヒク)い」とも読む。

 

身を低くする、これはへりくだること、謙遜のことである。曲礼によれば、まず謙遜することを教える。

我が身を低くする。我が身を相手より低くすれば、相対的に人の方が高くなり、自然と尊ぶことになる。「自ら卑く」と「人を尊ぶ」は切れ切れの働きではなく、自然な流れである。

ただし、自分の価値を下げよう下げようとするのは卑下であって、謙遜ではない。

道の無窮を思い、勉めて已まない心を持ち、どこまでも足りないと思う。自分にどれだけ学問道徳があっても、大なる功があっても、自分では十分と思わない。底から足りないと思っている。ゆえにどこまでも小さくなれる。

 

そもそも「謙遜」とは何か。これを考えると一層よくわかる。

謙は普通「へりくだる」だが、「小さい」が本義である。謙はもともと兼と書いた。兼は「合わせる(かねる)」。小さいから足りない、ゆえに合わせる。小さいが本義である。
その後、兼から嗛になった。嗛は「口に含む」の意味だが、本義は「小さい」。小さいから口に含むことができる。

その後ようやく嗛から謙。謙も本義は「小さい」。自分に大なる才能・学問・功績があっても、大きくならずに小さく慎んでいる。そこから「へりくだる」の意味も出てくる。

謙を単に「へりくだる」で考えると、卑下に陥りやすい。そこで、兼の本義(小さい)で考えると、謙遜の本質が良く分かる。

特に謙は「言+兼」、ここが面白い。
言は言う。それを兼、小さくする。言葉を大きくしない、いわゆるビッグマウスではない。自分の学問や功績を誇らない。声を大にして主張したり、他人を凌いだりすることがない。主張するにも、ごく控えめに、穏やかにする。

詩経の大雅に「皇矣」という詩がある。曰く、

予懐明徳。不大声以色。(予明徳を懐ふ。声と色とを大にせず。)

明徳を備えた人は、その人自身が徳のあることを主張せずとも、周りの方で自然と分かる。その人が大きな声で呼びかけたり、顔色を正して臨んだりせずとも、周りの方で自ずと分かって敬服する。

兼は、(小さいものを)兼ね合わせる。言を小さく、自分を小さくして、他者の力と兼ね合わせるのである。大きな声で他人を圧倒して従わせるのではなく、「私は足りないところも多いから」という態度で小さく慎んでいる。周りの方でも、その人がまことに謙遜であること、誠のあることを知って、自然と調和してゆく。

これが本当の謙遜であり、曲礼の「自らを卑くし」とはこういうことである。

 

まず謙遜、謙遜すれば自然と人を尊ぶことになる。

我が礼を以て人を尊ぶ、こういえば一対一の小さな礼に思えるが、そんな小さなものではない。

自らを卑くし、小さくなることで、一層大きな働きを求めるのである。謙なる忠臣は小さく慎み、地位の低いところの賢人にへりくだって教えを請い、協力を求める。身分を問わず、兼ね合わせて奉公する。

これが大いなる働きにつながる。どんな人物も一人で大事業を成すことはできない。多くの力を兼ね合わせてこそ、大きなことが成る。

一人で奮闘するよりも、ずっと大きな働きになる。

自らを卑くして人を尊ぶ。この礼が「挙国一致」をもたらす。真に礼を知る忠臣を得た国は幸いである。

 

内部の礼も外部の礼も同じこと(加筆・修正)

礼は本来我が身の内にあり、立ち戻ったり離れたりするものである。極く内面的なものである。それがなぜ人を尊ぶことになるか。

質問者はここに悩んでいたが、もう分かったのではないだろうか。

 

内面的な礼は外部に出てくる。礼とは、人が人として為すべき行いである。為す・行うというからには、外部に表れている。外部に表れるからには、必ず対象がある。礼が人やその他に向かう。

 

礼の始めに自らを卑くする。これは内面的な礼である。しかし、結果的には人を尊ぶことになる。

謙遜し、人を尊ぶ気持ちがあれば、色々なところでそれが言葉や行いに表れる。小さな作法やマナーにもなる。

自らを卑くし、地位の低い賢人に下って教えを受け、あるいは協力を得て、高い地位の大臣や君主に奉公していく。その誠に感じ、やがて挙国一致の状態が生まれてくる。

内面的な礼(謙遜)が外部に表れ(人を尊ぶこと)、どんどん大きくなっていく(挙国一致)。

我が身の内にある礼も、外に表れる礼も一貫している。ただし、内が主、外が従であることは言うまでもない。

 

礼が国家に与える影響(加筆・修正)

質問の②についても、ここまでの内容から察せられると思う。

荀子は「礼がなければ国が正しさを失う」という。これはなぜか。

 

礼がなければ国が正しさを失う理由

礼とは、人が人として為すべき行いである。礼がなければ、人が人として為すべきことを為さなくなり、勤労や順法といったこともデタラメになる。

詩経など読むと良く分かるが、特に男女の礼が乱れると国は必ずおかしくなる。左伝だけでも多くの例がある。男女の礼の乱れは、為政者が淫乱に耽ることに始まる。

礼がなければ国が正しさを失う。これは当然のことといえる。

 

礼があれば国は正しさを得る

逆に、礼があればどうか。これは、国が正しくなる。

一個人の道徳でみると、克己復礼で仁を得る。

国家規模でも同じで、克己復礼で仁政に近づく。為政者が克己復礼で仁を得るのだから、当然仁政が実現してゆく。真に礼を知る忠臣によって挙国一致となれば、為政者も人民も挙って礼に勉める。これで国が正しくならないはずがない。

だから孔子は、為政者から政事に就いて問われた時、礼の重要性を強調する。

 

孟子の言も同じ

質問者は、孟子を読んで「仁がなければ国が正しさを失う」と思った。

これはどうか。

 

過去の質問でお答えした通り、礼は仁の発露である。

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不仁であるから非礼が出てくる。非礼が出てくるなら、それは不仁だからである。

仁がなければ礼もない。礼がなければ国が正しさを失う。

故に、「仁がなければ国が正しさを失う」も「礼がなければ国が正しさを失う」も、どちらも正しい。

 

「天徳」で捉える

仁と礼は別々のものではなく、一体のものとして考えるのがよい。

色々な徳があるが、どれも密接な関係にある。人間の都合で色々な徳に分けているだけで、本来は一つの徳である。これが切れ切れになると混乱する。仁と礼を別々に考えると、わからなくなってしまう。

仁、礼、義、孝、忠、智、色々な徳があるが、これらは結局のところ基は一つである。

物を育むところでいえば仁、育んだものを大きくするところでいえば礼、大きくなったものを整えるところでいえば義、整えたものを固めるところでいえば智。

この四徳は、結局のところ「天徳」であり、天徳の表れ方に応じて仁とか礼とか呼び分けたに過ぎない。

もう少しかみ砕けば、天徳は天地の生成の徳。易では「天地之心」などとも表現する。どれも元は同じ。

ゆえに「義がなければ国が正しさを失う」も正しい。「孝がなければ」でも「忠がなければ」でも正しい。

 

まとめ

①の質問は、それなりに平易にお話しできたと思う。

しかし②となると、国という大きなものが絡んでくるだけに、話も大きくなってしまう。うまくお答えできたかどうか、わからない。

言葉を尽くしてわかるものだろうか、却って遠ざかるのではないか。そんな気もします。

 

なるだけ自得することを目指して励みましょう。

この文章が、いくらかでも助けになればよいと思います。