周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

「立つ」とは何か ―孔夫子三十の境地―

儒学をやっていると、志について考えることが多い。

孔夫子の志はどこにあったか、またその志によってどのように人格を形成していったか。これを深く考えていくと、論語の読み方が正しくなるように感じる。

いくつか気づくことがあったので、簡単にまとめてみる。

 

道に志し、徳に據る

論語述而篇にこうある。

道に志し、徳にり、仁にり、芸にあそぶ。

そもそも「志」は心の志向するところをいう。「こころざし」の『ざし』は「まなざし」の『ざし』と同じで、ある方向へ一直線に進むこと。

華厳経の注釈書には、志の訓みについて「心刺すなり」とあって、これが分かりやすい。刀を使うに斬ると刺す(突く)とあるが、刺すは定まった方向への直線的な動きである。

志は心刺し、心が特定の方向へと真っ直ぐすすむのを志という。

 

人は道に志すべきである。心を尽くして、道を履むべきである。

「道徳」というが、道と徳には明確な違いがある。志を以て履み行う方から言えば「道」、その結果として我が身の内に自得したものを「徳」という。徳者得也である。

道に志すことがなければ徳を得ることもない。徳を得なければ、そこに腰を据えて、徳に據って立つこともできない。

 

孔夫子の志

為政篇の有名な言葉。

吾十有五而志于学。

孔夫子が学問に志したのは十五歳であった。

 

中庸に、

天の命ぜる、之を性と謂ふ。性にしたがふ、之を道と謂ふ。道を修むる、之を教へと謂ふ

とある。

「学に志す」というのは、「道を修むる教えを学ぶことに志す」のである。

この学問によって道を修めると、やがて性に順うことになる。天にまつらふところに行きつく。こう考えると、孔夫子は十五の頃、聖人の道を志したともいえる。

 

もちろん、学に志したころの孔夫子が、性や天というところまで見据えていたとは思わない。しかし、この立志によって聖人の域に達したことは間違いない。

やはり、志は正しくあるべきだ。

 

徳に據って立つ

道を志すところから出発して、やがて徳に據ることになる。

この「徳に據る」ということを色々考えると、吾十有五而~の章句の理解が深まる。

 

十五で学に志した孔夫子は、三十にして立ったという。

この「立つ」について、よく「精神的・経済的自立」と解する。

これも間違いではないが、私には不十分に思われる。

精神的・経済的自立は当然として、それ以上に「徳に據って立つ」と考えるべきではないか。

 

「立つ」とは

人は生まれると、最初は床でごろごろしているだけだ。何ヶ月かするとハイハイをするようになり、一年くらいでようやく立つ。

私の甥もまもなく一歳。つかまり立ちを始めている。

 

学問に志し、道を学び、やがて三十で徳に據って立つ。子供の身体に極まりがついて立てるようになるのと同じで、学問道徳に極まりがついて立てるようになる。

徳に據って立ち、そこから動かないようになった。しっかり立って動かないことを「立つ」という。

 

雷天大壮

易を読むと、これが一層良く分かる。

易の六十四卦に雷天大壮の卦がある。大壮たいそうの大は陽・剛、壮は盛んなることを云う。

鄭玄の解では、壮を「気力浸強之名」とある。浸は「ようやく」で、気力が次第次第に強くなり、やがて気力が充実した状態を壮とする。

 

壮年という言葉があるが、壮は人間でいえば三十歳である。

十歳、二十歳と成長するにつれて徐々に気力が強くなり、やがて壮年三十歳で気力がようやく充実した。

孔夫子が三十、壮年に至って立ったというのも、

「十五で学に志し、十五年間にわたって道を履み、ようやく気力が充実し、徳に據って立ち、そこから動かなくなった」

ということである。

 

気力が弱ければ道から外れる

気力が弱ければ、徳に據って立つことはできない。艱難に見舞われると容易に動き、道から外れてしまう。気力が強ければ動かない。

 

若いうちは、據って立つべき徳がない。さらに未だ壮ならず、気力が弱い。これでは道から容易に外れる。

私自身の経験から言っても、学生のころから政治活動などやるとロクなことにはならない。若く、純粋で、熱意もあり、正義を求めて色々に活動するが、大抵は大人のいいように使われているだけで、結局何にもならない。

気力が弱く、足元が覚束ない。據って立つべきところが定まらず、足元をすくわれ、いいように使われ、道から外れてしまう。

 

若者が政治に関わる是非

若い人が政治に関わるのは、果たして良いことか、悪いことか。

私は良くないと思っている。

 

そもそも、若い人が政治のあり方を嘆いたり、安易に政治活動に身を投じたりするのは、大人や社会が悪いからである。

社会を動かすのは大人である。大人が悪ければ社会も悪い。

 

大人に信用がなく、社会に絶望感が渦巻き、若い人を義憤に駆り立てる。

大人が信用され、社会に安心感が満ちていれば、若い人は政治のことなどあまり考えずに学問に専念できる。

 

確かに、国の将来を担うのは若者だ。

だからといって、「国の将来のために、若いうちから政治に関心を」というのは違う。

「国の将来のために、若いうちはあれこれ考えず大いに学びなさい」というのが本当ではないか。

若い人が、不十分な力を以て政治に関与しなければならない、これは異常ではないか。

 

余計なことだが、私は常々こんなふうに思っている。

 

潜龍勿用

易の乾の卦にも「潜龍せんりょう用ゐるなかれ」とある。

龍は千年間も地の底に潜んで徳を養うという。気力が不十分なうちは、徳に據って立てないうちは、地の底に潜み続ける。

そして十分に徳を積み、気力が充実したら地上に現れ、天に昇り、雲を呼び雨を降らす。

 

孔夫子が十五で学に志してからの十五年間、これが潜龍の千年間に当たる。

そして三十にして徳に據って立つ。これは徳を十分に積んだ潜龍が、もういつでも地上出られる、見龍けんりょう(地上にあらわれた龍)にいつでもなれるというところ。

 

世に出て何か為すには、やはり潜龍、地道に学問道徳を積む期間が必要である。

地上に出られるだけの徳を修め、それに據って立ち、そこで初めて見龍となる。

未だ立たない若いうちから世に出ようとするのは間違いで、徳に據って立つことを目指して、学問に励むべきである。

 

孔夫子の仰る「三十而立」の四文字には、こういう教えが含まれているのである。

 

一人前になる

「立つ」を言い換えると、「一人前になる」ということだ。

学問道徳を積み、気力も十分で、世のために一人前の働きができることを「立つ」という。

 

ただしこの時点では、あくまでも「立つ」であって、「歩む」とか「進む」ではない。

学問道徳が充実していて、気力も極く強い。進もうとすればいつでも進むことができる状態を「立つ」という。これが孔夫子三十歳の境地であった。

 

単に精神的・経済的自立したというだけでは、徳に據って立ったとは言えないし、大壮であるとも言えない。

精神的にはまあ大人で、経済的にも豊かだが、徳に據って立っているわけではなく、気力も弱い。そんな人はいくらもいる。潜龍としての修養を怠ったためである。

 

「三十而立」を「十有五而志于学」の延長で考えても、やはり「精神的・経済的自立」よりも「徳に據る」で考えるべきと思う。

そう考えてこそ、孔夫子の四十、五十、六十、七十の境地も分かりやすくなる。

 

孔子の言葉は油断がならぬ

十五で学に志す人は少なくないだろう。私も大体十五から儒学をやっている。

ただし不真面目であったから、色々な学問にフラフラして定まらなかったし、三十で立つこともなかった。よほど真剣に学ばなければ、徳に據って立つことはできない。

 

ただし、決して不可能なことではない。

そもそも孔夫子は、不可能なことを教える人ではない。孔夫子が「正しい志で学び、道を履めば必ず徳に據って立つようになる」と仰る以上、必ずそうなる。

そうならないのは、志の立て方や学び方、道に対する姿勢に問題があるからで、孔夫子の教えに問題があるのではない。

 

実際、儒学をやるとものの見方・考え方が変わる。何でも道に照らして考えるようになる。行動も変わってくる。これは、徳に據って立つところに近づいているといえる。

 

また、論語を読むと慎み深くなる。物事を軽々しく考えることがなくなる。騒がしいところが減ってくる。立つ・動かないということに近づいていく。

孔夫子が十五で学に志した、この志の意味を知れば知るほど、三十にして立つまでの十五年間、その積み重ねを思うほど、学問に不真面目ではいられなくなる。

 

たまにこんな意見がある。

孔子だって十五歳まで勉強しなかった。三十歳まで自立しなかった(だからそんなに焦って勉強する必要はないし、焦って自立する必要もない。もっと気楽にいこう)」

論語読みの論語知らずというが、まさにそれである。

孔夫子の十五の志、徳に據って立つまでの刻苦勉励を思えば、こんな解釈にはならない。

 

本は何でもそうだろうが、殊に論語は、読み手によって価値が全く変わってくる。

呑気に捉えて修養を怠れば、三十はおろか四十になっても五十になっても、死ぬまで「立つ」というところに至らない。

慎んで怠ることなく、油断せずに深く深く読んでこそ、初めて論語の価値が出てくる。

 

公田連太郎先生は、易経の繋辞伝(易経中、孔夫子が書いたとされる十翼のひとつ)を講ずる中で、このように仰った。

開物と成務と冒天下之道と、これらの三ヵ条を、聖人孔子は、声色を厲しくせず、平気な顔をして説いておられるが、しかし実は人間世界のあらゆる仕事は、この三ヵ条のほかに出でるものはないのである。

人間は、時代と環境と位地とによって、いろいろな職務に従事しておるのであるが、それらのいかなる仕事も、この三つのほかに出でるものはなく、人は各々この三つの箇条の中の極めて小さい一部を担当しておるに過ぎないのである。

孔子は平気な顔つきで、平易な言葉遣いで、こんな途方もなく大きいことをいっておられるのである。論語などにも毎度これがあるので、孔子の言葉は、まことに油断がならぬ。

繋辞伝は、ほとんど全部がこれなのである。恐ろしい油断のならぬ文章である。

 

この記事で取り上げた章句は、これまでに何度も読んだ。短い章句であるし、暗誦もできるほど身近である。しかし今回初めて、「立つ」ということを深く考えた。

 

学べば学ぶほど、学問が浅いことを自覚する。

学問が少し深くなったからこう自覚しているわけで、大変ありがたく思っている。