人から評価されること、良い評判がたつこと、名声を得ること。
このようなことについて、儒学ではどう考えるか。
高く評価され、名声を得ると、それなりにお金なども入ってくる。
それ自体は悪くない。受け取って良いし、受け取るべきである。
義があって利を得るなら何も悪いことはない。むしろ、義があるのに利を避けるのは不自然である。孔夫子は、利を見ては義を思え、取るべき(義)ものは取れ、取るべきでない(不義)ものは取るなと仰った。
不義の利が悪いのである。10の仕事に対し15の利益を取るのは不義であって、悪い。
身の丈に合わない評価を受け、実際以上の名声を得ることも不義である。
それを特に恐れたのが子路であった。
今回はそんなお話し。
子路有聞、未之能行、唯恐有聞。
これは、子路が実行を重んじた人であったことを示す、善い章句である。
解釈は2つある。
1.一般的な解釈
大抵の本(私が持っている色々な論語のうち、根本先生の『論語講義』を除く全ての本)は以下のように読み、解釈する。
子路聞くこと有りて、未だ之を行ふこと能はざれば、唯だ聞くこと有らんを恐る。
1-1.何を聞くことを恐れるか
細かいことをいえば、「唯だ聞くこと有らんを恐る」というのにも二つある。
一つは、新たな教えを聞くことを恐れた。
子路は実行を重んじた人であったから、ひとつを十分実行しないうちに新たな教えを聞き、それも十分実行できないうちにまた新たな教えを聞き、積もり積もって収拾がつかなくなることを恐れた。
もう一つは、ある教えを聞いて(聞くこと有りて)、それを十分実行できず、それがために同じことを再び聞かされること(同じことで叱られるなど)を恐れた。
大抵は一つ目のように解いているが、服部宇之吉先生の本には二つ目のように書いてある。
長い間、私もこれでよいと思ってきた。
1-2.子路の人柄
子路といえば剛直で、正直な人である。小細工をせず、弁舌を弄せず、孔夫子に真っ直ぐ意見したのも子路であった。
もちろん、これはある意味で美点である。正直が過ぎて不器用なところもあったろう。
孔子から教わったことを、熱心に、愚直にやろうとした人であったろうと思う。
2.子路の性質
しかし論語を学ぶにつれて、いささか疑問が生じてきた。
このような慎みある態度がしっくりくるのは、子路ではなく曾子である。孔子はしばしば、子路の慎みのなさをたしなめている。
子路は実行を重んじたが、慎んで一つ一つ着実に実行していくというより、孔子の教えることならなんでも聞きたい、学びたい、実行したいという人ではなかったか。
2-1.負けず嫌い
孔夫子が子路に言った有名な言葉。
由 、女 に之を知るを誨 へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。
子路よ、お前に「知る」ということを誨えよう。知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとせよ。それが知るということだ。
誨と教は違う。誨は諭すほうである。直接的に「こうしなさい」「それはすべきでない」と指導するのではなく、相手が悟るように、懇ろに諭すのが誨である。
なぜ孔子はこのように誨えたか。
子路は積極的で、剛直で、負けず嫌いな人であった。知らないことでも知っているとすることがあった。朋友と会話するときなど、そういうことがあったのだろう。
また孔子に教えを受けるにしても、知らないことまで知っているとして、あれもこれもと聞きたがる所があったのではないか。
そう考えると、「聞くことを好む弟子」を誨える言葉であり、「聞くことを恐れ慎む弟子」を誨えるものではない。
これは子路の志が篤いからであって、必ずしも悪いとは言えない。しかし、学ぶ上では好ましくないし、特に子路にとっては良くない。だからこのように誨えたものと思う。
2-2.積極的な人
確かに、この言葉には「一つ一つしっかり学べ」の意味もあるだろう。しかし「一つ聞いて、十分に実行しないうちは決して聞くな」という深刻な感じはない。
一つでも聞けば、子路は実行を心掛ける。そして、まだ実行が十分でなかったとしても、先生が何か言ってくださるなら何でも聞きたい、嬉しい、いくつでもやりたい。子路は、そういう積極的な人であったろう。
先進篇を読んでも、子路は聞くことを好んだように思われる。
子路が「聞いたことはすぐに行ってよいですか」と問うと、孔子は「すぐに行ってはいけない」と諭した。
しかし冉有が「聞いたことはすぐに行うべきですか」というと、孔子は「すぐ行え」と勧めた。
子路は積極的な人で、聞けば真っ正直にやる。それが危うさでもあるから、孔子は子路を押さえようとした。
冉有は消極的な人で、聞いたことを実行するのに躊躇するところがあったから、孔子は実行を促した。
これを読むと、孔子は子路の様子を見ながら、有り余る積極性を押さえながら教えたのだろう。聞くことを好む子路に「少し落ち着きなさい」ということもあったかもしれない。
孔子の方から子路の積極性を押さえたのであって、やはり子路には聞くことを好む積極性があったように思える。
一つを聞いて、慎んで修め、十分に実行してから初めて新たに聞く。もし子路がそういう慎重な人であったなら、孔子が「過ぎる」として押さえることはないだろう。
私には、子路が聞くことを恐れる人であったとは思えない。
2-3.孔夫子の教育法
それに孔夫子は、超一流の教育者である。弟子に合わせて教え方を自由自在に変える。
「一つずつしっかり学べ」というにしても、同じことを色々な例えで繰り返し教えたり、前に話したこととつながるように教えたり。
積極的に教えを乞う弟子には、いつでも喜んで教えただろう。
「知らざるを知らずと為せ」というもの、子路が聞くことを好む人であったから、
「お前が聞くことを好むのは大いに結構であるけれども、知らないことは知らないと認めて、知らないことほどよく聞きなさい」
と誨えたのではないか。そうすれば、聞きたがりの性質が進歩に役立つ。
少なくとも、弟子が新たに聞くのを恐れるような、そんな教え方を孔子がするとは思えない。
新たに聞けば、新たに聞いた分だけ蒙が啓けて道に進む。そんな教え方であったと私は思う。
求められればいつでも、機会があればいつでも、あの手この手で教え、道に進ませる。孔子がそれを好むのだ。それを子路が「まだ前のことが十分でないから、新たなことを聞くのは嫌です」などと言うだろうか。
私には、喜んで聞く子路が思い浮かぶ。
3.もう一つの解釈
私の中での子路のイメージが明確になるにつれて、従来の解釈に満足しなくなった。
そして去年、根本先生の『論語講義』を読み、全く異なる解釈を知った。これは私の子路のイメージにぴったりであった。
3-1.聞=声誉の解釈
根本先生は以下のように読み、解する。
子路
聞 有り、未だ之を行ふこと能はざれば、唯だ聞 有るを恐る。
子路は評判が良かったが、評判にふさわしいだけの行いが未だなかったから、自分の評判が立つことを恐れていた。
正字通に「聞、声誉曰聞」とある。
根本先生は、聞を「聞く」ではなく「声誉」と解する。善い評判、名声の意味である。
3-2.子路の評判
子路は剛直で正直な人で、侠気もあり、まあ正義漢である。それが色々な善にも繋がった。
難しい揉め事があっても、子路が出ていけば丸く収まったという。
地域を治める立場にありながら、人々と一緒に汚れて働き、食べ物を配った話もある。
子路が孔門に入ってから、孔子の悪口を言う者がいなくなったという。正直で信頼できる子路があれだけ慕うのだから、孔子という人を悪く言うべきでない。悪く言えば子路が怖いというのもあるが、ともかく偉い人なのだろう。
それで、孔子を悪く言う者がいなくなった。
ともかく、人からの評判は良かったろう。
民衆はこういう人を好む。特に義侠心があるのが良い。日本でも清水次郎長や国定忠治、幡随院長兵衛などは人気者である。
私の贔屓は幡随院長兵衛である。この人は男伊達が過ぎて殺された。
3-3.正直”過ぎる”
子路が立派であると評判になったのは、剛毅や正直、義侠心のためである。孔子からみれば過ぎたる一面であった。
ドラマ『孔子春秋』のワンシーン。子路の死後、孔夫子は弟子たちにこう語る。
ある時、私は言った。
「舟に乗って海の彼方の国に行き、大道を説きたい」
と。皆は冗談だと思ったが、子路だけは従うと言った。私は愚鈍だと笑ったが、正直に言うと、私は子路が一番好きだ。
衛に置いてきたのは私の過ちだっだ。正直過ぎて負けず嫌いでは、よい最期は迎えられぬ。
正直は美徳だが、何事も過ぎると問題が出てくる。
正直すぎる、何にでも正直である。人に正直であるし、自分にも正直でなければ気が済まない。自分が納得しなければ身を屈することができない。
子路のように、正直すぎる上に激情家となれば、直情径行の弊が出て一層危うい。
自分が納得すれば命も差し出す。自分の信じる正義にどこまでも正直で、死も厭わない。
これでも、正直は正直であって、一つの徳には違いない。子路は正直で命を落としたが、立派な人に違いない。
しかし正直すぎるところを直して、正直すぎない、十分に正直であるというようになれば、それに越したことはない。
書経の舜典に曰く、
直にして温、寛にして栗、剛にして虐すること無れ、簡にして傲ること無れ。
(正直で温和、寛大で荘栗、剛毅で他人を虐げず、ゆったりとしているが他人に傲ることがない)
これは舜の言葉である。理想の人格をいったものである。
直にして温でなければならぬ。正直だけでは厳正に過ぎるので、温和を兼ね備えることが肝要である。
子路は直にして温ならざるところがあった。つまり正直に偏っていたわけだ。
孔夫子は、子路の過ぎたるところを危ぶみ、行く末を憂えて、常々「お前は少しやりすぎる」「お前は正義を好み過ぎる」「慎みなさい」と戒めたのである。
4.子路が恐れたもの
子路の良い評判というのは、子路の過ぎるところを誉めるものであった。
となると、これは孔子が常々戒めた悪いところを、善いとして高く評価していることになる。
4-1.不相応なものを得るは不義
子路は素直な人であるから、適切な評価であれば殊更に嫌うことはないだろう。
孔子が褒めなければ、世間が褒めても喜ばないだろう。
孔子が悪いということを、世間が善いとして褒めるなら、子路は恥じるであろう。
子路には孔子が絶対的な存在である。その先生が悪いというなら、絶対に悪いのである。それを誰が褒めたところで、善いことにはならない。悪いものは悪い。悪いものを以て高い評価を得るならば、これは不義である。
孔夫子は、自分が得るべきでないものを得ることを不義であると仰る。このような不義は特に嫌ったらしく、孔子にしては激しい言葉で責めている。
衛霊公篇にこうある。
臧文仲 は其れ位を竊 める者か。柳下恵 の賢を知りて、而して與 に立たざるなり。
魯の大夫であった臧文仲は、賢人として知られていた。臧文仲の下で補佐していたのが柳下恵で、これは臧文仲以上の賢人であった。
より良い政治のためには、柳下恵を引き上げ、共に朝廷に立つべきである。しかし臧文仲はそれをしなかった。
これを孔子は「臧文仲は位(官と禄)を盗んでいる」と仰った。
臧文仲の位には、柳下恵が居るべきである。しかし臧文仲は柳下恵を推薦せず、卑いままにしている。
「與に立つ」とは、柳下恵を自分のすぐ下や同列へ引き上げて、一緒に働くのではない。自分の位を、よりふさわしい柳下恵に譲ることをいう。そして自分は下位に降って共に立つ。
それをしない臧文仲は、柳下恵の居るべき位を盗んでいるのであって、極く悪い。
これが臧文仲であったら、元々敵であった管仲を殺してしまったかもしれない。鮑叔はそれをせず、管仲の命を助け、宰相に推し上げた。それで桓公は覇者になった。
孔夫子は、鮑叔を高く評価している。管仲は大賢人であるが、鮑叔はそれ以上に偉いと仰った。
4-2.子路の苦しみ
これが孔夫子の考え方である。
官職・俸禄・評判など、何であろうと、自分の得るべきでないもの、学問道徳に不相応なものを得るのは不義であり、盗賊に等しい所業である。
だから子路は、
敬愛してやまない孔夫子が「悪い」と仰ることで善い評判が立つ。その評判に甘んじる(不相応な評判に居座る)なら、不義であり盗である。
名を盗むことを、古来儒者はひどく嫌った。
荀子にも「名を盗むは貨を盗むに如かず」とある。世間を欺いて名声・人望を得る、これを名を盗むという。声望を以て位につけば、それは位を盗むことであり、社会に大きな害をなす。
お金を盗むよりも、名を盗む方が劣っている。名を盗む方が害が大きいのである。
不義を激しく悪む正義漢の子路が、この評判に甘んじるとは思えない。そういう評判を恐れるに違いない。
子路自身、過ぎたる性質を直したいと思っただろう。しかしなかなか直らない。まだ誉められるだけの行いがない、慎みが足らない。
その直らない「悪い所」を、人に「善い所」として誉められ評判が立ってしまう。
子路は苦しかったに違いない。
そんな「聞」はなくしたい。当たり前に正直であれば良い。
正直に過ぎる、直情径行の性質を改めて、殊更に「子路は正直者である」とか「子路は正義漢だ」などの評判が立たないようにしたい。
子路ならそう考えると思うが、どうだろうか。
5.評判は過ぎるもの
私自身の経験からも、これは少しわかるのである。
評価というものは、実態に比べて高すぎる、あるいは低すぎるものになりやすいのである。
5-1.高すぎる評価
子路は、剛直で正直、侠気もあって評判だった。たしかにそうなのだが、それは過ぎたる部分であった。
10の正直が中であるとして、子路は20も30も正直であった。事によっては禍を受けるような、そういう正直さであった。実際、子路は正直すぎて殺されてしまった。
しかし世間は、子路の正直は良い正直で、過ぎて悪いとは考えなかった。子路が自分の正直さを損なおうとしているなどとは、露ほども考えなかった。
剣術遣いも分かりやすい。
例えば堀部安兵衛。安兵衛は元々人柄がよく、誰からも人気があった。皆んな好きな安さんだから、強ければ強いほど良い。
また、実際強かった。強いものとして騒いでも、皆んな「安さんならそうだろう」と思うし、「流石はオレたちの安さん」と思いたいのだ。
高田馬場の決闘で、安兵衛が斬ったのは3人であったという。しかし話がどんどん大きくなって、いつの間にか18人も斬ったことになった。
安兵衛もそうだが、剣豪として歴史に名を遺した人は、皆やたらと強い。超人的である。一体どれだけ強かったのか、本当のところが分からない。
宮本武蔵は、五輪書や水墨画、書、彫刻などが遺っているから、それを見れば強かったと分かる。「あれだけの芸術をやる人が弱いはずがない」と中川一政は言う。
しかし、どれだけ強かったかということは分からない。一般的にイメージされる武蔵は、やはり強すぎる。
5-2.低すぎる評価
悪評は、実態に比べて低すぎるものになりやすい。たった一度の失敗で、社会的に殺される人が少なくない。
人間だれしも失敗する。自分も過去に類似の失敗をしたかもしれないし、今後同じ失敗するかもしれない。それを棚に上げて、失敗した人を徹底的にやっつけて再起不能にしてしまう。
これは、その人に対して「社会的に死ぬべき人間である」という、実態に比べて著しく低い評価を与えているのだ。
5-3.「先生」と呼ばれる人
世間で「先生」と呼ばれる人間も、評価と実態が酷くズレていることが多い。
私はこれまで、先生と呼ばれる人間を幾人も見てきたが、正直に言って、立派な人に出会ったことがほとんどない。むしろ逆の人間の方がずっと多い。
周りの人は、なにか感心するところや尊敬するところがあって「先生」と呼ぶわけだが、これは実態に比べて高すぎる評価である。打算や諂いから先生と呼ぶ場合もあるだろうが、これは必要以上に持ち上げるのだから猶更悪い。
だから私は、「先生」と呼ばれる者に大して信を置いていない(もちろん、学者・弁護士・教師・医師など、職業的・社会的に先生と呼ばれる立場の人を除いて)
5-4.私自身のこと
ツイッターで付き合いのある人のうち、数人が私を「先生」と呼ぶことがあった。これには困ってしまった。
私は、誰かを指導する立場にない。質問されれば答えるが、私の答えが正しいとは思わない。数か月前、一年前の回答など読み返して、しくじったと思うこともある。
私自身が考え、勉強になるのが嬉しく、それで相手にも参考になれば良いと思っている。
甘く評価しても、先生と呼ばれるだけの学徳はない。先生というのは過ぎたる評価である。だから、気持ちの良いものではない。
困ってしまった、というのは、相手に悪意がないことが分かっているからだ。
ツイッターは全体に緩い雰囲気であり、自由にふるまえる空間だろうとも思う。人が私をどう呼ぶかについて、あまりやかましく言うのは気が引けた。
このことは、ツイッターを初めて間もないころから考えてきた。1年以上、言おうかな、いや言うまい、を繰り返してきた。
先日、ある出来事をきっかけに、先生と呼ぶのはやめてほしいとお願いした。
この時も、言おうか言うまいか、あれこれ考えた。考えるうちに、子路のことを思った。
やはり先生と呼ばれるのはろくでもないことで、恥ずかしいからお断りしようと、そう決した。子路なら断然そうするであろう、ならば私もそうしたがよいと。
まあ長い間、色々考えてきたことであるし、ひとつまとめておこうと思い、こんな記事を書いた。