周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

なぜ君子は争わぬか

論語八佾篇に「君子無所争」とある。

君子は争わないという。

分かりそうで分からない、分かる気がするが腑に落ちない。そんな気分が常にあった。

しかし今日、ようやく腑に落ちた。

私自身の考えをまとめるためにも、記事にする。

 

 

1.君子無所争

この章句は以下の通り。

子曰。君子無所争。必也射乎。揖譲而升下。而飲。其争也君子矣。

子曰く、君子は争ふ所無し。必ずやしゃか。揖譲ゆうじょうして升り下り、而して飲す。其の争ひや君子なり。

 

1-1.君子は礼を重んじる

孔夫子が仰るには、君子は争わない。なぜならば礼儀を重んじるからである。

大抵の争いは無礼によって起こる。そもそも礼とは「毋不敬(敬せざるなかれ)」で、人を敬うのが根本である。

敬う心があれば、人を軽んじることはない。礼譲という言葉の通り、礼は譲るを貴ぶ。人を敬うから譲ることにもなる。

譲の反対は争である。無礼であれば人を敬うこともなく、我ひとりの利を求めて譲らない。そこで争いになる。

礼があれば譲ることができ、争いにもならない。礼を知る君子であれば、争いのあるべき道理がない。

 

1-2.射とは

強いて争うことがあるとすれば、弓射(の競争)くらいのものである。

古えの時代、弓射は六芸のひとつであり、君子の修養であった。

これはあくまでも礼儀を軸にする。上手く射て名声を得るとか、人より優位に立つとか、そういうことは目的ではない。

射を競うのも、それによって礼儀の優れた者を選ぶためであった。

 

1-3.弓射の作法

弓射の作法は以下の通り。

  1. 射の試合は二組に分かれて行う。右の組を上射、左の組を下射とする。
  2. 南門に的を懸け、百間の距離から射る。射は各組一人ずつ、堂に上って行う。
  3. 堂に上る際、上射は右から上り、下射は左から上る。我先に上るのではなく、階下まで二人揃って行く。
  4. 階下に着くと、下射の者が上射の者へ「お先にどうぞ」と譲る。上射の者も下射の者へ「あなたがお先に」と譲る。この時、両手を前に組んで(ゆうして)譲る。
  5. 上射の者が一段上る。それに続いて、下射の者が一段上る。やがて堂に立つ。
  6. 上射の者が射た後、下射の者が射る。射を終えたら揖譲しつつ堂より下りる。
  7. 各組全員が射るまで3~6を繰り返す。
  8. 全員が終わったら、的に当たった数える。より多く当てた組が勝ちとなる。
  9. 勝った方も負けた方も、再び弓を手に共に堂へ上る。勝った方は弓の弦を懸けたままにしておき、負けた方は弓の弦をはずしておく。
  10. 堂上にて、勝った方が杯に酒を注ぎ、負けた方に飲ませる。罰杯であるから、負けた方が飲む。

 

1-4.分かりにくいところ

射の争いは礼に終始する。礼儀を貴び、競う相手を敬い、譲る態度で一貫する。

いかにも礼儀が整っていて立派である。競争ではあるが、どこにも醜いところがない。まさに君子の争いといえる。

 

ただし、礼儀さえあれば何でもよいわけではない。当たろうが当たるまいが、礼儀さえあればよいと考えるなら、それは不真面目であり、自分勝手であり、共に競う相手への敬いがない。却って無礼となる。

となると、どうしても上手く射る、勝負に勝つという意識を免れない。

この辺が分かりにくいところである。争わぬといいながら、実際には争わざるを得ない。

 

2.「射」に注目する

今日、ここがようやく腑に落ちた。「必也射乎」の「射」を正しく解すると腑に落ちる。

 

2-1.一般的な意味

「射」といえば、矢を的に当てる技術である。

この意味で考えると、的を射抜くこと、人より上手く射ること、勝負に勝つこと、つまり争いの意味合いが強くなる。「君子は争わぬ」と矛盾が生ずる。

 

2-2.「身+矢」から「身+寸」へ

そこで「射」を別の角度から解する。

射は元々「身+矢」と書いた。我が身から矢を放ち、遠くの対象に当てる。

古い時代、礼の未発達な時代にはそれでよかった。射に礼儀の観念はなかったから。

 

それを後世、「身+寸」と改めた。寸とは法度である。

身より矢を放つに、法度に外れることのないように、身振り手振りを正しく射る。

つまり「身+寸」の射は、矢を放つに礼儀作法を以てすることである。

 

2-3.礼儀の重視

極く古い時代には、射は単に「矢を放つこと(身+矢)」であったが、礼儀の発達と共に「礼を以て矢を放つこと(身+寸)」へと変化した。

前者(身+矢)は、的に当てることだけを重視する。後者(身+寸)は、的に当てること以上に礼儀を正しくすることを重視する。

もちろん、射は的に当てる技術でもあるから、作法に則った上で、なおかつ的を射抜くのを最上とする。射の腕が良いというのは、作法に則り的にもよく当たることである。

 

2-4.射を競うとは

また、作法に則ることで、結果的によく当たる。射の作法はそのようにできている。

弓を構える姿勢がどうであるとか、矢を握る手先がどうであるとか、矢を放つ瞬間にどうであるとか、そういう作法を正しくすれば自ずと当たるのである。

 

したがって、射を競うというのは、この作法がいかに正しいかを競うともいえる。的に当たったかどうかは、作法の上での結果に過ぎない。

もっと言えば、弓を構えてから矢を放つその瞬間まで、この短い時間に射の礼が窮まるのである。

我が身を離れた矢がどうなるかより、矢を放つ我がどうであるか、ここに射の礼がある。

 

3.詩経の示唆

このことに思い至ったのは、詩経によってである。

 

3-1.車攻

詩経の小雅に「車攻しゃこう」という詩がある。周の宣王が諸侯を会して狩りを催した様子を歌ったものである。

この詩は八章四句からなる。その六章目にこんなくだりがある。

四黄既駕 四黄しこう既にし、

両驂不猗 両驂りょうさんせず。

不失其馳 其のするを失はず、

舎矢如破 矢をはなつこと破るが如し。

 

3-1-1.四黄既駕

狩りは四頭立ての車で行う。

車がうまく走るには、それを引く四頭の馬が等しくなければいけない。力や性格に差があってはいけない。

馬の体格や足の速さを揃えるだけではなく、馬の産地や種類も合わせる。産地・種類が違えば気性も変わってくる。

そこで四黄、四頭の騂馬せいば(毛色が赤黄色の馬)に引かせる。もちろん、体格・実力・毛並みなど、あらゆる点で優れた馬を選ぶ。

 

四黄既駕、四黄の引く車が既に出発した。

 

3-1-2.両驂不猗

四頭のうち、真ん中の二頭を両馬りょうば、外側の二頭を驂馬さんばという。

馬の選び方がまずい、あるいは御者の腕がまずいと、車はうまく進まない。両馬と驂馬の動きが合わなくなる。

例えば両馬が真っ直ぐ進むのを、驂馬は曲がろうとする。これを猗という。猗は倚で、偏ることである。

馬も優れているが、その馬を御する者(御者)の腕も優れている。優れた人、君子が御するから両驂不猗。両馬と驂馬が力を合わせて、車は軽快に走ってゆく。

 

3-1-3.不失其馳

王が主宰する大々的な催しであるから、たくさんの車が走っている。どの車も馬と御者が優れている。

狩りの様子を遠目に見ると、不失其馳。

全ての車が順序良く、途切れることなく、次から次へと狩りに出てゆく。

 

3-1-4.舎矢如破

やがて獲物が見えると矢を放つ。

射手もまた優れた人、君子である。作法に則って弓を執り、矢を放つ。

その様子を、「射」ではなく「舎」で表現している。ここに注目すると、「君子無所争」の章句が良く分かる。

 

射と舎は通じる。しかし舎という場合、獲物を射止める技術、あるいは獲物を射止めた事実ではなく、弓を執って矢を放つまでの作法を強調する。

 

舎は「官舎」とか「兵舎」とかいう通り、人が住む建物である。転じて、一時的にとどまる(やどる)こと、延いては据え置くなどの意味がある。

とどまるのが一時的であれば、まもなくそこを離れる。舎る時間は短い。

左伝には、「凡そ師一宿するを舎と為す」とあって、一晩だけ留まることである。

二晩留まれば「信」、それ以上は「次」という。

 

弓を執り、姿勢を正して矢を構える。たとえ車上であり、足場が不安定でも作法に則ってピタリととどまる。そして矢を放つ。

矢を放つことを「はなつ」という場合、射における極く短いとどまりの作法、そして矢をはなつ瞬間を強調していう。

放った矢がどうなるかではなく、矢を放つ我がどうあるかを重くみる。

作法が正しければ、結果として矢は当たる。礼儀正しい君子であれば、うまく当てようと考えるまでもなく、躊躇なく(破るが如く)射る。

 

3-2.桑扈

同じく小雅に桑扈そうこという詩がある。礼儀の乱れを嘆く詩である。

この詩によって罰杯の意義を知ることで、射が礼を重んじたことが一層よくわかる。

 

3-2-1.罰杯とは

射は罰杯で締めくくる。罰杯とは、勝負に負けた者に飲ませる酒である。

現代的な感覚では、勝負に負けた方が罰杯を飲むというと、罰ゲームで一気飲みを強いるような感じがする。礼から遠ざかるようにも思える。

しかし、古代の罰杯はそのようなものではない。礼を重んじるから罰杯があるのである。

 

3-2-2.燕飲における罰杯

罰杯は罰爵ともいう。特に罰爵という場合、君臣間の燕飲での罰杯を指す。

燕飲では君臣の親和を重んじる。和やかなお酒の席である。

それでも、燕飲だからといって臣が礼を失するは君に対して罪となる。

しかし親和を重んじる燕飲の席であるから、罰杯を飲ませて、それ以上は咎めないのである。

 

3-2-3.兕觥其れ觩たり

桑扈に、以下のようなくだりがある。

兕觥其觩 兕觥じこう其れきゅうたり

旨酒思柔 旨酒柔なり

彼交匪敖 彼の交はりおごるに匪ず

万福来求 万福来り求む

兕觥は杯、燕飲の罰杯に用いたという。

觩は「陳設之貌」とあって、觩とは連ねて置いてある様子。

宴の席では、礼を失した者に罰杯を飲ませるために兕觥を準備しておく。しかし君臣の礼がしっかりとしていた時代、礼を失して罰杯を飲まされるものはいなかった。兕觥は觩たるのみ、ただ連ね置いてあるだけだった。

旨酒、おいしいお酒を酌み交わしながら、礼によく従って(柔)乱れるところがなかった。

この席の者は皆な礼儀を知る賢人で、彼らの交わりには傲りがなかった。

礼儀をよく知る賢人が助け合って政を為せば、国はよく治まる。そこで暮らす人々は幸福である。

人間の方から殊更に幸福を求めずとも、自然と多くの幸福が人間の方へ来るのである。

 

3-2-4.射における罰杯の意義

古代の罰杯には、こんな意味があった。礼が足らぬ者への罰としてお酒を飲ませた。

射における罰杯も同じである。

負けた者は勝った者より礼が足らぬことになる。君子の修養として、やはりそこにはいくらか咎めるべき部分がある。

そこで、勝った方・礼において優れた方が、負けた方・礼において劣った方にお酒を飲ませて罰する。それ以上は咎めない。

 

このお酒は勝利の杯であってはならない。敗者が罰杯を飲むべきである。

君子であれば礼儀があるのは当然のことである。礼に優れていることは確かに誉れではあるが、射に勝利したからといって、殊更に誇ることはない。

しかし負けた方は、礼が足らなかったのだから咎めがある。勝った者が勝利の酒を飲む必要はないが、敗者は罰杯を飲むべきである。

罰杯で締めくくることで、射と礼の関係が一層明確になるのである。射があくまで礼を重んじたことが分かるのである。

 

4.君子に礼儀あり、礼儀あれば争わず

弓射の競争でも、君子は矢をはなつのである。

どこまでも礼儀作法に則り、躊躇せずに射る。舎矢如破。結果は考えるまでもない。

 

「堂に上った、矢を放った、的に当たった外れた、勝敗がついてお酒を飲んだ」

こうぼんやりと解釈すると、君子無所争ということが分かりにくい。

矢をはなつこと、つまり『作法に則って弓を取り、矢を放つ』、ここが重い。

ここを重く見ると、礼儀が主で勝敗は単なる結果、ということがよく分かる。

 

といっても、結果を無視するのでもない。礼儀の程度が結果に表れるからである。

負けた方は礼に劣ったことになり、そこに咎めがあるから罰杯を飲む。

もし、礼よりも勝敗を重んじるならば、このお酒は勝者が飲むべきである。しかし、勝敗より礼が重い。勝敗は末、礼は本である。ゆえに敗者が飲む。

 

君子が射を競う場合、それは争いであって争いでないといえる。

礼儀がなければ射は単なる争いになるが、礼儀を以てすれば、争いも争いでなくなる。

「君子無所争」とは、こういうわけである。