周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

食・兵・信の軽重に就いて

顔淵篇の章句について質問があった。

論語の章句の中でも疑問を抱きやすい所であると思う。私自身、考えを整理するのに良い機会でもある。

そこで、DMで個別にお答えするのではなく、記事にします。

 

1.書き下し文と大意

問題の章句は以下の通り。

子貢、政を問ふ。子曰く、食を足し、兵を足し、民をして信ぜしむ。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、此の三者に於いて何をか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、此の二者に於いて何をか先にせん。曰く、食を去らん。古へより、皆死有り。民、信ぜざれば立たず。

 

1-1.大意

子貢が政治(に必要なこと)を問うた。

孔子がお答えになる。

「食と兵(軍備)を十分に備えること、そして信(政治と民との信頼関係)を築くことである」

子貢がまた問う。

「もし三つのうち、やむを得ず一つを棄てるならばどれを先にすべきでしょうか」

孔子曰く「兵である」。

子貢がさらに問う。

「では食・信のうち、やむを得ずどちらかを棄てるならば…」

孔子曰く、

「食である。昔から人間は死ぬと決まっている。信がなければ、民は立ってゆくことができない」

 

1-2.質問の内容

質問の内容をざっくりまとめると、

「まず兵を棄てる、これは分かる。しかし食を棄てて信を取る、これが分からない。たとえ信を棄てても、食を取り、民を生かすのが仁ではないのか」

ということだった。

 

1-3.好生は政治の根本

まず兵を棄てるのは分かりやすい。食と信がなければ、いくら兵があっても国は立ち行かない。

では「食を棄て信を取る」はどうか。食がなければ人は生きていけない。餓死者も出るに違いない。それでも敢えて信を取るのか。信を取り、民を死なせて仁といえるのか。

 

たしかに「民を生かすが仁」というのは正しい。

政治は民を生かすことを好み、殺すことを嫌う。これは儒教における政治の極く根本的な部分であって、孔子家語には「好生」という篇があるくらいだ。

 

1-4.大切な点

恐らく、質問者は「古へより、皆死有り」を読み違えたのではないか。この言葉は、命を軽んじているようにも聞こえる。「食を棄てる」というより「民を棄てる」という風に読んでしまう。すると、孔子の言葉が分からなくなる。

孔子が仰るのは「食も兵も大事だが、やむを得ざる場合には兵を棄て食を棄てる」であって、兵や食を軽んずるものではない。ましてや民を棄てるものではない。

 

2.孔子の考え

孔子の考えを汲むには、食と信の軽重を明らかにする必要がある。

そのためには、「食があって信がない政治」を考えてみるのがよいと思う。

 

食料政策に力を入れている。しかし信が一切ない。

そういう政治であれば、国はどうなるだろう。

 

2-1信がなければ経済は成り立たない

ざっくりと経済を考えるだけでも、信の重さがよく分かる。信がなければ経済は立ち行かない。

需給バランスは経済の重要な構成要素だが、需給は貨幣によって仲介する。貨幣の価値を裏付けるのは、国の保証である。さらに保証を裏付けるのは国の信用である。

政治が全く信を棄てるならば、その国に信用はない。信用のない国の保証など何の役にも立たない。貨幣の価値はなくなり、経済は全く立ち行かなくなる。

 

2-2.農本主義と資本主義

もちろん、孔子の時代と現代では経済が大きく異なる。孔子の時代は農本主義、現代は資本主義。

しかし、信がなければ立ち行かない点ではどちらも同じい。

むしろ農本主義は資本主義より深刻だろう。

資本主義であれば、必ずしも食に注力せずともよい。食の不足は資力でカバーすることもできる。

農本主義は、農業でほぼ全て決まってしまう。農業政策は極めて重要である。

ただし、これは「信を棄てても食を取れば良い」ということではない。根本的な部分ではやはり「信」の問題になってくる。「政治が農業を大切にしている」という信がなければならない。この信なくしては立ち行かない。

 

2-3農業にも信

国語など読むと、このことがよく分かる。

宣王が神田の耕作を怠った時、虢公はこのように戒めた。

「農業は民の大事です。天帝への供物も、民もここから繁殖します。すべては農業によって供給され、人々の親睦も、財貨・食料の充実も農業に依り、質実剛健な気風も農業から培われます」

 

この言葉を表面だけ見ると、食料政策に力を入れなさい、という戒めにもみえる。ところが単にそれだけであれば、王が自ら神田を耕す必要はない。王自身の意識や務めはどうでも、臣下に命じて農民を監督させ「耕せ作れ」の一点張りでやればよい。

しかしそれでは駄目なのだ。王が農業を重んじているという信が重要であって、だからこそ王は礼法に則って祭祀を執り行う。

簡単に述べると、祭祀の様子は以下の通り。

 

陰陽の変化に合わせて正しい日を選び、司徒に命じて公卿百官庶民を戒め、司空に命じて神田に祭壇を作らせる。

王は斎宮に入って三日間の斎戒の後、地に酒を注ぎ、農具を祭り、百官庶民と共に神田へ行く。

礼法に則り、王が神田に鋤を入れる。これに続いて臣下も耕す。位の高いものから順々に、やはり作法に則って鋤を入れてゆく。その後庶民が耕し、全部で千畝を耕す。

耕作が終わると、王、卿大夫、庶民ら皆で食事をとる。

その後ようやく、后稷(農業の長官)が戒めの言葉を垂れる。

「今回祭祀を執り行ったから、今後これこれこういう気候になって、農業の時期がくるだろう。そしたら、しっかり農業に励みなさい。皆の精励によって、国は豊になる。

農業は重要なことであるから、政治の方でもこれだけのことをやった。だからお前たちも怠ってはいけない。怠る者は刑罰に処するであろう」

これで庶民は、政治が農業を大切にしていることを知り、信が芽生える。

昔の人は、神に対する信仰心が極めて篤かった。「王様が農業のことをしっかり考えて、神様もしっかりお祀りしてくださる。だから農業はうまくいくし国は豊かになる」という確固たる信があった。

政治にこの信があって、はじめて庶民は農業に怠ることなく励み、経済も回ってゆく。

 

2-4.信を棄てれば混乱を極める

古代中国で、農業を中心とした経済が成り立つためには、政治が農業を重んじているという信が必要であった。この信を棄ててしまえば、いかに食を図ったところでうまくいかない。

そもそも信を棄てた国の為政者が、国民のために、まともに食料政策に取り組むとは思えない。上下一致で農業に取り組むことができず、生産性は低下する。政治のほうでは「耕せ作れ」の一点張りで、税もしっかりとろうとする。庶民の生活は苦しく、土地を棄てて逃げ出す者も大勢出る。耕す者のいない荒れ地が増える。食料事情はどんどん悪化していく。

 

食料問題だけではない。信を棄てれば犯罪も多発する。

政治に信がないのだから、国の定める法律や制度を誰も信用しない。食うに困れば盗賊にもなる。警察組織が取り締まってくれるという信用もない。人々は自衛するほかなくなる。

初め自衛目的であった集団が力をつけ、地域を実効支配するようになる。いわゆる軍閥であり、群雄割拠の時代が幕を開ける。歴史が大きく変わるとき、中国ではこういうことがいくらもある。

その他色々なことについて考えてみても、政治に信がなければ国は全く立ち行かなくなる。もはや国の体を為さなくなる。

食うためなら、生き延びるためなら何でもありの社会になる。弱肉強食の野蛮な世界が現出する。政治に対する信だけではなく、地域への信や個人間での信も危うくなる。

こうなると、民は立ってゆかれない。一刻だって安心して暮らせない。こんな悲惨なことはない。食を棄てるどころの話ではない。

 

2-5.立て直しも困難

立て直しも困難だろう。立て直しを図ったところで、民が政治を信用していないのだから、何事にも協力しない。むしろ反発する。

外圧を受けたり、国内で運動が起こったりして現政権が転覆、それで国が立ち直ることはある。信のない政治をやっつけて、信のある新しい政治が起こって、それで初めて復興が始まる。信が出発点になる。

国を潰すも興すも信次第。政治を行う上では「信」というものが何より欠かせないわけだ。

 

3.食を去り信を取る

仮に食を棄てても、信があればまだ何とかなる。確かに、民はひもじい思いをするだろう。餓死者も出るかもしれない。しかし政治に信があれば、国全体で乗り越えていくこともできる。

 

3-1.季氏篇に曰く

季氏篇にこんな言葉がある。

蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安んずれば傾くこと無し。

公平であれば貧しいということはない。皆が和すれば不足ということもない。心が安ければ国家が傾くことはない。

政治が食を棄て、食料事情が貧しくなった。しかし政治に信がある。政治家はしっかりやっている、苦しい中でも公平を期し、食料が一部に偏るようなこともない。この信があれば、本当に貧しいということはない。

逆に、いくら食が豊かであっても、信がなければだめだ。皆なが大いに食べていても、誰それは人より美味いものを食ってけしからんというようなことになって、貧しさを訴えるものが出てくる。

 

信があれば和もある。少ないことを憂えず、争いを起こさず、皆なで協力して乗り切ることができる。

こうなると、食は貧しくとも安心できる。政治はよくやっているという信があれば、これから良くなっていくという希望がある。希望がなければ、終わりの見えない苦しみの中で暮らすほかない。しかし希望があれば、貧しいながらも安んじるところがある。

食を棄てても信を取れば、国が滅びることはない。

 

3-2.子路の信

信によってよく治めた例のひとつに、子路の治績がある。

子路が蒲という邑の長官になった。治めてから三年のこと、孔子が蒲を訪れた。

邑の境に入るや、孔子は仰る。

「善いかな由や、恭敬にして以て信なり(よくやっているな、由(子路)は。つつしみを以て政治に臨んでいるから、民に信用がある」

まだ邑の様子を見ていないのに褒めるので、お供をしていた子貢が言った。

「先生はまだ子路の政治を実際に見ていませんのに、どうしてお褒めになるのですか」

孔子がお答えになる。

「いや、私はもう子路の政治を見ているよ。

この邑は田がよく耕してあり、荒地の開拓も行き届いている。田畑の溝は深く掘ってある。

邑の境から見ただけでこれが分かるのは、それだけこの邑の民が努力しているからだ。農事に励んでいるからだ。

子路は、恭敬を主として政治に取り組み、民から信を得ているのだろう。信があれば民は努力する(此れ其の恭敬にして以て信なり、故に其の民、力を尽すなり)。

だから子路を褒めたのだよ」

 

子路が赴任した当初、この邑は水害に悩まされていた。

民は貧乏で、食うや食わずで治水工事に従事した。子路が哀れに思って食料と水を振舞い、孔子から「私的に恩を施すな(それは却って君主の無慈悲を顕すことになる)」と叱られたほどだった。

それが三年でよく治まった。子路は信を以て改革を成し遂げたわけで、これが「信ありて食足る」ということだ。

 

これは、孔子家語の弁政にある話。

孔子家語によって論語が分かることもしばしばで、最近、私の中で家語の重みが増している。

 

結論

為政者(子路)が恭敬にして以て信、それで農業が盛んになる。

国語の例でも、王様が恭敬にして祭祀に務めて以て信、それで農業が盛んになる。

 

信があれば食の問題も解決する。食は信の内に含まれる。

信ありて食足る。食足れども信なくんば民は立たず。

ゆえに、食と信のいずれかをやむを得ず去るならば、食を去って信を取る。

食と信について、孔子はこのように考えたのではないか。

孔子が政治に大切なものを「信>食>兵」と仰ったのは、こういうわけであろうと私は思う。

 

これで、「食を取り信を棄てる」と「食を棄て信を取る」と、どちらが仁かという問題にも結論を出せる。信を取る方が仁である。

 

 

 

この章句について、今回のように具体的に考えたことはなかった。書き進めるうちに国語などにも思い当たり、理解が深まった。

質問をいただき、ありがたいことでした。