周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

孔子の教えは男尊女尊である

最近、何かと男女の問題がさわがしい。ツイッターなどでも、そういった発言やニュースをよく見る。

私は、現代の男女の問題について学んだことがない。しかし、儒学を通して男女の関係について考えることも多い。

孔子は男尊女卑ではない。男尊女尊であった。今回はこのことについて書いていきたい。

 

孔子は男尊女卑か

論語陽貨篇に、こんな章句がある。

子曰く、唯だ女子と小人とは養ひ難しと為す。之を近づくれば則ち不孫、之を遠ざくれば則ち怨む有り。

 

この章句を表面だけ読むと、かなり問題がある。

「女子と小人を養うのは難しいものだ。近づけ過ぎると狎れて無礼を働くし、遠ざけ過ぎると怨まれる」

 

女子と小人を並べてある。「女子とか小人とか、そういうつまらない人間は養い難いものだ」と書いてあるように見える。

養う・畜うといった言葉には、単に生かすという意味ではなく、「おさめる」「よくする」といった意味合いがある。孟子にも「心を養ふは寡欲より善きは莫し(心を修めるには慾を少なくするのが良い)」とある。

そう考えるとますますおかしくなってくる。女子や小人は養い難い。教育などによって良いものへと育てるのが難しいということになってしまう。

 

このように見ると、孔子の思想は男尊女卑になる。

これから色々お話ししていく通り、結局それは間違った解釈なのだが、なかなか分かりにくいから厄介だ。まあ孔子の方便である。

実際、このような記述に捉われた人から質問されたことがある。

儒教は男尊女卑だから現代には受け入れられないのではないか」

 

確かにその弊はある。しかしそれは後世の曲解であって、孔子は決して男尊女卑ではなかった。むしろ男尊女尊であったろう。

 

詩経と女性の徳

これは詩経を読むとよく分かる。詩経に、女性の徳を歌った詩がどれだけあるか。大体、冒頭の関雎かんしょからして女性の徳を讃えている。

女性によって男は良くも悪くもなる。女性の影響はまことに大きい。婦徳は偉大なものである。そういう思想に溢れている。

 

邪無し

孔子詩経を大変に重んじた。こんな言葉がある。

詩三百、一言以て之をおほふ。曰く思ひよこしま無し。

詩経の三百篇を貫くものを一言で言えば、「邪がない」ということだ。

邪とは心の邪、邪念。人には尊い本性があるが、慾によってそれが曇り、色々な間違いを犯すようになる。邪は慾のようなものだ。邪があれば純でなくなる。純なる本性が曇る。

詩経にはこの邪がない。純である。これは「誠」ということでもある。

詩経には国を思う歌がたくさんあるが、そこにも当然邪がない。地位や名誉のために国のために働くというような歌はない。

純乎として純なる歌、至誠の歌である。中庸にある通り「唯天下の至誠のみ能く化するを為す」で、至誠は純であるから人の心によく浸透する。他を感化する力がある。読む者は忠臣義士の心を我が心とし、善心を奮い起こすようになる。

だから古来、国を治める者の素養として詩が重んじられた。詩を学び、心を修めることで、延いては国を治める力にもなる。

 

孔子は男尊女尊である

詩経とは、そういうものだ。その詩経に、女性の徳を盛んに教えてある。

それを読む者にどのような影響を期待したのか。もちろん、道徳が盛んになることを期待したに違いない。

女性の徳はまことに重要なものである。これを詩によって学んだ者が国を治めるならば、当然女性の徳を軽視することはない。婦徳が盛んになることを目指すだろう。

その結果、女性の徳が盛んになれば国は興る。

もちろん、これは「女性の力が強くなれば」とか「女性の声が大きくなれば」とかの話では全くない。あくまでも徳の話である。

いくら力が強くとも、声が大きくとも、徳の力に比べたら取るに足らない。

 

女性の徳が男性に与える影響、感化の力は大きい。

徳を積んだ男性が、不徳の女性に溺れて堕落することが多い。

逆に不徳の男性が、賢徳の女性の感化によって立派になる話もまた多い。

人も国も、道義によって立つには女性の徳が欠かせないのである。詩経で女性の徳の偉大なることを知り、それを盛んならしめることで男性にも力となり、道義国家に近づくわけだ。

 

ここまで女性の徳が重要と書いたが、男性の徳も同じく重要である。どちらがより重要とは言えない。それは時と場合にもよる。

間違いなく言えるのは「一陰一陽、之を道と謂ふ」で、陰である女性の徳も、陽である男性の徳も、どちらが欠けても世の中はうまく回らないということだ。

詩経の精神を見れば、孔子が男尊女尊の立場であったことは明らかである。

 

伯魚への教え

孔子の御子息を伯魚はくぎょという。論語の中で、孔子が伯魚に教えたことが二箇所あるが、どちらも詩経に関する教えである。

これをよく読むと、孔子が詩を重んじたこと、男尊女尊であったことが一層よく分かる。

 

詩を学ばねば話にならぬ

孔子のお弟子に陳亢ちんこうという人がいる。この人があるとき伯魚に、

「あなたは先生から何か教わりましたか」

と尋ねた。息子であるから、何か特別に教わったことがあれば自分にも教えて欲しいと思ったのだ。

そこで伯魚が答えるには、

「昔、父が一人で立っておられたとき、私は(孔子の目の前の)庭を小走りで通り過ぎたことがあります。

そのとき父から『お前は詩を学んだか』と聞かれたので、『まだです』と答えました。

すると父は、『詩を学ばざれば以て言ふこと無し(詩を学ばなければ人に対して何も言えないぞ、話しができないぞ)』と仰いました」

 

些細な事に学問が現れる

目上の者の前を過ぎる際、小走りになるのは当時の礼である。

それを見て、孔子は伯魚に「お前は詩を学んだか」と仰る。おそらく、目の前を過ぎる伯魚の姿を見て、まだ学んでいないと分かったのだろう。

相手のささいな動きから学問や修行の程度を推し量る。こういうことはよくある。

 

例えば高野茂義という人がいる。この人は明治~昭和の剣道の達人。

身体が大きく、体重は90キロ弱。力も強く、相撲部屋に入門を勧められたこともあった。

その人が二階から降りてくる足音を、家族は一度も聞いたことがなかったという。廊下を歩く音も聞こえない。

気が充実していると足音がしなくなるのだ。気が抜けていると足音がうるさい。足音がバタバタしているのを見れば、気が抜けているな、修行が足りんなと分かるわけだ。

 

孔子がどのように見たか分からないが、やはり伯魚に対しても走る姿を見て「学問が足りない、詩をもっとよくせねばならん」と気が付いたのだろう。そうに決まっている。

 

詩で人情を知る

それで仰るには、「詩を学ばなければ、人と立派に話もできないぞ」と。

 

詩を学ぶことと、人と話すこと。これは大いに関係がある。

詩経の歌には邪がなく純であるからだ。詩を学べば人情道理を悟ることができる。人の心の動きが分かるようになる。

詩を学ばず人情道理を悟らねば、人の心の動きが分からない。当然、うまく話すこともできない。

 

周南召南をやらねば学問は進まない

別の機会に、孔子は伯魚にこんなことも教えている。こちらは、「女子と小人は養い難し」により関係の深いもの。

子、伯魚に謂ひて曰く、なんじ周南しゅうなん召南しょうなんおさめたるか。人にして周南・召南を為めずんば、其れ猶ほ正しくしょうに面して立つがごときか。

孔子が伯魚に仰った。

「お前は周南・召南を学んだか。人としてこれを学ばないうちは、土塀の前に立っているようなものだぞ」

 

周南と召南

周南と召南は、詩経国風の第一と第二。詩経の中で最も重要なるは周南召南の二篇である。

この二篇は家を治めることを教える。

家を能く治めることができれば、人を治めることもできる。延いては国も立派に治めることもできる。

 

注目すべきは、周南召南はほとんど女性の徳を歌ったものばかりであること。

婚姻などを歌ったものもあるが、それも徳のある女性を、男性が礼を以て迎える歌である。

なぜ徳のある女性に礼を尽くすのか。一家を治めるに、女性の徳の働きが非常に大きいからである。

 

もちろん男性の徳も大きい。男性が妻を治め一家を治めるところもあるべきだ。しかし同時に、女性が夫を治め、一家を治めるところもあるべきだ。一陰一陽、どちらも欠かせない。

 

牆に面するとは

「お前は周南召南を読んだか」

孔子が伯魚にこう仰ったのは、やはり何かの折に「伯魚には周南召南が足りない」と感じたのであろう。

周南召南を読まねば、其れ猶ほ正しく牆に面して立つがごとし。土塀の前に立っているようなものだ。

これも孔子の方便である。土塀の前に立っているとはどういうことか、なぜ悪いか、なぜ周南召南を読まねばそうなるかをよく考える必要がある。

 

目の前に土塀があるのだから、そこから前に進もうと思っても進めない。土塀にぶち当たるだけだ。

これと同じで、周南召南を読まなければそこから学問が進まなくなる。

土塀があってどうもならんと諦めるのではいけない。ぜひそこから進むべきなのだ。土塀は建物を囲っているのだから、それより中に入ればまた別の世界が広がっている。周南召南で土塀を越えてこそ、新たな境地が開けてくる。

 

孔子の牆は数仞

「牆」の例えは、論語にいくつか見える。

子張篇で、魯の大夫がお弟子の子貢に対し、「孔子よりもあなたの方が勝っているのではないか」と言った。

子貢はこう答える。

之を宮牆きゅうしょうたとふれば、の牆や肩に及べり。室家の好きを窺ひ見ん。夫子の牆や数仞すうじんなり。其の門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富を見ざらん。其の門を得る者或は寡し。

賜は子貢のこと、夫子は孔子のこと。

 

私の学問を牆に例えるなら、せいぜい肩くらいの高さでしょう。中を覗くのは容易です。覗けば家の装いや庭の様子など、まあ美しい所もあるかもしれません。

しかし先生の牆は数仞もあります。城壁のようなものです。背伸びしたって中を覗くことはできません。中を見るには門から入るほかありません。門を得なければ、宗廟のような建築の美しさや、大勢の人が中で働いている様子は見えません。また、門から入った人はほとんどいません。

 

孔子の学問は非常に高い。牆にすれば数仞である。天子の牆は約六仞。孔子の学問はそれくらい高いから、並みの人には分からない。

子貢の方が偉いと言った大夫には、子貢の学問が少し見えたのだ。それが素晴らしく思えた。孔子の学問はとても分からなかった。優れているとは思えなかった。

 

大夫には見えなかった、孔子の「牆」の中には何があったか。

子貢は「宗廟の美」「百官の富」と例えた。孔子の学問は高い塀に囲まれているけれども、よく学んで門を得ることができれば、そのような素晴らしい世界が見える。

 

周南召南は治国平天下の門

孔子が伯魚に仰ったのも、同じように解して良いと思う。

「人にして周南召南を為めずんば、其れ猶ほ正しく牆に面して立つがごときか」

周南召南を読まねば、とても越えられない高い牆の前に立っているのと同じで、牆の内に広がる素晴らしい世界は開けてこない。

周南召南を学ぶことが、門を得る機縁になるということだ。

 

それはそうだろう。

大学にもある。身を修め、家を斉え、国を治め、天下平らかなり。

詩経を読むと人情道理が分かり、身を修める助けになる。殊に周南召南を学べば婦徳が分かり、家を斉える道が分かる。それが治国平天下にもつながる。

 

孔子の道は聖人の道である。治国平天下は聖人の業である。孔子の数仞の牆の中には、聖人だけが知る世界が広がっているに違いない。

ここに入る門は色々あるだろう。ひとつではないはず。

治国の前に斉家や修身があるのだから、周南召南はその門のひとつといえる。

 

孔子の男尊女尊主義

以上を踏まえて本題に返る。

子曰く、唯だ女子と小人とは養ひ難しと為す。之を近づくれば則ち不孫、之を遠ざくれば則ち怨む有り。

 

女子の解釈

重要なのは「女子」の解釈であろうと思う。これを女性全般と解すると男尊女卑になる。

しかし、詩経から分かる通り孔子は男尊女尊主義である。とすると、この「女子」は女性全般を指すものではなく、女性は女性でも徳のないもの、周南召南にあるような女性から遠いものを指すと考えるのがよかろう。

小人と並べていることでも分かる。小人には「徳のない者」「身分の低い者」の二つの意味がある。「身分が低く徳のない者」でもよいだろう。

「身分が低く徳もない男性」と並べたことから、この「女子」は「身分が低く徳のない女性」と解するのが穏当だろう。

 

ここでは、あえて「身分が低く」という要素も考えるべきと思う。いわば下男下女、召使の男女といったニュアンスである。

それを我が家で雇っている。召使は住み込みで働くから、家の主人が養うことになる。

この養いが難しい。親しんで近づけ過ぎると、主人に狎れて無礼になる。かといって遠ざけ過ぎると怨むようになる。

 

孔子の真意は

もちろん、これは孔子の方便であろうと思う。

孔子は、一般的な関係を指して「主人と召使の関係はこうである、ああである」と説いているのではない。孔子の家で働いている下男下女に「養い難し」とうんざりしたのでもない。

孔子の志は天下にあったのだから、やはりこれは天下について言っているのである。

 

周南召南にある通り、女性の徳は偉大である。しかし女性の悪徳の害も甚大である。

周が衰えてからというもの、男女の乱れが甚だしくなった。諸侯の家でも、君主の夫人や側室の悪徳が原因で国が乱れることが珍しくなかった。

また、小人が権力を握った場合も同様である。君主の明を晦ませ、好き勝手に権力を振るって大乱を招く。

 

つまり孔子の仰るのは、こういう意味ではないか。

宮中に女官を抱える、夫人や側室を迎える。また多数の臣下を抱える。

世が乱れた今、徳のない女性や臣下も多い。しかしそれも含めて養い、国を治めていかなければならない。

これは大変難しいことである。

 

安井息軒先生曰く

女子と小人を養うのは大変難しいけれども、重要なことであるに違いない。

安井息軒先生は『論語集説』でこう述べる。

此の章は、後世の家を治むる者を警むるなり。此の二者、常人多く之を軽んじ、以て意と為さず。然るに人家の禍、往々にして此れに由りて起こる。慎まざる可からず。

身分が低く徳もない者を、多くの人は軽く考える。しかしこれが軽くない、むしろ重い。家の乱れはこういうところから起こってくる。

一般の家でも国家でも同じことである。ゆえに慎まざるべからず。

 

広瀬淡窓先生曰く

孔子の仰る「近づけ過ぎると不遜になる、遠ざけ過ぎると怨む」というのは、具体的にどういうことか。

広瀬淡窓先生の『読論語』が分かりやすい。「女子と小人」の註にこうある。

晋の孝武こうぶ、宮女のしいする所と為り、唐の憲宗けんそう、宦者の弑する所と為るが若し。

私はこの辺の歴史に疎い。十八史略にある簡単な内容しか知らない。

十八史略によればこうである。

 

孝武皇帝

東晋孝武皇帝は酒と女に溺れた。晩年、張貴人という女性を寵愛していた。ある日、孝武皇帝は酒に酔って、戯れに言った。

「お前も、もう廃すべき年齢になった」

張貴人はこのとき30歳。孝武皇帝は冗談で言っただけだが、30歳といえば当時としてはもう若くない。張貴人は皇帝の発言を真に受けて、自分が廃せられることを恐れた。それで、召使に命じて酒に酔った皇帝を殺してしまった。

女子を近づけ過ぎたために不遜となり、弑逆に至ったのである。

 

憲宗皇帝

唐の憲宗皇帝は衰退した唐を立て直したともいわれるが、その後段々と驕侈になっていった。

仏教と道教に傾倒した皇帝は、あるとき仙薬を飲んで精神に異常をきたした。宮中で仕える宦官が些細なことで罰せられ、死ぬことも増えた。周りの者はこれを怖れて、もう危ないから殺してしまおうということになり、宦官の陳弘志という者が弑逆した。

憲宗皇帝が即位したころ、宦官の勢力が強かったらしい。その弱体化を図る施策にも積極的だった。つまり小人を遠ざけ過ぎたのである。それで怨まれ殺された。

 

孔子の立場から考える

孔子も、徳のない者による乱れを憂えていたのだろう。

しかしそれをあからさまに言うのは憚られる。孔子にも立場があり、守るべき礼がある。

 

この言葉を孔子がいつ仰ったか定かではないが、魯の国でも女子と小人による乱れがあった。

小人による乱れは分かりやすい。三桓氏が権力を振るっていた。陽虎のような者もいた。

斉の景公と魯の定公が会合を行った「夾谷きょうこくの会」では、孔子の活躍によって魯は斉に奪われた土地を取り戻した。

斉は、魯の強大化を恐れた。孔子の補佐によって魯が覇者になるであろうと。

そこで斉は大勢の美人と馬を魯に贈った。魯公と大臣たちは美人に溺れ、朝議に出席しなくなった。もちろん、周りの小人たちの助長もあっただろう。

礼も乱れた。こうの祭り(天を祭るもの)を行ったが、魯公は祭肉を大夫に分け与えなかった。

祭肉を分け与えるのが礼である。孔子は、魯公がこの礼を守れば国に止まろうと考えた。しかし魯公は礼を守らなかった。孔子はもはや望みなしと考え、国を去った。

 

孔子が「女子と小人は養い難し」と仰ったのは、このようなことを指すのではないか。

魯公が女に溺れたこと、小人が跋扈していたことをそのまま言えば、君公を謗ることになる。これは礼に反する。

孔子は礼を重んじ、君公を謗ることをしなかった。非礼を指摘された君公を庇い、他国の大臣から「孔子のような者でも身内びいきをするか」と責められたこともあった。孔子はそういう人である。

だから孔子は、単に「下男下女は養い難し」と表現することで、魯の乱れ諷したのではないか。私にはそう思える。

 

女子と小人を養う法

孔子は、女子と小人は養い難し、と仰る。

とはいえ、徳のない者は必ずいるものだ。それを憎むことが甚だしく、盛んに排斥などすれば却って乱れの原因となる。

徳のない者も徳のある者もいる中で、いかに治めていくかが重要だ。

これについて、易経に良い教えがある。

 

天山遯

易の六十四卦の一、天山遯てんざんとんの卦は、一卦六爻のうち三爻から上爻まで(上の四本)が陽爻、一爻目・二爻目の二本が陰爻。

陽爻は君子、陰爻は小人と見る。また、爻が上にいくほど地位が高いものとみなす。

ここでは上位の四爻、上から高い順に四つの位を君子が占めている。しかし、下位の小人も徐々に昇り、一爻と二爻を占めた。ここから小人の勢力が強くなっていく兆しがある。

小人の勢いが盛んになれば、君子は追いやられることになる。この流れがどうしても避けられない場合、君子は地位を去って世の中を避ける。

 

遁れることの是非

君子たるものが早々と逃げ出し、小人の跋扈を許す。これは一見すると悪いようだが、必ずしもそうでない。

どうしても小人の勢いに抗し難い時代がある。聖人君子でもどうにもならない時期がある。

そこで立ち上がる君子も立派には違いないが、正しいとは限らない。

 

歴史をみると、小人が朝廷に跋扈するのを憂えて賢人が起ちあがった例が少なくない。

しかしこういう場合、小人の勢いは日に日に盛んになっており、君子の勢いは日に日に衰えている。そこで立ち上がった君子は誅殺される危険が大きい。

誅殺したら終わりではない。小人は後顧の憂いを絶つべく、遁れていた賢人までも抹殺しようとする。粛清によって回天の芽がなくなってしまう。

君子が遁れずに起ちあがったことで、却って小人がますます勢いづく結果となる。

 

それを避けるために、君子は遁れる。

隠遁して悠々自適に暮らすのではなく、隠遁して小人の盛んな時代をやり過ごし、時期を窺うのである。

 

祭肉を賜らなかったことで孔子が魯を去ったのも同じことではないか。

養い難き女子と小人によって国が乱れ、礼が乱れた。これからも乱れは甚だしくなるだろう。そこで高い地位を守り続けるならば、勢いづいた小人に迫害される恐れがある。そうなる前に退き、別の方法を模索しよう。

たしかに孔子は遁れたが、国を棄てたわけではないし、志を枉げたわけでもなかった。

 

臣妾を畜へば吉

ともかく、このような場合の処し方、退く(のがれる・遁れる)道を教えるのが天山遯。

天山遯の九三にこうある。

九三、とんを繋ぐ。やまい有り、臣妾しんしょうやしなへば吉。

象に曰く、繋遯のあやうきは、疾有りてつかるるなり。臣妾を畜へば吉とは、大事に可ならざるなり。

 

遯は遁れる、繋はつなぐ。繋遯は遁れようとする者が繋ぎ止められて、遁れられないことをいう。

何に繋がれているかといえば、普通、ここでは下の小人に縛られて身動きが取れなくなると解する。

色々考えられるだろうが、例えば立場に縛られる。今の立場を放棄すれば禍に逢うこともないのだが、そうすると小人の跋扈を許すことになり、国がどんどん乱れていく。責任ある立場としてそれは避けたい。このような思いに繋がれる。

もちろん立場が上であるだけに、そこを去ることによって名利を失うことを恐れる人もいるだろう。

 

遁れるべきときに遁れないのだから、当然危うい。小人の勢いが強くなってくると、必ず禍が降りかかる。

かといって、大事に可ならざるなり。小人の勢いを削ぐために排斥運動をするなど、大きなことをするのは悪い。小人の抵抗が却って激しくなり乱を招く。

 

そこで、臣妾を畜えば吉。

臣妾は身分が低く徳のない者で、論語の「女子と小人は養い難し」と同じである。

この臣妾を養う道をもってする。(一爻・二爻の)小人を正しく取り扱えば吉である。

小人は近づけ過ぎると狎れる、遠ざけ過ぎると怨む。これを養うには、近づけ過ぎず遠ざけ過ぎず、適当に取り扱う。

すると一爻・二爻の小人が狎れたり怨んだりすることがなく、君子は禍を避けられる。

 

これは吉である。禍を避けた君子にとって吉であるだけではない。小人にとっても、人民にとっても吉である。

小人が君子を侵して高い位置に昇る。これは下が上を侵すこと、つまり乱であり大罪である。

また小人が権力を握ると、ろくなことにはならない。まずい政治を行い、軽々しく戦争などを起こし、大抵は奢侈に耽る。そのために税を重くする。人民にとって不幸である。

 

君子が小人をよく養い、せいぜい一・二爻目の低い位置に止めておく。

これによって、下が上を侵すことがなくなる。乱を防ぐことができる。

低く居るべき小人が高く昇ったところで、そんな栄華は長続きしない。早晩破滅を招く。つまり小人は君子に養われることで吉を得るわけだ。

すると人民が苛政に苦しむこともない。善政によって暮らしも良くなる。人民にも吉である。

 

なお、ここにあるのは臣妾を”畜ふ”。既に述べた通り、畜う・養うには「おさめる」「よくする」の意味がある。

下位の小人にも能力のある者がいる。このような能吏を君子の下でしっかりと活かし、政治に役立てる。

君子が小人を畜う、おさめる。小人の力をポジティブに、よくする方向で活かす。これでも国が良くなる。小人にとっても、人民にとっても吉である。

 

臣妾を畜えば吉とは、こういうことであろうと思う。

 

近づけず遠ざけず

易には、天山遯の九三に類する言葉が他にもある。

宮人を以て寵するは、終にとがきなり(山地剥、六五)

根本先生の解釈で読むと、少し変わった見方ができる。

 

宮人は宮中で召し使われる女官。女官は宮中の仕事をするもので、政治には関与しない。天子が宮人を寵愛したところで、政治に関与させなければ国を害することはない。咎めはない。

天子が小人に対するにも同じである。宮人を寵するように取り扱う。近づけるには近づけるが、近づけ過ぎることはない。近くで使うが枢機には関与させない。権力を握らせたり、政治に意見させたりしない。それならば害はない。小人に権力を授けるから害になる。

小人だからといって、これを憎んで遠ざけるようなことをすれば却って害をなすから、賢明な君主はこれをあえて寵して近づけておく。まあ、自分の近くで手懐けておいて、賢臣や人民に害のないようにする。近づけてしかも遠ざけ、遠ざけてしかも近づけるわけだ。

これが臣妾、女子と小人を養う道である。

 

易の方では、主に君子が小人を養うことを教えている。陽が陰に対する法、つまり男性の徳を以て治めることを説く。

女性の徳は大切だが、男性の徳も大切である。

男性の徳を以てすれば女子と小人、臣妾を制して乱れを防ぐこともできる。

これは男尊の方である。女尊も男尊もどちらも大切とは、こういうことである。

 

男尊女尊の世界が見たい

易経では、臣妾を近づけず遠ざけず養えば吉であるとする。咎めもない。

論語も同じことである。

どちらも「女子と小人は養い難し」としながら、女子と小人を養い、皆が吉になる道を示している。

 

またここでいう女子は、女性全般を指すのではない。むしろ孔子は、詩経からも明らかに分かるように男尊女尊であった。

この記事を読んだ人が、孔子論語儒教を以て「男尊女卑だ」という思い込みを解き、男尊女尊という価値観を知ってくれたならば、長々とお話しした甲斐がある。

 

今の時代、偏った意見が多い。

男尊女卑は悪い。それは当然のことだ。

しかしこれを責めるあまり、女尊男卑を正義とするような考えも随分多いように思う。女尊男卑も当然悪い。

男尊女卑と女尊男卑の争いが続けば、必ず分断が深まる。

 

解決策は男尊女尊にあるのではないか。男性は女性の徳を尊び、女性は男性の徳を尊び、一陰一陽で円満な道を為していくような、そういう世界を私は見たい。