周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

公田先生はなぜ占わなかったのか

公田連太郎先生の座右の書は、呻吟語であった。

今回は呻吟語のお話しです。

 

教えの四等級

呻吟語では、教えの等級を四つに分けている。簡単に書くと以下の通り。

 

第一等は、自然(為す所無くして為ること)を説く。

第二等は、当然(性分の尽くすべき所、職分の為すべき所)を説く。

第三等は、不可不然(そうでなければならないこと)を説く。是非とか毀誉の話。

第四等は、不敢不然(そうしないわけにはいかないこと)を説く。利害とか禍福の話。

 

仮の例え

易や老子が第一等として分かりやすい。もちろん論語も第一等。

孟子荀子は第二等といってよいだろう。

その他の諸子に広げて行くと、第三等の話が随分でてくる。

時代と共に邪説も色々でてきて、それらは第四等にあたるだろう。

 

論語の活用は様々

分かりやすく言えばこんな感じになるだろうが、実際には「論語は第一等」「孟子は第二等」のような分け方は違うだろう。読み手や用い方によって等級は変化する。

そもそも儒学では人間を本位として道を立てている。本質的に第一等であるとしても、人世に応用すれば第二等以下にもなる。第三等のように説くこともでき、第四等のように説くこともできる。

 

第一等としての論語

伊藤仁斎先生にとって、論語は第一等の教えであったといえる。論語に宇宙の根源を見た。

 

第二等としての論語

北宋の宰相・趙普曰く、臣に論語一部あり、半部を以て太祖を佐けて天下を定め、半部を以て陛下を佐けて太平を致す。

趙普は、論語から第二等の教えを汲みとったのだろう。無為自然ばかりでは天下は治まらない。民衆を導くにはその性分を考えて制度を整える必要があるし、人臣の職分についても同様である。第二等的な用い方が必要となる。

 

第三等としての論語

論語を第三等としてみる場合はどうか。

 

孔子は正名を重んじる。儒教が名教ともいわれるゆえんである。論語でも左伝でも、名を正すということがよくある。その場合にはやはり是非善悪の話になる。

また、孔子には「蘧伯玉は君子だ」「子産は恵み深い人だ」「寗武子は立派だ」など称賛する言葉がある。もちろん、非難する言葉もある。毀誉褒貶ということが出てくる。

 

このように、第三等的な見方もできる。これも論語の用い方の一つであるし、個人の修養の上では欠かせない。

修養の足らぬものが第一等を汲んで自然だ宇宙だとなれば、それはただの「変な人」になる。

第二等もそうで、身の修まらぬ者が天下国家や大義・正義を論じるようになると、これも碌なことにはならない。

 

もっとも、孔子の道からいえば、個人の修養は通過点に過ぎないのだから、第三等にこだわり過ぎるのは悪い。

仏教でいえば小乗に泥んで大乗に進まぬようなもので、これはお釈迦様の戒めるところ。小乗を修め、我ひとり高く止まって、未熟な者をどこか見下すところがある。

これと同じで、修養においては第三等としての論語も必要だが、低いといえば低い。

 

第四等としての論語

第四等はどうか。もちろん第四等としての用い方もある。

孔子も利を言うことがある。子罕篇に「子、罕に利を言ふ」とある。利について多く述べたのではないが、いくらかは述べている。

元亨利貞にも利とあるように、そもそも利は天徳の一つである。道に背いて利を取るは悪いが、利そのものが悪徳なのではない。人に利を施すのは仁であるし、己で利を貪るのは不仁である。

論語から利害禍福の説を汲むことも、修養の上では役に立つ。

 

しかし第四等で最も低い。利害や禍福のことは、四書五経を当たり前に読めばわかることであって、極く初歩的な事である。

 

公田先生はなぜ占わなかったのか

このように色々に考えるうちに、ひとつ気づいたことがある。

呻吟語は公田先生の座右の書であった。易を教えの四等にあてはめると、先生が占いを好まなかった理由がわかる気がしたのだ。

 

公田先生と占い

公田先生は、生涯でただの一度も占わなかった。このことについて、先生はこう仰る。

「私は、占いを行うべき性能を持っていないものであると自ら信じておるので、自ら占いをしようと試みたことはなく、占いによって解決しなければならぬと思うほどの重大なる事件にも幸にして遇わなかったので、他人に占いを依頼したこともないのである」

公田先生が心にもないことを言うはずはない。先生は、本当に「自分が占っても無駄」「占う必要もない」と思っていたであろう。

 

南隠老師の影響

ついでに言えば、師匠の教えも影響しているように思われる。

公田先生の師は、漢学では根本通明先生、禅では渡辺南隠老師であった。

周易講義など読んでも、根本先生は占いとしての易についても普通に解説するだけで、公田先生のようなことは仰らない。

しかし南隠老師は違ったらしい。南隠老師は占いとしての易に否定的で、

「占いをしてみなくてはわからぬようなことでは、とろくさい」

と言っておられたとか。

これも、公田先生に影響を与えたのかもしれない。

 

公田先生の興味

しかしそれ以上に、占いとしての易を好まなかったらしい。易経講話にこうある。

孔子の前後の時代に、易が占い専門の書物ではなくなり、占いの外へ一歩か二歩か抜け出したのである。

私の好むところは文王・周公の占いの易ではなく、大きくいえば宇宙、小さく言えば人生の変化の義理を説くところの孔子の易を好むのである。占いとして解する易説には多くの興味を持たないのである」

 

呻吟語に当てはめる

この言葉は、呻吟語の教えの四等級に当てはめると一層よくわかる。

 

先生の好んだ「大きく言えば宇宙の変化の義理を説く易」は、呻吟語でいうところの「自然を説く易」であり、第一等である。

また「小さく言えば人生の変化の義理を説くところの易」は、呻吟語でいうところの「当然を説く易」にあたる。人生を細切れにみると第三等の趣きがあるが、人生全体の変化の義理であれば性分の尽くすべき所・当然が重要である。ゆえに第二等。

 

先生の好まなかった「占いとして解する易説」では、易の言葉を予言として尊重し、その時々の出処進退や吉凶禍福を占う。

出処進退には是非と毀誉を伴う。ゆえに第三等の「不可不然を説く易」といえる。

吉凶禍福には利害を伴う。「不敢不然を説く易」であり、第四等である。

 

まとめ

呻吟語では「道には二然有り」として、自然と当然を重く見ている。公田先生も、第一等・第二等を尊重し、だから義理易を好んだのではないか。

しかし第三等・第四等はさほど重んじなかったであろう。だから占いとしての易説を好まず、ご自身で一度も占われなかったのではないか。

 

呻吟語を読んで、どうも私にはそんな気がした。