周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

孔子廟のこと

先日、ハノイ孔子廟を訪ねた。現地の言葉では「文廟」という。

廟というものに初めて足を踏み入れ、色々と勉強になることもあったので、ここにまとめておく。

 

 

廟は祖先や個人の霊を祀る場所。文廟では孔子を学問の神様として祀る。

特に「宗廟」という場合、祖先を祀る廟を指す。天子・諸侯・大夫・士はそれぞれ決められた数の廟を建てて祖先を祀る。これは孝経を読んでも良く分かる。

 

宗廟には様々な礼があるが、第一には祀る者の配置である。ここには厳格な順序がある。

中庸に曰く、宗廟の礼は昭穆を序する所以なり。

宗廟の礼、つまりご祖先を正しく配してお祀りすることには、世代の別を明らかにする意義がある。

 

天子は七廟、諸侯は五廟、大夫は三廟、士は一廟である。

例えば諸侯の宗廟であれば、順序は以下の通り。

①太祖廟(国を開いた太祖を中央・南面に配する)

②顕考廟(二代目を昭に配する)

③皇考廟(三代目を穆に配する)

④王考廟(四代目を昭に配する)

⑤考廟(五代目を穆に配する)

 

宗廟のように祖先を祀るのではなく、文廟のように個人を祀るにはどうするか。

文廟の場合、儒教の祖である孔子とその弟子たちを祀るのであるから、宗廟と似た趣きがある。

太祖のように中心となる廟は常に南面する。文廟では孔子が太祖に当たる。やや東に傾いているが、おおむね南面する位地に祀られている。

 

 

文廟では、世代の別を明らかにするのではない。その功績を顕彰し、お祀りするのである。

 

曰く、事を序するは賢を弁ずる所以なり。

祀る人の為した事の軽重によって順序を決め、複数の聖賢を祀る中にも別を明らかにするのである。

 

文廟の中で写真を取るのは気が引けたので、順序をメモしておいた。

 


まず、宗廟の昭穆に相当する部分。

 

孔子儒教の祖、中央・南面)
顔子(顔淵、孔子の一番弟子)
曾子(子思の先生)
④子思(孔子の孫)
孟子(子思の弟子)

 

孔子から孟子までの五廟は昭穆の序に一致する。儒教の道統がよく分かる。

儒教で亜聖といえば顔子孟子だが、事を序し賢を弁ずるに、やはり大きな隔たりがある。これは面白いことである。

 

さらに外側の十廟は順序が判然としない。昭穆と同じ考え方でいけば、

 

一、仲由(子路

二、顓孫師(子張)

三、端木賜(子貢)

 

となるのだが、この配列はどうも腑に落ちない。

ただ、十という数字から十哲に関係しているのだろう。順序はひとまず置いて、祀られていた弟子は以下の通り。

 

一、仲由(子路

二、端木賜(子貢)

三、閔損(閔子騫

四、冉雍(仲弓)

五、卜商(子夏)

六、顓孫師(子張)

七、冉伯牛

八、冉求(冉有

 

石に名を刻んであるのだが、廟内は薄暗くて見えにくく、また私は眼が悪いので九、十は読み取れなかった。

他に十哲といえば宰我子游。だからこの二人が入りそうなものだ。

しかし十に「公」の字が含まれていたようにも思う。となると公西赤が濃厚だ。

それに、今思えば九には「言」が含まれていた気もする。その時は「子游子游…」で探していたから「言偃」が浮かばなかった。

 

したがって、

 

九、言偃(子游

十、公西赤

 

の並びかなと思うが、もう一度行ってみないことには分からない。

誰か分かる方がいたら教えてください。