周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

子路に関する覚書

先日、久々に弟とお酒を飲んだ。といっても一ヶ月半ぶりくらいに。

大変よいお酒だった。

 

色々話したが、途中、子路について話すことがあった。

何も準備して話したわけではなかったが、話すうちに子路のことが一層よく分かった気がする。

お酒を飲みながらのことで、そのうち忘れてしまうかもしれないので、ここに書きつけておこうと思う。

 

 

きっかけは、「何のために学ぶか」という話になったこと。

自分が話したことを思い出しながら書いてみたい。

 

俺がなんで学問するかといえば、まあ簡単に言ったら、学問して強くなりたいというのが一番やね。

これは孔子も、「学問するのは強くなるためだ」と言うとる。

学問したら強くなるのが道理よ。でも学問して弱くなる人もおる。

それが何でか俺にはよく分からんけども、考えるけえやろか。学問するなら、考えんといかんけえ。

 

勉強したら疑問なんか出てくるやろ、学んだことと現代のギャップも大きいし。

そしたら考えるわな。考えるけど、何年か学んだくらいの頭でいくら考えてもさ、考えの及ぶことなんてたかが知れとろうが。それで、よく考えても答えが見えん、真面目な人ほど疲れるんやろなあ。

俺もそんな時期があったやろう、よう覚えんけど。付き合いのある学生さんなんかにもそういう人がおるよ。

別にそれは必ずしも弱いんやないし、悪いことでもないけど、そこで疲れて折れたとなると、少なくとも学問して強くはなっとらんわね。

 

あとこれはしょうもないけど、学問して偉そうにする人ね。なんぼなんでもこれは弱すぎるわ。

慎みがないもん。慎め慎めというのが孔子の教えなのに、それを学んで慎みがなくなっとる。学ぶ前よりも。

偉そうにして威張りくさって。威張りくさるいうけどね、ほんとによう言ったもんよ。臭くって臭くって仕方ねえわ。威張るだけ見た目は強いかもわからんけど、臭いばっかで弱いよね。

そうなりがちやけどさ、普通の人、普通以下の人、俺もそうやけど。これは怖いなあと思っとる。

威張るのはくだらん、馬鹿のすることよ。勉強して馬鹿になるなら、最初っからやらんがマシや。博打でもやっとった方がよかばい。孔子もそげん言うとった。

 

学問したら強くならんといけんのよ。

それで有名な話。孔子たちが餓死しかけたことがあるんよ。

論語だけじゃなくて色んな本に載っとるけえ、そういうことが間違いなくあったんやろ。

 

「陳蔡の野にやくする」いうてね。軍隊が孔子一行を囲んで通せんぼしたもんやけ、何もない野原に孤立したわけやな。

野原いうより荒野やったかもしれんね、「俺たち牛でも虎でもないのに、なんでこう彷徨わんといけんのか」いうて、孔子が歌ったげな。

誰が何で通せんぼしたかはいくつか話があるけど、まあ軍隊に囲まれた。

 

そんとき孔子たちは、楚という国に行こうとしよったんやな。

楚は南のおっきい国よ。春秋戦国いう時代があるやろ。その時代の強い国で、いっつも北ば攻めよる。

もう一つ呉という、これも強い国やけど、これが楚と戦争しよった。

陳とか蔡とかいうんは小っちゃい国やし、攻めて攻めて中原、中原いうんは中国の中心やな、そこに行こうと思ったら陳や蔡は通り道よ。楚が北を攻めようと思ったら、どうしたって陳や蔡が一番にやられるわけや。

楚と呉が争うのにも、蔡なんかは特にそのちょうど間にあるもんやけえ、巻き込まれるわけや。

そこで、楚に行こうとした孔子たちが疑われた。呉の兵に囲まれたとか、蔡の兵に囲まれたとか。

どっちにしても、楚には行かせんようにするやろ。呉にとって楚は敵、その時蔡は呉についとった。

 

孔子は理想の政治がしたかったんやな。それで王道いうもんを色んな国で説いたけれども、どの国の王様もようやらん。

楚の王様だけは立派な人やったみたいで、なら楚に行こうとなった。

井上靖が書いた孔子の小説やと、子路と子貢と顔回、この三人が孔子のとこで特に優れた人なんやけども、孔子はこの三人を楚に仕えさせたかった、という書き方をしとるね。そういうこともあったかもしれん。

まあ、そうなる前に王様が死んで、どげんもならんやったけども。

 

孔子は魯という国の人、そこで大臣になったことがある。それはもう、政治家として立派なもんよ。成績も抜群や。弟子にもすごいのがいっぱいおる。

これがまとめて敵についたらどうか。ちょっと敵に回せんやろう。それが楚に行って腕を振るおうというんやから、これはまずいと敵方では思ったんかもしれんね。楚が強くなったらいかんと。

それで孔子たちを囲んだと、何かの本で見たことあるな。

 

七日火食かしょくせず、いうてね。カショクのカはfire・火、物を煮炊きすること。まあ七日間メシ食われんやったんやなあ。

それでお弟子たちはみんな足腰立たんごとなった。もう死ぬかもしれん。

この辛い時に、孔子は平然と琴を弾きよったらしい。

ちょっとみたら意味不明よな、もう生きるか死ぬかのところで琴なんか弾きよったら。

やけえ子路には、俺たちの先生はどげんしたとやろか、死にそうな奴もおるのに、ちょっと俺が言ってくる、そういう気持ちもあったんやろう。

「先生、こんな時に琴なんか弾いて、おかしかやないですか」

「俺たち何も悪いことしとらん、むしろ良いことしよる、なのに何でこんな目に遭わんといけんのですか」

 

儒学の古い本を読むと、確かに子路のいう通りなんよ。

良いことをしたら福がある、悪いことをしたら禍がある、これが基本やから、子路たちには福があるべきなんやけれども、でも死ぬような目に遭っとるわけだ。

論語やとこの話は極く簡単に書いてあるけど、『孔子家語』いう本には詳しく書いてある。

「昔の本にも吉凶禍福は人次第と書いてあるし、君子なら困窮せんと思います。でもこんな目に遭っとるのは、先生に徳がないからじゃないですか」

と責めるようなことを子路は言うとる。

 

子路孔子を心から尊敬しとる。孔子の教えなら何でも正しいというような人よ。孔子が教えることを熱心に守ってきた。まあ君子になるために骨折ってきた。

君子といえば立派な人のこと。なら立派に世の中を渡っていけるはずやね。しかし七日火食せずで死にかけよるわけや。それが悔しかったんやろなあと思う。

それで子路が「君子亦た窮すること有るか」という。窮するいうんは行き詰ること。君子でも行き詰ることがありますか、ないはずやないですか、でも実際こげん窮しとる、これはどういうわけですかと孔子に迫った。

 

そしたら孔子は、子路それは違うよと教える。

子路は「君子なら窮することはないはず」と言ったけれども、孔子は「違う、君子だから窮するんだ」と言う。これすごい言葉よ、わかるかね。

 

子路の云う通りよ。君子は立派な人。でも、世渡りが上手いか下手かは別問題やろ。それはそれ、これはこれや。

何もない時代なら上手く世渡りできるやろうけれども、当時は乱世やからね。

すると、立派な人は苦しまんとおかしいわけだ。だって、君子は道を枉げんもん。

君子やなかったらどうか、道を枉げるわけやな。なんかまずいことが起こりそう、道を枉げたら避けられる。どうするか。君子じゃなきゃ、やっぱり枉げるんやな。騙すのは悪いことと分かっとっても、人を騙して苦しみから逃れるとか。

君子は道を守る、何日も食われんようなことがあっても、それやけなんか人を騙そうとか、じたばたせんわけよ。策を弄さず、道を守って苦しむのが君子。

これを孔子は、「君子もとより窮する」と言ったわけや。君子だから苦しむんやと。

 

蘭という花があるやろ、あれは香りで有名や。今の日本やと胡蝶蘭みたいなもんばっかりで、あれは香りがせんのんよ。でも蘭は本来香りで有名よ。バニラなんかも蘭の仲間やけえね。

孔子子路に、君子は蘭みたいなもんやと云うわけや。

山の中で咲く蘭は、人に「いい香りやなあ」ち思われたいけえ咲くんか。違うやろ。そんなんどうでも、咲く時には咲くし、咲けば誰に気づかれんでも良い香りを撒き散らすわけや。

君子も同じよ。君子は道を守る、道を守れば徳がある。蘭が咲けば香るのと一緒よ、徳もあれば香る。

でも君子は人に立派やとか、偉いとかすごいとか、そう言われたくて道を守りよるわけじゃなか。仁とか義とか、礼もしっかりしとるし智慧もある、政治もようやる、皆なその人のこと好きよ。でも好かれたくて道を守りよるんやない。

蘭が咲けば香るのと同じで、君子も学んで道徳を身につけたら香らずにはおらんわけよ。苦しくても、苦しくなくても、認められても認められんでも、なにがどうでも君子なら道を守るし、道を守れば徳が香るわけやな。

 

逆に小人、徳のないもんはどうか。見た目が立派で君子みたいでも、徳がなけりゃ香らんわな。

それを孔子は「小人窮すれば濫る」いうてね、小人は苦しくなったらすぐに乱れるんやと。

小人は徳がない、そりゃ道を守らんのやけえ当然よ。何でもない苦しくない時なら守るかもしれんよ。でも何かあったら道を簡単に枉げてしまう。正しくないこともする。なりふり構わん。乱れまくって、わけわからんごとなるわけや。悪いことでもなんでもやる。

 

君子はそうやない。蘭みたいなもんで、苦しくても道を枉げん。小人とは大違いやと。孔子子路にそう教えるわけや。

これは子路には嬉しかったやろうねえ。嬉しくなって踊ったらしか。

えらい苦労しよるけれども、君子やから、正しいことしよるから先生と一緒に苦しむんやと。

孔子から、俺もお前も君子やから苦しんどるだけで、これでいい何も間違っとらんと言われたんやから。

子路の学問はここでぐんと進んだんやろうなぁと、俺は思うね。

 

俺もこの「君子もとより窮す」という言葉は大好きでねえ。これ、ほんとにいい言葉よ。

よく「正直者は馬鹿を見る」って云うやろ。これ、正直者を馬鹿にする言葉に聞こえるやろ。

でもね、孔子の言葉からすると、これは褒め言葉なんよ。君子もとより窮すると一緒やん。正直に生きて馬鹿を見た、道を枉げずに苦しんだ、どっちも一緒やんか。

いいよねえ。正直で馬鹿を見て、それでクソッとなるのが当たり前やし、どうかすると折れる。そこで、平然とできる強さが欲しいわけだ。俺が学問するのもそれよ。それだけ。孔子とか子路みたいになりたい、学問する理由なんかそれで十分やろう。

 

子路は勇で有名やった。勇者として知られとった。その勇者の子路が、餓えてくじけそうになった。

先生の孔子は全くそんな風なことない。平然としとる。

その理由を知って、「ああ自分の勇気は小さかった、大きい勇気というのは先生のようなのを云うんや」と、本当の、正しい勇気を知ったんやろうね。

 

それやけえ子路はあんな死に方できたんやろ。

その後子路は衛という国に仕えて、内乱に巻き込まれて死ぬんよ。

子路は主君のために戦う、けど劣勢よ。それで殺される。

戦っとる最中、冠のひもを切られた。

そしたら子路は「君子はいつでも礼儀を守るもんや」と、冠をきちんとかぶりなおして、それで殺されたわけや。

 

これすごいよねえ。涙がでるわ。

あのとき陳蔡の野で孔子と一緒に苦しんで、子路は小さな勇気で疑いを抱いたけれども、このときはもう違う。

窮するといえば、殺されるほどのことはないわけよ。

でも「君子また窮することあるか」で疑いながら殺されたんやない。「君子もとより窮す」で、先生の教えを守って堂々と窮して堂々と殺された。

これで、子路はほんとの勇者やった、立派な人やったとわかる。

 

子路を小勇から大勇に仕立てた孔子の偉さも分からないかん。

孔子はね、故郷の子たちを仕立てようと、そういうことを仰る。「仕立てる」っちゅうのがまたよかね。孔子らしか。

長すぎるところは短くして、短すぎるところは長くして、素材ごとに、まあ教える相手の性質なんかをよく考えて。教育は仕立てるんやな。

やけえ論語読んだらわかるよ、弟子によって教え方が全然違うけえ。ある人には「こうせえ」、別の人にはそれと真逆の「ああせえ」。

教えがブレとるわけやない。左に偏っとる人には右に行け、右に偏っとる人には左に行け。三千人も教えよったらそういうことがなんぼでもあるわけたい。

 

型にはめるなら十把一絡げで教えればよか。でも孔子は仕立てるけえ、そうはならんわけや。すごい人よほんとに。

孔子が仕立てたけえ、子路はあんな立派な死に方できたんよ。

 

ここまで一息に話した。弟は聞き上手で、人が話しているときに口を挟まないから、私が一方的に話した。

子路の死にざまを話したとき、弟も感動していたように思う。

子路っていう人は本当に偉かったんだよ」と言いながら、私は涙が出た。ちょっとしんみりした。

 

弟が言う。

子路って、ヤンキーみたいなキャラですよね。

孔子もそれが可愛かったんでしょうね。クラスで出来の悪い生徒が、先生からなんか可愛がられるみたいな」

これをきっかけに、また話した。

 

ヤンキーっちゅうと、ちょっと変な感じがするけど。でもまあ、そういうところはあったんやろうね、特に孔子に会う前は。

子路孔子に初めて会った時の話がおもしろいよ。

 

子路は剣の腕が立つ人やった。当時は乱世やし、剣は頼りになる。それで成りあがることもできるかもしれん。殺されそうになったら剣で戦えるし。

そんなら学問はどうか、子路は役に立たんと思っとったわけや。だって、いくら学問あったって、偉そうなこと言ったって、斬られたらおしまいやもん。

 

それで学者が嫌いやったんやろなあ。学問学問言うとる、孔子というのがおると。それをひとつやっつけようというんで、孔子のところに乗り込むわけだ。それで言うのが、

「学問が何の役に立つんや、南山の竹はそのままでも真っ直ぐやろもん」

 

南山は竹の名産地でヤダケいう、まあ弓矢にするのにちょうどいい竹やな。細くて真っ直ぐで、切ったらそのまま使えるような。

子路が言いたいのは、南山のヤダケみたいに素材がよければそれでよか、ということやね。もっと言ったら、子路子路という素材のままで十分に役に立つ、学問なんか何の役に立つんやと言いたいわけや。

 

そしたら孔子が言う。「しかしその竹に鏃をつけて、矢羽根をつけた人がいたんだよ。それが学問だ」

確かに南山の竹はいいよ、でも鏃をつけたらもっと深く刺さるし、矢羽根をつけたら遠くまで真っ直ぐ飛ぶ。

子路という素材もいいよ、でも学問したらもっといいもんになる、剣ももっとよく活きるというわけやね。

 

それで子路は参って、すぐに弟子にしてくださいと頭を下げた。これも子路の偉さよ。

人に難癖つけるようなもんは小才子が多くって、自分が間違っとるのがわかってもガチャガチャうるさかろうが。黙りゃぁいいのに。

子路はそういう人やない。潔さも子路の徳やね。

 

それで思うのは、孔子の教えはいつも一貫しとるんよ。

子路が初めて孔子に会って教えられたのは、学問は人をもっと良くするもの、強くするもの、っちゅうことやろ。

陳蔡の野で教えたのも、君子もとより窮す、学問で君子になったら、どんな苦労しても道を枉げんような強い人間になると教えたわけよ。

どっちも一緒やろ、学問は強くなるためにするんやと、ずっと教えよる。

強くなるためやと言われて弟子入りして、その通り強くなって死んだんやから、子路は本当に立派よ。

 

これまで、子路が入門するときの話は、それはそれとして単体で捉えていた。

しかし弟と話す中で、全部一つのつながりとして捉えることができた。

これはありがたいことだった。

 

また、私は本当に論語が好きなんだなと思った。

 

俺には子路が特別な人なんやけど、お前にはその理由がわかるやろ。俺が学問するのも、そういうことなんよ。

こういうことが分かるけえ、論語はいいよ。色々な本があるけど、論語が一番面白いかもしれんね。

中国の歴史で言ったら、三国志は面白いやろ。お前もスリーキングダムズ観たし好きやろうと思う。俺も好きよ。吉川英治三国志も何回も読んだし。

論語はちょっとみると、そんな面白くない。先生は普段こうやった、先生はあの時こう言った、弟子の誰それがこげん言いよった、そしたら先生はこげんなさった、ポンポン書いてあるばっかり。

 

でもずっと読んでいくと、孔子とか子路とか、いろんな人とか話がね、すごくリアルに見えてくるんよ。三国志に劣らず、論語は泣けるね。

俺は専門家やないし独学やけえ、深読みしたところで間違いもあるやろ。でもそれはそれで良かっちゃないかな。誰にも何も言わさんくらいやっていくしね。

孔子は正しい人間を作るために教えを遺したわけやろ。それを読んで色々考えたり、空想なんかもいっぱいして、それで俺という人間が少しずつマシになりよる。そこだけは誰も文句言われんろう。

やけえ本当に、論語はよかよ。

 

好きなことを話すと饒舌になるものだ。私は論語が好きなのだ。

弟に対して、このように滔々と話したことはあまりなかった。話してみるのも悪くない。

 

それに真剣に聞いてくれる人がいるのはうれしいことだ。

弟にはこれからも折々に話して、一緒に学問が進めば良いと思います。