周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

過ちを見て内に自ら訟むる者は顔回なり

過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。間違いは是非とも改めるべきである。

当たり前のことで、極く簡単な道理だ。

しかし難しいといえばこれくらい難しいこともない。

 

改めるというのは、単に姿勢の上だけではない。同じ過ちを繰り返さないようになって、初めて改めたといえる。

そのためには内面的に真剣な努力を重ねる必要があり、これが大変に難しいのである。

 

 

過ちを見て内に自ら訟むる

論語公冶長篇に曰く、

子曰く、やんぬるかな、吾れ未だ能く其の過ちを見て内に自らむる者を見ざるなり。

(もうどうしようもないな。過ちを見て深く内省し反省する者を私は見たことがない)

これは弟子への戒めであろう。孔子は絶望する人ではないし、常に弟子に希望を抱いていたのだから、底から「やんぬるかな」と仰ったわけではなかろう。

 

二つの解釈

ここにある「過ち」について、二つ解釈がある。

ひとつは、人の過ちを見て内に自ら訟むる。

もうひとつは、己の過ちを見て内に自ら訟むる。

 

どちらと限る必要もないだろう。人の過ちも己の過ちも修養の糧となるなら、それが一番良いはずだ。

根本先生の論語講義は前者のように解釈している。しかしよくよく考えてみると、どうも後者の方が優れているように思われる。

 

耳目聡明とは

韓非子にこうある。

智は目の如きを患ふ。目は能く百歩の外を見るも、自ら其の睫を見ること能はず。

五常仁義礼智信。智は大切なものだ。

物事がよく見えよく聞こえることを「耳目聡明」という。耳目の良いことは智の優れていることを意味する。

 

ただ、耳目聡明ということについて、公田先生はこう仰る。

私は、従来、耳目聡明という言葉で、心の徳の明らかなることをあらわしておることに、興味を持っておる。心の徳の明らかなる人は、耳がよく聞こえ、目がよく見えるのである。耳がよく聞こえ目がよく見える人は、必ず心の徳が明らかなのである。

ただしこの耳目聡明ということは、耳や目のお医者さんがいうのとは、多少違うのである。耳目聡明というのは、物事の真相がよく見えたり聞こえたりするのである。

韓非子にあるのも、そういうことである。

目が良い人は百歩先をはっきりと見ることができる。だが極く近いところは見えない。自分のまつ毛さえ見ることはできない。

智というものは、目のようであってはならない。遠くも近くも見えて、他人も自分もよく見えるようであって、初めて智といえる。

 

しかし智というものは、往々にして目のようなところがある。これは憂うべきことである。

遠くは見えても近くは見えない。灯台下暗し。人を知るは易く、己を知るは難い。

これでは、耳目聡明とはいえない。本当の意味で智が優れているとはいえない。

 

人を知るは易し

智の昧い人であっても遠くは見えるし、他人の善悪はよく見えるものだ。

善悪どちらかでいえば、善にはさほど関心がなく、悪には大変敏感という人が多いように思う。

人の過ちはよく見えるのだ。過ちを犯した人を責め立てることもできるし、その過ちを見て内省・反省することもできる。反面教師という言葉も極く一般的だ。

つまり、「人の過ちを見て能く内に自ら訟むる者」は、そう珍しくないわけだ。

 

孟子に曰く、

世衰へ道微にして、邪説暴行有作る。孔子懼れて春秋を作る。

世の中が衰え、道が廃れた。邪説や暴行、例えば弑逆なども起こるようになった。孔子はさらなる乱れをおそれて春秋を作った。

春秋は、悪人の悪行を書き記して筆誅を加え、善人の善行には賛辞を与えた。

当然、孔子は弟子にも春秋を講じたわけで、弟子は度々「人の過ちを見」た。それを修養の糧にもしただろう。

「人の過ちを見て能く内に自ら訟むる者」は孔門にいくらもいた。それを孔子が「吾れ未だ見ざるなり」と仰るとは思えない。

 

己を知るは難し

では、「己の過ちを見て能く内に自ら訟むる者」ではどうか。

こちらは難い。人の過ちはよく見えても、自分の過ちを見るのは難しいからだ。

 

自分の過ちに気づかない人は論外だ。そもそも「己の過ちを見」ることができていない。

ここでは、自分の過ちに気づいているが、反省の足らない者をいう。こちらは罪深い。

過ちに気づかない場合、改めるきっかけかないわけだ。それはきっかけを与えたら良い。過ちを教えてやったら良い。

一旦、過ちを知ったならば、改めるかどうかは本人次第である。知りながら改めようとしないのは惰弱であり堕落に近づいてゆく。

知って改めない、これは自分の過ちを見過ごすわけだ。自分のことを棚に上げて人を責めたりなんかする。だから罪深い。

私も日々、この罪を犯しているに違いない。

 

過ちは断乎として改めるべきで、人を責めるような暇はないはず。こんなのは当たり前だ。当たり前だが簡単ではない。むしろ、こんな難しいことはない。

 

顔回の偉さ

孔子の弟子たちも、ここで苦しんだに違いない。己の過ちを見て、しかも中々改めることができない。

なぜ改まらないか。孔子の言葉によれば、内に自ら訟むることが足らぬからだ。

 

門中顔回のみ

門中ただ一人だけ、これができた人がいる。顔回である。

孔子は、顔回について「過ちを貳せず」と評した。同じ過ちを繰り返さない人であったと。

顔回は、己の過ちを見れば内に自ら深く訟め、改め、同じ過ちを繰り返さなかったのだろう。

 

子貢の顔回

孔子家語(弟子行)では、衛の将軍に乞われ、子貢が孔門の人々を論評する。

主だった弟子を様々に論評する中で、子貢は顔回を「過ちをふたたびせず」を以て評した。子貢が「己の過ちを見て能く内に自ら訟むる者」として評したのは、顔回ただ一人であった。

 

孔子の弟子は蓋し三千人あり。優れた人も多かった。しかし「己の過ちを見て能く内に自ら訟むる者」は容易に得られなかった。

耳目聡明であること、己を知り内省し反省することがいかに難しいか、よく分かる。

 

嘆きと戒めの言葉

ここで孔子は「未だ見ず(見たことがない)」と仰る。

しかし顔回がいたのだから、見たことはあるわけだ。

「己の過ちを見て能く内に自ら訟むる者はすくなし(そういう人はめったにいない)」などと言いそうなものだが、なぜそう言わなかったか。

 

これは晩年の言葉で、孔子がこう仰ったとき、顔回は既に亡くなっていたのではないか。論語徴ではそう解する。

となると、この言葉は孔子顔回を偲び嘆く言葉であり、同時に他の弟子を戒め励ます言葉になるだろう。

 

以上を踏まえて、私はこの章句の意味をこう解する。

顔回が亡くなってからというもの、己の過ちを見て内に自ら訟むる者をまだ見ないなあ。

顔回はそうであった。過ちを繰り返さなかった。そういう弟子が確かにいたのだ。お前たちもこの先輩を見習って、日頃からよく内省し、己に過ちがあれば反省し、改めるよう努めなさい)

この章句は、顔回と合わせて考えると、一層深く理解できるように思う。

 

顔回を偲ぶこころ

孔子顔回は実の親子のようであったという。

顔回が亡くなった時、孔子は大変嘆き、それ以降、顔回を偲ぶ言葉をぽつりぽつりと遺されている。

 

この次の章句に、こんなことを言ってある。

子曰く、十室の邑、必ず忠信、丘が如き者有り。焉んぞ丘が学を好むに如かざらん。

十戸くらいの小さな村にも、私(丘)のように忠信に篤い者は必ずいる。学を好むことは人の天性であって、忠信の篤い者(天性に近い者)に教えを施せば、必ず学を好むようになる。どうして私の好学に劣るといえようか。私と同じく学を好む素質は、誰もが持っている。

 

孔子は「好学」ということを容易に許さなかったが、「人は本来みな学を好むもの」と考えていた。

そんな孔子も、顔回を偲ぶ時にはこのように仰る。

顔回といふ者有り。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。

顔回という者がいました。不幸にして短命でした。今はもういません。顔回が死んでからというもの、私は学を好む者を知りません)

学を好むは天性なり。孔門には学を好む者が大勢いたはずだ。しかし孔子は「未だ学を好む者を聞かざるなり」と仰る。

顔回の死を惜しむあまり、このような言葉になったのであろう。

 

これを、「未だ能く其の過ちを見て内に自らむる者を見ず」と合わせて考えてはどうか。

どちらも顔回を偲んで、「未だ~せず」と仰った。そう考えると、私には非常によく理解できる。

孔子顔回の師弟愛を思うと、「未だ~せず」の言葉が非常に重く感じられる。この言葉が孔子の体温を帯びる。胸が締め付けられるような思いがする。

それを噛みしめて、私は論語が益々好きになった。