周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

筆写方法の大幅な改善と効果

筆写の方法を大幅に改善した。

 

これまでの方法は、

 

・ルーズリーフ(マルマンのジウリス、A4サイズ、7mm罫)

・縦書きするために横長の状態で使用

 

であった。

具体的には、こんな書き方である。

 

 

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これまでも、必要に応じて少しずつ改善してきた。

しかし、高校時代に筆写を始めてから現在まで、方法自体はほとんど変わらない。最初から最後まで、ただ書き写すだけである。

万年筆を使うこと、紙やインクにこだわること、ノートではなくルーズリーフを使うことなど、道具は色々変えてきたが。

 

私が筆写するのは主に経書であり、筆写には写経に似た側面が多分にある。

したがって、一文字ずつ丁寧に書くが、それを読み返すことは想定しておらず、筆写後の見やすさはあまり考えていない。

筆写している本の構成に従い、改行や一行開ける程度であった。

筆写中のストレスを減らすことを考え、そのためには道具の工夫が重要であった。

 

 

 

ところが、論語講義の筆写を開始したところ、色々まずいことが起こってきた。

特に、従来の方法では、列は整っても行が整わないのが大問題であった。

 

文字には、その時々の精神状態がよく表れる。

文字のサイズや、文字間の余裕も微妙に変わってくる。

その結果、どうしても横の並びが整わず、乱雑になり、読み返すのに不便になるのだ。

 

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例えばこのように、全体的に「揺れ」のようなものを感じるようになる。

元々私は、整わないものを見ることを苦手とする。

この画像のような文字列を読み返すと、文字が躍っているように見えて非常に疲れる。

 気持ち悪くなることもあるから、復習どころではなくなってしまう。

 

 

そもそも、論語講義は読み返すことを前提に筆写している。

古本でも手に入らないから、全て筆写して自分用に一冊作ることが目的である。

唐の末まで板本は存在しなかった。本は全て筆写によって作られ、ごく一部で流通していた。

孔門の先輩方も、皆そうされた。

当時は紙もなかったから、竹簡や木簡に筆写し、本を作っていた。

 

本を作るのだから、文字は整然としていなければならない。

どうしたものかと考えた結果、縦も横も罫線のある紙、すなわち方眼紙に書けばよいという結論に達した。

ジウリス・A4の5mmマス方眼紙も手元にあった。

これは、後々漢詩を学ぶ際、五言や七言の配列を整えるために買ったものだ。

 

実際にやってみると、大変良い。

5mmマスに一文字ずつ筆写することで、横の並びもしっかり揃う。

 

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文字が小さいようにも思えたが、それは紙が大きいための錯覚であろう。

書籍に印刷された文字と大差ない。

 

紙の方向も、横長から縦長に改めた。

日本語の文章は上から下に読む。

 読みやすさを考えると、当然縦長がよかろう。

 

 

 

この方法に改めて、もうひとつ思いがけないメリットを得た。

腕への負担の軽減である。

 

論語講義の筆写を始めて、たちまち腱鞘炎をぶり返した。

 

経書の筆写では、白文を書き写す。

ひらがな混じりの現代文に比べて、漢字だけの白文は書き写す文字の総量が圧倒的に少ない。

また、白文を読み、書き下し文を読み、通釈・語釈を読み、そこから筆写する。

このため、筆写以前に読み込む時間によって腕が休まる。

だから、腕が疲れることはあっても腱鞘炎にはならなかった。

 

論語講義の筆写は違う。

筆写するのは現代文である。文章は平易であるから、読み込む時間も短い。

勉強時間中、ほとんど書き写しているようなことになる。

 

手首が痛くなり、肘が痛くなった。

これは学生時代に経験済みだが、今回は肩まで痛くなった。

疼痛に耐えながら筆写すると、どうしても集中力が削がれる。これには困った。

 

筆写の方法を改めて、少し症状が改善した。

書く文字が小さければ、万年筆と紙の接触時間は短くなる。

また、太い文字でしっかり書くのではなく、細い文字で正確に書くため、筆圧も軽くてよい。

一日当たりの負担が大幅に軽減されたように思う。

 

 

筆写は、毎日やる。

延々とやることであるから、炎症を起こすといつまでも治らなくなる。

痛みに耐えながら、ごまかしごまかしやらざるを得なくなる。

学生時代より、炎症を起こしやすくなっているようにも感じる。

この点が改善したことは、思いがけぬ収穫であった。