周黄矢のブログ

噬嗑録

噬嗑とは噛みて合うなり。東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

弁才縦横、商才抜群、子貢は瑚璉なり

孔子のお弟子の中でも、異彩を放つ人物といえば子貢しこうである。

顔回、曾参、子路など色々な人物がいるが、子貢は特に変わった趣のある人物である。

今回は、子貢を取り上げる。

 

 

 

子貢の人物

子貢は、孔子の弟子の中でも特に優れていた。

子貢はあざな、姓は端木たんぼく、名は

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弁舌の人

弁舌に優れ、孔門十哲の一人に数えられた。

左伝には、子貢が外交官として活躍した内容が散見される。

史記の仲尼弟子列伝になると一層華やかで、天下を駆け回って弁舌を縦横に振るい、魯を国難から救った様子が描かれている。

このことは、いずれお話しする。

 

子貢の商才

孔子の弟子の中でも、子貢は特異な存在である。

商才に恵まれていたのだ。

 

ドラマ『孔子春秋』は、弟子入り前の子貢を“イヤな金持ち”として描いている。

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弁才や商才は天賦のものだ。

それで道徳に欠けていたとすれば、小才子といえる。

確かに、弟子入り前の子貢はこのような感じだったかもしれない。

ボロボロの服を着て平然としていた子路、極貧のうちに早逝した顔回など、孔子の弟子には貧乏した人が多いが、子貢は抜群の理財家であった。

相場の騰落をよく当て、今でいう商品相場で大いに儲けたという。

史記の貨殖列伝にも子貢の話が出てくる。

 

「子貢は、孔子の弟子の中で一番富裕であった。

弟子の中には酒かすやぬかさえ食べられなかった者もいたが、子貢は四頭立ての馬車に乗り、絹の束を贈り物にして諸侯と交際した。

どこに行っても、その国の君主は子貢を対等の礼儀で迎えた。

孔子の名が天下に広まったのは、子貢がいたからである」

 

金持ちな君子

子貢の偉いのは、単なる相場師や商人でなかったことだ。

儲けた金の使い方がうまく、孔子をよく助けた。

孔子の活動の陰には、子貢の儲けた金がかなり動いたのではないか。

 

論語の編纂にも、子貢の商才の功績が大きいと思われる。

孔子の死後、数十人の高弟が集まって論語を編纂した。

その中心の一人が子貢である。

編纂にかかった期間は明らかではないが、長い期間を要したことは間違いない。

当然、費用も馬鹿にならなかったであろう。

子貢は、孔子の死後6年間にわたって喪に服したほど、孔子を尊敬していた。

論語編纂の熱意は人一倍強かったと思われる。

多額の私財を投じていたとしても、なんら不思議ではない。

孔子の生前も死後も、子貢の商才が貢献したところは大きいと言える。

 

子貢は瑚璉なり

論語公冶長篇に、子貢と孔子のやり取りがある。

 

子貢問ふ。如何いかん。子曰く、なんぢなり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚璉これんなり。

 

子貢が孔子に問うた。

「先生、私(賜)はどうでしょうか」

孔子は仰った。

「お前は器だよ」

「どんな器でしょうか」

「瑚璉だ」

 

何かの折に、子貢が孔子に自分の評価を問うた。

孔子が他の弟子について語っているのを聞いて、「なら私はどうですか」と聞いたのかもしれない。

孔子が仰るには、「お前は器である」。

 

君子は器ならず

子貢は、これを嬉しいと思わない。

なぜならば、為政篇で孔子が「君子は器ならず(君子は器のようなものではない)」と仰っているからだ。

 

器とは、色々な器物を広く指すもの。

現代でもお皿やお椀を「うつわ」という。

机や椅子も器である。

つまり器とは用途の決まっているもののこと。

 

コップは、液体を入れることにしか使えない。

応用しても、棒状のものを立てたり、小物を入れたりといったところ。

用途が限定されている。

机はものを書くため、椅子は座るためと、用途が限定されている。

 

君子とはそんなものではない。

器ではない。用途が限定されない。

 

一国の宰相になれば、宰相として立派に務める。

下役人になれば、下役人として立派に務める。

仕えずにいれば、在野で活躍する。

子としては親に、親としては子に対し、立派な子であり親である。

生きている間は生きている者として、天下に利益をもたらす。

死後は死後として、天下に利益をもたらす。

立場や時間に影響を受けず、無限に活きるのが君子というものである。

 

孔子は、君子をそのように考えた。

 

子貢の才能を褒める

孔子は子貢を器と評した。

しかし私は、子貢は器ならぬ君子であると思う。

 

弟子としてよく孔子に仕え、

外交官として弁舌を振るって国難を救い、

理財家として道の普及に貢献し、

論語編纂に尽くして死後に志を伸ばしている。

 

しかし、孔子は子貢を「器なり」と評した。

このように尋ねた時は、まだ未熟で器の域を出なかったのかもしれない。

君子は器ならずの理想を知っていたから、子貢は孔子の評価を不満に思った。

「どんな器でしょうか」と重ねて尋ねた。

 

器は器でも、特別なことに用いる器もあれば、日常生活に欠かせない器もあれば、いつだって役立たない、使い物にならない器もある。

豪華絢爛な器もあれば、素朴で味わい深い器もある。欠けたボロの器もある。

 

孔子は「お前は瑚璉だ」と仰った。

瑚璉とは、大事な祭祀に用いられる、貴重な器である。

当時は政事と祭事が密接であったし、孔子は祭祀を重んじた。

祭祀に欠かせない器は、政事に欠かせない器とイコールである。

つまり、孔子は子貢に対し、

「お前は、国の大事に欠かせない、貴重で立派な人物だよ」

と評したわけだ。

 

私的解釈:孔子の戒め

しかし、孔子一流の戒めも含まれている。

それは「瑚璉」にある。

 

瑚は、の祭祀に用いられた器である。

璉は、殷の祭祀に用いられた器である。

孔子の時代、周の祭祀には簠簋ほきという器が用いられていた。

 

(※根本通明先生の『論語講義』、諸橋轍次先生の『大漢和辞典』では瑚を夏のもの、璉を殷のものとする。

逆に、瑚を殷のもの、璉を夏のものとする説もある。吉田賢抗先生の『論語』ではこれを採用している。)

 

 

子貢は瑚璉であっても簠簋ではない。

「夏や殷の時代であれば、お前は国の大事に欠かせない立派な人物といえるが、今(周の時代)には適さないね」

という評価とも受け取れる。

 

周は二代に監みて

私なりの解釈だが、これは「まだ中庸に至らぬ」の意味ではないかと思う。

論語八佾篇に、こんな言葉がある。

 

周は二代にかんがみて、郁郁乎いくいくことして文なるかな。吾は周に従はん。

 

周は、夏・殷の二代を比べ、手本にしつつ礼儀を整えた。

夏の礼儀は、行き届かないところがあった。

殷の礼儀では、夏の行き届かないところを改めたが、却って行き過ぎるところもあった。

文は文飾、郁郁乎は飾りの美しいこと。

周は夏・殷のそれぞれの善いところを取り、悪いところを改め、礼儀をより美しいものへと整えた。

だから、私は周の礼儀に従おう、という孔子のお言葉である。

 

当時の子貢は中庸を得ぬか

夏は行き届かない、

殷は行き過ぎる、

周は丁度良い中庸。

 

行き届かぬ夏は瑚、

行き過ぎる殷は璉、

丁度よく中庸を得た周は簠簋。

 

子貢は、行き届かぬ場合や行き過ぎる場合に力を発揮する「瑚璉」である。

例えば、国際間の緊迫した状況、つまり「行き過ぎた局面」では弁舌を振るい、

布教活動にお金が足りない状況、つまり「行き届かぬ局面」では商才を発揮した。

 

孔子は子貢に対し、

「難事に瑚璉として働ける才能は立派なものだが、平常時にも簠簋として働ける才能がまだ足りないね。励みなさい」

という意味で、

なんぢは器なり、瑚璉なり」

と評したのではないか。

 

私はそんな風に考えている。