周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

俚諺を儒学で解すると(2)二度あることは三度あるか

 

ことわざにおける矛盾

よく矛盾を指摘されることわざに、

・二度あることは三度ある

・三度目の正直

がある。

 

二度あることは三度ある、これは一度目・二度目と連続した結果が三度目にも起こることである。

つまり三回とも同じ結果になるということ。

多くの場合、失敗に用いられる。

 

三度目の正直、これは一度目・二度目と連続した結果とは異なる結果が得られること。

多くの場合、三度目にようやく成功することを指す。

 

「二度あることは三度ある」が正しければ、結果は三度全て同じであるべきであって、「三度目の正直」は嘘になる。

逆の場合も同様で、一方が嘘になる。

たしかに矛盾しているようにみえる。

 

しかし、このような考え方は表面的なものであって、間違っている。

儒学で解すると、どちらも正しい。

 

 

 繋辞伝に曰く

孔子が書かれた易経の繋辞伝に、以下のように書かれている。

 

易に曰く、天より之を祐く。吉にして、利しからざる无し。

子曰く、祐とは助くるなり。天の助くる所の者は順なり。人の助くる所の者は信なり。信を履み順を思ひ、又以て賢を尚ぶなり。

是を以て、天より之を祐け、吉にして、利しからざる无きなり。

 

火天大有の卦

天より之を祐く。吉にして、利しからざる无し。

これは火天大有の上九の言葉。

 

大有の卦は、自分の持っているものが大きいこと。富有盛大の卦。

火は太陽であり、火天大有では太陽が天高く昇っている。

太陽は、沈んでいては世の中を照らさない。低ければ十分に照らさない。

天高く昇ってこそ、万物の生成化育に資する。

火天大有はその形であり、大変に景気の良い卦である。

易経を学んだことのない人には、詳細は難しいのでごく簡単に説明すると、上九は景気の良い大有の卦の終わりであり、大有の卦が完成するところである。

このとき、天の助けがあるため、何をやっても吉であり、失敗はないとする。

 

天祐とは

なぜ天の助けがあるのか。また天の助けがあれば吉であり失敗がないのか。

孔子は、これを解釈して以下のように仰る。

 

大有・上九にある「天より之を祐く」の「祐」とは、助けることである。天がお助けになる。

なぜ天がお助けになるか。順であるから天が助けるのである。

順とは、私心がまったくなく、正しい道に柔順であることだ。

天地人の三才に照らせば、天に順、地にも順、人にも順、全て正しい道に順っている。

このように、道に従って無理なく進む人を天は助ける。

 

人の助け

天だけではなく人も助ける。

なぜか。信であるためである。

信とは真実であり、真心があり、例えば言行全て一致するような人である。

「信」は人偏に言うと書く。人の言葉は信実であるべきだ、虚偽の言葉は信ではない、人間の言葉ではないという意味がある。

信がある人は、多くの人に助けられる。

これが「人の助くる所の者は信なり」。

 

正しい道に柔順であり、天が助ける。

信実を重んじ、人が助ける。

その上さらに、賢人を尊び、賢人の教えを重んじる。

だから吉であり失敗がない。必ず良い結果が得られる。

火天大有の九五はこの性質を備えている。天の助けを受けた九五からもうひとつ発展し、上九となり完成する。完成のさまも円満である。

 

天とは

ここでいう「天」とは、道理のようなものである。

儒者の言葉では、天とは宇宙に満ちている大元気を表す。

大元気とは、万物を生成化育する原動力である。

論語にある、「天は何をか言はんや、四時行はれ、万物生ず」もこれである。

春夏秋冬の流れは常に変わらず、それに応じた万物の営みも変わらない。

天は何も語らず、変わらない働きで以て万物を育んでいる。

この意味において、「天」は「大道」「易理」「道理」などにも言い換えることができる。

「天が万物を育む」

「道理が万物を育む」

意味は同じである。

 

「天」は日常ではあまり口にせぬけれども、「道理」はよく口にする。

「道理」とは「天」である。

 

火天大有の「天より之を祐く。吉にして、利しからざる无し」というのは、「道理に基づくゆえに当然吉であり、当然失敗はない」ということである。

繋辞伝で孔子が仰った「天の助くる所の者は順なり」というのは、「正しい道に柔順であれば、道理に助けられる」ということである。

 

 道理に基づけば 

道理に基づき行動すれば、成功するべくして成功する。

道理に背けば、失敗するべくして失敗する。

ゆえに、

・二度あることは三度ある

・三度目の正直

はどちらも正しい。

 

二度あることは三度ある。

道理に背いて二度失敗を繰り返し、また同じ方法で三度目に臨むならば、必ず三度目も同じ結果となる。

天は助けず、人も助けず、二度目と同じく、失敗するべくして失敗する。

 

三度目の正直。

道理に背いて二度失敗を繰り返し、大いに反省し道理を考え、道理に基づき三度目に挑むならば、三度目は成功する。

天の助けあり、人の助けあり、二度目とは打って変わって成功の諸要素が十分に備わり、成功するべくして成功する。

 

結局、道理に基づいているかどうかである。

道理に背けば失敗する、道理に順なれば成功する。

このように考えると、二度あることは三度ある、三度目の正直、どちらも正しい。

 

剣の呼吸で孝行す

 孝行が軽視されがちな現代においても、孝行という徳を完全に否定し去る人は少ない。

そういう考えもないではないが、異端であって取るに足らない。

多くの人が、こんな時代においても、孝行は美徳だと思っている。

 

子が為す孝行を、真っ向から否定し攻撃する人はいない。

否定的に感じても、実際に否定・攻撃することはない。

大多数の人が孝行に肯定的であることを知っているからだ。

そこを攻撃すると、多数を敵に回し孤立する。

だから、否定的な見解を胸の内に秘めておく。

 

 

逆に、例えば子が親を虐待するとか、殺すとか、そういったことは大罪とされる。

「親は他人だ。自分は自分の人生を生きる」などの考えもあるが、親を全く赤の他人として捉えることは難しい。

赤の他人を殺すことと、親を殺すことを、全く差のないことと考えることは難しい。

赤の他人を殴った人、親を殴った人、どちらを悪人だと思うか。

どちらも良くないに違いないが、差は大きい。

親を殴る奴の方が、圧倒的に社会的信用を損なうだろう。

 

 

現代においても、大多数の人が親孝行を美徳であり、親不孝を悪徳と考えている。

しかし、孝行というものが廃れつつあるのは事実だ。

概念的に捉える人が増えたように思う。

 

これは良くないことだ。

なんとなく、親孝行はよいこと、親不孝は悪いことと考えていても、では実際にどうするか、これが分からないからである。

孝行、仁義、礼儀、信義、道徳はなんでもそうだが、実践を伴って初めて意味を持つ。

 親孝行を美徳と思うだけで、実践を伴わず、概念的に考るのはいけない。

 

親孝行を頭だけで考えて、日常・現実において考えない。

親との付き合いにピリッとしたものがない。

親の気持ちを汲み取れない。

孔子の仰る「父在せばその志を観る」ことができない。

これでは、親不孝と変わらない。

 

孔子が仰ったのは、孝行の基本である。

父が存命のときは、志や気持ちを汲み取りながら振る舞う。

親が希望する所があれば、叶えてあげる。

これは紛れもなく孝行である。

 

飲食の望みを叶えるだけではない。

親が子に対して「人にやさしい人間であってほしい」と思えば、周囲に優しく振る舞う。

親がそんな希望を抱くのだから、子は陰惨な性格なのだろう。それを改めるのは孝行である。

 

親が子らに対し、「兄弟で仲良く支え合ってほしい」と思えば、仲良くするよう努める。

親がこの希望を抱くのは、兄弟の仲が良くないからであろう。仲良くするのは孝行である。

 

実践を伴わない概念的な孝行では、これができない。

親の思うところを叶えられないのだ。

親の気持ちを考えず、気持ちに反する行いを為し、知らないうちに親不孝の悪徳に陥ることもあるだろう。

 

 

単に頭で親孝行を考えて実践しなければ、このような危うさがある。

しかし、実践となるとまた難しい。

手近なところから、できることから孝行すればよいのだが、それがわからない。

親の気持ちを考えよう、ということが基本なのだが、そもそも何をどう考えるべきか分からない。

だから取りつきにくい。

 

まず、わからないなりに考えることが大切だろうと私は思う。

分からないから考えなくなる。これが普通だ。

分からないなりに考える。これが大切だ。

分からなくても、考えていると徐々に変わってくる。

普段ならば何も感じないところで、なにか感じることがあり、手掛かりになる。

 本を読んで感じる、鳥が飛ぶのを見て感じる、いろんなことが実践に結び付く。

 

 

実際、考えることが習慣になると、びっくりするほど分かるようになる。

実践も容易になる。

簡単に言って、親に対して気が利くようになる。

痒い所に手が届く、そんな風になる。

私も、この習慣に努め、少しずつではあるけれども、孝行ができているように思う。

 

 

数年前、私は遠方での生活を切り上げて地元に帰った。

親と離れて暮らした期間が長く、関係がかなり希薄になった過去もあった。

孝行は大切であると、当然頭では分かっている。

しかし、いざ親に孝行するとなると、何をどうすべきか、孝行とはどうあるべきか、はっきりと分からなかった。

 

まずは、普段目上の人にやるように、親に対して気を利かせるようにした。

食事中の心がけなど、よい練習・実践になったと思う。

親が何を食べたいか考え、食べ物や調味料を揃える。

お酒に気を回すのも面白かった。

缶ビールを飲んでいると、量が減るにつれてテーブルに置くときの音がだんだん高く、軽くなっていく。

さりげなくそれを聞いている。

もうじきなくなると思えば、サッと出す。

万事この調子でやっていく。

 

これを続けるうちに、孝行が自然なふるまいになっていく気がしている。

あるとき、父がお仏壇に供えるため、片手にご飯を、片手にお茶を持って仏間に向かった。

仏間の扉が閉まっていた。父の両手がふさがっている。

私は、さっと行って扉を開けた。

何でもないことだが、考えるより先に体が動いた。

父は扉をどう開けるのだろう、難しかろう、私が開けるべきだろう、そんな考えは一切なく、全く自然な行動としてそれができた。

 

 

このときはじめて、私も少し孝行者になったなと、大きな喜びを得た。

考えるより先に動けるか、これがひとつの目安になるのではないかと思う。

 

私は学生時代、剣術をやった。

流派は薩摩の示現流である。

 

示現流に「立」という打ち業がある。「りゅう」と読む。

今、口に出して「りゅう」と言ってみていただきたい。

舌はどんな動きをしただろうか。声はどうであったろう。

 

「りゅう」と言う前に舌は上あごにつく。

「りゅう」と言う時、舌が速いか、声が速いか。

「り」と言うかどうかのタイミングで舌は上あごを離れる。

「ゅう」と言い終わる前に、舌は元の位置に戻っている。

 

舌は刀、声は斬る意思である。

「立」と言う前に舌は上あごにつき、言おうとすると即座に離れる。

相手を斬ろうと思って刀を抜き、振り上げ、斬るのでは遅すぎる。

斬る意思のあるかないかのとき、すでに刀を振り上げている。

さあ斬ろうと決断しないうちに、すでに刀を振り下ろしている。

立とは、考えるより先に動き、敵を制圧する業であり、示現流の根本はここにあるといわれる。

だから、示現流は「二ノ太刀なし」なのだ。

「立」と相手に斬りかかる。

考えるより先に動くのだから、成功や失敗など考えていない。相手にかわされた、また立とやる、といったことは示現流の哲学にはないことだ。

そこから、示現流特有の猛烈な撃ち込みができてくる。

 

 

考えるより先に動き、親のために扉を開けたとき、私は立の呼吸で孝行できたと思った。

だから、喜びも大きかったのだ。

 

 

直心影流の榊原健吉先生と、山田次朗吉先生の逸話にも、「考えるより先に」のよい例がある。

これは、またいずれお話します。

 

 

 

 

気を利かせることは、些細ではあるものの、孝行には違いない。

また、考えるより先に孝行が出てくるようになれば、それなりに納得して良いと思う。

 

気を利かせるという孝行は、小なる孝かもしれない。

しかし、大なる孝の前提として欠かせない。

些細なところで親の気持ちを理解せず、小なる孝さえできないのに、親の大きな志など分かるはずもない。大なる孝は不可能だ。

 

大なる孝とはなにか。

例えば、「父没すればその行いを観る」がそれである。

父が没した後は、直接志を伺うことはできない。

しかし、小なる孝を基礎として、存命中の行いに照らして考えるならば、没後も父の志に違うことがない。没後も志を尊重する。これは大なる孝といえるであろう。

 

存命中に志を汲めなかった者が、没後に志を汲むことは不可能である。

そこで、日常の些細な実践、小なる孝の積み重ねが重要である。

これは、孔子の道そのものである。

行いて余力あれば、学問する。

孝行をぼんやり考え、実践せず、それで大道を語るのは小人の儒であって、恥ずべきことである。

 

凡人には、至らないところが多いだろう。

十分に孝行できないかもしれない。

しかし、日常の些細なことを丁寧にやるならば、学問も着実に進むだろうし、小人の儒にも陥りにくいだろうと思う。

 

なによりも、孔子の教えを奉じる者として、自分自身恥ずべきところを、一つずつ潰してゆける。

儒学は、学ぶほどに恥ずかしく感じることが多い。

恥を知ることは大切だ。

しかし、恥を知っても改めなければ意味はない。

恥を知りて改めず。これが一層恥ずかしい。

 

実践することによって、自分自身に恥じるべきことが減ってゆく。

これは尊いことであると思う。

 

先日、ビジネス系のコラムで「自己肯定感を高める朝の習慣」みたいな記事があった。

くだらないものであった。

起きたら背伸びをしよう、好きな音楽を聴こう、あとは覚えていない。

脳内ホルモンがどうのこうのと書いてあった。

 

こんなコラムがたくさんの人に読まれるのだ。

道理の分からない人が多いのだな、社会全体が病んでいるのだろう、そんな風に思った。

 

自己肯定感とは、自分で自分を受け入れること、認めることである。自分を否定しないことである。

そのためには、学問と実践に励み、自分自身に恥ずべきことを減らし、自己否定に陥る要素を減らし、成長を実感することで自分を認め受け入れる。

そういったことが重要なのではないか。

 

背伸びして、音楽聞いて、何になる。

道を学ぶこと、実践すること、これに尽きる。

 

君子は本を務む。本とは孝行である。

孝行を概念的に考えず、日常の些細なことから孝行を心がける。

些細な孝行の実践から出発すれば、自己肯定感なるものも得られようし、仁にも近づけよう。

 

俚諺を儒学で解すると(1)果報は寝て待て

ことわざは、良いものだと思う。

先人の知恵だ。

しかし、ちょっと見るとわけのわからないものも多い。

嘘を言っていると評されることわざも少なくない。

 

私は、否定的に解されることわざも、どこか真実を含んでいると思う。

儒学で解すると、そう思えることが多々ある。

ブログで、そういうものを取り上げると楽しかろうと思い、書いてみることとした。

 

こういう文章は初めてなので、考えをまとめつつ書く。

冗長になると思うけれども、お許しください。

 

 

 

 果報は寝て待て

さて、まず思いついたのが、「果報は寝て待て」ということわざだ。

世の中には運というような一定の流れやリズムというのがあるから、あまりじたばたせず、気長に待とうという意味だ。

ただ、一般的には、

 

「運はどうにもならないから努力しても仕方ない。寝ていたほうがマシだ。そのうちいいこともあるさ」

 

といった解釈をする人が多い。

 

仏教的解釈

この解釈には、仏教の影響が強いように思う。

果報の「報」は「報い」「報酬」などを意味する。

仏教的には、前世からの因縁によって現世で受ける報い、幸福といった意味である。

前世からの因縁では、どうしようもない。前世で悪行を尽くしたならば、現世で心掛けが良くても幸福は期待できない。

かといって、来世に期待するのも気の遠い話だ。

 

そもそも、前世で自分がどのように生きたか、現世では知ることができない。

前世で良いことをしていたなら、現世で良い報いを受けられる。寝ていても幸福になるだろう。

前世で悪いことをしていたら、現世で悪い報いを受ける。努力しても不幸になる。来世のために努力してもいいが、なかなか真剣にはなれない。寝ていたほうがマシだ。

前世がどうあれ、どのような報いがあるにせよ、寝て待つべし。

 

怠惰な印象

現代の一般的な解釈は、仏教的な解釈のうち、因果応報が抜け落ちたものではないか。

前世や現世の因縁は抜きにして、

 

「幸福や不幸はどうにもならない。どうにもならないのだから、寝ていたほうがよい」

 

という解釈になったのではないかと思う。

そこで「このことわざは嘘だ」となる。

 

「努力は必ず報われるものだ。寝ていてうまくいくことはない。怠惰で馬鹿なことわざだ。」

 

というわけである。

引き寄せの法則という、怪しげでよく分からないものがある。これによって考えても、

 

「幸運は自ら引き寄せるべきであって、怠惰は良くない、果報は寝ていても得られない。不運は自らの手で打ち破れ」

 

といったことになるのだろう。

 

 儒学で解すると

たしかに努力は大切だし、幸福も不幸も自分次第だろう。

しかし、努力というものの一面だけを見て、あくまでも積極的に、滅多矢鱈に前進せよというのは誤りだ。

果報を寝て待つべき時期もある。

 

 

需の卦で考える

儒学的に考えると、とりわけ易理に照らすと、このことわざは正しい。

道理に合っている。

 

このことわざは需(水天需)の卦によって解するのが良い。

需とは待つことである。養う意味にも通じる。

人間に限らず、全ての生き物は他から養われる。

水、空気、食物など、他の物から養われることを待って、はじめて生きていくことができる。

 

また需の卦は、水天需、すなわち上に水、下に天の配置である。

水が天より高く昇っている、空に雲がある形である。

天高く昇った水は、いずれ雨となって地上に降り注ぐ。

全ての生き物は、その養いを待って生きる。

 

待つ姿勢の問題

ただし、需の卦の本意は「待つべきものを待つ」であって、「待つべからざるものを待つ」ではない。

棚から牡丹餅、とは違う。

 

待つべきものを待つのは、正しい姿勢である。

待つべからざるものを待つのは、正しくない姿勢である。

正しい心で待ってこそ、他の養いによって成長もできる。

正しくない心で待てば、それこそ「棚から牡丹餅」「濡れ手に粟」で、他の養いを受けても成長はない。

 

顔子の姿勢

また、そのような態度で待っても、養いは得られないものだ。

人間に当てるとよくわかる。

誠があり、良い志を持った人間がいる。志を伸ばしたいが、今は好機ではない。

そこで、じたばたせずに、正しい心でじっと待つ。

権力に諂ったり、他人を陥れたり、そういった小賢しいことをせずに待つ。

貧しい中に高潔を保ち、道を楽しんでいた顔子のようなものだ。

顔子も、時機がくれば大いに働いただろう。

その前に亡くなってしまったが、顔子が無理に志を伸ばそうとして、動き回ったらどうであったか。

それは正しくないし、どうなるものではない。

それよりも、道を楽しみながら待つべきと考えたのではないか。

 

少正卯の姿勢

誠のない人間はどうか。

出世や金儲けなどを志している。そんな人間は、志を伸ばすために何でもやる。

今は好機でなく、運が向いていなければ、権力者にこびへつらったり、他人を陥れたり、権謀術数の限りを尽くすだろう。

小人の桀雄と評され、孔子に処刑された少正卯のようなものだ。

頭の回転が速く陰険である、行動が偏っていて頑なである、言葉が巧みである、記憶が醜悪で何でも悪く捉える、不義を改めず正義に見せかける。少正卯はこんな人間であった。

好機到来まで志を正しくして待つ、そんなことは無理な人間だ。

事実、権謀術数を尽くし、不義を働き、志を伸ばすべく立ち回った。

 

志を得た顔子

さて、誠のある顔子と、誠のない少正卯のどちらがうまくいくか。

 

顔子は若くして亡くなってしまったけれども、聖人の道に連なるを得た。

その生きざまが、後世の心ある人を感化してやまない。

顔子は高潔を保ち、養いを待ち、志をとこしえに伸ばし得た。

 

少正卯は、志半ばで処刑された。

 

 

 「果報は寝て待て」は正しい

誠の心で養いを待つと、情勢が変化する。志を得られる時期が来る。

需の卦の「待つ」とは、これを待つのである。

 

来るべき時が来れば、良い知らせ・果報があれば大いに進むという、剛健なる態度で待つ。

進む意欲はあるが、今進んではまずい。情勢が良くない。だから忍耐強く待つ。

 

何の考えもなしにぼんやり待つのではない。

そんな態度では、長い間じっとしていることは無理だ。

我慢できなくなって、時機の至らぬうちに軽挙妄動して失敗するに違いない。

 

 

需の卦によって「果報は寝て待て」を考える。

 

怠惰に、ぼんやりとした態度で待っていれば果報を得られるという意味で考えると、確かに嘘になる。

しかし、これは正しい解釈ではない。

 

誠実な気持ちで、時機の至らぬうちは静かに勉強でもして、時にはお酒を飲んだり、風雅の道を楽しんだりしながら、忍耐強く、軽挙妄動せずに待つ。

来るべき時に備えて、寝て休むのもよかろう。

そうすれば、やがて必ず果報がある。情勢が好転し、外部環境が整い、他の養いや協力も得られ、志を伸ばしていける。

 

需の道によって正しく待つならば、果報はすべからく寝て待つべし。

「果報は寝て待て」は道理に合う、良いことわざである。

理想的学徒

学徒はいかにあるべきか、どのような姿勢で取り組むべきか。

論語を読むと、これがよくわかる。

孔門の先輩方の姿勢は、学徒の理想的なものである。

 

 

 

曾子の姿勢

私の中で、理想的学徒の筆頭は曾子である。

学問においては、日々学び続けることはもとより、学んだことを日常生活で実践することが重要である。

心がけの良い人は、机上の学問に止まることを嫌い、実践を心がける。

禅でも、坐ることは当たり前の修行で、それ以上に常住坐臥、日常生活での応用を重んじる。

 

曾子は、日常での実践に加えて、日々の反省を怠らなかった。
学問し、実践した後、それをやりっぱなしにせず反省する。

間違いは早速改める。至らぬところは益々勉強する。
曾子の御一代は、ただこの繰り返しであった。

理想的学徒の典型例といえよう。

 

 子路の姿勢

曾子について、上記のようなことが根本先生の論語講義に書いてあった。

そこから敷衍するに、塾頭格の子路にも理想的学徒像を見る。

もっとも、曾子が自ら反省して改めたのに対し、子路は自らの反省によってではなく、他人に指摘されて熱心に改めた。

自分から反省する、人から反省を促される、随分違うようにも思えるが、これは道に至る方法・方針の違いであって、気性によるところが大きかろう。

 

過ちの指摘を喜んだ子路

子路は、己の過ちを指摘されることを大変喜んだという。(孟子・公孫丑章句上)

また、あることを学び終えないうちに、新たな事柄を学ぶのを非常に恐れた。

過ちを指摘され、改めようと努めているとき、新たに過ちを指摘されることも恐れたに違いない。

 

子路の愚直さ

ビジネス書などで、マルチタスクはいけない、シングルタスクを心がけよといわれる。

なにを今更、と思ってしまう。

そんなことは、2000年以上前にわかっていたことだ。

子路は愚直であった。

 

また、これは子路が実践家であったことを意味する。

子路孔子に心酔していた。孔子の教えを、乱暴な言い方をすれば馬鹿正直に学んだ。

そして熱心に実践した。実践したから間違いも起こり、指摘されることもあったのだ。

 

良き先輩として

子路は武闘派であったが、道においては真面目であったのだろう。

学問においては、他人を威圧するようなところもなかったのだろうと思う。

入門後も武闘派で乱暴な人間であったなら、後輩たちは子路の過ちを指摘することを恐れたはずだ。

そうではなかった。子路は過ちを指摘されることを喜んだ。

 

汎く衆を愛した子路

元々、侠気に富み、人に好かれる性格であった。

揉め事があったとき、子路が出ていけばどんなことでも丸く収まったという。

大きな人間であったのだと思う。

元来魅力的な人間であり、学問においても真面目であった。

こういう先輩は、後輩からも親しまれるに違いない。

汎く衆を愛して仁に親しむ。子路にはこれができたのだろう。

それだから人に好かれて、過ちもしっかり指摘してもらえる。

それを真摯に受け止め、改める。

子路に理想的学徒像を見出す時、学ぶにも仁義が重要だと痛感する。

 

 

 

魯鈍は幸い

普通の人は、曾子子路の姿勢に倣えば、大きく間違うことはないだろう。

魯鈍な人には、曾子が良かろう。
孔子曾子を魯鈍と評された。

 

私は、自分が魯鈍であることを自覚している。

弟などは、私を聡明だと評するが、誰が何と言おうと魯鈍である。

私が身につけた学問を以て聡明と評しているのかもしれないが、それは私の本質ではない。

魯鈍な私が、魯鈍ゆえにこれまで積み重ねてきたものを見落としている。

 

弟は、私という人間を概ねよく理解している。

私を見誤っているわけではないだろう。

また、私がやってきたことをよく知っているし、見落としてもいないだろう。

弟の中で、私を聡明だと思いたいのだろう。 

同じように、私は私で、自分自身を魯鈍であると思いたい。魯鈍でありたい。

学問しても、小賢しくなりたくないのだ。

 

曾子は、魯鈍であったからこそ生一本で道を求められたのだと思う。
私も魯鈍でありたい。事実魯鈍に違いない。これは私にとって幸いである。
聖人の道を心底ありがたいと思う。

筆写方法の大幅な改善と効果

筆写の方法を大幅に改善した。

 

これまでの方法は、

 

・ルーズリーフ(マルマンのジウリス、A4サイズ、7mm罫)

・縦書きするために横長の状態で使用

 

であった。

具体的には、こんな書き方である。

 

 

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これまでも、必要に応じて少しずつ改善してきた。

しかし、高校時代に筆写を始めてから現在まで、方法自体はほとんど変わらない。最初から最後まで、ただ書き写すだけである。

万年筆を使うこと、紙やインクにこだわること、ノートではなくルーズリーフを使うことなど、道具は色々変えてきたが。

 

私が筆写するのは主に経書であり、筆写には写経に似た側面が多分にある。

したがって、一文字ずつ丁寧に書くが、それを読み返すことは想定しておらず、筆写後の見やすさはあまり考えていない。

筆写している本の構成に従い、改行や一行開ける程度であった。

筆写中のストレスを減らすことを考え、そのためには道具の工夫が重要であった。

 

 

 

ところが、論語講義の筆写を開始したところ、色々まずいことが起こってきた。

特に、従来の方法では、列は整っても行が整わないのが大問題であった。

 

文字には、その時々の精神状態がよく表れる。

文字のサイズや、文字間の余裕も微妙に変わってくる。

その結果、どうしても横の並びが整わず、乱雑になり、読み返すのに不便になるのだ。

 

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例えばこのように、全体的に「揺れ」のようなものを感じるようになる。

元々私は、整わないものを見ることを苦手とする。

この画像のような文字列を読み返すと、文字が躍っているように見えて非常に疲れる。

 気持ち悪くなることもあるから、復習どころではなくなってしまう。

 

 

そもそも、論語講義は読み返すことを前提に筆写している。

古本でも手に入らないから、全て筆写して自分用に一冊作ることが目的である。

唐の末まで板本は存在しなかった。本は全て筆写によって作られ、ごく一部で流通していた。

孔門の先輩方も、皆そうされた。

当時は紙もなかったから、竹簡や木簡に筆写し、本を作っていた。

 

本を作るのだから、文字は整然としていなければならない。

どうしたものかと考えた結果、縦も横も罫線のある紙、すなわち方眼紙に書けばよいという結論に達した。

ジウリス・A4の5mmマス方眼紙も手元にあった。

これは、後々漢詩を学ぶ際、五言や七言の配列を整えるために買ったものだ。

 

実際にやってみると、大変良い。

5mmマスに一文字ずつ筆写することで、横の並びもしっかり揃う。

 

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文字が小さいようにも思えたが、それは紙が大きいための錯覚であろう。

書籍に印刷された文字と大差ない。

 

紙の方向も、横長から縦長に改めた。

日本語の文章は上から下に読む。

 読みやすさを考えると、当然縦長がよかろう。

 

 

 

この方法に改めて、もうひとつ思いがけないメリットを得た。

腕への負担の軽減である。

 

論語講義の筆写を始めて、たちまち腱鞘炎をぶり返した。

 

経書の筆写では、白文を書き写す。

ひらがな混じりの現代文に比べて、漢字だけの白文は書き写す文字の総量が圧倒的に少ない。

また、白文を読み、書き下し文を読み、通釈・語釈を読み、そこから筆写する。

このため、筆写以前に読み込む時間によって腕が休まる。

だから、腕が疲れることはあっても腱鞘炎にはならなかった。

 

論語講義の筆写は違う。

筆写するのは現代文である。文章は平易であるから、読み込む時間も短い。

勉強時間中、ほとんど書き写しているようなことになる。

 

手首が痛くなり、肘が痛くなった。

これは学生時代に経験済みだが、今回は肩まで痛くなった。

疼痛に耐えながら筆写すると、どうしても集中力が削がれる。これには困った。

 

筆写の方法を改めて、少し症状が改善した。

書く文字が小さければ、万年筆と紙の接触時間は短くなる。

また、太い文字でしっかり書くのではなく、細い文字で正確に書くため、筆圧も軽くてよい。

一日当たりの負担が大幅に軽減されたように思う。

 

 

筆写は、毎日やる。

延々とやることであるから、炎症を起こすといつまでも治らなくなる。

痛みに耐えながら、ごまかしごまかしやらざるを得なくなる。

学生時代より、炎症を起こしやすくなっているようにも感じる。

この点が改善したことは、思いがけぬ収穫であった。

論語読みの論語知らず

根本先生の論語講義を筆写している。

ようやく曾子三省の章句に至ったが、ここで大変なショックを受けた。


私は、論語を繰り返し読んできた。筆写もやった。

暗唱できる章句も多く、曾子三省も私にとってなじみ深い。


しかし、何の意味もなかった。

私は曾子の三省をほとんど実践していないことに気づいたのだ。

例えばこの一カ月、三省を実践した日がどれだけあったか。

おそらく数日だろう。覚えてもいない。


論語読みの論語知らずになりたくない、論語読みの論語知らずは馬鹿である。

そう思ってきたが、自分がまさにその馬鹿であった。

 

易における君子終日乾乾、夕に惕若たりということも、全く実践できていなかった。

時間をかけて易を学んだ。

公田先生から、大変良い教えを受けたのに、一体何をしているのだろう。

 

 

丁寧に学んだつもりだった。

しかし、”つもり”に過ぎなかったのだ。

丁寧に知識をつけただけだ。

丁寧に実践し、自分を磨いているのではなかった。
馬鹿すぎてあきれる。

 

学問上の失敗にふと気づいたとき、絶望感にさいなまれる。

これまでやってきたことはなんであったかと、腹が立ってくる。

 久々に頭に血が上る感覚になった。
怒ると体力を使う。頭がぼんやりして、脳が溶けるようだ。

 

 

 

あまりにも乱暴な文章を書きすぎたので、30分くらい静坐し、気を静め、全体的に文章を改めた。
怒りを人に遷してはいけない。
身近なところから実践だ。

愚鈍なのだから、一歩ずつ、泣きながらでも、腹を立てながらでも、愚直にやっていくしかないのだ。

 

ここから再出発しよう。
せっかく、毎日日記をつけているのだから、そこで三省の機会を設ければよいではないか。

 

 

下愚に二有り、自暴なり、自棄なり。(孟子・離婁章句上)
学問して、失敗して、自暴自棄に陥るところだった。

愚鈍な人間が、正直に励む。しかし愚鈍だから失敗も多い。そこで自暴自棄に陥りそうになる。

馬鹿が学問するとき、よほど注意しておかないといけない。学問とは危険なものだと痛感した。

 

 

 

 

最後に、私が大反省した論語講義の一節を紹介します。

根本通明先生曰く、

 

「朝早くから日の終わるまで学問勉強する。或は人に交つて種々の事を行ふ。終日の事であるから、もう日暮になつて、今日はくたびれたなどと云つて遊んではいけませぬ。

日が暮れた上には、朝から日の暮るヽまでの間の事を考へて調べて見る。それを調べるに此の三の事を以て調べる。其れで三省と云ふ。

既に一旦行ひました後に、其の行うた所は如何でありましたか、行うた所の中に行届かぬ所でもありはせぬか。又過つた事でもあつたではないかと捜し立てヽ、能く考へて見る。

悪い所は速かに改める。届かぬ所は、これではならぬと益々勉強する。曾子などの一代の行ひは皆な此の通りであります。」

 

真面目考

昨日、ツイッターのフォロワーの質問箱で真面目について取り扱うものがあった。

 フォロワーの方は、

 

「真面目とはどのような人でしょうか」

 

という質問に対し、

 

「自分で決めたことをやりきる人だ」

 

と答えておられた。これは良い回答だと思った。

 

「間抜け」という言葉がある。

ボンヤリしている、間が抜けている、締まりがないことだ。

言い換えると不真面目である。

対義語は間に締まりがあること、つまり間締め、真面目である。

 

この「真面目」ということをごく平易に言えば、自分で決めたことを習慣的にやり続ける人をいうのだ。

 

例えば、華厳教の凝念。

鎌倉時代の仏教学者だが、この人は膨大な著作を遺している。

自分で決めた「午前中は著述」という生活習慣を、20代から82歳で死ぬまで、怠ることなくやり続けた。

人生のどこか、例えば今後5年とか10年とかのゴールを決めて、そこまでやりきるのではない。人生の最後までやり切ったことが尊い

この上なく真面目であったといえる。

 

 

孔子も同じだろう。

「死して後已む」で、死ぬまでやり切ったのだ。

孔子が自分で生き方を決めたのはいつだろうか。

五十にして天命を知ったとあるが、ここが出発点ではないだろう。

治国平天下の志は生涯を通じて変わっていない。

やはり孔子も、若いころに決めた生き方を変えず、死ぬまでやり切った人である。

孔子も、真面目であった。

 

 

しかし、孔子や凝念の真面目さはあまりにもレベルが高く、後世の視点から「真面目であった」といえるものだ。

今を生きる自分が「人生を通じてやりきる」と思うのは志であり、理想であり、追い求めるものである。

下手に追求すると、現実が伴わないことになりかねない。

志ばかり高くて実際は不真面目、恥ずかしいことだ。

 

 

大切なのは、今この時間に努め、それを繰り返すことだろう。

その積み重ねが、結果的に「やり切った」「真面目であった」という結果をもたらすのではないか。

 

 

 

論語の難しさのひとつはここにある気がしている。

論語は、孔子のお弟子たちがまとめたものだ。聖人の道を死ぬまで歩み続けた孔子の足跡である。

孔子の生きざまを直に見たお弟子たちは、孔子が歩んだ結果だけを知っているのではない。歩んでいた姿を現実として知っている。

後世の人が論語を読んで感じる孔子の真面目さ、結果としての真面目さとは、随分異なるだろうと思う。

論語を学ぶには、孔子を歴史上の人物、古の聖人としてではなく、生身の人間孔子を知ることを意識するべきと思う。

お弟子たちが人間孔子をテーマに論語を編んだのだから、孔子を神格化するとかなりズレてくるのではないか。

 

 

今の時点では、分からないことが多い。

ただ、孔子の思想や功績よりも、現実的な積み重ねの結果であり、そこに孔子の真面目さを見出すよう意識している。

これにより、少なくとも論語を表面的に解釈して満足する、学んだ気になるといった間違いは避けられると思っている。

論語周辺には、論語のエッセンスをつまんだような本も多い。「ビジネスマンは論語に学べ」といった文句で、そのような本が絶えず売られている。

これは効率を求めすぎるのではないか、孔子の真面目さとは真逆ではないかと、違和感もある。

 

 

孔子という根と幹があり、お弟子や孔子の道につらなる儒者が枝となり、孔子の教えという果実を後世に残した。

私たちは、その果実を食べておいしいおいしいというだけでいいのだろうか。

果実をつけるに至った労苦や真面目さを思うべきではないのか。

 

 

論語と算盤の人気に対し、あまり肯定的な気分になれない理由もここにある。

あれは、渋沢栄一という料理人が、孔子が実らせた果実を調理し、一般大衆の味覚に合うように提供したようなものだ。

それが良い部分もある。しかし、その料理を本質と考えると大きく誤る。

 

何かの記事で読んだが、最近はお米が工場で作られていると思っている子供がいるらしい。

そこに、農家の苦労を思う気持ちや、天地の造化作用につながる要素は全くない。

論語と算盤を読み、これが孔子の道だと思うのは、この類の誤りと言えなくもない。

 

より本質へと意識を向けて学ぶことが大切だろう。

孔子の本質は色々に言い得るだろうし、私も胸を張ってこれだとは言えないが、孔子が真面目であったこと、一貫不惑であったこと、これは孔子の本質の一部分と言い得ると思う。

実際、論語を学べば学ぶほど、孔子の真面目さを思わずにはいられないのだ。

 

 

公田先生は「孔子という人は、何事でも、徹底してやる人だったと思います」と仰った。

人間孔子をこのように見立て、その生き方を模倣するのが孔子論語に学ぶということではないだろうか。

 

 

具体的な実践となると、難しい。

孔子のように真面目に生き抜くことは、凡人にはどうしてもできかねる。

 

しかし、自分には無理だと半ばあきらめてかかるのは志が低いし、学徒として不遜でもある。

不真面目な態度であって、孔子の真面目さとは逆を向いているのだから、いくら学んだところで、結局パフォーマンスで終わるだろう。

 

論語の一部をつまんだ、手軽な本を読んで満足する。

多かれ少なかれ、原書を深く学ぶことを敬遠しているのだ。

不真面目なくせに、真面目なふりをしている。あるいは、自分は真面目だと思い込んでいる。

馬鹿なことだと思う。そんな学問をするくらいなら、遊んでいたほうがマシだ。

 

孔子も、飽食終日、心を用うる所なきは難きかな、と仰った。それよりは、遊んでいたほうがまだマシだと。

これは、食って飲んで寝て、不真面目に生きる姿勢を詰っただけではない。

役に立たない知識を腹いっぱい詰め込んで、表面上の学びだけで満足する不真面目さを責めた言葉だと、私は思っている。

 

 

凡人は、凡人なりに、最大限真面目にやるべきだ。

不格好でも良い。やり方が悪い、非効率だ、無駄な努力だと人から言われても良い。

孔子は、多分褒めてくださる。

 

その意識があれば、人生の全体を通じて、真面目でいられる時間も増えてくると思う。

不真面目から真面目に変わっていくことと思う。

また、そのように意識している限り、これでいいやと満足することがなくなる。

孔子という、この上なく真面目であった人の真面目さを目指しているからだ。

 

孔子のように真面目でありたいと思い、それに近づこうと決め、やりつづける。

結局、死ぬまで至らない。

それでも、その人生が終わる時には、ともかく決めたことをやり切った、真面目であった、孔子の道に連なったと言い得るであろう。

 

身内の死に思うこと

先日、叔父が亡くなった。70歳であった。

叔父はタバコが好きであった。

最後に会った時はチェリーを吸っていた。

結構、強いやつを長い間吸い続けてきたのだ。

それが原因だろう、肺がんで亡くなった。

 

肺がんが発覚したとき、すでにステージ4であったという。

入院後、わずか2週間で亡くなった。

元々レスキュー隊員であり、体は頑健であった。

引退後も登山と絵を趣味にしていたのに、脆いものだと思う。

 

現在、祖母も入院している。

昨年、脳梗塞で倒れて入院し、一時危うかったが奇跡的に持ち直した。

それから1年半、入院を続けている。

厳しい闘病生活ではなく、穏やかな入院生活を送っている。

 

祖母はもうすぐ100歳だ。

年齢的なこともあるし、私もある程度覚悟はできている。

しかし叔父さんのことは、全く意外であった。

どうも体が悪いらしい、入院したらしい、その後すぐに死んでしまった。

覚悟を決める暇もなかった。

 

 

人生とは分からないものだと、つくづく思う。

私も過去に何回か死にそうになった。今生きているのが不思議なくらいだ。

祖母も、100歳近くで大病し、寝たきりになったとはいえ生きているのが不思議に思える。

頑健そうな叔父には死の影など全くなかったが、死んでしまった。これも不思議だ。

 

これまでも、人間には寿命があって、死ぬときには死ぬし、そのときまでは生き続けると思ってきた。

 叔父の死により、この思いが深まった。

死ぬときがくれば死ぬのだ。

 

 

 

自分の死ぬタイミングが分かるとしたら知りたい?知りたくない?

 

この問いに対し、知りたくないと答える人は多いだろう。

毎日毎日、時々刻々、死が迫ってくる恐怖に耐えられないからだ。

 

私も、強いて知りたいとは思わない。

しかし、知りたくないとも思わない。

どっちでもよいと思う。

 

必ず死はやってくるのだ。早いか遅いかの違いだ。

明日死ぬかもしれない。100歳まで生きるかもしれない。

もし明日死ぬと分かったらどうするか。

おそらく私は、いつもと変わらない一日を送ると思う。

親や兄弟に会いたい気もするが、会ったところで明日には死ぬ。

ならば、これまでやり続けてきたことを、また一日積み重ねて堂々と明日死にたい。

曾子が仰った「死して後已む」とは、そういうことではないのか。

 

死ぬ日が分からない、あるいは分かった、それで態度が変わるのは孔子の道ではないと私は思う。

死ぬ日が分からない、あるいは分かった、そんなことはどうでもよいのであって、死の直前まで励み続けるのが孔子の道だ。

賊に殺された子路も、死の直前まで礼を守ったではないか。

 

 

 

人間、いつ死ぬか分からない。

死ぬときには死ぬ。それまでは死なない。

死ぬまでに何を為すか、これは確かに重要だ。

しかしそれ以上に、何を為せずとも、死ぬまで道を奉じること、道に殉じることが重要だ。

その覚悟と実践があればこそ、何事かを為し得るのではないだろうか。

 

今の私にそれができているか。

孔子の仰った「死して後已む」、また倭姫命日本武尊に仰った「慎みてな怠りそ」の言葉を胸に、これまで自分なりにやってきたつもりであった。

しかし、身内の死によって色々考えてみると、全く以て不徹底であったと思う。

そのことに後悔はないが、なんとなく、苦々しく寂しい気持ちにはなっている。

ブログをはじめました。

先日、ツイッターでもお伝えした通り、ブログを始めた。

 

ブログを始めた主な理由は、ツイッターは長文の投稿が難しいことである。

140文字程度に分割されるため大変読みにくく、読みやすさを意識すると各ツイートの文字数調整に苦労し、内容とは無関係なところで労力を要する。無駄な時間を費やすこととなる。

 

また、ツイッターはなぜか編集できない。これも不便に思っていた。

私は文章を生業としている。それなりにこだわりもあるし、誤字脱字は気になる。

あとになって説明が足りなかった、あるいは冗長であったと思うことも多い。

編集できないことがストレスであった。

 

弟から、私にはブログが良いと言われたことも大きい。

私は長文になることが多く、複数のツイートにわたることで切れ切れになると読みにくい。

ツイッターは過去の投稿が容易に埋もれてしまう。

せっかく書いたものが見られなくなる。

私のツイートは、ブログにできる内容も多い。

ならばブログが良い、大体そんなことであった。

 

私もやりにくさを感じていたところであるし、元々ツイッターは弟にやってほしいと言われて始めた部分も大きい。

その弟が言うのだから、読みやすさを考えてもブログの方が良かろうと思う。

 

今後はツイッターよりも、ブログへの投稿が多くなると思います。

ブログをやること自体、初めての経験なので機能など全く分かりません。読みやすくする装飾などもあると思いますが、大切なのは内容だと思いますので、そういったものは少しずつ取り組んでいきます。

よろしくお願いいたします。

 

なお、ブログを選ぶにあたり、ツイッターで知り合った釜田エイさんがはてなブログを利用していることを参考にしました。

ありがとうございます。