周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

俚諺を儒学で解すると(2)二度あることは三度あるか

 

ことわざにおける矛盾

よく矛盾を指摘されることわざに、

・二度あることは三度ある

・三度目の正直

がある。

 

二度あることは三度ある、これは一度目・二度目と連続した結果が三度目にも起こることである。

つまり三回とも同じ結果になるということ。

多くの場合、失敗に用いられる。

 

三度目の正直、これは一度目・二度目と連続した結果とは異なる結果が得られること。

多くの場合、三度目にようやく成功することを指す。

 

「二度あることは三度ある」が正しければ、結果は三度全て同じであるべきであって、「三度目の正直」は嘘になる。

逆の場合も同様で、一方が嘘になる。

たしかに矛盾しているようにみえる。

 

しかし、このような考え方は表面的なものであって、間違っている。

儒学で解すると、どちらも正しい。

 

 

 繋辞伝に曰く

孔子が書かれた易経の繋辞伝に、以下のように書かれている。

 

易に曰く、天より之を祐く。吉にして、利しからざる无し。

子曰く、祐とは助くるなり。天の助くる所の者は順なり。人の助くる所の者は信なり。信を履み順を思ひ、又以て賢を尚ぶなり。

是を以て、天より之を祐け、吉にして、利しからざる无きなり。

 

火天大有の卦

天より之を祐く。吉にして、利しからざる无し。

これは火天大有の上九の言葉。

 

大有の卦は、自分の持っているものが大きいこと。富有盛大の卦。

火は太陽であり、火天大有では太陽が天高く昇っている。

太陽は、沈んでいては世の中を照らさない。低ければ十分に照らさない。

天高く昇ってこそ、万物の生成化育に資する。

火天大有はその形であり、大変に景気の良い卦である。

易経を学んだことのない人には、詳細は難しいのでごく簡単に説明すると、上九は景気の良い大有の卦の終わりであり、大有の卦が完成するところである。

このとき、天の助けがあるため、何をやっても吉であり、失敗はないとする。

 

天祐とは

なぜ天の助けがあるのか。また天の助けがあれば吉であり失敗がないのか。

孔子は、これを解釈して以下のように仰る。

 

大有・上九にある「天より之を祐く」の「祐」とは、助けることである。天がお助けになる。

なぜ天がお助けになるか。順であるから天が助けるのである。

順とは、私心がまったくなく、正しい道に柔順であることだ。

天地人の三才に照らせば、天に順、地にも順、人にも順、全て正しい道に順っている。

このように、道に従って無理なく進む人を天は助ける。

 

人の助け

天だけではなく人も助ける。

なぜか。信であるためである。

信とは真実であり、真心があり、例えば言行全て一致するような人である。

「信」は人偏に言うと書く。人の言葉は信実であるべきだ、虚偽の言葉は信ではない、人間の言葉ではないという意味がある。

信がある人は、多くの人に助けられる。

これが「人の助くる所の者は信なり」。

 

正しい道に柔順であり、天が助ける。

信実を重んじ、人が助ける。

その上さらに、賢人を尊び、賢人の教えを重んじる。

だから吉であり失敗がない。必ず良い結果が得られる。

火天大有の九五はこの性質を備えている。天の助けを受けた九五からもうひとつ発展し、上九となり完成する。完成のさまも円満である。

 

天とは

ここでいう「天」とは、道理のようなものである。

儒者の言葉では、天とは宇宙に満ちている大元気を表す。

大元気とは、万物を生成化育する原動力である。

論語にある、「天は何をか言はんや、四時行はれ、万物生ず」もこれである。

春夏秋冬の流れは常に変わらず、それに応じた万物の営みも変わらない。

天は何も語らず、変わらない働きで以て万物を育んでいる。

この意味において、「天」は「大道」「易理」「道理」などにも言い換えることができる。

「天が万物を育む」

「道理が万物を育む」

意味は同じである。

 

「天」は日常ではあまり口にせぬけれども、「道理」はよく口にする。

「道理」とは「天」である。

 

火天大有の「天より之を祐く。吉にして、利しからざる无し」というのは、「道理に基づくゆえに当然吉であり、当然失敗はない」ということである。

繋辞伝で孔子が仰った「天の助くる所の者は順なり」というのは、「正しい道に柔順であれば、道理に助けられる」ということである。

 

 道理に基づけば 

道理に基づき行動すれば、成功するべくして成功する。

道理に背けば、失敗するべくして失敗する。

ゆえに、

・二度あることは三度ある

・三度目の正直

はどちらも正しい。

 

二度あることは三度ある。

道理に背いて二度失敗を繰り返し、また同じ方法で三度目に臨むならば、必ず三度目も同じ結果となる。

天は助けず、人も助けず、二度目と同じく、失敗するべくして失敗する。

 

三度目の正直。

道理に背いて二度失敗を繰り返し、大いに反省し道理を考え、道理に基づき三度目に挑むならば、三度目は成功する。

天の助けあり、人の助けあり、二度目とは打って変わって成功の諸要素が十分に備わり、成功するべくして成功する。

 

結局、道理に基づいているかどうかである。

道理に背けば失敗する、道理に順なれば成功する。

このように考えると、二度あることは三度ある、三度目の正直、どちらも正しい。