周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

悪衣悪食を恥ずる恥

悪衣は粗末な衣服。

悪食は粗末な食べ物。

そういうものを恥に思うのは、恥である。

ややこしい表現だが、恥に思うこと自体、恥である。

 

 

孔子曰く

論語里仁篇に曰く、

 

士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議するに足らざるなり

 

孔子は、道に志しながら悪衣悪食を恥ずる人間を嫌った。

そんな人間は、ともに語るに足らぬと仰った。

 

士とは

士は事であり、事に任ずるを士という。

学問や道徳を身につけ、そこで初めて出仕する人を士という。

士として立った以上は、世のため人のために有為な人材であらねばならない。

そのためには立派な人間、良い人間であらねばならない。

当然、学問道徳に一層の磨きをかける必要がある。

 

この志があるため、士といわれる立場の人は道徳を重んじる。

実際に道徳的であるかどうかに関係なく、道徳を重んじなければならないという道理は分かっているから、重んじる。

政治家としての立場にありながら、道徳を真っ向から否定する人間はいない。

 

偽物の多きこと

ところが、真に道徳的な人は得難い。

表面的には道徳を大切にするが、腹の底から、誠を以て、道徳を重んじる人は極めて少ない。

 

口では何とでもいえる。

腹の底でどうか、行動がどうか、これが分からなければ安心はできない。

安心できない、といっても不安がる必要もない。

道に志しながら道を踏みにじる偽物は、簡単に見抜けるからだ。

 

悪衣悪食を恥ずるかどうか、である。

悪衣悪食を恥ずるを人間は、偽物と断じて良い。

偽物であるから、共に語るに足らぬと孔子も仰った。

 

悪衣悪食を恥ずるは、それ自体が恥ずべきことである。

この辺から考えていくと、悪衣悪食を恥ずることが何故に恥であるかがよくわかる。

 

 悪衣を恥ずる恥

悪衣を恥ずるは恥である。

 

悪衣を恥ずるとはどういうことか。

例えば、大勢の中に自分がいる。

他の人間はオーダーメイドのこだわり抜いた、高価なスーツ。

自分だけ、既製品の安物スーツ。

それで集合写真を撮るとか、パーティをやるとか、そういった場合に自分の悪衣を恥じる気持ちがあれば、それは恥である。

 

なぜ、悪衣を恥じるが恥なのか。

それは、人間の価値を人間そのものではなく、外部に見出しているからだ。

この価値観がゼロであれば、他人は美衣、自分は悪衣であっても、何ら恥じる気持ちは起こらない。

自分は悪衣だが恥ずかしくない、といった気持ちさえ起こらない。

つまり中庸である。

 

恥ずべき場合に恥じなければ中庸といえない。

恥ずべきでない場合に恥じるのも、中庸といえない。

恥ずべきでない場合に恥じないのは、中庸いえる。

 

大勢は美衣、自分は悪衣。

これは何ら恥ずべきことではない。

そこで恥じないのは中庸である。

 

なぜ恥じる気持ちが一切ないか。

道に志しているからである。

衣服のことなど、道徳に比べれば取るに足りないことを知っているからである。

道徳に安住し、装飾に恬淡としているからである。

 

真に恥ずべきは、道徳に悖ることである。

衣服が悪いことなど、それに比べれば恥でも何でもない。

 

道徳に安住していれば、悪衣を恥じる気持ちなど起こるはずがない。

それを恥じるならば、道徳に安住していない証拠である。

道に志し、道徳が大切だと口では言いながら、道徳に安住せず悪衣を恥じている。

エセ君子である。

これが恥でなくて何であろう。

 

悪衣を恥ずるは恥とは、このような意味である。

  

子路の道心

悪衣を恥じぬ人物の筆頭は、論語中ではまず子路である。

 

子路は悪衣を恥じぬ人であった。

破れた縕袍、つまり破れて綿が飛び出た綿入れを着ていた。

その服装で、狐裘を着た人々に交わって、何ら恥じるところがなかった。

狐裘とは、キツネの脇の下の毛を集めて作った皮衣で、非常に高価なものである。

高いものになると、ひとつで千金になるほどの美衣であった。

 

子路は、破れた綿入れを着て、狐裘を着た人のとなりに立っても、全く平気だった。

狐裘を着た人間を偉いとも思わない。

破れた綿入れを着た自分を、恥じる気持ちもない。

 

なぜ、子路は平気であったのか。

道を信じる心が厚かったからだ。

敬愛する孔子の道を心の底から信じていたからだ。

悪衣がどうのこうのといった小さな問題など、子路の道心からすれば全く問題にならなかった。

 

子路の道心からも、悪衣を恥ずるは恥といえる。

悪衣を恥ずるは、道を信じる心の薄さに通じるからだ。

道に志しながら、悪衣を恥じる。

道を疑っているのだ。

孔子の道を標榜し、実際には孔子の道を疑っている。

これも、恥でなくて何であろう。

 

孔子は、お弟子のなかでも子路を特に信頼された。

悪衣を恥じぬ道心を信頼したのである。

志を持ち、なおかつ悪衣を恥じぬ子路は、共に道を語るに足る。

そのように考えられたものと思う。

  

一狐裘三十年

斉の宰相であった晏子も、悪衣を恥じない人だった。

晏子春秋』に、「一狐裘三十年」という言葉がある。

晏子の人となりが知れる、良い言葉だ。

 

一狐裘とは、たったひとつの皮衣。

晏子は、三十年間にわたってひとつの狐裘を着続けた。

当時、斉は大国である。

その斉国の宰相の立場にあれば、富も得られただろうが、晏子は無欲の人であった。

だから、一狐裘三十年であった。

 

狐裘は高価な美衣である。

しかし、いくら良い服でも、着回すでもなく一着だけを着続ければ、当然くたびれる。

三十年間も着続ければ、ぼろになる。

それでも晏子は着続けた。

悪衣を恥じなかったからである。

 

やはり晏子も、道徳に安住した人であった。

当時、斉国は王道ではなく覇道を採った。

孔子は王道を重んじたから、晏子とは相容れない関係にある。

 

しかし、孔子晏子は認め合っていた。

孔子晏子を評して、こう仰った。

 

晏子は善く人と交わった。

そして、交われば交わるほど、人は晏子を尊敬した。」

 

善く人と交わった。

一狐裘三十年の悪衣を恥じる気持ちがあれば、人と善く交わることはできない。

また、そんな小さな人物であったならば、交わる人が尊敬するはずもない。

 

孔子は、一狐裘三十年の晏子に対し「ともに語るに足る」の気持ちを抱いていたのだろう。

 

中国ドラマの『孔子春秋』は良いドラマだ。

史実でない内容も多いが、大意をよく掴んでいる。

孔子晏子の交わりも、しっかりと描かれている。

 

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悪食を恥ずる恥

次に、なぜ悪食を恥ずることが恥であるのか。

悪衣を恥ずる恥が理解できれば、悪食についても理解できると思う。

 

例えば、自分が粗末なものを食べていた。

そこへ、美食を好む金持ちが現れた。

この時、自分の悪食を恥じる気持ちが起こるならば、それは恥である。

 

なぜか。

悪衣を恥ずると同じである。

道徳を重んじるならば、飲食の問題は取るに足りない。

 

もちろん、誰でも美味しいものが好きだし、善いものだ。

しかし、悪食が悪いのではない。

恥じるべきでないものを恥じるのは中庸といえないし、道心が薄い。

道に志しながら道心が薄く、悪食を恥じる。

このようなエセ君子的態度が恥なのである。

 

疏水の味を知るべし

幕末、8年間で20万両を稼ぎ出し、空前絶後の藩政改革を成し遂げた山田方谷先生も、悪衣悪食を恥じぬ人であった。

方谷先生の漢詩に、こんなものがある。

 

富貴浮雲

一朝晴又曇

為官得聖訣

疏水味方甘

 

富貴は浮雲に似たり

一朝にして晴れまた曇る

官となりて聖訣を得たり

疏水の味をまさに甘しとすべし

 

富や地位などは、浮雲のようなものだ。

ほんの短い間に、晴れたり、曇ったり(栄華を極めてもむなしいものだ)。

政治の世界に入って、聖人の道を知った。

水や野菜などの淡泊な味のおいしさである(富貴から遠ざかった普通の生活の豊かさを知った)。

 

疏水とは、粗末で味わいの淡泊であること。水や野菜。

酒や肉などを用いた美食とは対極にある。

その味わいを知り、満足すること。

これぞ聖人の道であると仰った。

 

道徳に安住しているから、悪食のおいしさが分かり、恥じる気持ちなど全く起こらない。

 

公田先生のはなし

敬愛する公田連太郎先生の話。

公田先生は、生涯、清貧を貫いた人であった。

 

晩年のある日、知人が公田先生の書斎を訪ねた。

当時、先生は奥さんを亡くされていたから、一人で暮らし、自炊しておられた。

先生の書斎の机にそばには、一つの飯盒が置いてあった。

先生は、一日一合の玄米を、その飯盒で炊いて召し上がった。

 

まさに顔回の「一箪の食、一瓢の飲」そのものである。

悪食を恥じなかった先生の態度がよくわかる。

 

人をもてなす場合も同様であった。

先生ご自身が悪食を恥じないのだから、それを人に勧めても恥じるところがない。

公田先生は、人をもてなすにも全くこだわりがなかった。

 

人から訪問を受けた時、お湯が沸いていればお茶を出す。

お菓子があればお菓子を出す。

お湯が沸いていなければ、お菓子がなければ、それまでである。

 

公田先生は多くの人に親しまれた。

ついつい長居してしまう人も多かったらしい。

長居するうちに、食事の時間がくることもある。

しかし、先生のご自宅には大した食べ物がない。

先生は、よくこう仰ったという。

 

「パンくらいならありますから、食べていらっしゃい」

 

私が公田先生に心酔するのは、易経講話で教えを受けたことだけではなく、先生の生活態度、顔回のような人間の魅力に心酔しているのである。

 

基準は志の有無

最後に、この章句の注意点を述べたい。

この章句には、悪衣悪食を恥じる人間はともに語るに足りない、とある。

悪衣悪食を恥じる人間を、蔑むような趣がある。

 

注意すべきは、「道に志して」の前提である。

道に志しておきながら、悪衣悪食を恥じることを蔑むのである。

口だけの人間であること、道徳を隠れ蓑にしていること、つまりエセ君子であることが恥なのだ。

 

世の中には、道に志していない人もたくさんいる。

大多数はそうである。

そのような人が、悪衣を恥じても、悪食を恥じても、それはごく当たり前のことである。

何ら蔑むべきところはない。

 

昔の私は、誰かれ構わず、悪衣悪食を恥じるとは腑抜けた奴だと、見下す気分があった。

度量が狭く、余裕のない人間だったと思う。

孔子の言葉で目が覚めた。

  

総括

まだまだ書きたい気もしたが、これ以上書いても、同じ内容を様々に言い換えるだけになるだろう。

また、4000文字になろうとしている。

読む人には退屈であろうから、この辺でやめておく。

 

ともかく、悪衣悪食を恥じることはないし、美衣美食の人間に萎縮することもない。

道徳に安住すれば、そうならなければおかしいのだ。

 

道に志し、悪衣悪食を恥じぬ人間は、語るに足る。信用できる。

しかし、実際には偽物が多く、本物は得難い。

そういう得難い人間との付き合いを、大事にしていかねばならない。