周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

腹中の書 壺中の天

ツイッターをやって良かったこと、良くなかったこと、どちらかといえば良くなかったことが多いように思う。

それだけに、良かったと思えることを大切にしたい。

 

 

勉強熱心を笑う風

学生のツイートには考えさせられる。

自分の学生時代を思い返すこともある。

あの時、自分はああであった、こうであった、あそこで誤った、などなど。

卒業してから随分経つ。

過去の過ちを思い返しても、取り返しはつかないし益もない。

 

中には、思想を深める上で参考になることもある。

教育者でもあるまいし、教育問題を云々するのではない。

私は時事を論ずるのがあまり得意ではないし、好きでもない。

しかし、学問と密接な関係にある学生の態度、考え方、学生間の雰囲気などを知り、経書を考え、深める材料になっている。

  

最近目を引いたのは、学生間における雰囲気について。

真面目に勉強する学生が、あまりよく思われないとか。

真面目だと笑われ、侮られるという。

 

私の学生時代

それぞれ校風のようなものがあるのだろうし、学校によって違いもあるだろう。

私が見たツイートが、標準ではないかもしれない。

しかし、私が学生の頃から、何かに熱心な者を「意識高い系」などと揶揄する風は確かにあった。

 

勉強熱心を笑う者なし

私の周囲に限っては、全くそんなことはなかった。

熱心に勉強したが、私を笑う者は独りもいなかった。

周りが皆勉強に熱心だったからではない。

友人に勉強熱心な者はいなかった。

 

私は高校時代ほとんど勉強をしなかった。本ばかり読んでいた。

センター試験も受けなかった。

それで入学できたのだから、レベルは当然低い。

有り体にいえば、Fランというやつである。

 

勉強に無関心な者が集まるFラン大学は、勉強熱心を笑う雰囲気が強いイメージがあるかもしれない。

しかし、そんなことはない。 

事実、勉強熱心な者を馬鹿にする雰囲気は全くなかった。

思えば、友人に恵まれたのかもしれない。

 

私も、たまには遊んだ。しかし大抵は断った。

それでも、飲み会をするとか、旅行にいくとか、そういった時はよく声をかけてもらったことを思い出す。

彼らとは、今でも付き合いがある。

 

私と弟が出会ったのも大学である。

弟はあまり勉強しない人間だが、勉強熱心な私を慕ったために、兄弟づきあいが始まった。

今では、血のつながった兄も、血のつながっていない弟も、等しく「兄弟に友」の思いを抱いている。

弟に勉強熱心を侮る気持ちがあれば、こうはならなかっただろう。

 

常識ある友人たち

私が特別に人間関係が達者なわけではない。

どちらかというと不器用だし、人間関係での失敗も多いほうだ。

そう考えると、周りの人間に恵まれていたと思わざるを得ない。

 

私も含め、学力は皆低かったが、友人たちは人間的に立派であったように思える。

学力は低いが、学力では測れないところが立派であった。

勉強するのは良いことである。学生は勉強すべきである。勉強するものは正しいのであって、笑うべきではない。

このような常識をわきまえていた。

  

努力するものを馬鹿にしない、これは当然のことであるが、他人を認めているのだから一種の徳である。

孔子も、人を知らざることは患いであると仰った。

人を知らない、これは人の善行を知らない、努力を知らない、志を知らない、気持ちを理解しない、色々な意味を含む。

人の努力をあざ笑うことも、人を知らざるところから出てくる。

勉強に励む学生を笑うこと、努力する人を軽んずること、あるいはそのような社会一般の傾向や雰囲気というのは、患うべきものである。

 

 

人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う

人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。

これは論語の中、私が奉じている章句のひとつである。

 

ここまで、人を笑う愚かしさを軸に話してきたが、結局、そういった小人はいつの時代にも必ずいる。

それよりも、人から笑われたときにどうするか、人が自分を理解してくれないときにどう考えるかが、より重要である。

 

浩然の気を持つべし

熱心に勉強すれば、他人から笑われることもあるだろう。

しかし、人の己を知らざるを患えず、黙々とやるべし。

そのうち、徳は孤ならず、朋友遠方から来るで、好学の益友にも恵まれるだろう。

それを思えば、小人物の嘲りなど取るに足らぬ。

 

そもそも、自分の学問が人に知られない、笑われるといって気を揉む、それでは志が低すぎるのではないか。

学問が小さいのではないか。

人に知られたいという思いは、私欲にすぎないからだ。

人が知ってくれないという思いは、自分本位の不満にすぎないからだ。

そのような小さな欲と不満は捨て去り、千万人と雖も我往かん、孟子の「浩然の気」でひたすらに歩むだけではないかと、私は思う。

 

徳孤ならず

我が歩みには浩然の気・大勇を持ち、人の己を知らざるも意に介せず、むしろ人を知らざるを患う。

あの人の学問は正しい、あの人の人間は正しいなど、正しいものを正しいと認めるのは智である。

正しいものと誤れるもの、善と悪、それを見極めてこそ大道を歩むことができる。

人を知らざるを患え、正しい人を認め、善い人間と付き合う。

これも、益友に恵まれるゆえんである。

 

 

 腹中有書 壺中有天

理想をいえば、勉強熱心な学生、努力する人が笑われない雰囲気になることが望ましいが、それは難しいだろう。

小人はいつでもいるものだし、むしろ今後、増えていくと思う。

一生懸命に努力する人、地道にやっている人、道理を重んじる人、そういった人にとっては生きづらい世の中になっていくのではないか。

  

だからこそ、腹中有書、壺中有天の境地を目指していくべきだろう。

 

腹中有書

腹中有書、腹の中に書物がある。

現実の役に立たない、カスのような知識を腹に詰め込んでいるのではない。

本物の哲学を腹に収める。

儒学でいえば四書五経を腹に収める。

仁義礼智信五常を腹に据えている。

 

 壺中有天

壺中有天、これは漢書の故事による。

費長房という人が、あるとき不思議なものを見た。

露天商の老人が、店じまいを終えると自分も壺の中に消えてしまったのだ。

翌日、費長房は老人に尋ねた。

「あなたは仙人でしょう」

そして、自分も壺の中に連れて行ってほしいと懇願した。

老人が壺の中に連れていくと、そこは豪華絢爛な世界であった。

費長房は歓待を受け、また現実世界に帰ったという。

 

傍から見れば、なんでもない露天商の老人である。

壺も、いたって普通の壺である。

しかし、そこには意外な世界が広がっている。

壺中有天とは、このことである。

どんな境遇にあっても、人からどう思われようとも、自分の内面世界はどうにでも作り得るのである。

壺中の天をどのように作り上げるか。

これによって、人間の風格が決まってくる。

 

曾晳の壺中天

曾子の御父上、曾晳の志など、壺中有天の好例である。

孔子から志を問われた曾晳は、以下のように答えられた。

 

「春の終わり、春服に着替え、

青年や少年を連れて辺りを散策し、

温泉につかり、高台でひと涼みして、

歌でも歌いながら帰ってくる。

私はこんなことがしたいです。」

 

孔子はこれをほめて「私も曾晳の仲間に入りたい」と仰った。

孔子がほめたのは、 曾晳が壺中の天を作り、楽しむ境地にあったからではないか。

費長房が老人に「壺の中に連れてってくれ」と頼んだように、孔子は「曾晳の壺中に私も入れてくれ」の気持ちで褒めたのではないか。

論語には書かれていないが、私はそのように解釈している。

 

親との隔絶もあるが

東洋思想を学ぶことは、古臭いイメージがある。

しかし、その古く冷たい思想を温め、親しみ、壺中の天を作っていく。

周囲には、その意味や価値が分からないかもしれない。

おそらく、多くの人は理解しない。

親や兄弟でさえ、理解してくれないかもしれない。

親だからこそ、ということも多かろう。

親は、ご飯のタネになるような勉強をしてほしいと思う。

思想的なことは、どちらかといえば敬遠する。

 

それでいいのだ。

人の理解を求めるのではない。

自分の世界を作ることが目的である。

ただ、親の気持ちは理解したい。

親の己を知らざるを患えず、親を知らざるを患う、ということだ。

 

味のある学問

自分”だけ”の世界を作ると思えば、多くの人から理解されないのは、却って味なことである。

分かる人には分かる、分かる人にしか分からない、これは味なことである。

分かる人は、少し話せば分かってくれる。

分からない人は、言葉を尽くしても分かってもらえない。

分からない人にいくら語っても、無味乾燥であり、虚しさだけが残る。

それよりも、分かる人には分かる、何よりそれを作り上げた自分自身がよく知っている、そんな壺中の天を私は作りたい。

 

ここを目指して学問するならば、小人の嘲りなどどうでもよくなる。

小人何をかいわんや。我、腹中に書あり、壺中の天あり。

こういったわけである。

 

「老」ということ

思えば学生の頃、今ほど明確ではないが、私にもこの気分はあったように思う。

周りの人たちがどう思っていたか。恵まれていたとは思うが、私が気にしなかったことも大きかったのかもしれない。

いや、やはり周りの友人はよい男ばかりであったろう。

当時の私は、理想ばかり大きく、腹中に書なく、壺中の天なしであったのだから。

 

 

それでも、当時からこういった考え方を持っていたことは無益ではなかったし、私の中で地下水的に流れ続け、今に至ったものと思う。

今後も、一生涯にわたって影響し続けるに違いない。

東洋思想の味わい深さは、こういうところにある。

いわゆる「老」である。

老練とか、老酒の老である。

 

刺激の強い思想ではない。

学んだからといって、自分自身をガラリと変えるような即効性はない。

しかし、なんともいえぬ味わいがある。

いつの間にか酔っぱらっている、じわじわと効いてくる、そんな感じがある。

 

こういうものの味わいを知っていると、強みになる。

世の中が乱れている。

コロナ、オリンピックを通して、それが露になっている。

そんな時でも、腹中有書、壺中有天、自分の道を失わない。

これは大変な強みである。

 

今後も、この境地を深めていきたいと思う。