周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

怒りを遷さず、過ちを犯さず。亜聖・顔回の真骨頂

孔子の一番弟子は顔回がんかいである。

聖人に近い人物であり、敬意をもって顔子がんしと称されることも多い。

孔子は聖人、聖人に連なる大賢人であるとして、顔回孟子亜聖あせいという。

 

なぜ顔回が亜聖といわれるか。

顔回の真骨頂はどこにあるのか。

今回はこれを記事とする。

 

 

孔子の一番弟子

姓はがん、名はかい、字は子淵しえん

顔淵がんえんとの呼称は、姓と字を合わせたものである。

三国志関羽に斬られる、袁紹配下の顔良顔回の末裔とされる。

亜聖から猛将が生まれたのだ。

道統を継がねば、血統 など頼りないものだ。

 

孔子顔回を愛した逸話は多い。

詳しくは別の機会にお話しするが、孔子顔回の見識を度々褒めている。

ドラマ『孔子春秋』にも、そのような描写は多い。

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顔回の人となり

顔回の人となりを表す言葉が、論語の雍也第六に出ている。

 

哀公あいこう問ふ。弟子ていしれか学を好むと為すかと。

孔子こたへて曰く、顔回なる者有り。学を好み、怒りをうつさず、過ちをふたたびせず。

不幸短命にして死す。今や則ち亡し。

未だ学を好む者を聞かざるなり。

 

哀公(魯国の君)が問うた。

「先生の弟子の中で、学問を好むのは誰でしょうか」

孔子は答えた。

顔回という弟子がおりました。学問を好み、怒りを遷すことがなく、過ちを犯さない弟子でした(※)。

しかし、不幸にして早逝そうせいしましたので、今はもうおりません。

顔回のほかには、学問を好む者はおりません」

(※同じ過ちを二度と犯さない、としなかった理由は後述)

 

これは、孔子の最晩年の言葉である。

顔回が亡くなった年は正確に分からないが、新釈漢文大系・吉田賢抗先生『論語』の孔子略年譜では紀元前481年となっている。

孔子が亡くなったのは、その2年後の479年。

哀公がこのように問うたのは、この最晩年のことである。

 

学を好む顔回

学を好む者を問われ、孔子顔回の名を挙げられた。

そして、顔回の死後は学を好む者がいないと仰った。

 

孔子の門下には、学問が好きな者はたくさんいただろう。

春秋戦国時代は、中国史上最も混乱した時代ともいわれる。

孔子が教える聖人の道は衰えていた。富貴とも無縁な道である。

その苦しい道にあえて参じた弟子たちが、学問を好まないはずはない。

 

孔子は、なぜ顔回だけを「学を好む者」といったのか。

「学を好む」との評価は、なかなか得られるものではない。

顔回のように、極貧の中にいても一貫不惑で道を楽しんでいる。

そして、後述の通り顔回は中庸を得た。

 

顔回を「学を好む」の基準に据えるならば、他のお弟子は及ばない。

学を好む者すなわち顔回であるならば、他のお弟子は学を好むとはいえない。

そこで、「顔回亡き今、学を好む者はおりませぬ」と仰った。

 

怒りを遷さぬ顔回

顔回の好学が実地に現れたことといえば、怒りを遷さぬことである。

 

一般的な解釈

「怒りを遷さず」について、論語の解説書の多くは「Aへの怒りをBに向けないこと」、つまり八つ当たりしないこととしている。

宋の大儒・伊川ていいせん先生の解釈も同じである。

近思録きんしろく』に、伊川先生と門人の問答が載っている。

 

あるとき、門人が伊川先生に尋ねた。

顔子の『怒りを遷さず』ということがありますが、これは『甲への怒りを乙に向けない』という解釈で間違いないでしょうか」

「その通りである」

「これは、そんなに偉いことでしょうか。顔子でなくともできそうですが」

「一見たやすいが、実に困難なことだ。ある人に怒りながら、別の人に怒らず居られるのは道理が分かっているからだ」

 

確かに、怒りを遷さずというのは大変なことである。

Aに100の怒りを向けた直後、無関係のBに接する。このとき、Aへの怒りのうち、わずかに1の怒りでさえBに向けない。ゼロの状態で接する。

なかなかできないことだ。

これができた顔回は偉いというのも納得できる。

 

私も、ごく最近までこのように解釈していた。

しかし、この解釈には不満もあった。

確かに、八つ当たりしないことは難しいが、孔子の門人の中にはそのような人はたくさんいたのではないか。

 

八つ当たりしなかったのが顔回ただ一人というのはおかしい。

孔子のお弟子のうち、顔回以外は誰もが八つ当たりしていたとすれば、幻滅してしまう。

 

怒りを遷さぬは中庸の道

最近、この問題が氷解した。

根本通明先生の解釈によってである。

この記事を書こうと思ったのも、その喜びが大きいためである。

 

 

「怒りを遷さず」とは、八つ当たりしないだけではない。

怒るべき時に怒り、八つ当たりせず、なおかつ正しく怒ることである。

 

50で怒るべき時、30しか怒らない、あるいは100怒ってしまう。

50であるべきなのに、30や100に遷ってしまう。

怒りを遷すとは、このことである。

 

これは、中庸を得ていないということだ。

怒るべき時に怒るは中庸である。

ただし、50で怒るべきとき、100で激怒するのは怒りを遷すであり、中庸ではない。

 

中庸を得ていれば、八つ当たりも起こりようがない。

50で怒るべき人に50で怒り、

100で怒るべき人に100で怒り、

怒るべきでない人には全く怒りを向けない。

 

 

八つ当たりせぬくらいのことは、孔門では当たり前のことである。

八つ当たりせぬだけでは足りない。

中庸を得ており、それゆえに八つ当たりも起こりようがない。

 

これが難しい。

顔回であってはじめてできた。

 

過ちを弐せぬ顔回

顔回は、過ちを繰り返さなかった。

孔子のお弟子のうち、顔回だけに許された賞賛である。

 

これにも二通りの解釈がある。

一般的な解釈は、一度犯した過ちを二度と繰り返さないこととする。

しかし「怒りを遷さぬ」を「中庸を得ていたこと」とすると、この解釈は成り立たなくなる。

 

中庸の道を得ている人は、ものごとの正しい在り方や程度が分かる。

何が中庸で、何が中庸でないかが分かる。

ある物事に対して、中庸の道に照らして心の中で考える。

中庸を得た人物がこのように考え、行動するならば、失敗を犯すことはないはずだ。

 

この解釈であれば、「過ちを弐せず」とは「”一度犯した過ちを”繰り返さない」ではない。すなわち、

  1. 心の中で「こうあるべきか」と思う。
  2. 中庸を考え、「いや違う、それは中庸の道ではない。正しくはこうだ」と悟る。

と解釈すべきだ。

1で中庸を得ず、しかし2で中庸を得る。

これが「過ちを弐せず」である。

 

孔門のうち、好学であり中庸を得ており、怒りを遷さぬ人物は顔回ひとりであった。

中庸を得ていたから、過ちを犯すことがないのも顔回ただ一人だった。

 

実際、論語には高弟が孔子に戒められる話がたくさんあるが、顔回だけはそれがない。

一度は失敗するが、二度は失敗しない。

もしそうであれば、ひとつくらいは顔回が戒められる話があるはずだ。

特定の弟子の失敗を隠すほど、論語はせこくない。

ましてや、顔回が立派な人物であるほど、「その顔回でもこのような失敗があった」として掲載されたはずだ。

 

中庸こそ顔回の真骨頂

このように解釈すると、顔回が亜聖といわれる理由がよくわかる。

中庸を得た顔回は、聖人といってよい。

ただ顔回は、

「自分は先生(孔子)に遠く及ばない、努力を重ねて追いついたと思ったら、先生は遥か遠くに行っておられる」

といった。

その孔子への遠慮から亜聖とよぶ、そのくらいなものである。

 

中庸を得ており、怒りを遷すことがない。

また、何でも中庸に照らして考える。

心の中で一度間違えることがあっても、それが言動になる前に心の中で正す。

だから、失敗することもない。

 

顔回は、学問してこの境地に至ったのだ。

顔回こそ、「学問すれば聖人になれる」ということの証拠である。

 

「好学」とは

現代では、本を読んだり、講義を聞いたりすることが好きな人を「好学」と評するが、孔子に言わせれば、それだけでは好学とは言えない。

ましてや、ただお金を稼ぐとか、

ただ資格試験に合格するとか、

ただ試験でいい点数を取るとか、

ただ知識をたくさん身につけるとか、

そんなものは好学ではありえない。

 

好学とは、寝食を忘れるほど、熱烈な姿勢があってはじめて許される評価である。

しかし、その姿勢があっても結果が伴わなければ、孔子は好学とは言われまい。

学問に励み、中庸を得た人であって、はじめて好学といえる。

好学とは、熱心に学問する姿勢は前提であって、それによって中庸を得た人への評価なのだ。

 

中庸を得るために学問する、これだけでは不十分だ。

学問して中庸を得た、これが好学の証明になる。

孔門において、「好学である」の評価は大変厳しいものなのだ。

 

ゆめゆめ、自分のことを「好学」などと思うまいぞ。

顔子の道の厳しさを思い、自戒の念を強くした。