周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

鳥の声を解した公冶長

論語公冶長第五の冒頭に、公冶長こうやちょうなるお弟子の話が出てくる。

公冶長という人の記録はほとんどなく、どのような人であったか分からない。

 

公冶長は鳥の声を理解したといわれる。

私も鳥は好きだから、公冶長について色々調べて見ると、大変面白かったので記事とする。

 

 

 孔子曰く

子、公冶長を謂ふ。めあはす可きなり。縲絏るいせつの中に在りと雖も、其の罪に非ず。以て其の子を之に妻はす。

 

孔子が公冶長について仰った。

「公冶長なら、我が娘をやってもよいだろう。

獄中に入ったこともあるが、公冶長の罪ではない(無実の罪であった)。」

そして娘を公冶長に嫁がせた。

 

 孔子の人物評価

一般的な論語の解説書では、公冶長の人物についてあまり言及していない。

記録が残っておらず、よく分からないからだ。

公冶長は、縲絏つまり現代で言えば「前科者」であるにもかかわらず、孔子は娘を嫁がせた。

孔子は、公冶長の人物を正しく評価した。

前科者であれば世間の目は冷たい。子をやりたいと思う親も少ない。

しかし、孔子はそんなことに頓着しなかった。

人を正しく評価し、正しく付き合うことの大切さを教える章句であるとする。

 

たしかにその通りである。

この章句の解釈はそれで良いと私も思う。

しかし、公冶長がどのような人であったかを知ると、この章句がもっと味わい深くなる。

孔子が娘をやったくらいだから、相当な人物であったはずだ。

孔子が高く評価した公冶長とは、どんな人であったか。

そこが面白いところである。

 

 公冶長のはなし

公冶長のことは、論語の解説書である義疏ぎそ(皇侃の『論語義疏』)に載っている。

それによれば、公冶長は鳥の声が理解でき、それがもとで罪に問われたことになっている。

吉田賢抗先生の『論語』も、諸橋轍次先生の『論語の講義』も、これを荒唐無稽なこととしている。

また皇侃自身も「奇妙な話だが、そういう話が伝わっているから掲載する」といった態度で、信用していない。

 

しかし、根本通明先生は違った見方をした。

信ずるに足るとして、公冶長のことを詳しく教えている。

 

公冶長が捕らえられた経緯  

公冶長は鳥の声が理解できた。

ある時、公冶長は衛の国から魯の国に帰る途中、鳥が友に呼びかける声を聞いた。

なんでも、

「渓谷に人の死体があって、腐敗している。その肉をつつきにいこう」

という。

公冶長は、衛と魯の間の渓谷で誰か死んでいるらしい、と悟った。

 

公冶長自身には特に関係ないことだから、気にせず歩いていた。

すると、老婆が道で泣いている。

「お婆さんどうなさいました」

公冶長が尋ねると、

「先日、一人息子が家を出たまま帰ってこないのです。もう随分日が経ちましたから、死んでしまったのだと思います。せめて葬ってやりたいが、どこにいるか分からずに泣いております」

という。

 

公冶長は、おそらく鳥の話にあった死体がそれであろうと思い、

「息子さんは、あっちの渓谷にいるはずです。さっき、鳥が『死人の肉を食おう』と言って鳴いたのを聞きましたから」

と、親切に教えてやった。

藁にも縋る思いで老婆が行ってみると、そこに息子の死体があった。

 

その後、老婆は村の役人に息子のことを伝えた。

「息子があっちの渓谷で死んでおりました。何で死んだか分かりませんが・・・」

「あっちの渓谷というが、お婆さん、あそこは人のいくような場所ではないよ。どうやって死体を見つけたの」

「公冶長という旅の人が教えてくれました。そのように鳥が鳴いていたそうです」

 

当然、役人は怪しんだ。

鳥の声がわかるはずがない。

公冶長が殺したから、場所も知っていたに違いないと考えた。

 

これが、公冶長の捕まった経緯である。

 

無罪放免となる

当時、すでに孔子の名前は広く知られていたと見えて、そのお弟子である公冶長を粗末に扱ったり、話も聞かずに断罪したりすることはなかったようだ。

捕らえられた公冶長は、牢獄の役人から尋問を受けた。

 

「あなたは孔子のお弟子でしょう。それに、人を殺すような人にも見えません。どうして殺したんですか」

「殺してはおりません。私には鳥の声が分かるのです。鳥の声が聞こえたばかりに獄中に入れられました」

「そうはいっても、とても信じられません。本当に鳥の声がわかるなら別ですが・・・。鳥なら何でもいいんですか」

「何でもかまいません」

「なら、そのうちカラスでもトンビでも出てくるでしょうから、試してみましょう。本当に理解できるなら、あなたは無罪放免になりましょうが、もし理解できなければ殺人罪ですからね」

 

それから60日間、公冶長は獄につながれた。

60日は長すぎるともと思ったが、よく考えると、鳥と鳥が声を交わしているような場面にはなかなか出くわさない。

それで、公冶長も長く待たされたものと思う。

 

さて60日後、2羽の雀の子が牢の周りを飛び回って、何やら鳴き合っている。

役人は急いで公冶長に知らせ、鳴き声を聞かせた。

公冶長は雀の声を聞きながら、頷いたり、笑ったりしている。

 

どうも理解しているらしいと思い、役人は公冶長に尋ねた。

「雀は何と鳴いていますか」

嘖々𠻘々さくさくしゃくしゃくと鳴いていますね」

 

さくとは動物がやかましく鳴き合うさま。

𠻘しゃくは噛んだり味わったりすること。

嘖々𠻘々とは、ご飯にありつけるぞと騒いでいる様子。

 

役人が「どういうことです」と聞くと、公冶長は以下のように説明した。

 

「ここから離れた場所に、白い蓮のたくさん咲いたところがあります。

そこに道があります。先ほど、荷車を引いた人が通っていきました。

荷車には籾と黍が載せてありましたが、あんまり多く載せていたから、荷車がひっくり返った。

荷車を牽いていたのは牡牛でしたから、その拍子に角が折れてしまいました。

俵が破けて籾や黍がたくさんこぼれ、全部は拾えなかったのでまだ路上に散らかっています。

雀が騒いでいたところによると、大体こんな話でした」

 

役人は、あまりにも具体的で驚いたが、すぐに信用するわけにはいかない。

部下に見に行かせた。

すると、全て公冶長の言う通りであった。

その後、念のためにツバメなどの声でも試したが、全て理解できていた。

 

これによって、公冶長は無罪と分かって放免された。

 

動物の声を聞く人々  

さて、問題となるのは公冶長が本当に鳥の声を解したか、である。

論語の解説書は、軒並みこれを荒唐無稽としている。

 

しかし、動物の声を人間が理解した例は、孔子の時代には色々ある。

特殊能力といえば特殊能力だが、公冶長だけが鳥の声を聞いたわけではない。

 

夷隷・貉隷

私自身は、公冶長は本当に鳥の声を解したと思う。

当時、周の官制には動物の声を聞く役があったのだ。

夷隷いれい貉隷ばくれいという役職である。

 

夷隷は鳥や牛などの動物を養う役、貉隷は野生の動物を手なずける役である。

夷隷は飼っている鳥や牛の声を理解でき、貉隷は野生動物の声を理解できたという。

夷隷・貉隷は、動物の言うことを理解するだけではなく、動物の鳴き真似で人間側の意思を伝えることもできたという。

 

獣医

また、周の時代にはすでに獣医があった。

しかし、現代のようにレントゲンなどの技術がないため、動物が病気になってもどこが悪いか分からない。

それでは治療はできない。

当時の獣医は、動物の声を理解した。

どこそこが痛い、悪いと動物に問うて、理解し、薬などを与えたという。

 

夷隷、貉隷、獣医など、動物の声を解する人が行政の一部を担っていたのだ。

全く荒唐無稽な話とは思われないし、公冶長が鳥の声を解したことも十分にあり得ると思う。

 

介の葛盧

周官以外では、左伝にも似た話がある。

僖公29年の話。

介という国の葛盧かつろという君公が魯に来た。

葛盧は、動物の声が分かる人であった。

魯は葛盧を歓迎して宴を開き、贈り物をした。

贈り物の中に牛がいた。

葛盧は、牛の鳴き声を聞いてこういった。

 

「この牛は、三頭の子を産みました。

しかし、三頭すべて祭りの生贄いけにえに使われたようです。

鳴き声で、そう言っています」

 

調べて見ると、葛盧の言う通りであった。

 

 

まとめ

公冶長のような例は色々ある。

根本通明先生は、動物の声を学ぶ語学教育のようなものもあったが、周が滅んで夷隷・貉隷といった役職もなくなり、廃れていったのだろうと書いている。

私も、そんなところかなと思う。

 

占いなどもそうだ。

左伝を読んでいると、当時の占いは不思議なくらいに当たっている。

それは後の創作であると言えばそれまでだが、何でもそのように考えると味気ない。

また、科学的でないものを全て否定すれば、そもそも祖先崇拝や陰陽といった根本的なことまで否定することになり、儒学が成り立たなくなるのではないか。

 

動物の声を聞いた人や、神業のように占いを当てた人は確かにいたのだろう。

そのように考えたほうが、儒学を学ぶにはよいと思う。