周黄矢のブログ

噬嗑録

東洋思想を噛み砕き、自身の学問を深めるために記事を書きます。

暦のはなし

以前、弟に三国志のドラマであるスリーキングダムズを勧めた。
三国志のことをあまり知らないと言っていたので、このドラマなら間違いないだろうと思って勧めたのだ。

案の定ハマり、短期間のうちに一気に観たようだ。

 

ドラマを勧めてみて、感じたことがある。

以前に比べて、会話の幅が確かに広がったように思う。

 


例えば先日、暦について話した。

 

私は最近本をどしどし捨てている。

本をすぐに買ってしまう癖があるが、後になってつまらなかったと思うものも多い。

書店で買えばそのようなミスも少ないが、ネットで買うとミスが増える。

買うべきでない本を買ってしまった場合、そのままにしておくよりも捨てたほうが良いのではないか。

異端を攻めるべく、吟味の上で不要と思えば捨てている。

そんな話をしていると、弟は

 

諸葛孔明みたいに、暦だけ残すんですか」

 

といった。

私は覚えていないのだが、作中、諸葛孔明のセリフに

「私は暦があれば十分です(暦のほかに書物は特に持ちませぬ?)」

というものがあったらしい。

 

なぜ「暦だけ」なのか、製作者の意図は知らない。

しかし、ともかく暦は古において大変重要なものであったから、その辺に関係しているのだろう。

このことは、論語八佾篇の告朔(コクサク)の餼羊(キヨウ)の話からよく分かる。

 

古においては、天子が諸侯に対し、翌年の一年分の暦を前年中に授けた。

暦を賜った諸侯は、それを廟に保管する。

年が改まった1月1日、廟で告朔の祭りを行う。

 

朔とは朔日。月の第一日のこと。

告は告げる。

つまり告朔の祭りとは、朔日に告げる祭りである。

何を告げるかといえば、

 

・本日が朔日であること

・その一ヶ月間になすべきこと

 

である。このとき、生きた羊を一頭供える。

この生きた羊が餼羊である。

告朔の祭りを終えると、次は君公に暦を告げる。

 

この祭りは、古代の政事に欠かせないものであった。

君公に暦を告げることで、例えば農作業として何日に何をする、何日に何の工事をするといったことが決まる。

一年間にわたって、滞りなく政事が回っていくためにも、暦は非常に重要だったのである。

 

当時の魯国では、君公が告朔の祭りに消極的だった。

形だけはやるから、餼羊も供える。

しかし、君公が暦を無視する。

告朔の祭りは全く形骸化していた。

毎月朔日に餼羊を一頭供えると、一年間で十二頭の餼羊がいる。

形骸化した祭りに、このような出費は無駄ではないか。

そう考えた子貢は、孔子に「こんなことはやめてしまいましょう」と言った。

 

孔子は子貢の提案を退けた。

形骸化した祭りでも、形だけでも残すべきだ。

形だけでも残っていれば、いずれ心掛けの良い君公が出た時、告朔の祭りが復活するだろう。

暦によって政事が行われ、人々の生活に役立つだろう。

だから餼羊を排してはならない。

お前は羊の無駄を惜しむが、私は礼が失われるほうが惜しい。

孔子はそう仰った。

 

 

スリーキングダムズの作中で、諸葛孔明が暦に言及した意図は分からない。

しかし、ともかく暦は大切なものであった。

暦があるから告朔の祭りがあり、それによって政事が回ってゆく。

当時、祭りと政事は切り離せないものであった。

易経にも、祭りに関する言葉が非常に多い。

 

政を「まつりごと」というのも、「祭り」からきている。

古代においては祭り≒政事であったのだ。

現代の政治でも「政教分離」という言葉がある。

政事と宗教を分ける考え方である。

戦前まで、日本は祭政一致を理念としていた。

おかしな宗教が政治に関与しない(実際のところはさておき)点では政教分離は良いが、本来は祭政一致であるべきと私は思っている。

 

 

スリーキングダムズが入口となって、こんな話もできるようになった。

官渡の戦いのところで、袁紹天地人の神様を祭って戦勝祈願するシーンがあっただろう・・・」

といった話もできる。

 

以前なら、このような話題はあまり深く話さなかった。

手軽なもの、三国志ならば漫画やドラマを入口にするのは、結構良いことだと思った。

弟のように、そのような入口がなければ、敬遠してしまう人もいるのだ。

そこで満足しても、何も知らないよりは良いだろう。

そこから深めていけば、なお良いだろう。